EP1 CLOSE TO YOU
随分と森を走ってきたから足がクタクタでもう休みたかった。もう走るのはうんざりだったし、少し何か口にしたかった。けれど手持ちはないし着たきりで人前に出るのも難しい。それに……喉が焼けるように痛い。カイルは仕方なく大通りの道に出て周りを見渡した。まだ夜明け前だからか人はまばらで、カイルを見た人はギョッとした顔をしている。すれ違いざまにカイルの顔を覗き込むも、ボサボサの髪が顔を隠しているせいで殆どの人は辛気臭いと言う顔をして行ってしまう。小さく溜息をついて歩き出した。とりあえずこの格好なら声をかけられずにいられそうだ。
ただその期待もすぐに打ち破られた。
「ねえ、君どうしたの?いい仕事紹介してあげようか?男の子も大歓迎だ」
カイルが顔を上げると目の前に男が立っている。傍に店があるポン引きの男だ。断ろうにも声が出ずに唸るしか出来ない。片手を掴まれてぐっと引かれた時、大きな声がしてカイルの肩に大きな手が触れた。
「私の連れだ」
後ろを振り返ると男がポン引きと話している。ポン引きはすぐにカイルの手を離して立ち去ったが、今度は追い払ってくれた男がカイルを叱りつけた。
「こんな所で何してる?君はここがどういう場所かわかっているのか?」
ただ男は一通り言い終えた後でカイルを上から下まで見ると、ボサボサの髪が顔にかかっているのを確認して大きく瞬きをした。
「君は……家出か?」
カイルが首を横に振ると男は頷き、ここでは人目に付くとカイルを連れ出した。車に押し込みどこかへ走りだす。少し走った後で辿りついた場所は小さなホテルだった。
ホテルはいわゆるB&Bだ。彼はフロントに行くとカイルをそこに待たせて、数分ほどで戻り手を引き部屋に入った。
「何か食べたのか?注文はしておいたが普通のものなら食べられるのか?」
彼は上着を脱ぐとそれをポンとベットに投げた。カイルが頷いたので彼は風呂の用意をして、またカイルの前に立つ。
「どれくらい外にいたのかは知らんが、まずは風呂だ。使い方はわかるか?」
カイルを連れて浴室へ行く。浴室を確認してカイルが小さく頷いた。
「なら、入れ。それから食事にしよう。着替えは私の服で我慢しろ。そこに用意しておくから。私はそっちの部屋にいる。ここには入らないから心配するな」
カイルが頷くとドアが閉まった。突然の出来事にまだ頭が追いついていない。カイルはとりあえず着たきりの服を脱ぐと浴室に入る。暖かいバスタブに体をつけて頭から湯をかぶった。手や足は引っかき傷だらけで多分顔もそうだろう。ざぶざぶと体を洗い長い髪を洗った。一通り終わり体も温まったところで浴室を出ると着替えとタオルが置いてある。タオルで拭き服を着ると目の前にある鏡に気が付いた。
大きなシャツは糊付けされていてジーンズもくたびれてはいるが綺麗だった。カイルが彼のいる部屋のドアを開けると、食事の用意がしてあった。
「出たか、うん。とりあえず見られるようになったな。ここに座って食え」
彼はぽんと椅子を叩きカイルを呼んだ。それに答えて席につく。テーブルにはスクランブルエッグとふわふわのパン、そしてオレンジジュースが置かれている。カイルはパンを持つと齧りついた。久しぶりの食事にホッとして涙が出そうになる。黙々と食事をするカイルを見ながら彼は新聞を読んでいた。ある程度食事が終わりカイルが手を止めると彼もまた新聞を下ろした。
「食べ終わったな。とりあえず話せるか?」
カイルは喉に手を置いて小さくアーと声に出してみるも蚊の鳴くような声しか出ず、首を横に振る。
「ふむ、では私が質問するから、君はYESなら首を縦に、NOなら横に。わかったか?」
カイルは首を縦に振る。
「よし、まずは君は家出か?」
NO。
