EP2 Dreaming Lullaby
お名前図鑑 登場順 名前のついていない人はありません。
カイル :ヴァンパイア
シヴァ :世の中に冷めたお茶好きなヴァンパイア
レイン :シヴァの恋人
ミア :ふわふわ幽霊
珍しくカメラマンの仕事が入り、シヴァは身支度を整えている。コートに手を伸ばすとふわりとそれを着た。
「カイル、今回は私一人で行くが二、三日、いや二日で戻る」
シヴァは手袋を嵌めるとカイルを見る。
「はい、留守番をきちんとします。行ってらっしゃい」
シヴァの首元にそっとカシミアのマフラーをかけてカイルが頷いた。
「行って来る」
シヴァの乗った車はあっという間に居なくなった。しんと静まり返った家の中でカイルは初めて一人きりの時間を過ごすことになる。ミアがいるので一人ではないが。
「よし、お茶をいれるか」
カイルはいつもどおりに台所へ行き一人分のお茶を入れた。熱いカップを持ちいつもの定位置につく。いつもなら目の前にはシヴァが座っているはずだが今日はいない。カップに口をつけてテーブルの上に置かれた本に視線を移した。シヴァが居ない間は暇になるだろうから読書でもと彼が用意してくれた本だ。手に取ると科学、医療、そしてラブロマンスとさまざまある。
「シヴァの好みってよくわかんないな」
そのうちの詩集を選ぶと読み始めた。部屋の中は暖炉が燃えてパチパチと音を立てている。その傍にミアが立ち時々ふわふわ浮かんでは楽しそうに踊っている。二日目の朝も同じでカイルはお茶を入れ、本を読む。椅子に座りパチパチと音を立てる暖炉に耳を傾けながら、いつの間にかこっくりこっくりと船をこぎ始めた。意識の奥でバキンと何かが割れる音がしてカイルははっと目を開く。膝の上の本を閉じて周りを見渡すと暖炉の火が落ちていた。まだ空気は暖かいものの急ぎ暖炉に木をくべて火をつける。またパチパチと燃えるまでには少し時間がかかった。
「変だな」
火かき棒で木を奥につっこみ火が広がるのを待つ。
「寒い」
ぶるっと体に冷えを感じて両手で体を抱き窓の傍に立つと外を見た。外は雨で風も強いせいか木々が揺れている。カイルはどこか窓が開いていないかどうか確認するために家の中を歩き回った。トイレの窓が少し開いていただけで他は気にするところはなく、また暖炉の前に戻るとミアが両手を挙げて大きな口を開けていた。声が聞こえていたら叫び声が聞こえただろう。
「ミア?」
カイルの声にも気づかずミアは両手を耳に当てて大きな口を開け続けている。そしてはじけるようにミアは消えた。
「ミア?」
周りを見渡すもミアの姿は見つからない。カイルはさっき行った場所をなぞるようにして探した。
「どうしたんだろう……」
とぼとぼと部屋に戻り暖炉の前に座る。その時後ろから視線を感じて振り返った。部屋の片隅には小さな炎がこちらをのぞいている。それは人型で黒い目がじっとこちらを伺っている。
「誰?君は……」
カイルはおそるおそるそれに声をかけた。けれどシュッと消えてしまい、また何事もなかったように暖炉の火が大きく燃え上がる。
「わっ……」
火の粉がパチっと上がりカイルは手で顔を覆った。暖炉の前は暖かいものの家の中は凍りついたように寒い。カイルは暖炉の前にソファを置くと毛布を持ってきてそこで眠ることにした。翌朝、車のエンジン音がしてシヴァが帰ってきた。暖炉の前で眠るカイルを見ると、何かに気付いたように家の中を見渡し家中の窓を開けた。外はまだ雨が降っているが気にもせず開け放った。カイルは小さく唸って目を覚まし、目の前にいるシヴァににこりと笑う。
「おかえりなさい」
「ただいま、カイル。ミアはどうした?」
カイルは目を擦り体を伸ばすと小さく頷いた。
「はい、昨日消えてしまったんです」
「消えた……か」
「はい。探したんですが見つからなくて……」
シヴァはカイルにそこにいるように指示をして、また家の窓を一つ一つ閉じ始めた。
