第21話 すれ違い
学園祭が終わって、一週間。
ぽんぽこ♡トリオの練習は、いつも通り狸狸亭の二階で続いていた。でも、何かが変わっていた。空気が、少しだけ重くなっていた。
「はい、もう一回!」
片桐さんの声が、練習室に響く。その声は、いつもより少しだけ硬く、どこかプロフェッショナルな距離感を感じさせるものだった。
ふたばが、ステップを踏む。でも、いつもの元気がない。足取りが重く、笑顔も少しだけ作り物のように見えた。
理沙が、それに気づいて眉をひそめた。
「ふたば、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
でも、その声には力がなかった。尻尾も、いつもみたいに元気よく揺れていない。
片桐さんは、鏡の前で黙々と振り付けを確認している。僕の方を見ることは、ほとんどなかった。以前は、練習中でも時々こちらを見て「どう?」と聞いてきたのに、今はそれもない。
休憩時間になっても、片桐さんは一人で練習を続けていた。鏡に向かって、何度も同じ動きを繰り返している。
「片桐さん、休憩しましょう」
僕が声をかけると、片桐さんは少しだけ振り返った。
「ああ、ごめん。もうちょっとだけ」
その言葉は、丁寧だった。でも、どこか距離を感じさせる丁寧さだった。まるで、知らない人に話しかけるような、そんな距離感。
僕は、何も言えずに、ただノートを開いてスケジュールを確認するふりをした。
ふたばが、水筒を開けながら、理沙の隣に座った。
「ねえ、理沙ちゃん……」
「うん?」
「私、最近……なんか、楽しくないんだ」
ふたばの声が、小さく震えていた。その言葉を聞いて、理沙の表情が少しだけ曇った。
「どうして?」
「わかんない。でも、なんか……みんなの空気が重くて」
ふたばは、膝に手を置いて、少しだけ俯いた。
「片桐さんも、清水くんも、なんか……遠い気がする」
理沙は、何も言えなかった。ただ、ふたばの肩にそっと手を置いた。
僕は、その会話を聞いていた。でも、何も言えなかった。
(僕のせいだ)
そう思うと、胸が締め付けられた。
練習が終わって、片桐さんが先に帰った。
「お疲れ様」
そう言って、荷物をまとめて階段を降りていく。その背中は、いつもより少しだけ小さく見えた。
ふたばは、椅子に座ったまま動かなかった。理沙も、黙って荷物をまとめている。
「ふたば、帰らないの?」
僕が声をかけると、ふたばは少しだけ顔を上げた。
「……ねえ、清水くん」
「うん?」
「私たち、何のためにアイドルやってるんだっけ?」
その質問に、僕は答えられなかった。
「最初は、楽しかったのに……最近、なんか……わかんなくなっちゃった」
ふたばの目に、涙が浮かんでいた。でも、泣くのを我慢しているような表情だった。
理沙が、ふたばの隣に座った。
「ふたば……」
「ごめん。変なこと言っちゃった」
ふたばは、無理やり笑顔を作って立ち上がった。
「帰るね。お疲れ様」
そう言って、階段を降りていく。その足取りは、いつもより重かった。
理沙が、僕を見た。
「……清水くん。何があったの?」
「え?」
「片桐さんも、ふたばも、おかしいよ。学園祭が終わってから、ずっと」
理沙の目は、真剣だった。僕は、少しだけ視線を逸らした。
「……わかりません」
「嘘」
理沙は、きっぱりと言った。
「清水くん、何か知ってるでしょ」
僕は、何も言えなかった。ただ、ノートを閉じて、荷物をまとめた。
「……すみません。僕も、帰ります」
そう言って、階段を降りた。理沙の視線が、背中に刺さっていた。
その夜、僕は一人で狸狸亭のカウンターに座っていた。マスターが、黙って烏龍茶を差し出す。
「……最近、様子がおかしいな」
「……はい」
「片桐は、アイドルに変に集中しようとしてる。ふたばは元気がない。理沙は二人を心配してる」
