第29話 握手会アクシデント
JIF予選通過から一週間後。
狸狸亭の近くにある小さなイベントスペースで、無料握手会が開催された。
「ぽんぽこ♡トリオ 無料握手会」
入口には、手作りの看板が立っている。狸サポーターたちが総出で準備を手伝ってくれた。
「すごい……こんなに並んでる」
ふたばが、窓の外を見て目を丸くした。
会場の外には、長い列ができていた。予選ライブを見に来てくれた人、配信で応援してくれた人、SNSで知ったという人。たくさんのファンが、三人に会いに来てくれていた。
「みんな、応援してくれてるんだね」
片桐さんが、少しだけ目を潤ませた。
「頑張りましょう」
理沙が、静かに頷いた。
僕は、受付の準備を確認しながら、胸の奥で小さく頷いた。
(よし。ちゃんと感謝を伝えよう)
握手会が始まった。
「こんにちは!」
ふたばが、明るく声をかける。
「ライブ、すごく良かったです!」
ファンの女性が、目を輝かせた。
「ありがとう!嬉しい!」
ふたばの尻尾が、ぶんぶん揺れる。
片桐さんも、笑顔でファンと握手をしていた。
「応援してくれて、ありがとうございます」
「こちらこそ!JIF、絶対見に行きます!」
「嬉しい。頑張るね」
理沙も、静かに握手をしながら、一人ひとりに丁寧に言葉をかけていた。
「理沙ちゃんのダンス、かっこよかったです」
「ありがとう。もっと上手くなるよう、頑張る」
会場は、温かい空気に包まれていた。
僕は、列の整理をしながら、三人の様子を見守っていた。
(良かった。みんな、喜んでくれてる)
握手会も終盤に差し掛かったとき――
列の中に、小さな子どもがいた。
五歳くらいの男の子。母親と一緒に、ふたばのところに並んでいる。
「こんにちは!」
ふたばが、笑顔で手を差し出した。
「こんにちは……」
男の子は、少しだけ恥ずかしそうにしていた。
「ぽんぽこ♡トリオ、好き?」
「うん!」
男の子が、元気よく頷く。
「ありがとう!嬉しいな!」
ふたばが、男の子と握手をして、一緒に来ていた母親も握手をした。
ふたばがお父さん側に向いた時――
男の子が、ふたばの尻尾に気づいた。
「わあ!しっぽ!」
男の子が、ふたばの尻尾をぎゅっと掴んだ。
「痛いっ!!」
ふたばが、思わず悲鳴を上げた。
会場の空気が、一瞬止まった。
「ご、ごめんなさい!」
母親が、慌てて男の子を引き離す。
「大丈夫です……」
ふたばが、笑顔を作ろうとするけれど、少しだけ涙目になっていた。
僕は、すぐに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「うん……ちょっと、驚いただけ」
ふたばは、尻尾をさすりながら、小さく頷いた。
周囲のファンたちが、ざわついている。
「今、痛そうだったよね……?」
「あの尻尾、本物なのかな……?」
小さな囁きが、会場に広がっていった。
握手会が終わって、楽屋に戻る。
「ふたば、本当に大丈夫?」
片桐さんが、心配そうに尋ねた。
「うん。ちょっと痛かっただけ。もう大丈夫」
ふたばは、笑顔を作った。
でも、理沙がスマホを見ながら、少しだけ眉をひそめた。
「……ねえ、ちょっとまずいかも」
「どうしたの?」
片桐さんが、理沙の画面を覗き込む。
そこには、SNSの投稿が並んでいた。
「握手会行ってきた。ふたばちゃん、子どもに尻尾掴まれて『痛い!』って叫んでた。あの反応、リアルすぎない?」
「ぽんぽこ♡トリオの尻尾と耳、本物説ある。握手会で見たけど、造形にしてはクオリティ高すぎ」
「今日の握手会、ふたばちゃんが尻尾引っ張られて痛がってた。あんな反応、普通のコスプレじゃしないよね」
「本物の狸がアイドルやってるって噂、マジかもしれない」
その投稿には、すでに数百のいいねとリツイートがついていた。
片桐さんの顔が、青ざめた。
「……まずい」