そして暖炉に薪をくべて火をつける。
「昨日は寒かったのか?」
「はい、中々燃えなくて」
シヴァは立ち上がるとテーブルの上に蝋燭を置き、火をつけた。蝋燭の火はふわっと燃え上がると昨晩見た人型の炎がそこに現れる。
「あ、それ。昨日出てきたんです」
「ああ……これは精霊だ。多分、ミアを連れに来たんだろう」
「ミアを?」
連れに来たとはいえ、叫んでいるように見えたからミアは苦しんだのではないだろうか?カイルはシヴァの隣に来ると炎に言った。
「君はミアを連れて行ったの?」
炎は大きく回転するように燃え上がりしゅっと消えた。蝋燭からは一筋煙が舞い上がる。
「カイル……」
シヴァがカイルの肩に触れ、そっと抱きしめた。
「怒っているのか?泣くな」
そう言われて初めて涙に気付いた。感情は揺れてはいなくても心にぽっかりと穴が開いたような気がした。
「カイル、精霊は感情など持っていない。あれはただ人間のフリをした妖精が幽霊になったのを良しとせずに連れて行ったんだ」
シヴァは自分のコートの中にカイルを包み込む。
「ミアは妖精であることを忘れなければあんな風にはならなかった。今も生きていたろう。いいか?これから多くのものに会う、しかし傷つかないでくれ。我々とは違うのだ」
カイルはシヴァの体に抱きつくと暖かい胸にすがりついた。この感情は何?まだ知らない感情がカイルの中で炎のように巻き起こる。
「ミアは叫んでいました……そのように見えました」
「ああ、きっとそうだ」
「私は彼女の声が聞こえなかった、最後の看取りすらしてあげられなかった」
「ああ。誰しもができるわけじゃない」
シヴァはカイルをぎゅっと抱きしめると髪にキスを落とした。
冬が色濃くなる。森は白に包まれて小さな動物が姿を消した。森の館はシヴァが壁紙を変えたせいか、新築の装いだ。外へ郵便物を取りにでたカイルは息を吐く。白い息は顔を一瞬で凍らせて身震いした。玄関を開けるとその奥にシヴァがいた。昨日届いた大型の荷物を解いているところだ。
「なんですか?それ」
「これか?ここには暖かいものが必要だと思ってね」
ふわふわとした手触りの大きな毛布が二枚、それぞれがリボンで梱包されている。シヴァは両手にそれを持ち、一つは自分の部屋、もう一つはカイルの部屋に放り込んだ。
「荷解きは自分で出来るな?リボンを解くだけだ。これで眠るときは少しましになるだろう」
「そうですね」
少し前から寒さが酷くなっているようで、時々受信するラジオでは、寒波の一言だけを残して繋がらなくなった。
「シヴァはお仕事は大丈夫なんですか?」
「ああ、この雪だとどっちみち難しい。モデルも現地に入れないことがあるから」
「そうですね、列車とかも動いてないんですっけ?」
「うん、今はな」
「車も動けそうにないですね」
窓の外は雪が積もり未だ止む様子はない。
「これ、どれくらい降るんですか?」
「どうだろうな。私が知る限りでは私の身長くらいまでは積もることになるな」
「冗談ではなく?」
「ああ、冗談ではなく。冗談だったら良かったな」
シヴァはポンとカイルの頭を叩いた。
「お茶をいれてくれ」
「はい」
カイルは台所へ行き、先日シヴァが買ってきた新作の紅茶の缶を開けた。甘い香りが鼻を抜けていく。お湯を沸かしティーポットで入れるとカップを添えて部屋へ戻る。
「ありがとう」
シヴァはカップに口をつけると微笑んだ。
「これは美味いな。買ってきてよかった」
「ええ、そうですね。当たりでした」
お茶を口にしてカイルはカップで手を温める。
「あの……いまさらなんですが」
「どうした?」
「あの、もう随分経つんですが、その私はIDとか取らなくていいんでしょうか?」
「ん?ID?」
シヴァはカップをテーブルに置き、首をかしげる。
「その身分証明みたいなものがありますよね?以前見せてくれた」
カイルはずっと気になっていたが、聞くチャンスを逃していた。