「では……もしかして先日の森の火災の関係者か?」
カイルは少し考え込む。森の火災とは?確かに火災はあったが。彼はカイルに新聞を差し出した。新聞には森が大きな火災で奥の町、村も焼いてしまったと書かれている。
「これは君がいたところか?」
YES。
新聞の写真はカイルがいた場所そのものだ。殆ど焼けてしまっているので戻った所で住めはしないだろう。
「森は放火だそうだ。酷い火事で多くの人が亡くなっている。君のご家族も同じかもしれない」
カイルは俯くと小さく息を吐いた。
「すまん、では、君はこれから行く宛があるのか?」
カイルは首を横に振る。
「NOか……。わかった」
「そしてもう一つ、君に聞きたいことがある」
彼は顔をまっすぐに向けてカイルを見る。
「君はヴァンパイアか?」
カイルは硬直して両手を握り締めた。なんでばれた?なんで……。
「どうなんだ?」
戸惑うカイルに彼は強く質問する。その声に押されてカイルは頷いた。
「やはりな」
カイルは今声が出せないことに強く後悔した。この人は良い人なのかも知れないが希少種のヴァンパイアなど捕まえれば売り飛ばされるのが相場だろう。
「おい、落ち着け。私は売り飛ばしたりしない。私もヴァンパイアなのだから」
彼はそう言うと口元だけ微笑んだ。
カイルが声を取り戻したのは三日後のことだった。確かにカイルは売り飛ばされたりしなかったし、今もこうして元気に暮らしている。拾ってくれた恩人はシヴァと名乗った。彼は人気のカメラマンらしく色んな場所で撮影旅行をしているらしい。というのも仕事のことはよくわからず、世話になっている分、邪魔にならない程度に手伝いをしている。
この日もシヴァはカメラマンの仕事で美しいモデルを前にカメラを構えている。カイルは見たことのない美しいモデルをぼんやり眺めていた。が眺めているうちに終わってしまい、シヴァがカイルを見て笑った。
「また見惚れていたのか?」
シヴァの言葉に美しいモデルが笑う、けしてカイルを馬鹿にする笑いじゃないが顔から火が出そうだった。
「すいません」
仕事の後片付けが済みシヴァと共にホテルに帰る。泊まるホテルの種類は毎回それぞれ違うものの、カイルが一緒になってからはベットが二つのダブルを選んでくれている。
「カイル、外に食事に行くぞ」
シヴァに連れられて外のレストランへ。ヴィーガンレストランらしく野菜や果物が豊富だ。
「そういえばまだ聞いていなかったな」
食後のコーヒーを飲みながらシヴァが言った。
「何故町まで降りてきた?」
「それは……ええと」
急な質問だ。答えなど用意していなかった。何故町まで?ただ必死だったからだが、もしかしたら違う理由があったのかもしれない。カイルはカップを置くとうんと俯いた。
「すいません、よくわかりません。焼き討ちみたいになってたから」
そうだ、火事は放火だ、思い出した。村の人間ではない奴が火をつけて回ったからだ。
「あいつら、魔女だと言い始めたんだ」
シヴァはああ、とカップに口をつけた。
「やはりまた魔女狩りをし始めていたのか。くだらん連中だな」
森の火事の前から少しずつ、人間の間で魔女狩りが流行っているという噂を聞いていたとシヴァが語った。その内容は恐ろしく、無辜の民がいたぶられ燃やされるという凄惨な事件が頻発していたというもの。カイルの村も同じように標的にされたんだろう、とシヴァは眉をひそめる。
「カイルは村で何をしていた?」
「ええと、まじないやそれから薬を作っていました。祖母が教えてくれたものです」
「そうか。カイルの他にはヴァンパイアはいなかったのか?」
「いえ、もう殆どが……その」
「ああ、我々は不死だからな。ばれる前に移動していたのか?」
