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実らぬ恋の皮算用  作者: はらっぱ


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9/13

第9話 初ライブ決定!

狸狸亭ぽんぽこていの二階。

ちゃぶ台の上には飲みかけの烏龍茶、インクの染みたメモ、ガムテープ、穴の空いたパンチ。

練習が終わった直後の空気は、畳の上に薄い湯気みたいに漂っている。


階段をどたどた上がる足音。

襖がするりと開いて、ひげ面の狸――腹鼓ブラザーズのリーダーが顔を出した。満面の笑み、そして右手に茶封筒。


「――空き、出たで」


「空き?」

片桐さんが顔を上げる。ふたばと理沙も、同時にくるりと振り向いた。僕はノートPCのパタパタ音を止める。


「ライブハウス《森ノもりのね》、来月の木曜。一本空いた。入るか?」

ふくよかな声が、天井の梁まで届く。


一拍の沈黙。

片桐さんは、迷わず言った。


「――やります」


「えっ」僕。

「やる」片桐さん。

「やるやろ」腹鼓ブラザーズ。

「決定……ですね」理沙。

「やったぁぁあ!」ふたば。


ちゃぶ台の上の湯呑みが、喜びの震動でちょっとだけ跳ねた。


脳内・緊急閣議開催。


現実主義課「待て、話が速い。費用、構成、動員、PA、照明、特典会の準備をしないと!」

広報課「ポスター?フライヤー?SNS告知?“狸サポーターズ・ガイド”掲載依頼?」

恋愛企画課「でも片桐さんが“やる”って言った。やろう!」

妄想課「初ライブ後、楽屋でハイタッチ…」

就活課「履歴書の肩書き“狸アイドル初代マネージャー”は強い」

財務課「会場費、どこから?」

総務課「チェキフィルム発注しないと」

――会議は収拾がつかない。


「聡くん。よろしく…ね!」


「はい!!!」


片桐さんの“ね”に僕はとことん弱い


「大丈夫。みんなで力を合わせて絶対成功させよう」

「……はい!」


胸の中で“ぽん”と鳴る。落ち着け。やれることから、だ。


腹鼓ブラザーズが封筒の中身をちゃぶ台に広げる。

A4一枚のオファーシート。そこには淡々とした現実が並ぶ。


・会場:《森ノ音》

・収容:スタンディング150名

・持ち時間:30分+特典会:90分

・使用料:80,000円(PA、受付等の人件費含む)/ドリンク代別

・物販スペース:終演後に会場外ロビー使用可(90分まで)