「ああ。そうか……確かにIDというものは存在はするんだが、特には必要とはされていない。君が私と住み始めてからは登録をしてあるから大丈夫だ」
「ありがとうございます。森では必要なかったんですが、出たら必要になると」
「うん。なるほど」
シヴァは椅子にもたれ腕を組むとゆっくりと話始める。
「以前は確かにIDは利用されていた。だがトラブルが多くて。何百年と生きるものが出てきたからだ。彼らの常識から外れてしまったんだろう。殆ど使われていない」
「殆どというと、利用している人もいるんですか?」
「一部が。常識の中で生きている人たちが利用している」
「ああ」
「どうした?何か気になるのか?』
「いえ、ただ私は文明の中にはいなかったのだなあと思って」
カイルが小さく溜息をつくとシヴァはハハと笑った。
「そんなものはないようなものだよ。私が知る限りこの国を含めIDというものが確かに利用されたのは戦争くらいだ。支配者たちが自分たちの手駒を作るためにそれを使おうとしたが、種族が増えていたために従うものなどなかった。自由に生きることを良しとする種族が殆どで戦争など出来るはずもない。それが文明だというのなら私もいなかったのだろうな」
「……そんなことのためにIDを作らせていたんでしょうか?」
「もちろん我々が快適に暮らせるためというのが建前だ。うまく行っていたこともあるんだろう」
シヴァはお茶を一口飲む。
「大昔、妖精たちの住む島があったそうだ。私は文献でしか読んだことがないがな。そこはこうしたIDが住む者全てに割り振られ文明も進んでいたそうだ。が……あまりに従順だったせいか幾度となく戦争に駆り立てられ、最後には島ごと沈められたそうだ」
「うわ、酷い」
「文献が正しければそうだな。生き残りがいるらしいが、それこそ今もまだ従順であったならまた巻き込まれることも考えられるな。あくまで文献だ。けれどIDがもたらす先の未来が妖精の住む島であったならなくなった理由もわかろうものだ」
シヴァが笑うと席を立った。カイルはカップをすすりながら視線を上げる。窓の外は雪が酷く降り、窓の半分を埋めていた。
「うわあ」
急ぎ玄関まで行き外の様子を確認する。近くに停めてある車が大きな雪山になりつつあった。
「ああ、酷いな」
背後からやってきたシヴァがカイルの上から覗き込む。
「これだと買い物にも行けませんよ?」
「そうだな。生憎と食べなくてもそんなに支障はないだろう」
カイルの背をポンと叩きシヴァは部屋に戻っていく。
「しかし少し堅い話が続いたから何か甘いものでも食べよう。昨日私が作ったサブレは?」
「ああ、はい。缶の中に」
シヴァを追い一緒に台所へ行くと、戸棚に入っていた缶を取り出した。いくつか皿に盛るとそれをシヴァが持っていく。
「シヴァは何でもできますね」
「ハハハ、では次は君も一緒に作ればいい。覚えれば簡単だ」
「それはそうですが」
「大丈夫だ、カイルは食事が作れるからお菓子も上手に出来るようになる」
「お菓子と食事は違いますよ」
指先でつまんだサブレはバターの香りがとても良い。口に放り込むとさくさくと音がした。
「フフ、でも美味そうに食べる。作りがいがある」
椅子に深く腰掛けてシヴァはサブレを食べる。カイルがもう一つサブレを取るとシヴァが言った。
「今度は必ず一緒に作ろう。違うお菓子を」
雪に埋もれて一週間経とうとしている。雪は止んだようだが解ける気配がない。カイルは起きだすと暖炉のある部屋へと急いだ。暖炉は赤々と燃えている。
「おはようございます」
「おはよう」
ふああとあくびをするとシヴァが笑う。
「顔を洗ってきなさい。まだ寝るのであればベットに戻れ」
「洗ってきます」
洗面所で顔を洗い、また部屋に戻ると服を調える。部屋を出た所でシヴァが玄関にいるのが見えた。
「どうしました?」
「ああ、暖炉の火を強くしている。ドアの前だけでも除けておこうと思ってね」
「手伝います」