「はい。だから一人で村に残っていました。村には殆ど人間もいなかったので……老人が三人ほどで。その人たちを見送ったら私も移動しようかと思っていました」
「そうか。どこも同じだな」
レストランが少し賑わい始めたのでシヴァが立ち上がる。
「行こう」
続いてカイルもレストランの客の隣を素通りする。幾らかの客の目がシヴァに釘付けになっていた。
車に乗り込みカイルはシヴァに聞いた。
「シヴァは目立つのによく平気ですね?」
シヴァは車を発進させると横目でカイルを見た。
「こんなのは慣れだ。生来ヴァンパイアは美しいものだ。人間が憧れるほどにな」
青白い肌に美しい顔、どの角度から見ても恐ろしいほどだ。
「聞きたかったんですが」
カイルは恐る恐る口にした。
「なんだ?」
「あなたはカメラマンではなくモデルをやったほうがいいのでは?」
シヴァはふっと笑った。
「それは随分前にやっている。人間たちの世界で5022年というが、彼らも百年ほどは生きるから、調整して生きていく必要がある。私がまだ若造の頃は色んなものがいたがな」
「そうなんですか?」
「ああ、でもその頃も人間は狩りが好きでな。珍しい種族を捕まえると見世物にしたりと大忙しだ。そして殆どの種族がひっそりと身を隠して暮らすようになったんだ」
「ああ……」
「それでも人の世界で生きるということがどういうことなのかは多くのものが知ったんだろう。我々は希少種と呼ばれるが、彼らよりも何倍も賢いのでな」
シヴァは舌をペロっと出すとまた口を閉じた。
「そうか……シヴァさんは人間が好きですか?」
カイルは美しい横顔にそっと問いかけた。
「ああ。恋焦がれるほどにな」
「そろそろ一度自宅に戻る」
シヴァはそう言い、ホテルの荷物を片付けると車に詰め込んだ。もちろんカイルも同じく荷物をまとめて車に乗り込むことになった。シヴァの自宅は都心から離れた海沿いの町の端のほうにある。人気の少ない場所に車を走らせて、洋館の傍に止まると荷物を置き去りにして家のドアを開いた。
「ただいま」
家の中には揺り椅子に座った老婆がおり、シヴァの顔を見るとあわてて立ち上がった。
「シヴァ、お帰りなさい」
シヴァは老婆を抱きしめると優しく頬にキスをした。
「会いたかった。レイン」
「うふふ、昔と変わらないわね、あなたは」
レインはよたよたと歩くと台所でお茶を入れ始めた。シヴァはそれを確認してから家を出て車から必要なものだけを家へと運び入れる。
「レイン、これはカイルだ」
お茶の用意しているレインはカイルを見て優しげに微笑む。
「まあ、可愛い人。もしかしてあなたと同じ?」
「そうだ、これもヴァンパイアだ」
レインがお茶が出来たと言い、シヴァとカイルも席に着く。乳白色のお茶がカップに注がれていた。
「ありがとうございます」
カイルがカップを受け取るとレインはじっとカイルを見た。その瞳は子供のようでキラキラと輝いているように見える。
「ああ、ヴァンパイアというのは美しいのね。シヴァとは違うなんて素敵ね」
シヴァはそれを聞くとハハと笑った。
「レインには敵わない、よくわかったね」
「ええ、わかるわ。どんな格好していたってね」
カイルは驚いた。少年のように振る舞い、そのような格好をしてもわかってしまうなんて。髪はボサボサのままで最近は後ろで結うようにシヴァに言われてそうしている。未だにシヴァのお下がりを着ているのも用心のためだったが、こんな風に見抜かれてしまうとは。カイルの思考を読んだのかシヴァが言う。
「カイル、レインは違うんだ。彼女は魔女だ」
「魔女?」
レインは頷くとそうそうと笑う。
「ええ、そう。生粋の魔女。もう何百年と生きている……でもそろそろ終りね。疲れちゃったの」
シヴァはテーブルの上で両手を組む。
「レイン……」
