その歌声は死を招く
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「まったく、彼女の歌声は素晴らしい。どんな世代、老若男女問わず惹きつける。まさに令和のセイレーンと称されるのも納得ですね」
今日も芸能通を名乗る何処かのコメンテーターが彼女についてしたり顔で語っている。
酔いしれる歌声。
魅了の歌姫。
令和のセイレーン。
そう称される彼女は、一切の顔出しをしない女性歌手だ。
ふらりと動画サイトに現れた、延々と続く真っ黒な画面と透き通るような彼女の歌声だけが載せられた動画はあっという間に拡散した。
そして彼女を知るべく、沢山の人間が彼女について調べた。
にも関わらず、彼女はその歌声と、セイと書かれたユーザ名だけで、他は何一つ、そう何一つ明らかにならなかったのだ。
だから人々は口々に、『セイは新作のボカロだ』とか、新たに開発されたAIだとか、色々言っていたが、真実は何一つわからなかった。
謎に包まれた歌姫「セイ」
唯一の確実な情報としては、何処かの言語に関する研究者が言っていた、セイの歌はときどき日本語が母国語ではない人間の発音をする時があるから、外国生まれの生きた人間であるのは確実だろうという説だけだった。
だけど僕は……。
セイが生身の、生きて、息をして、その細い喉を震わせて歌う一人の女性だと……知っていた。
それを知ったのは本当に偶然だった。
煮詰まった案件に嫌気がさして、ふらりと足を運んだビルの非常階段。
狭く切り取られた、薄曇りの空をぼんやりと眺めていた時、それは聞こえてきた。
それこそが、「セイ」の、初めて耳にする生の声だった。
もちろん最初はよく似た声の別人だと思っていた。
だけど。
聴けば聴くほどに僕の中に染み渡っていく歌声は、僕の心を惹きつけてやまないその美声は、その声が「セイ」の曲の、最後の一小節を歌い上げる頃には、僕にこの声の持ち主が「セイ」であると確信させるのに相応しいものであった。
それ以降、僕は時折、いやかなり頻繁に「セイ」を求めて非常階段に足を向けることになる。
そして僕は見てしまったのだ。
「セイ」が生身の人間である事実を。
非常階段に足を向けるようになってしばらく。と言ってもそんなに日は経ってなかったと思う。
だけど、僕の行動が人の目を引くには充分な時間で、最近何処に行っているのかと訊ねてきた同僚を避ける為、昼食を抱えて非常階段に腰をおろしていた。
その時だった。
まるで鉄格子のような階段の手すりの向こう。
向かい合うビルの窓から一人の女性が顔を出していた。
事故防止の為、僅かにしか開かない窓を開き、そこから何かを求めるように白い手が伸ばされる。
何処か非現実的なその光景をぼんやり眺めていると、おもむろに彼女の口が動き、聞こえてきたのは「セイ」の歌声だった。
僕はそのことに雷に打たれたかのようなショックを受けた。結果、昼食用のあんぱんは埃まみれの非常階段に落ちていった。
と言っても、そんな事は微塵も気にならず、僕は必死に目を、耳を彼女に傾けていた。
あぁ、「セイ」だ。
確かに彼女はココにいる。
その事実は僕を浮き足立たせるには十分で。
それ以降さらに頻度を上げ、非常階段に足を向けるようになった。変な顔をしてこちらを見やる同僚の視線などちっとも気にならなかった程に。
うっとりと窓に映る彼女を見つめ、その歌声に耳を傾ける。
万人を魅了する歌声はもちろんだが、その見目も僕を惹きつけてやまなかった。
黒目がちな瞳に、シミやシワ一つないつるりとした肌。染めているのか艶やかな薄青の髪は、彼女をより一層神秘的に見せていた。
僕ら以外誰もいないこの空間で、彼女を見つめ、彼女の歌声を聴く。
それはなんとも幸せな時間で、だからこそそれを脅かす存在にいち早く気づくことができたのだろう。
それは不思議な組み合わせの男女だった。
草臥れた感じが漂うスーツを纏った男。この高さからでは顔までよく見えないが、その雰囲気は普通の会社勤めではなさそうだった。
そして更に異質なのは女の方……いや少女なのだろうか?