「いや、それはいい。すぐに終わるから。暖炉の前で温まりなさい」
彼は外に出るとドアを閉めた。外ではざくざく雪をかく音がしている。カイルは暖炉の前に行くと椅子に座った。テーブルの上にはラジオが置かれていてかすかに音が流れている。チューニングボタンを回すと古い流行歌だった。女性が歌う流行歌は聴きなれない言語でカイルが知るものとは違った。
「ドリーミングララバイって違う言葉でも歌われているんだ」
カイルが椅子に座って聞いているとシヴァが戻ってきた。
「ん?懐かしいな。今日は珍しく受信したか」
「懐かしいってあなたも知っているんですか?」
シヴァは両手を擦り合わせ暖炉の前に立つ。
「この言語のものはな。こちらが原曲なんだよ」
「知りませんでした」
「フフ、原曲のほうが売れなかったからね。彼女はオペラ歌手で珍しく流行歌も歌っていた。がそんなに売れずに、またオペラの世界に戻った」
シヴァは丁度ラジオから聞こえてきた歌を口ずさむ。
「世界の果てで待っていて、なんて歌詞が流行ったのは彼女がオペラの頂点に立ち名声を手に入れた後のことだ」
「歌詞が違うんですね。私が知っているドリーミングララバイはいわゆるラブソングです」
「ああ、そういうものだ」
シヴァは優しい声でラジオにあわせて歌う。
この世界が朽ちてしまっても 星の輝きは消えない
歌が終わるとまた少しして受信しなくなりラジオが静かになった。シヴァは台所へ消え、お茶を手に戻ってくる。カイルにカップを手渡すと椅子に座った。
「素敵な歌ですね。今のってシヴァが訳して曲に乗せて歌ったんですよね?」
フフと笑いシヴァはお茶を飲む。
「君は褒め上手だ」
「いえ、でも私はあなたの歌うドリーミングララバイが好きです」
「そうか」
カイルは立ち上がると暖炉に薪をくべる。
「この世界が朽ちてしまっても、星の輝きは消えない」
少し調子外れの音でカイルは歌い、火かき棒を持ち動かしながらぼんやりと火を見つめている。
「でも悲しい歌詞ですよね」
「そうだな。きっとそんな思いをした人が沢山いたのではないかな。だからこの歌は作られた、けれど多くに届くことはなく新しく歌詞が付けられ歌われた。でもラブソングなのだから愛された歌だろう」
「はい。……あの」
カイルは少しもじもじしながらシヴァの前に立った。
「どうした?」
「あの、ドリーミングララバイの訳を書いてもらえませんか?良かったらですけど」
「ふふ、いいよ」
シヴァは頷くと戸棚の引き出しを開けて紙とペンを取り出すとテーブルの上に置いた。
「ああ、覚えているものが間違っていなければいいが」
カリカリとペンを動かして歌詞を書き出してゆく。
「でもこの歌自身が短いものでよかった」
ペンを止めるとシヴァは紙をカイルに差し出した。
「ありがとうございます」
「気に入ってもらえてよかった」
「部屋に置いてきます」
カイルがぎゅっと紙を胸に当てて部屋に戻る。
「なんか嬉しいな。こういうの」
それが聞こえたのか廊下の向こうでシヴァの声が響いた。
「どうかしたか?」
「いいえ」カイルはふふと微笑むと机にそれを置いて部屋を後にした。
「ああ、そうだ」
居間に戻ったカイルにシヴァがはっと顔を上げる。何か思い出したように少し顔をゆがめた。
「どうしました?」
「いや……君に話しておかないと」
「はい」
めずらしく口の重いシヴァを見てカイルは首をかしげる。
「何か問題ごとですか?」
「うん……雪が溶ける頃に一度街に行こうと思っている。もちろん君も連れてだ」
シヴァは椅子にもたれてうなだれるように足を組んだ。
「我々にとって必要なことでもある。こう長く生きていると変化もあるものだが……」
カイルはもう一度首をかしげた。
「なんでしょう?」
「血だ」
ああ、とカイルは声に出した。そういえば森を出てからは口にしていない。けれどそんなに枯渇しているようには感じられなかったが、何かおかしいのだろうか?