「いいのよ、もう。私は不死ではないのだから、いつ死んでもかまわないのよ。もう十分よ、あなたと一緒にいられて私は残すものなんて何もないの」
レインは枯れ枝のような指先を差し出した。
「見て、もうだめよ。あなたのように永遠に美しいなんてことはない。こうして死んでいくのよ。だから帰ってきてくれたんでしょ?」
レインの優しい微笑みにシヴァは頷いた。
「ああ」
「優しい人、私は幸せだわ、あなたに出会えて愛されて……幸福だわ。そしてカイルあなたにも会えた。私が一つ罪を犯すとしたらカイルあなたへの嫉妬ね。あなたなら傍にいられる。私の大切なシヴァと一緒に」
レインはふうと息を吐くと青ざめて椅子に深く座り込んだ。
「だめね。もう……長くはないわね」
シヴァは立ち上がるとレインの額にキスをする。
「愛するあなた、どうかいつまでも幸せでいて。私を見送ってくれてありがとう。あなたがこちらへ来るとき私はあなたを迎えにいくわ。どうぞお元気で」
かすれて行く声にレインの目から涙が零れた。シヴァの唇がレインの唇に重なる。
「さようなら、私の恋人。さようなら」
彼女は微笑み、すうっと小さく息を吐く。そして眠るように目を閉じた。
「シヴァ……レインは?」
カイルがシヴァを見上げると彼の目から涙が零れ落ちた。その姿が美しくてカイルは一瞬見惚れ、気付いて視線を外す。
「眠っている。もう起きることはない」
シヴァはレインを抱き上げると揺り椅子に彼女を座らせた。ギッギッと椅子が揺れている。
「レインは本当に魔女だったの?」
「どうだろうな……魔女でもなんでもない、ただの人間だったのかも知れない。けれど長い間彼女はこうして私の傍に、私の心に寄り添っていた」
シヴァは眠るレインの傍に立ち彼女を見下ろしている。そして彼女の肌がぴしぴしと枯れてゆき、ゆっくりと崩れ始めた。人の形を成さなくなってただの砂へと変わってしまった。
「愛しているよ、レイン」
ぽつりとシヴァが呟く。彼女が人であれ、魔女であれ別れは悲しいものだ。カイルはシヴァの傍に近づくと彼を抱きしめた。顔を胸にうずめてぎゅっと背中に回した手に力をこめる。
「カイル……その抱き方では折れてしまう」
「あ、ごめんなさい」
ぱっと体を離しシヴァを見上げる。カイルの目に映ったのはシヴァの近づいた顔だった。唇が触れてシヴァの腕がカイルの腰に回された。ぐっと抱き上げられてカイルの足が浮く。深く口付けられてカイルはぐわんと目が回る思いがした。息が続かなくなった頃に開放されてカイルの体ががくんとシヴァにもたれこんだ。シヴァは何も言わず抱き上げると奥の部屋へと行き、カイルをベットに放り投げる。
「今日はここで眠れ。私は少しすることがある」
彼はそう言うとドアを閉めて行ってしまった。
庭の大きな木の根元に灰を撒く。シヴァはゆっくりと両手でそれを行い、その場にしゃがみこんだ。何度も大切に撫でて何かを口にしている。カイルは部屋の窓から数日その光景を眺めていた。数週間経った頃、シヴァはようやく普通に戻ったのかカイルに話しかけてきた。
「カイル、この家は処分する」
「え?でも……レインが」
シヴァは頷きカイルに荷物をまとめるように言い、自分もまとめ始めた。多くはない荷物を車に詰め込み家を後にする。バックミラーで見送りながらカイルは眉をひそめた。
「いいんですか?これで」
「ああ、あれはレインのために買った家だ。レインがいなくなって私が住み着けばまた問題になる」
「でも……」
「大丈夫だ、私は何度もこうしてしてきたんだ、君が来るまではな」
「シヴァ……大丈夫ですか?」
シヴァは横目にカイルを見ると口元だけ微笑んでみせた。
「私は大丈夫だ。それにちゃんと見送ってきたからな」
カイルは何も言えずに黙り込むとシヴァが続けた。