男よりゆうに頭二つ分は低そうな小柄な体躯に、年若い少女達が好んで着ていそうな短いスカート。
男と同じく顔はよく見えないが、あの二人がこんな真昼間に並んで歩いていれば、周囲に違和感を振り撒くことは確実で、下手したら通報の一つもされていそうだ。
……良いか悪いかイマイチ判断がつかないが、この辺りに警察が来たことはない。
その不思議な二人組の女の方が、いっそ不躾なほど「セイ」を見ていた。
顔のわからない距離だといったが、彼女の視線がひたすらセイを見つめているのは明らかだった。
……だが、セイのいる窓はとても顔を覗かせるほどには開かず、あの距離ではセイの歌声も届かないだろう。
なのに、セイを見つめ続ける女に、僕は嫌悪感を募らせていった。
それから更に数日経って、僕は恐ろしい事に気づいてしまった。
セイは 部屋に 監禁されているのでは?
出会ってからこちら、セイは一向に外に出ている気配がない。
終業後、隣のビルの入り口でセイに会える事を期待して待っていた事もあったが、全て待ちぼうけを食らっていた。
だからこそ、彼女は自分の意思で僕に会いに来れないのではなく、何らかの酷い行いの果てに、僕に会いに来られないのではないかと思い至ったのだ。
だったら僕のなすべき事は一つだけで。
囚われの彼女を救うべく動き出すだけだ。
塔に囚われた姫を救うべく、幾つかの武器を調達して家路を急いでいると、そんな僕を妨げる存在が現れた。
既にとばりが降りきった夜道。真っ暗な道は影もささず。
生憎他に人の気配はない。
そして僕の前に立ち塞がる僕以外の存在。
それは僕と彼女を脅かす例の二人組だった。
「よぉ。……なぁ、考え直さねーか?
……どう考えても今のお前さんまともじゃねーよ?」
うっすらと無精髭の生えた口から、訳のわからない言葉が紡ぎ出される。
「なにをいってるんだ?」
唐突な男の言葉に、心底意味がわからない。
「だからよぉ、もう関わるなって言ってんの。
じゃないと……お前ヤバいぞ?」
言いたい言葉が色々脳内を巡る中、僕は無言で駆け出した。
奴らは特に追いかけて来なかったが、横をすり抜けた瞬間聞こえてきたのは、どこか甘ったるい声の……「ヘタクソ」だった。
そして僕は……。
彼らとの会合でもはや一刻の猶予もないのだと突きつけられた結果。
「セイ」が閉じ込められている部屋の前に立っていた。
周囲を全く気にせず、持ってきた武器を扉に叩きつける。
何度めかの挑戦で、ドアノブは壊れ、ぷらりと玄関ドアを後にした。
開いた彼女へと繋がる希望の穴へ手を入れて鍵を外せば、彼女まではもう……すぐだった。
逸る心を抑えて、彼女がいつも佇んでいる窓のある部屋へと向かう。
カタカタと震える指先を叱咤しながら開いた扉の先には……。
彼女がいた。
いつも見ている美しい色の髪に黒目がちな瞳、紅く染まった唇は美しい弧を描いていて。
いつもの窓からはけっして見えなかった彼女の身体はストンとした白のワンピースに包まれていて。
膝丈の裾から覗く足は……これまた白い羽毛に覆われて、足の先には可憐な爪先……ではなく、大きな猛禽類のような曲がった爪が生えていて……。
「……は?」
呆然とする僕に、ニンマリと嗤いかけ、一歩一歩と彼女が僕に近づく度に、鋭い鉤爪が床板を叩く。
「……は?」
あっという間に距離を詰められ、美しく弧を描いていた唇が耳元まで裂けていく様を、そのまま大きく開かれた口の中を至近距離で見ることになって……。
「……あ」
僕はナニカに勢いよく突き飛ばされた。
耳元でガチンと鳴ったその音が、美しい歌を紡ぐ、僕を食い殺そうとしたセイの口から発せられたのだと、気づいて仕舞えばもう……。
「ひっ……あっ……」
ずるずると床を後退する毎に舞い上がる埃達は、ここには長く住んでいる住人がいなかった事を告げていて。