「あの、確かに随分と飲んではいません」
「ああ、私が食事を作るときに少しだけ混ぜているからね」
シヴァは立ち上がると暖炉の上にある戸棚から何かを取り出してカイルの手に乗せた。小さなカプセルだ。振ってみると何か粉が入っている。
「何ですか?」
「血の粉末だ」
「ええ?」
カイルが慌ててそれを落としそうになるも両手で大切に捕まえた。
「君は初めてかも知れないが、都会ではそうしてヴァンパイア向けに売られている」
「でもどうして?……ああ!」
そうか、とカイルは俯いた。血を提供してくれる人がいたとしてもいなかったとしても相手からもらうことになる。ましてや人の中で隠れて生きているのであればそれが合法的にできるとは限らない。
「フフ、そうだ。我々はこうしたものを手に入れなくてはいけない。合法的にね」
「でも、どうやって……その、血を」
「病院だ。金のない連中が血を売りに来る。それを医者どもが買ってこうした形にして我々に売るのさ。大昔は多くの人間が血を提供してくれたシステムがあったらしいが……犯罪に使われて潰されたんだ」
シヴァはカイルからカプセルを受け取ると指で挟んで見せた。
「とはいえ、我々もそこまで血が必要になるわけじゃない。昔話のように寝て起きて腹が減ったら美女を襲うなんてことをしてたら大変だ。それこそ都市伝説という奴で狩りが始まってしまう。ヴァンパイアが出たってね」
「はい。じゃあ、それを買いに行くんですか?」
「ああ、それはかまわんのだが……」
「カプセルが問題ではないんですね?」
「そのとおりだ」
長い溜息をついてシヴァは頬杖をついた。
「その病院にいる医者だ。このカプセルを作っている奴。とりあえず奴には君のことも紹介せねばならん……」
「ああ……あの、どんな方なんです?そのお医者さんって」
「エルフだ。ろくでもないエルフだ。君を連れて行きたくはないんだが、カプセルの中身が合うかどうかがまだよく分かっていないのもあって……」
頭を抱えるようにしてシヴァがうな垂れた。カイルは頷いて微笑む。
「はい、肝に銘じておきます」
雪解けが近くなり館の周りで鳥が囀るようになってきた。カイルは朝から起き出して、掃除をしている。いつもはシヴァが手伝ってくれているが今日は部屋で仕事の電話中だ。埃を払い雑巾掛けをして部屋中を綺麗にする。残りは玄関の掃き掃除だけになり箒を持ったところでシヴァが部屋から出てきた。
「ああ、お疲れ様。手伝えなくて悪いね」
「いいえ。もうこれで終わりです」
ドアを開けて箒をかける。玄関前も少し残った雪を除けてカイルはふうっと息をはいた。
「終わり~」
まだ外は雪景色だ。しかし陽射しはとても暖かい。辺りを見回して家に入ろうとした時、遠くの方で車のエンジン音が聞こえた。車はこの家の前を一度通り過ぎ、ゆっくりとバックして戻って来る。カイルがじっとそれを見ていると家の中からシヴァがやってきた。
「どうした?」
「いえ、車が」
カイルが指差した方を見てシヴァは眉をひそめる。紫色の車から降りてきたのは背の高い男だった。男は荷物を持ち顔を上げるとカイルたちに気がつき破顔する。
「やあ!シヴァ!」
シヴァは一瞬で真顔になりカイルを家へ連れ込むと玄関ドアを閉めた。
「あの」
カイルがシヴァを見上げると同時に玄関ドアがドンドンと叩かれる。
「閉めるんじゃないよ!まったく、シヴァ!」
少ししてカチリと鍵が開く音がしドアが開く。シヴァはうんざりした顔をした。
「何故ここがわかった?私はお前に連絡してないだろう?」
男は着ていたコートを脱いでシヴァの後ろにいるカイルに手渡す。
「何を?そんなの君のデータが変更されれば見るでしょうに」
カイルはコートをポールハンガーにかけると男の姿をまじまじと見る。すらりとした体にあつらえたスーツを綺麗に着こなしている。靴は雪で少し汚れているがピカピカだ。二人の後を追い部屋に戻ると、今にも噛み付きそうな雰囲気のシヴァとゆったり寛いでいる男がいた。
