第2話 覚醒
「石山くん…逃げて!」
「逃がすかよ!」
そう言って胸ぐらをつかみに来た上級生。
咄嗟にランドセルから引き抜いたリコーダーを小太刀代わりにして、彼の左手首を内側から素早く叩く。
「痛てっ!」
そのまま回転して背中から相手の懐に入り、みぞおちに突きを入れる。
「グッ…」
接近が危険と判断したのか、右から別の男の子が回し蹴りを放って来た。
これを左腕で受け止め、その右足の脛をリコーダーで薪割のように叩く。
「アァ~!!」
直後にしゃがんで、後ろから羽交い絞めにしようと接近して来た男の腕をかわし、同じく彼の左足の脛を打ち、振り返りざま、下がって来た男の顎を下からかち上げた。
痛みでしゃがみ込む上級生たちを上から見下ろし、逃がそうとした同級生の鈴本くん…だったと思うが
「めっちゃ強いじゃん…」
「いや、3人の上級生の暴挙から身を守っただけ。ここが大事!」
「ぼうきょって…」
その後、歩きながら聞いたのは、タワーマンションの住人に対して何かと絡んで来る6年生のグループだそうだ。
駅に近づいたところで、2人は学習塾に来たことを知った。
「石山くんは塾には行ってないの?」
「うん、じゃ~ね」
どうやらみんな塾に行ってから自宅に戻るようだ。
俺はここから直角に曲がって、マンションに戻る。
そういえば、自分自身の事も『僕』から『俺』に変わっていた。
感覚的に『僕』では子供じみて違和感があるが、そうは言っても小学生だ。
冷静に考えて、対外的には『僕』、中学からは『俺』または『自分は』が良いだろうか…。
それにしても、自分の体が自然に相手の動きを察知して、反射的に対応した事には自分でも驚いた。
しかし一方で、当然という気持ちもある。
今は自分の事を武士とは思っていないが、少なくとも子供ではない。
ともかく、寺での雑巾がけで、体を鍛える事ができていたのが幸いした。
床の雑巾がけが足腰に効くのはもちろんだが、柱の雑巾がけは腕に効く。
寺に引っ越した最初のころは、少しの作業で、手も足もパンパンになっていた。
帰り道での襲撃事件を受けて、護身術として合気道の道場へ通いたいとお願いした。
祖母は賛成してくれたのだが、父は成績次第で許可してくれると言う。
しばらくは成績向上に努める事にしよう。
音楽を担当する先生から、ブラスバンド部に勧誘された。
言われた通り放課後に見学に行くと、大型のチューバという重い楽器を持って行進できる生徒がいないので、その楽器の担当をしないか、という話だ。
そこまではまだ良かったのだが
「メロディは滅多になくて、リズムを刻むのがほとんどだから君でもできる」
と、体力だけを評価されたらしい。
(バカにするな)
「え~と、僕、音楽には興味がないみたいです」
先生からの視線がきつい。
断り方を間違えたのだろうか…。
図画工作の授業も、絵以外には全く興味が湧かなかった。
鳥小屋を作れたからと言って、褒められてもな~。
だけど、寺の絵を描かせると真剣になる。
仏像もそうだ。
絵心は全くないのだが、それなりの絵が描けた。
先生が言うには、まるで水墨画みたいだと。
休校日に美術館に行ってみた。
本当の絵を見てみたかったからだ。
僕が気に入ったのは宗教画だ。
神という事なら、乳房を描いてもOKらしい。
小学校4年生が女性の裸の絵をじっと見ている姿を、周囲はどう思ったのか…。
ベレー帽のお爺さんが隣に来て
「この絵が気に入りましたか?」
と聞いて来た。
「お母さんもこんな人だったのかな?と思って…」
父は官僚だそうだ。
海外に留学に行って日米ハーフの母と恋愛結婚したそうだが、生活習慣(文化)の違いは大きく、破綻したのだと祖母から聞かされた。
単なる言い訳のつもりで吐いた言葉だったけれど…寂しさがこみ上げてきて、泣いてしまっていた。
(この身体のどこかに、まだ母を求める気持ちがあったのだと思い至った)
このお爺さんに連れられて、喫茶コーナーでジュースを奢ってもらった。
少し話をして、一人で美術館に来た事に驚いていたようだ。
正体不明の感情に涙を流して、スッキリした事もあり、その後すぐに家に戻った。
東京で夏休みを迎えた。
田舎であれほど好きだった手持ち花火だが、東京では打ち上げ花火が見られる。
その代わり、東京は夜でも暑い。
滅多に見ないTVで花火大会の中継放送をすると知り、祖母と2人で見た。
こういう時には、TVでいいと思った。
祖母と仲良くする僕を見て、父が学習塾を勧めてきたが、断った。
代わりにパソコン教室に行きたいとお願いした。
奈良の奥地にいた僕には、携帯でさえ持たされていなかったからだ。
「わかった」
と珍しく笑顔の父。
夏休みの間にパソコン操作だけでなく、構造についても勉強をした。
CPU、GPU、メモリー、デバイス、OS、TCP/IPネットワーク…。
夏休みが終わる頃、PCショップでのPC組立を経験し、自分用のPCを手に入れていた。
父は、勉強以外に興味を示さない僕に懸念を持っていたようで、電子工作のための部品購入に、制限の付いたカード利用を認めてくれた。
おかげで秋から冬にかけて、電子工作キットに夢中になった。
ハンダ付けも、ICチップの交換も上手にできるようになった。
論理回路などというものも、それなりに理解できた。
春になり、5年生になったが友達はいない…が、不自由はない。
ネットワークの世界では、父の年齢やカード番号で大人として活動できるからだ。
電子工作に飽きた頃、インターネットでさまざまな情報に接する機会を得た。
中でも資産形成講座という金もうけに興味が湧いた。
だけど、これは俺に許されたカード決済金額では申し込みが出来ない額だった。
そこで父に相談して、父から申し込んでもらった。
この時も父は嬉しそうにしていた。
お金を使う話なのに…なぜか不思議だ。