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ラウンド1:なぜ世界は、私を理解しなかったのか?

あすか:(穏やかな表情でクロノスに触れる。背景の星雲が、当時のパリやアルルの街並みの幻影へと変わっていく)「ありがとうございます。どうやら、物語は始まったばかりのようですね。皆さんの魂の叫び、じっくりと聞かせていただきましょう。最初のラウンドのテーマは、こちらです…『なぜ世界は、私を理解しなかったのか?』」


(あすかは、ひときわ感情の昂ぶりを見せるゴッホへと、その澄んだ視線を向ける)


あすか:「フィンセントさん。あなたの絵は今、世界中の人々から愛されています。しかし、生前、あなたの絵に向けられた言葉は…決して優しいものではありませんでした」


(あすかがクロノスを操作すると、ゴッホの背後のスクリーンに、当時の新聞に掲載された彼の絵に対する批評記事が大きく映し出される。『狂気の産物』『色彩の暴力』『正気の沙汰ではない』といった辛辣な言葉が並ぶ)


ゴッホ:(記事を睨みつけ、わなわなと震えている)「……言葉…。そうだ、いつだって言葉が僕を打ちのめした。僕には、この燃えるような想いを伝える言葉がなかったんだ!」


(ゴッホは立ち上がり、テーブルに手をついて身を乗り出す)


ゴッホ:「見てくれ!この太陽の黄色を!糸杉の燃えるような緑を!夜空で渦を巻く星々の輝きを!これは狂気などじゃない!僕が見た、ありのままの世界の姿だ!魂の叫びだ!なぜ、なぜこれが分からないんだ!僕の絵を前にして、人々は僕の耳の話ばかりをした!僕の暮らしぶりの話ばかりをした!カンヴァスの上にある真実を見ようともせずに!」


ゴーギャン:(腕を組み、冷ややかに笑いながら)「フン、感傷的だな、フィンセント。相変わらずだ。お前は分かっていない」


ゴッホ:「なんだと…!?」


ゴーギャン:「『狂気』? それは最高の賛辞じゃないか。凡人どもがお前の絵のエネルギーに恐れをなして、他に表現のしようがなかっただけの話だ。それを武器にせず、メソメソと嘆くから、お前はいつまで経っても二流なんだ」


ゴッホ:「武器…だと? これは、これは僕の苦しみそのものなんだぞ!毎晩、この脳を焼くような色彩から逃れるために、どれだけ…!君は、君はアルルで僕の苦悩を見ていただろう!それなのに、なんてことを…!」


ゴーギャン:「見たさ。見たとも。才能の塊が、世間の評価という下らないものに怯え、自滅していく様をな。俺は忠告したはずだぞ。『もっと計算高くやれ』と。だがお前は、弟君からの手紙を握りしめて泣くばかりだった」


ゴッホ:「テオを…テオを侮辱するなッ!!」


あすか:(二人の間に割って入るように、しかし冷静に)「お二人とも、少し落ち着いてください。フィンセントさん、あなたの苦しみ、確かにお聞きしました。では、視点を変えてみましょう」


(あすかは、困惑した表情で二人を見つめる賢治へと話を振る。クロノスのスクリーンは、岩手ののどかな田園風景へと変わる)


あすか:「賢治さん。あなたもまた、その理想をほとんど理解されることはありませんでした。生前に刊行された詩集『春と修羅』も、童話集『注文の多い料理店』も、ご自身で費用を負担しての出版。そして、そのほとんどは売れ残ってしまったそうですね」


賢治:(背筋を伸ばし、恥ずかしそうに)「は、はい…。お恥ずかしい限りです。わたくしの書いたものは、あのイーハトーブの雲や風、石ころと同じようなもの。ですから、評価などというのは、もとより考えておりませんでした」


ゴーギャン:「ほう、殊勝なことだな。では、なぜここにいる? 評価を求めぬ者が、こんな場所に召喚されるものか」


賢治:(ゴーギャンに向き直り、困ったように眉を下げて)「それは…。わたくしにも、よくは…。ただ、理解されなかった、というのは少し違うのかもしれません。わたくしが、伝えきれなかったのです。世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない、という想いを。デクノボーのように、ただみんなのために尽くすことの本当の意味を。わたくしの力が、言葉が、あまりに足りなかった。それだけのことです」

(賢治は、自分の非力さを嘆くように、静かに目を伏せる)


ゴーギャン:「…偽善だな」


賢治:「え…?」


ゴーギャン:(テーブルに肘をつき、嘲るように賢治を見る)「『みんなのため』? 虫唾が走る。結局は自己満足だろう。『自分はこれだけ清く、正しく、献身的に生きています』という見え透いた自己陶酔だ。そんなもので人の心が動くものか。だから、お前の本は売れ残ったんだ」


賢治:「ひ、人の心が動くとか、売れるとか…わたくしは、そういうことでは…」


ゴッホ:「よせ、ポール!彼の崇高な心が、君のような男に分かってたまるか!」


あすか:「興味深いですね。理解されなかった理由は、人によって全く違う。フィンセントさんは、内なる情熱を誤解された。賢治さんは、その理想が届かなかった。…いいえ、そもそも理解を求めていたかどうかすら、異なるようです」