「何をしにきた?」
男はシヴァの言葉にふふと笑い、カイルを見つけると手を擦り合わせた。
「暖かいお茶をいれてくれるかな?」
「はい」
カイルは急ぎお茶を入れ、二人の前に差し出した。
「ああ、美味しい。外はとても寒かったから助かったよ」
「いえ」
男がすっとカイルの手を握りそうになったのを見てシヴァがカイルを引き寄せた。
「触るな!」
切れ気味のシヴァに男は両手をヒラヒラさせる。
「酷い言われようだ。もうじき来る頃だろうと思ってこうして僕から来てあげたのに」
男はゼロと名乗った。
「それで……何をしにきた?」
シヴァの声がぐっと低くなる。
「ああ、もう。新しいサンプルも出来たから先に渡してあげようと思っただけだよ」
ゼロは持ってきた鞄を開けると透明のピルケースを取り出した。ケースには二十個ほどの小さな薬が入っているようだ。
「そうか。……邪険にしてすまなかった」
シヴァが受け取るとピルケースをパチリと開く。
「何種類かあるんだけど、一つは純正、そっちのピンクはジャンキー、で白赤がミックス。下の黒いのは僕が科学的に作ってみたもの」
「ふうん」
シヴァは黒いカプセルを取り出すとパキンと折って手の上に出した。くんと匂いを嗅いで首を横に振る。
「お前、これ舐めてみたか?」
ゼロはハハと苦笑いをする。
「まさか」
シヴァはほんの少しだけ舌で舐め取るとすぐに口をぬぐった。
「ろくでもないものを作るんじゃない。こういうものが出回るからジャンキーも増えるんだ」
そして純正といわれた赤いカプセルをパキンと折りそれを口に入れた。ごくりと喉が上下してシヴァの髪がざわっと立ち上がる。大きく息を吐くとカイルを見た。
「大丈夫だ。これはちゃんとしたものだ」
「大当たり!しかも純潔の人間の血、珍しく手に入ったんだ」
ゼロは嬉しそうに笑うとカイルを見た。
「君もヴァンパイアでしょ?一つ試してみたら?」
「え……」
カイルは戸惑ってシヴァの顔を見る。シヴァは微笑むとカイルの手を引き顔を近づけた。唇が触れて彼の舌が進入してくると背中からぞわっと何かが這い上がるような気分がした。シヴァが唇を離してカイルをじっと見る。
「少量でこれほど強い、君には強いんではないか?」
今まで口にしてきた血よりも濃い、間接的ではあるがこれほど強いと渇望しそうだ。カイルはシヴァのお茶を少し飲むと頷いた。
「強いですね。確かに……危険かもしれません」
その様子をにやにやと見ているゼロはふうんと椅子にもたれて足を組んだ。
「今度僕のところへ来たら君に合うカプセルを作ってあげるよ。もちろんシヴァにもね」
ゼロがシヴァからピルケースを受け取ると鞄にしまう。その時シヴァの部屋から電話の鳴る音がして、シヴァは足早に部屋に戻った。カイルはゼロと二人残されて、少し居心地の悪さを感じながら暖炉の火を確認する。その後ろでゼロはじっと見ているのか背中に視線を感じていた。シヴァは電話を片手に戻ってくると、少し長くなると断り部屋に戻る。カイルは仕方なく立ち上がるとゼロを見た。
「あの、もしよかったらお茶のお代わりはいかがですか?お菓子もあります」
「おお、それはいいね。お願いできるかな?」
「はい」
ゼロの視線から逃げ出して台所でお茶の用意をする。先日シヴァと一緒に作ったケーキも添えてトレイに乗せる。
「ふうん、素朴なケーキだ」
真後ろから声がしてカイルが振り返るとゼロが立っていた。彼は台所をチラチラ見ながらカイルの背中にぴたりと立ちカイルの髪に触れている。
「君は、ええと……名前をまだ聞いてなかったね」
「ああ、カイルです」
カイルは彼の手からすり抜けるようにして距離を取る。台所を出るとトレイを持ち居間へ戻った。
「カイルはどうしてシヴァと?」
「え?」
先ほどまで座っていた椅子にゼロは座り、カイルが出したお茶とケーキに手を付ける。
