第27話 騒ぎ出す脳内
JIFの書類審査が通過した。
予選ライブの日程が決まり、ぽんぽこ♡トリオは本格的に準備を始めた。
練習は順調で、SNSのフォロワーも増え続けている。片桐さん、ふたば、理沙の三人は、日に日に輝きを増していた。
そして僕はマネージャーとして、彼女たちを支えていた。
片桐さんとは、お互いの気持ちを知った上で、適度な距離を保っていた。マネージャーとアイドル。それが、今の僕たちの関係だった。
それで、良かったはずだった。
その日は、いつもの狸狸亭の二階ではなく、駅前のダンススタジオを借りて練習していた。JIFの予選ライブに向けて、フォーメーションを細かく確認するためだ。鏡が大きく、フロアも広い。本番の舞台を想定した練習には、こういう場所が必要だった。
「じゃあ、今日はここまで!お疲れ様でした!」
ポコレンジャーズの里見さんが、手を叩いて練習を締めくくる。
「お疲れ様です!」
三人が、声を揃えた。
片付けを終え、階段を降っていると、片桐さんが足を止め、カバンを漁りだす。
「あ、次のライブの資料、忘れてきた」
「僕取りに行ってきますよ。三人とも先に狸狸亭に向かっててください」
僕が立ち上がると、片桐さんが少しだけ考えた。
「私も一緒に行くよ。二人で探した方が早いし」
「そうですね。じゃあ、ふたばと理沙は先に行っててくれる?」
「わかった!また後でね!」
ふたばと理沙が、階段を降りていく。
僕と片桐さんは、もう一度スタジオに上がった。
「あらどうしたの?」
里見さんが、ちょうどスタジオの電子キーを閉めるところだった。
「ごめんなさい。ちょっと資料忘れてて」
「じゃあ、ここの鍵お願いね」
里見さんが先に階段を降り、二人で資料を探した。
資料を見つけて、階段を降りる。
建物の出口に着いたとき――
「あれ……雨?」
片桐さんが、外を見て驚いた。
バケツをひっくり返したような雨が、降っていた。
「うわ……すごい降ってきた」
「天気予報、雨って言ってなかったのに」
「ゲリラ豪雨みたいですね」
僕は、空を見上げた。
「傘、持ってきてないですよね?」
「あ、もしかしたら……」
片桐さんがバッグを探る。
「折り畳み傘、あった!」
小さな折り畳み傘を取り出した。
「助かりました」
「でも、これ……二人で入るには、ちょっと小さいかも」
片桐さんが、傘を開いてみる。
確かに、小さい。
「……どうしよう」
片桐さんが、少しだけ困った顔をする。
「僕、走っていきますよ。片桐さんは傘で」
「ダメだよ。風邪ひいちゃう」
「でも……」
「一緒に入ろう。ちょっと狭いけど、狸狸亭まですぐだし」
片桐さんは、そう言って傘を差した。
「……じゃあ、お願いします」
僕は、片桐さんの隣に入った。
傘は、本当に小さかった。
二人で入ると、肩が触れ合う。
片桐さんが、僕に寄り添う。
髪から、シャンプーのいい匂いがする。
心臓が、ドクンと跳ねた。
「大丈夫ですか?濡れてないですか?」
僕は誤魔化すように片桐さんに声をかけた。
「うん、大丈夫」
片桐さんは、少しだけ頬を赤らめていた。
僕も、顔が熱くなっているのがわかる。
(落ち着け……)
でも、心臓は落ち着かない。
ぽんぽこぽんぽこぽん。
ドラムロールのように鳴り続ける。
「……ねえ、清水くん」
「はい」
「こうやって、二人で傘に入るの……なんか、ドキドキするね」
片桐さんが、小さく笑った。
「……僕も、です」
片桐さんが、少しだけ僕を見上げた。
その瞳が、近い。
すぐそこに、片桐さんの顔がある。
(……やばい)
心臓が、爆発しそうだった。
心音と雨音が、二人を包んでいた。