だったら……だったら彼女はいったい……。
「なぁんだ。何かと思えばセイレーンじゃなぁい」
「だから言ったろう? もう関わるなって」
セイに一片の興味も湧かないと存外に告げた声は甘く、呆れたように僕に投げられた言葉は、さっきの男の声だった。
そこからはもう何が何だか分からなかった。
美しい顔をバケモノのように変化させ、二人に襲いかかるセイ。
その背にはいつの間にか美しい羽が生えていた。
そして、セイの攻撃を躱しながら、徐々にセイを追い詰めていく二人組。
女の方の、いつの間にか伸びていた鋭い爪が、セイの白いワンピースを切り裂き、胸元を切り裂いた瞬間、僕は叫んでいた。
「やめろっ! やめてくれっ! いったい彼女がなにをしたって言うんだっ!」
僕の必死の叫びに返ってきたのは……。
「えー? 男を誘い込む歌を歌ってぇ、ものの見事に男が釣れてぇ、ディナータイムに突入しようとしてたぁ……かな?」
どう? と隣の男に投げかける女と、それに深く頷く男。
「だいたい合ってんな。それにしてもまさかセイレーンがこんな陸まで上がってくるとはねぇ」
「人間も魔物も食糧不足は深刻なのよ」
あたしは平気だけどーと意味ありげに隣の男の首筋を撫でるその行為は、女の見目からすれば随分と卑猥に見えた。
だけど……。
「だ、だったら何も殺さなくたっていいだろう?」
僕の言葉に、そうだそうだと美しいハミングで返事をくれるセイに、一層の愛しさが募る。募っていく。
「そーゆー訳にもいかんのよ。魔物一匹見たら影に五十匹はいると思えっていうし、人間喰われるの寝覚め悪いし」
「やーねぇ、それじゃ黒いアイツじゃん」
ガッとセイが力一杯振り下ろしたはずの鉤爪はいとも容易く女に受け止められた。
悔しげに裂けた口元を歪めるセイを見て、僕は立ち上って走り出す。
「だったら! 一緒にっ!!」
セイのお腹の辺りにタックルを決め、そのまま窓ガラスへぶつかっていく。
上手い具合にガラスの割れた窓から二人身を踊らせて。
セイと共に空へと飛び出す。
ふわりと体を包む浮遊感に身を任せ、僕はセイに微笑む。
「君が死ぬなら、僕の手で……死んで?」
一緒に死んであげるから
そう言って抱きしめたはずの手はあっさりと空をかいた。
そしてバサリと響く羽ばたきの音。
そして僕は……。
「あーあ、死んじゃったぁ。せっかく助けてあげようとしたのにねぇ」
「……魔物に魅入られていたら、そんなもんだろ」
カチリとライターを叩く音がして、ぽわりと赤い火が灯る。
ゆるりとたなびく紫煙は、真っ暗な夜空へと吸い込まれていく。
「ねぇ? ところで頑張ったからお腹空いたんだけどぉー」
「あん? お前今日何かしたっけ?」
紫煙の行方を追っていた男の視線が下へ向かうと、少女の真っ赤な瞳が不満の色を燻らせていた。
「……へぇへぇ、どうぞ?」
シャツのボタンを外して首元を緩めた男が自らの露わになった首筋を少女へと差し出せば、嬉しげに目を細めた少女が男の首に腕を回して、顔を近づけて、その首筋に向かって……。
「ッ……!」
最後までお読みいただきありがとうございました!
あまりにアレなんで少し解説すると。
この世界は現代社会の中にいわゆる魔物と呼ばれるモノが混ざり込んでいるところです。
魔物達は時折表に姿を表して悪さをするので、後半に出てきた二人組のような、いわゆる魔物狩りをお仕事にしている人もいます。
お話の中の男女は、男の方が人間で少女の方は吸血鬼です。
少女の方が男の美味しそうな血に誘われて襲いかかったところ、男に返り討ちにされて、なんやかんやあって魔物狩りのバディを組んでる感じです。
Qこの話続きはあるの?
A予定は未定ですー(逃っ
改めてお読みいただきありがとうございました!