「さっきも話していたでしょ?シヴァのデータが更新されて、同居人が増えていた。ずっと一人だったのに突然誰かと暮らし始めるなんて不思議に思ってね」
「ああ、それは。その……私が行き場所がなくて」
カイルは何故か自分が森から来たことを隠した。
「ふうん、まあそういうこともあるね。君はまだ幼いし……」
フォークでケーキをつつきながらゼロは視線を上げる。
「まだ幼い少年だ。けれどヴァンパイアなら美しくなる。シヴァのように」
全てを見透かすような目にカイルは視線を逸らす。
「君のような子が売られて酷い眼にあったのを沢山見てきた。僕は医者だからね。希少種というのは怖い、秘薬になると聞くとそれを奪い取るんだ。目玉、舌、心臓……人の欲望は限りないね」
「そんな酷いことが」
「ああ、沢山ある。この間も妖精だとかで背中を切られてた。羽根が生えてくるはずだなんて言ってね……でもその子は妖精でもなんでもない普通の子供。背中を切られて神経をやられてね」
ゼロは少し視線を下とすと悲しそうに微笑んだ。
「ニュースにならないだけ。いつもそうやって酷い目にあうんだよ。だから君のような子がシヴァの元で暮らすのはいいことだと思うよ」
「そうですね」
「シヴァと暮らしていて不便はないかい?」
どこか医者のような口ぶりにカイルはふふと笑ってしまった。
「あ、すいません。なんだかお医者様みたいで」
「僕は医者だよ、こう見えて高潔なエルフの医者だ。僕しかできないことなんて沢山あるからね」
「エルフ……」
「うん、シヴァに聞いていなかったかい?僕は昔からシヴァのことを知っているよ」
カイルの反応に気付いてゼロはにこりと笑う。
「聞きたいなら話してあげるよ。どうだい?」
「……聞きたいです」
「ふふ、シヴァと僕はね。随分前……そうだなまだ僕が医者になる前に出会ったんだ。エルフの医者は能力重視なんだけど、人間の世界では色々必要になってね。それで学校に通っていた。シヴァはそこにいてね……彼は詩人だったんだよ」
「詩人?」
「そう、今もそうだと思うけど。その頃は色んな歌手に詩を書いていたんだ。なんていったっけな……彼の恋人もオペラ歌手でね、その人のために作ったものがとてつもなく売れてね。でも恋人は売れたらそれっきりになってしまったみたいだけど」
「そんな……」
「まあ、人生は色々あるからね。そのあとも色んな美しい人が彼の恋人として現れては、僕は嫉妬で狂いそうになったよ。なんでシヴァばかりもてるのかって」
カイルが噴出すとゼロは眉をひそめる。
「酷いね、君も」
「すいません、でもあなたは素敵だと思います。私はエルフを見たことがなかったんですが、エルフも美しいと思います。知的な顔をしているし」
「カイル……君は素敵な人だねえ」
ゼロがカイルに手を伸ばそうとした時、彼の手を大きな手が掴んだ。
「やめろ、触るな」
シヴァが電話を終えて戻ってきたのか、カイルを自分の後ろに引き寄せる。
「お前はいつもそうだ。人のものを盗りたがる」
「また、人聞きが悪いことを言わないでよ、シヴァ、ねえ?」
同意を求めるようにゼロはカイルに声をかける。カイルは頷くとシヴァの服を小さく引いた。
「大丈夫ですよ。本当に大丈夫です」
その言葉にシヴァは大きな溜息をつく。そっとシヴァの指がカイルの頬に触れた。
「大丈夫ではない。肝に銘じてくれないと困る」
嵐が去った後のようにシヴァが椅子でうな垂れている。数時間前にゼロは帰ったものの、どっと疲れが出たのかシヴァは青い顔をして顔に手を当てている。カイルは部屋から薄手の毛布を持ってくるとシヴァにかけた。
「ああ、すまん」
「いえ、疲れましたか?」
「そうだな。奴が来るとドッと疲れる」
「ふふ、楽しい人でしたよ。いろんなお話を聞けましたし」
カイルは傍の椅子に腰掛けた。
「いろんな話?」
「ええ、その、昔の話?」
シヴァは顔に手を当てたままでカイルを見た。
「昔の……私の話か?」