「あの木は購入した時に植えた。また彼女と共に生き続けるだろう」
庭にあった木はとても立派で長い間育ち続けていたはずだ。やはり彼女は人間ではなかったのかも知れない。そもそもカイルは人間がどんな風にして死ぬのかを知らないからレインを人間だと判断することができないが。長いドライブの後、大きな町に着くとシヴァは一人車を降りた。カイルにここにいるように言い、彼は一人どこかへ出かけてしまった。ぼんやりと助手席にもたれこみ、暖かな陽射しに居眠りをしているといつの間にかシヴァは戻っていた。
「よく眠っていた」
彼は車を出した。新しい住まいが決まったらしくそこへ行くらしい。人間の世界は随分と様変わりしているらしく、契約書がなくなりパスと金で契約が結べるそうだ。便利にはなったが大きな金が必要になる時もあるらしく、以前のような機械でのやり取りが好ましいそうだ。新しい家は大きな町の外れ、森の近くにある。一軒家で幽霊が出るとか迷信じみた話を持っているとシヴァは笑った。屋敷は掃除されておらず埃をかぶっている。二人は中に入ると全てのドア、窓を開けて掃除を始めた。大方終わる頃には日も暮れてどっぷりと夜がやってきていた。備え付けられた椅子に座りカイルは大きな溜息をつく。
「疲れたか?広い家だからな。一日で終わってよかった」
シヴァはカイルを置いて車に戻ると荷物を運び始めた。
「あ、すいません。すぐに!」
「いや、いい。そこにいろ」
シヴァは荷物を一人で片付けるとようやくドアを閉めてカイルの傍に座った。
「当分ここにいられるだろう。君もいることだし、少し落ち着いたほうがよさそうだ」
「すいません、私はとんだ穀潰しではないですか?」
シヴァはカイルの顔を覗き込むと頭をくしゃくしゃと撫でた。
「私はそんな風に思っていない」
「しかし……こんなおんぶに抱っこでは」
カイルが眉をひそめるとシヴァはうむと唇を結んだ。
「わかった。ならば仕事をやる、私の傍で働けばいい。今までと同じように」
「あの、そうじゃなくて!今までだって私は何もできていません」
「ならばどうしたらいい?」
シヴァは椅子にもたれると足を組んだ。
「えと……」
よく考えても何も出てこない。役立たずであるとカイルは思う。
「すいません」
「わかった」
ふうと息を吐くとシヴァは席を立って奥の部屋へと引っ込んだ。その背中を見てカイルはうな垂れる。何ができるかはっきり言えたらよかった。まじないだってそれから……以前やっていたことを思い出すが金になりそうにもない。はあと大きな溜息をつく。
「どうした?」
シヴァは奥の部屋から戻ってきたのかカイルの傍に立っている。手に持っているそれをカイルに差し出した。この世界で使われている銀行のIDカードだ。持ち主が側面を押すと詳細が分かるようになっているとシヴァは説明する。
「これを見ろ」
シヴァの指がIDカードに触れてカードが詳細を映し出す。0が沢山並んでいてカイルは指先でそれを数えた。
「これって……」
数えたけれど、その数字をなんと読んでいいかわからずカイルが顔を上げた。
「私は別に金には困っていない。そもそもこの世界では金なんてなんの価値もない。君は森で暮らしていたから知らなかったのかもしれないが」
「そうなんですか?」
「この世界は居場所を作るために皆が働いている。そこに、はした金のようなものがつくだけだ。人の中にはこの金にすがりつくものもいるそうだが、殆どはそうではない」
「森ではまだ金というのは価値のあるものだと教えられていました」
「そうだろうな……、そうしたほうがいい場所もあるんだろう」
シヴァはカードをポケットにしまうとカイルの手に触れた。
「カイル、君は色々気にしすぎだ。私は君といたいからこうしている。あまり神経質になるのは体に良くない」