(あすかは、ここまで一言も発さず、ただ静かに皆の対話を聞いていたディキンソンに、優しく視線を移す)


あすか:「では、ディキンソンさん。あなたにとって、『理解されない』とは、一体どんなことだったのでしょうか」


(ゴッホ、ゴーギャン、賢治の三人が、初めて口を開くディキンソンへと注目する。スタジオは水を打ったように静まり返る。ディキンソンは俯いたまま、テーブルに置かれた自分の指先を見つめている)


ディキンソン:「……世界が、私の部屋の扉を叩かなかった。それだけのことです」


ゴーギャン:「ハッ、なんだそりゃ。詩的な言い回しはよせ。つまり、誰にも相手にされなかった、というだけの話だろう?」


ディキンソン:(ゆっくりと顔を上げ、初めてゴーギャンの目を真っ直ぐに見る。その瞳は驚くほど澄んでいる)「いいえ。扉を叩かれなかったから、私は、扉の向こう側にある、もっと広い世界へ行くことができました」


賢治:「扉の…向こう側…?」


ディキンソン:「ええ。窓から見える景色。一輪のクローバー。部屋に迷い込んできた一匹の蜂。その声を聞くためには、人の声がしない場所が必要でした。世界に忘れられていたからこそ、私は、世界の本当の声を聞くことができたのです」


(あすかがクロノスに触れると、ディキンソンの背後のスクリーンに、彼女が住んでいた家の、窓辺の小さな机の写真が映し出される。そこにはインク瓶と数枚の紙切れだけが置かれている)


あすか:「あなたは、その部屋から宇宙を、永遠を、そして死そのものを見つめていたのですね。理解されないことは、あなたにとって苦痛ではなかったのですか?」


ディキンソン:「苦痛は…ありました。世界へ送った手紙に、返事が来ないのですから。でも、それは、海へ投げた小石のよう。返事を待つ間に、波紋の美しさを見つめることができる。…孤独は、私のための庭でした」


ゴッホ:(ディキンソンの言葉に、何かを突き動かされたように呟く)「孤独が…庭…。僕にとっての孤独は、燃え盛る炎が吹き荒れる、独房だった…。同じ孤独なのに、なぜ…」


ゴーギャン:「決まっている。お前は人から愛されることを望みすぎたんだ、フィンセント。こっちの嬢さんのように、独りで完結する強さがなかった。俺のように、凡人どもを切り捨てる覚悟もなかった。お前の孤独は、ただの寂しがり屋の甘えだ」


ゴッホ:「甘えだと!?君は…君はいつもそうだ!人の心を土足で…!」


賢治:(割って入るように、しかし優しく)「わたくしは、ディキンソンさんのおっしゃることが、少しだけ分かる気がします。わたくしも、風の又三郎の声や、やまなしの泡の言葉を聞くのは、いつも独りの時でしたから。誰かと一緒にいる時には、決して聞こえてはこない声がある。…そうではありませんか?」


ディキンソン:(賢治に、初めてわずかな笑みを向けて、小さく頷く)「…ええ。沈黙は、たくさんの言葉を隠しています」


あすか:「皆さんの『孤独』は、それぞれ全く違う色のようですね。他者に拒絶された孤独、自ら選んだ孤独、そして理想に殉じた孤独…。では、もう一つの言葉について伺います。『狂気』です」


(あすかは、再びゴッホとゴーギャンに視線を戻す)


あすか:「ゴーギャンさんは先ほど、『狂気は賛辞だ』とおっしゃった。フィンセントさんにとって、それは呪いの言葉でした。この違いはどこから来るのでしょう?」


ゴーギャン:「簡単だ。俺は俺の正気を信じているからだ。俺の描く世界こそが真実で、それを理解できん連中の方がよっぽど狂っている。違うか?」


ゴッホ:「僕は…僕は自分が正気かどうかなんて、分からなかった!ただ、描かずにはいられなかったんだ!この頭の中の嵐をカンヴァスに叩きつけなければ、僕自身が張り裂けてしまいそうだった!それが…それのどこが悪いんだ!」


(ゴッホが苦しげに頭を抱えた、その時だった)


ディキンソン:「…正気。それはいったい、何でしょう」


(全員が、再びディキンソンを見る)


ディキンソン:「もし、狂っているというのが、大多数と違う、ということであるなら。そして、正気というのが、大多数と同じ、ということであるなら…。正気こそが、最も恐ろしい狂気なのではありませんか?」


(ディキンソンの静かな問いかけに、スタジオは再び沈黙に包まれる。ゴーギャンですら、一瞬言葉を失い、何かを考えるように口を噤む。ゴッホは、ハッとしたように顔を上げる)


あすか:(その沈黙を破るように、静かに締めくくる)「…ありがとうございます。どうやら答えが見えてきたようです。皆さんが世界に理解されなかったのは、皆さんが狂っていたからでも、劣っていたからでもない。むしろ逆。皆さんは、世界が『正気』という名の壁の向こう側に見ようとしなかった真実を、あまりにも真っ直ぐに見つめすぎていたのかもしれません」


(あすかはクロノスを操作し、スクリーンを輝く星空に戻す)


あすか:「では、次のラウンドでは、その『真実』の結晶そのものについて語っていただきましょう。皆さんが、その人生の全てを賭して生み出した…『魂の最高傑作』について」

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