第8話 信楽焼の狸
ライブ準備で慌ただしい日々の合間、
僕はいつものように狸狸亭の暖簾をくぐった。
提灯の灯りはいつもより穏やかで、
店の中も人がまばらだ。
カウンターには、いつもの店主、狸狸亭のマスターが立っていた。
無骨な手つきで徳利を拭きながら、ちらりと僕を見る。
「おう、清水。最近は忙しそうじゃねぇか。ぽんぽこ♡トリオのマネージャーさんよ」
「なかなか慣れないもんで…」
「期待してるぞ」
マスターはくくっと笑うと、棚の上の信楽焼の狸を指差した。
「なぁ清水、信楽焼の狸がなんで縁起物って呼ばれてるか知ってるか?」
「“他”“抜き(ぬき)”で商売繫盛って話は聞いたことあります」
「それもある。けどな、“八相縁起”っていうんだ。笠は思いがけぬ災難を避け、目は先見、腹は冷静沈着、
徳利は信仰の徳、通い帳は信用、金袋は金運、尾は結果の安定、そして顔は愛想の良さ――八つそろって“商売繁盛”だ」
「なるほど、それぞれそんな意味が……」
「まぁ、それも人間が後からつけた理屈だけどな」
マスターは、くいっと盃をあおる。
「もともとあの置物は、知っての通り狸サポーターたちが“印”として置いてたんだよ。自分たちが関わってる店だって狸に知らせるためにな。そしたら、たまたま繁盛した店がいくつか出てきてさ。“狸を置くと運が良くなる”って噂が広まっちまった。それを知った信楽の職人たちが、商売繫盛って売りにしたんだ」
「……つまり、縁起物は後付け?」
僕は思わず笑ってしまう。
「そういうこっちゃ」
マスターは肩をすくめて笑った。
「けどまぁ、狸が良い意味で使われるのは俺たちサポーターも嬉しいからな。ただ、昔は印を見て狸サポーターの店だと間違えて、人の前で狸の姿を晒っちゃった狸が続出したんだ。今は“狸サポーターズ・ガイド”で確認できるから、そんな失敗は、まぁ、減ったけどな」
彼は信楽焼の狸を指で軽く弾き、ぽん、と音を鳴らした。
「なぁ清水。“ぽんぽこ♡トリオ”のロゴに、信楽焼の狸をモチーフにしたらどうだ?丸い目と愛想のいい顔で、あの子らにぴったりだろ」
「……それ、いいかもしれません」
自然に口から出ていた。
マスターは満足そうに頷き、
「アイドルも商売も、結局は“縁”だ。狸ってのはな、愛想と信用で世を渡る生きもんだ。お前さんも、あの子らの“縁”を切らすなよ」
その言葉が、胸のどこかにじんわり染みた。
提灯の灯りが揺れ、信楽焼の狸が小さく笑った気がした。