カイルの細い手首にシヴァの大きな手が重なる。
「シヴァは……」
カイルが言葉を続けようとした時、シヴァはカイルにキスをした。そっと触れるだけでシヴァは離れると立ち上がった。
「君はゆっくり眠るように」そう言い残して彼は部屋に戻った。
森の館に慣れ始めた頃、客がやってきた。ここの管理人だと言う女性はリビングに通されるとシヴァを待っている。シヴァは部屋で仕事の電話中だ。
「あなた、シヴァさんのご家族の方よね?」
彼女はカイルが用意したお茶に手をつけるとカイルを上から下まで嘗め回すように見た。
「はい」
相変わらずシヴァのお下がりを着ており、髪は腰辺りまで伸びきっている。
「ボサボサの髪ね」
カイルは両手で隠すように髪を整えると後ろで結ったリボンに触れる。何気ない言葉ではあるが結構ズシンと来る。
「ねえ、あなたは……」
彼女はカイルに手を伸ばし何かを話そうとした、その時奥の部屋のドアが開いた。
「すいません、お待たせしました」
シヴァは眼鏡を外してこちらへと歩いてくる。
「いいえ」
彼女は姿勢を整え座りなおすとシヴァが着席するのを待った。
「カイルが何か?」
カイルが唇を噛んでシヴァを見たので彼は女性を見る。彼女は首を振るといいえと言った。
「それで……契約のことでしたか?」
「ええ、そうよ。父と契約したのだったわね?」
「ええ。あなたがここの管理をしているとは聞いていましたが問題でもありましたか?」
「問題というより、問題はないか?と聞きに来たのよ」
彼女はカップを手に取りお茶を飲む。
「ここは本当に出るのよ。幽霊がね。それで何百年も空き屋になってたんだけど、あなたが先月突然やってきて欲しいというじゃない?気になってね」
「ふふ、そうでしたか。特段何か変わったことはありませんよ。カイルは何か気付いたか?」
シヴァがカイルに視線を向ける。
「いいえ、何も。幽霊も何も出ません」
女性はふうんと口元をゆがませた。
「本当に?あなたがそうなんじゃなくて?とも思ったわ」
そう言い、ケタケタ笑う。
「そう、問題はないのね。とりあえず良かったわ。男所帯と聞いていたし、問題はなさそうね」
シヴァは口元で手を当てて、おかしそうにぷっと吹き出した。
「あら、なあに?」
「いや、少し咳が。失礼」
女性は立ち上がると、もうお暇するわ。と出て行ってしまった。ドアが閉まりカイルがふうっと長い息を吐くと、シヴァが顔を隠すように後ろを向いて笑い出した。
「アハハハ」
「なんですか?」
カイルが眉をひそめるとシヴァが少し笑いを抑えて、カイルを停止するように片手を上げた。
「いや、面白くてね」
「何がですか?もう、怒らせなくてよかったですよ。管理人さんなんでしょう?」
「ああ、そうだが。クフフフ」
「シヴァさん、だめですよ。本当に」
カイルは訳もわからずテーブルを片付ける。シヴァは落ち着いたようだったが椅子に座ると今度はじっと何かを考え込むように黙り込んだ。おかしな人だなあ……。カイルは台所で片づけをしてからもう一度薬缶に水をいれ火にかけた。
「シヴァさん、お茶飲みますか?」
「いただこう」
シヴァの声が台所に届いてカイルはお茶を入れる、トレイに乗せて運ぶとテーブルに置いた。
「どうぞ、熱いので気をつけて」
「ああ、ありがとう」
シヴァが手を伸ばしカップを手に取る。ゆっくりとお茶を飲むとカイルに傍に座るように言った。
「カイル、本当に何も見ていないのか?」
「はい?」
カイルが目を丸くするとシヴァが笑う。
「幽霊だよ」
「え?」
「この家には確かにいる。私たちとは違うものがね。幽霊と呼ばれている何かがいる」
「でもさっきの人にはいないって」