狸狸亭に着くころには、雨は少し弱くなっていた。
「ありがとうございます」
「ううん」
僕は、傘の水を切り、片桐さんにたどたどしく渡した。
心臓はまだ、ぽんぽこぽんと鳴り続けていた。
次のライブ当日。
楽屋で、三人が衣装に着替えていた。
「清水くん、ちょっと来て!」
片桐さんが、僕を呼んだ。
「はい」
楽屋に入ると、片桐さんが背中を向けて立っていた。
「ファスナー、上の方が上がりきらなくて……手伝ってくれる?」
「え、、あ、はい!」
僕は、片桐さんの背中に近づいた。
首筋に少しだけ見える肌。
心臓が、また跳ねた。
「じゃあ、失礼します」
僕は、ファスナーに手をかけた。
ゆっくりと、上げていく。
片桐さんの首筋が、すぐそこにある。
距離が、近すぎる。
「……ありがとう」
片桐さんが、小さく言った。
「いえ」
僕は、ファスナーを上げ終えた。
でも、心臓はまだ、ぽんぽこぽんと鳴り続けていた。
ライブが終わって、狸狸亭の二階で次の練習をしていた。いつもの場所。畳の匂いと、提灯の灯り。
「はい、もう一回!」
里見さんの掛け声に、三人がステップを踏む。
その時――
片桐さんが、バランスを崩した。
「あっ!」
咄嗟に、僕は片桐さんを抱きとめた。
片桐さんの体が、僕の腕の中に収まる。
時間が、止まった。
片桐さんの顔が、すぐそこにある。
目が、合った。
「……ごめん」
片桐さんが、小さく言った。
「いえ……大丈夫ですか?」
「うん……」
片桐さんは、僕の腕の中で、少しだけ頬を赤らめていた。
僕も、顔が熱い。
心臓が、爆発しそうだった。
ぽんぽこぽんぽこぽん。
数秒の沈黙。
「……あの、片桐さん」
「うん」
「もう、大丈夫ですか?」
「あ、うん……ごめん」
片桐さんが、僕の腕から離れた。
ふたばと理沙が、少し離れたところで、にやにやしながら見ていた。
「……練習、続けましょうか」
里見さんが、少しだけ笑いながら言った。
僕は、頷いた。
でも、心臓はまだ、鳴り続けていた。
その夜、一人で帰り道を歩いていると――
久しぶりに、脳内の声が聞こえてきた。
――恋愛企画課「おい!さっきのチャンスを逃したのか!?」
――現実主義課「落ち着け。あれはアクシデントだ」
――妄想課「片桐さんの体、柔らかかったな……」
――危機管理課「妄想課、黙れ!これは緊急事態だ!」
――腹鼓課「ぽんぽこぽんぽこぽん!」
久しぶりの脳内会議。
静かだった僕の中の僕たちが、また騒ぎ出した。
――恋愛企画課「傘の時も、ファスナーの時も、抱きとめた時も!全部チャンスだったのに!」
――現実主義課「でも、マネージャーとアイドルの関係を優先すべきだ」
――妄想課「片桐さんと付き合ったら、どんな感じかな……」
――危機管理課「今はJIFに集中すべきだ!アイドルとの恋愛なんて危険すぎる!」
――冷静沈着課「そもそも、お前は何がしたいんだ?」
その問いかけに、僕は立ち止まった。
(僕は、何がしたいんだろう)
片桐さんを支えたい。ぽんぽこ♡トリオを成功させたい。
それは、本当だ。
でも――
片桐さんと、もっと近づきたい。
その気持ちも、本当だ。
――恋愛企画課「このままじゃ、後悔するぞ!前進あるのみ!」
――現実主義課「でも、今は時期じゃない」
――妄想課「JIFが終わったら、告白すればいいんじゃない?最高のシチュエーションだ」
――危機管理課「リスクが高すぎる!」
――腹鼓課「ぽんぽこぽんぽこぽん!」
脳内会議は、まとまらない。
僕は、月を見上げた。
いつもの、静かな光。
ぽんぽこぽん。
心臓が、重く鳴った。
僕の中の僕たちは、また騒ぎ出した。