「はい……いけませんでしたか?もし駄目なら忘れます」
「いや、かまわない。それにどうやって忘れるんだ」
ふふとシヴァが笑う。
「何を聞いたんだ?私も聞く権利はありそうだが?」
「えと……シヴァが昔詩人だったと」
「ああ。それで?」
「その、当時の歌手の人に沢山詩を書いていたと聞きました」
「うん。それから?』
「オペラ歌手の人にも書いたって……それがすごく売れたけど、その人はそれっきりになったと」
カイルが話し終えるとシヴァは顔に置いていた手を少しずらした。口元だけが見えるが動きそうにない。
「すいません。余計なことでしたね」
カイルは頭を下げた。けれどシヴァは少しの間動かず、胸が大きく上下すると大きく息を吐いた。ゆっくりと起き上がり椅子に座りなおす。
「シヴァ……その、ごめんなさい」
「いや、怒っているわけじゃない。ただ情報に誤りがある」
「え?」
シヴァは片手で頬杖をつき優しく微笑んだ。
「彼女は売れたから私と別れたわけじゃない。病気でもあった。私と彼女では種族が違う。彼女は人間で私とは時間の長さが違う。ヴァンパイアだと知っても許してくれた。美しい人だった」
「じゃあ……ゼロさんの言ってたことは殆どが嘘?」
「ハハ、そうでもない。少し誇張が入っているがおおむねそうだろう」
シヴァはカイルに手を伸ばす。
「こっちにおいで」
カイルはシヴァの傍に行くと彼の椅子の肘掛に腰をおろした。
「奴もエルフだからな。エルフも同じくらいに長く生きる。カイルは初めてだったか?」
「はい、エルフはゼロさんが初めてです」
「そうか。エルフというのはああした変り種ばかりではないんだがな。奴が少々おかしいだけで。でも医者としての腕は確かだ。今日奴が持ってきた……カプセルを開発したのはゼロだ。おかげで助かってはいるんだが、奴はヴァンパイア以外にもあれを売っている。若返りの薬になるそうだ。金持ちの連中や美に執着したものがこぞって買いにくるらしい。法外な値段で」
「え?じゃあ……すごく高価なものなんですか?」
「いいや。我々は薬として必要だからそれを買う。適切な値段で。けれどそうでないものたちには嘘も方便らしい」
カイルが視線を落とすとシヴァは指先で顎をすくった。
「気にすることじゃない。欲望というのは尽きん。我々だってあれがしたい、そう思えばするしそれだけのことだ。手段が違うだけ」
「そうですね」
カイルはそう言うも口を噤む。
「どうした?」
「なんだか色んな気持ちになってしまって。欲望を満たすことが全ていい事なのかって」
ふふとシヴァは笑う。そしてカイルの背中に手を伸ばし、もう片方で足をすくいあげると自分の膝の上に座らせた。
「沢山悩めばいい。そうすれば君はもっと賢くなれる。沢山の選択肢が得られる」
急に顔が接近してカイルの顔が真っ赤になる。シヴァは知ってか知らずかカイルの頭を抱き寄せる。
「長く生きるためにも必要なことだ。彼女もそうだった……」
「彼女?」
「オペラ歌手だ。彼女は永遠に生きる私と寄り添いたいとは願わなかった。だから私が書いた詩を歌った。歌は永遠だと。私の心にも誰かの心にもいつまでも寄り添うと」
シヴァは優しい声でそっと歌う。
世界の果てで待っていて あなたが滅んでしまっても
私は星になり あなたの傍で輝いている
世界の果てで抱きしめて 私はあなたの全てになる
この世界が朽ちてしまっても 星の輝きは消えない
永遠はいつまでも続き、私たちはまた見知らぬものとなり愛し合う
記憶の隅で思い出す 私たちが愛し合った日々を
忘れてしまっても 滅んでしまっても
カイルは目を閉じて彼の歌を聞く。優しく響き、初めて聞いた時よりも胸の奥深くまで何かが届くような気がした。シヴァが歌い終えて、ふふと笑う。目を閉じていたカイルの頭を撫でた。カイルはそっと目を開きシヴァの顔を見る。その目には涙が零れて指先でそれをぬぐうとカイルはシヴァにキスをした。