「ええ箱や。うちのサポーター連が昔から面倒見とる」

リーダーが胸――いや腹をはる。

《森ノ音》は狸サポーターが関わるライブハウス。狸アイドルの初めてのライブにはもってこいだ。

人も狸も混ざって、音が鳴る場所。


「日にちは?」

「来月の第三木曜。十九時半開演!ワンマンだ!」

「なぜそんな良い枠が」

「急なキャンセルや。逃したら損やで」


逃がさない。決めたなら、行くしかない。


すぐさま会議モードに入る。僕はノートPCを開き、ToDoを打ち出す。

片桐さんはメンバーの顔を順に見て、短く頷いた。


「まずは発表と告知。聡くん、お願い」

「はい。公式の“狸サポーターズ・ガイド”にイベント登録依頼、Xの公式アカウントを早速始めたいと思います。メンバー紹介と初ライブの告知、フライヤー印刷、学内掲示、

狸狸亭に張り出し、サポーター各店にも配布」

「ロゴは信楽焼モチーフで」


ふたばが手を上げる。「衣装って、耳と尻尾は“ステージだけ”でいいんだよね?」

「あとは特典会ね。移動中はしっか化けてね」

理沙がメモを取りながら続ける。「衣装は制服調?和モダン?動きやすさ優先?」

「“可愛い”のがいい。和風っぽいやつかザ・アイドルって感じの衣装か!」


「特典会なんですけど、チェキフィルムがなかなか在庫確保が難しくて」と僕。

「それならサポーターの家電屋にお願いしとくわ」

ふたばの目がきらり。「さすがマスター!!」

狸狸亭の店長はここぞという時に力を貸してくれる。



腹鼓ブラザーズが口を挟む。「30分枠なら、MC入れても5曲は欲しいな。カバー入れるとしてもオリジナルメインでいきたいよな」

「そうですね。せっかくだからオリジナルでいきたいです」

「よっしゃ!じゃあ、パターン変えた曲も考えとく!」

「お願いします!!」

「はいよ!」


ポコレンジャーズのリーダー・里見もメモをめくる。

「フォーメーション、ステージ幅8M、縦6Mか。基本センターは片桐、右にふたば、左に理沙が基本配置にしようか。下見もしておきたいな」

「下見……?」僕。

「“森ノ音”、昼間に一回入れる?」

ひげ面リーダーが親指を立てた。「交渉しとくで。顔、利くからな」


なんだこの総力戦。いや、これが“輪”だ。狸は個でなく輪で動く。僕は書きながら、胸の奥で何度も頷いていた。


一旦、深呼吸。

ちゃぶ台の上に沈黙が落ちた。練習後の湿った空気と、決戦前のすこし乾いた緊張が混ざり合う。


片桐さんが口を開いた。「――やる理由を、もう一度だけ言っておくね」

ふたばと理沙が姿勢を正す。腹鼓ブラザーズも、急に静かになった。


「狸の居場所はちゃんとあるんだ!って皆に魅せたいの。狸の希望に…ううん。人間の皆にも希望を持ってほしい。」


「はい」と理沙。

「うん」とふたば。

僕は息を吸うだけで、なぜだか少し泣きそうになった。


「聡くん」

「はい」

「あなたは、最初の観客で、最初のサポーターで、最初の“仲間”だから。しっかり見届けて欲しい」


――恋愛企画課「心拍数、上昇。これは告白チャンスでは?」

現実主義課「黙れ。企画に集中しろ」

総務課「チェキフィルム確保できそうでよかった」


会議後、タスクを配り終え、散会の準備。

そこへ、狸狸亭のマスターが改めて二階に顔を出した。エプロン、渋い眉。


「お前さんら、動くなら早えぞ。ロゴ、これでどうだ」

スケッチブックに描かれていたのは――信楽焼の狸をモチーフにした丸いロゴ。

胸の前で手を合わせた狸が、小さく“♡”を抱えている。

下には控えめに、“Ponpoko Trio”の文字。


「……かわいい」ふたばが頬を押さえる。

理沙も珍しく表情を崩した。「品がある」

片桐さんは、目を細めてスケッチを撫でるみたいに見た。「これ、使わせてください」


「うむ。のぼり旗も作ってやる。フライヤーできたらレジ横に置く。」


心強いにもほどがある。

僕は思わず頭を下げた。「ありがとうございます」


マスターは短く頷くと、ふいに僕の方だけをまっすぐ見た。

「清水。場をつくるのは人間の役目だ。よろしく頼んだぞ」


「……はい」


腹の奥があたたかい。誰かの言葉がまっすぐ腹に届く感覚――あれは、本当にある。



夜風が階段の隙間から吹き上がって、二階の畳を少し冷やした。

提灯が揺れ、影が壁の時計を横切る。


「聡くん」

帰り際、片桐さんがそっと声をかける。

「いろいろありがとう。……怖いけど、わくわくするね」

ふと、耳の上を押さえる仕草。出してない。けど可愛い。


「わくわくが勝ってるうちに、走りきりましょう」

僕が言うと、彼女は小さく笑って「ね」とだけ言った。

その一言に、またもや脳内会議が満場一致の可決を出す。

――YES。全会一致。


階段を降り、夜の路地へ。

狸狸亭の前で、信楽焼の狸が相変わらず愛想よく笑っている。

ポケットの中のメモには、びっしりと書かれたタスク。

やることは山ほどある。でも、足取りは妙に軽い。


スマホを取り出し、まず“狸サポーターズ・ガイド”にイベント登録依頼を送る。


月を見上げる。

狸にとっては、あれが永遠のステージ照明なのだと、誰かが言っていた。

僕にとっても、今日だけはそう見える。


こうして、ぽんぽこ♡トリオの初舞台《森ノ音》が正式に決まった。

戻れる道はもうどこにもない――けれど、怖さよりも胸の高鳴りの方が、今は確かに強い。


腹に手を当てる。

「ポン!」


いつにも増して良い音が夜の街に溶けていった。

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