マスターは、グラスを拭きながら続けた。
「お前も、何か抱え込んでるだろ」
僕は、烏龍茶を一口飲んだ。喉を通る冷たさが、少しだけ胸の奥まで届いた。
「さすがマスターですね……片桐さんは、もう僕のことを意識していないんだと思います」
「ほう」
「学園祭が終わってから、片桐さんの僕への態度が変わりました。以前は、もっと……柔らかかったのに。まぁ、あくまでまねとアイドルなんで、これが普通ですよね」
マスターは、カウンターにグラスを置いた。
「それで、お前はどう思ってる?」
「……それが、正しいことだと思います」
「正しい?」
「僕は、マネージャーです。片桐さんは、アイドル。距離を保つべきなんです」
マスターは、小さくため息をついた。
「清水。お前、もっと素直になれよ」
「……でも、僕は」
「マネージャーだから?アイドルとの距離を保つべきだから?」
マスターは、僕の目を見た。
「そんなルール、誰が決めたんだ?」
その言葉が、胸に刺さった。
「でも……そもそも狸と人間の恋は、禁忌なんですよね」
「ああ。まぁ、あんまり良いとは言われてないな…」
マスターは、腕を組んだ。
「でも、時代は変わってる。お前も、片桐も、今を生きてるんだ。昔のルールに縛られる必要はない」
「でも……」
「焦るな。ただ、自分の気持ちに嘘をつくのはやめろ。それが、一番良くない」
マスターの言葉が、胸の奥に染みた。
翌日の練習。
ふたばのミスが、目立ち始めた。ステップが合わない、タイミングがずれる、笑顔が作れない。
「ふたば、そこ左足!」
里見さんが指摘する。
「あ、ごめんなさい……」
ふたばが、力なく謝る。その声は、いつもの元気なふたばとは全く違っていた。
片桐さんは、黙ってそれを見ていた。そして、小さく息を吐いた。
「……もう一回、最初から」
その声は、優しさを装っていたけれど、どこか冷たかった。リーダーとしての責任感が、彼女を硬くさせているように見えた。
理沙が、片桐さんを見た。その目は、少しだけ心配そうだった。
「片桐さん、ちょっと休憩しない?みんな疲れてるし」
「でも、まだ通せてないから」
「無理しないで」
「無理なんてしてないよ」
片桐さんは、少しだけ笑った。でも、その笑顔は、どこか痛々しかった。
僕は、ノートを開いたまま、何も書けずにいた。ペンを握る手が、少しだけ震えていた。
練習が終わって、片桐さんが一人で残った。鏡の前で、黙々と振り付けを確認している。
「片桐さん」
僕が声をかけると、片桐さんは振り返った。
「なに?」
「……最近、無理してませんか?」
「無理なんてしてないよ。アイドルとして、ちゃんとやってるだけ」
その言葉は、きっぱりとしていた。でも、その目は、少しだけ疲れているように見えた。
「でも、ふたばも心配してます。理沙も」
「……大丈夫。私がちゃんとするから。もっと人気になりたいの」
片桐さんは、少しだけ笑った。
「清水くんは、マネージャーとして、私たちをサポートしてくれればいいから」
その言葉が、胸に刺さった。
「片桐さん……」
「ね。お互い、ちゃんと役割を果たそう」
片桐さんは、そう言って、再び鏡に向き直った。その背中は、どこか寂しそうだった。
僕は、何も言えなかった。ただ、荷物をまとめて、階段を降りた。
その夜、帰り道。
月が、静かに光っていた。いつもの、狸たちの永遠のステージ照明。
僕の中の僕たちは、まだ静かだった。あの騒がしかった脳内会議は、もう開かれない。
でも、胸の奥に、何かが溜まっていく感じがした。言葉にできない、重たい何かが。
ぽんぽこぽん。
心臓が、重く鳴った。
何かが、壊れかけている。それは、わかっていた。
でも、どうすればいいのか、僕にはわからなかった。
ただ、このままじゃいけない、という予感だけが、胸の奥で静かに鳴り続けていた。