「ああ、あれにはそう言ったほうがいいようだ。色々と難癖をつけてくるようだから」
「え?」
シヴァは手をテーブルの上で組み、少し視線をずらした。天井のほうに向けられる。カイルはそちらに視線を移した。そこには白い女性のような形をした何かが浮いている。
「わあ!」
白い女性はふわりとシヴァの肩に触れるとにこりと微笑んだ。
「彼女はミア。この家の一番初めの住人だ」
シヴァは当たり前のように後ろに立つミアに笑いかける。
「いや、ちょっと待ってください。じゃあ嘘を……」
カイルが抗議するとミアが首を横に振った。
「違う違う。ミアがそうしろと言ったんだ。あれは強欲で醜悪な人間だからと」
「はあ……、あのシヴァ?私にはミアの声は聞こえませんがあなたは聞こえるんですか?」
「うん?ああ、私は長い間色んなものに触れてきたからな、大体のことはわかるさ」
ミアがシヴァの後ろから出てきて二人の前に立つ。床板が透けているから幽霊なのだろう。
「本当に幽霊なんですね?」
「ふふ、正確に言うと人のフリをしていた妖精が、人のフリに気がつかずに幽霊になったのさ」
「はい?」
シヴァは背もたれにぐっともたれると微笑む。
「世界が長くなってくるとそれぞれが新しい形に生まれ変わるのか、変化していく。人間は百年は生きることはなかったが、今になれば我々不死に近づいているのか寿命というのが伸びているらしい。我々と違うのは老いだ」
シヴァは手のひらをかざした。
「我々は老いるスピードが遅い。人間と比べると彼らはほんのひと時に老いて朽ちてゆく。 今までの形とはそれも違うようだが。このミアも同じ、妖精は人のフリをして人の世界で生きることにした。しかし忘れてしまったのか人の形をしたまま幽霊になった」
「忘れてしまうのですか?」
「うん、そうだな。それも正確ではない。人の世界では人間は希少種になった。しかし彼らはいまだ自分たちが一番なのだと勘違いをしている。カイルもな?君もヴァンパイアが希少種だと教えられてきたろうが、そんなことはない。沢山の種類が人に化けて生活をしている。そして交配を進め、いつの間にか自分たちが何者であるか忘れてしまったんだ」
「ああ、それは知らないということでもある」
「そうだ。知らずに何かとして生まれ、知らずに人間として生きていく。この世界はそういったものたちが蠢いている」
シヴァはカップに手を伸ばすと口をつけた。
「彼らは希少種だとかをまるで珍しいものかのように売り飛ばす。けれど中には同胞を売り飛ばしている連中もいるということだ。気がつかずにね」
「そんな」
カイルが青い顔をするとミアがそっとカイルの頭に触れた。
「知らないということは愚かであり悲しいことだ。何世紀前かには希少種が薬になるとかで共食いも行われていた。我々ヴァンパイアは逃れたが、アレも酷いものだった」
カイルの顔がますます青くなる。シヴァは苦笑すると立ち上がった。
「もう止めよう、君が死んでしまいそうだ」
カップを持ち台所へと消えていくシヴァの背中を見つめてカイルはうな垂れた。
ミアは度々カイルの前に現れるようになった。けれど彼女の白さが薄くなっている気がしてカイルは心配になる。
「ミア、君は随分と薄くなっているが平気なのか?」
ミアはくるりと回りにこりと笑う。相変わらずカイルには声は聞こえない。
「カイル。こっちへ来て」
シヴァの声が彼の部屋からしてカイルは返事をして向かった。
「なんでしょう?」
開けられたドアの前に立ち中をうかがうとシヴァが床に座り込んでいた。
「ちょっと手を貸して」
促されてシヴァの傍に膝をつく。彼の手元には大きなトランクが置かれ開かないようだ。
「少し歪なんだ」
言われた通りにカイルが一方に手をかけて引き上げる、トランクは開いたがバランスを崩したのか中のものが飛び出した。