「どうしよう……」
ふたばも、不安そうに呟いた。
僕は、スマホを確認した。
SNSでは、すでに「本物たぬき説」が拡散され始めていた。
「コスプレじゃなくて、本物の狸なんじゃない?」
「狸が人間に化けてアイドルやってるってマジ?」
「それ、めっちゃ面白いじゃんw」
「でも、本当だったら怖くない?」
「本物なわけないだろwww」
「どうせネタでしょ。でも面白い設定だね」
コメントは、瞬く間に広がっていった。
その夜、狸狸亭の二階。
片桐さんは、窓際に座って外を見ていた。その背中は、小さく見えた。
「片桐さん……」
僕が声をかけると、片桐さんは少しだけ振り返った。
「……ごめんね。私のせいで」
「え?」
「私がちゃんとしてないから、こんなことになって……」
片桐さんの声が、震えていた。
「そんなこと……」
「狸老人会が動いたら、活動停止になるかもしれない。JIFにも出られなくなるかもしれない」
片桐さんは、膝に手を置いた。
「ふたばも、理沙も……せっかくここまで頑張ってきたのに」
その言葉が、胸に刺さった。
「片桐さんのせいじゃないです」
僕は、片桐さんの隣に座った。
「僕が、握手会を提案したんです。だから――」
「ううん。違うよ」
片桐さんは、少しだけ笑った。
「私が、リーダーとして……事前に防げたはずなのに」
その横顔が、悲しそうだった。
――恋愛企画課「今だ!今なら距離を縮められる!」
――妄想課「片桐さんを慰めるんだ!肩を抱いて――」
――現実主義課「黙れ!今はそんな場合じゃない!」
――危機管理課「活動停止の危機だぞ!恋愛してる場合か!」
脳内会議が、騒ぎ出した。
でも――
――恋愛企画課「でも片桐さんが落ち込んでる!今こそ支えるべきだ!」
――妄想課「手を握るとか……」
――現実主義課「お前ら、本当に黙れ!」
(……うるさい)
僕は、頭を振った。
「片桐さん。まだ、諦めるのは早いです」
「でも……」
「何か、方法があるはずです。一緒に、考えましょう」
僕が言うと、片桐さんは少しだけ目を潤ませた。
「……清水くん」
「はい」
「ありがとう」
片桐さんは、小さく笑った。
でも、その笑顔は、まだ悲しそうだった。
狸狸亭のカウンターで、マスターが深刻な顔をしていた。
「……見たで。SNSで拡散されとる」
「はい……」
僕は、俯いた。
「狸老人会が、動くかもしれん」
マスターの声が、重い。
「……どうなるんですか?」
「最悪の場合、活動停止を言い渡される。狸が人間社会で目立ちすぎることを、あいつらは許さん」
その言葉が、胸に刺さった。
「でも……JIFは……」
「わからん。だが、覚悟はしておけ」
マスターは、信楽焼の狸をぽんと叩いた。
乾いた音が、静かな店内に響いた。
その夜、帰り道。
月が、静かに光っていた。
SNSでは、本物たぬき説が広がり続けている。
このままでは、狸老人会が動くかもしれない。
そうなったら――
ぽんぽこ♡トリオの活動は、止まってしまうかもしれない。
JIFのステージに、立てなくなるかもしれない。
――恋愛企画課「片桐さんを支えるチャンスだったのに!」
――妄想課「手を握れば良かった……」
――現実主義課「今はそれどころじゃない!」
――危機管理課「まずは狸老人会対策だ!」
――腹鼓課「ぽんぽこぽんぽこぽん!」
脳内会議は、相変わらず騒がしい。
でも――
(……こんな葛藤してる場合じゃない)
僕は、拳を握った。
片桐さんたちが、ここまで頑張ってきたのに。
ようやく掴んだJIFのステージなのに。
それが、奪われるなんて。
ぽんぽこぽん。
心臓が、重く鳴った。
でも――
まだ、諦めるわけにはいかない。
何か、方法があるはずだ。
――恋愛企画課「でも片桐さんのことも――」
――現実主義課「今は、それより大事なことがある!」
脳内会議は、まだ騒ぎ続けていた。