「ああ、すいません!」
カイルは急ぎ手を出すがさらりと手から零れ落ちてしまう。
「いや、かまわない。それよりもこの中のものは君に合うのを忘れていたんだ」
「はい?」
シヴァはぐちゃぐちゃになった物の中から一枚すくいあげた。綺麗な絹でできたシャツだ。他のものも洋服で上等な織物で出来ている。
「でもこれ……女性ものですよ?」
「ああ、そうだ」
シヴァは一枚をカイルにあてる。
「似合うな、好きなものを選んで着るといい。私のお下がりではブカブカすぎる」
「いえ、そんな。あの……私は……その」
「カイル、以前から話しているが私に気兼ねすることはない。それに買い物に行くたびに君の洋服を見ているが欲しがらないから私も対応に困る」
「すいません」
「いいや、それはいいんだ。それで思い出したんだ、そういえばあったなと」
シヴァは飛び出したものをトランクに乱雑に放り込むとカイルにトランクを押し出した。
「これは君が使うといい。私の知り合いのものだがもう使われることはないからね。品も綺麗だし君に似合うだろう」
「いいんでしょうか?」
「いいさ、使いなさい。さっそくだが何か着てみせてくれ」
シヴァは立ち上がると部屋を出る。カイルはその場で何枚か広げてみた。サラサラとして美しい刺繍が入ったシャツに、上品なペイルブルーのパンツ、底のほうには綺麗に折りたたまれたリボンが入っている。
「わあ」
この持ち主は大切に使っていたようだ。カイルは鏡の前に立つと何枚かを体に当ててから着替えることにした。
「出来ました」
カイルはそっと頭だけを壁からのぞかせて、シヴァを見る。彼は椅子に座り新聞を読んでいたが、カイルを見て新聞をたたんだ。
「出てきなさい」
促されてカイルは一歩前に出た。
「ふうん、似合うな」
シヴァはどこか懐かしそうな顔をして優しく笑う。
「あの……」
カイルは着たはいいものの少し戸惑いながらシヴァに聞いた。
「これを着ていた方は?」
「うん?ああ、それは私の姉のものだ。彼女は随分前に灰になったがな」
「ええ??」
シヴァが口元を押さえてぶっと笑う。
「嘘だ。彼女の若い頃のものだ。今ではヴィンテージだが……悪くはないだろう」
彼は立ち上がりカイルの傍に来ると洋服の様子を確認した。
「うん、大丈夫だ。まだ当分着れるはずだ」
「そうですね。あの……」
「ん?」
シヴァはカイルの足元に膝をつき、確認していた手を止めて顔をあげた。
「あの……これは女性ものですよね?」
「そうだが、何か問題か?」
「いえ、あの……私は」
カイルは少し言い出しにくそうに口を噤む。
「ああ」
シヴァは立ち上がりカイルを見下ろすと指先で顎をすくい唇を重ねた。
「君は知らないのだな。君はまだ成長途中だ。私の代では見られなかったが君は新しいヴァンパイアだ。男、女どちらにでもなりえる」
至近距離でシヴァはそう言うともう一度キスをしてから椅子に座った。彼は唇を親指でなぞりぺろりと舐める。
「うん、君は女性化の一途を辿っている。間違いなく」
「え?」
「まだ少年のような体をしているが時期に女らしく変化してくるだろう」
シヴァはまた新聞を広げると視線を落とした。
「そんなことありえるんでしょうか?私は……」
カイルは俯いて昔を思い出す。小さな頃は意識などしたことなかったが。
「あ」ふと気がついて声を上げた。シヴァは新聞を捲りまた大きく開く。
「君はそのように育てられていないはずだ。隔たりなどなく、どちらでもなくただ君として育てられたはずだ」
そうだ。小さな頃はただ生きるために必要なことしか教えられてこなかった。
「では私は女性に?」
「ああ、私がそう望んでいる」
シヴァは新聞に視線を落としたままでそう言った。




