酒場の偽勇者(濡れ衣)
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勝手知ったる小さな村の中のこと、あとを追うのはおっとりしたナイでもそれほど苦ではない。教会も道具屋も武具屋も、そして目的地である村に一軒しかない酒場兼宿屋も、全て同じ通りに面しているのだ。本当に小さな小さな村だった。
ナイが息を切らして明かりの灯されたばかりの酒場の扉を開けると、
「――ちょっとアンタっ、勇者さまじゃなかったのっ?」
馴染みの酔客に混じって、見慣れぬ青年剣士とシシィが言い争いの真っ最中だった。カウンターに頬杖をついた青年剣士は、シシィの激昂などどこ吹く風とばかりに麦酒の杯をあおる。杯を持つ二の腕は日に焼けて逞しく、筋骨隆々としている。
「それはアンタが勝手に勘違いして、じゃんじゃん酒を出してきたからだろう?」
シシィの淡い銀髪とは異なり、青年剣士の刈り入れ時の麦の穂のように濃い金髪がわずかに襟足に掛かり、瞳も同じように深い青色の、ほれぼれするような美丈夫でもあった。ちなみにシシィの瞳はエメラルドの緑である。
しかし、よく使い込まれたいぶし銀の鎧や凝った細工の鞘に収められた長剣は、それだけではない、実践で鍛え上げられたある種の風格を青年剣士に与えていた。
ナイがこっそり職業的視覚で覗いてみると、身に着けた鎧も長剣も特注のようで算定不能、職業欄もただの旅の剣士としか記載されていなかった。自分の習熟度では見透かせない、隠された情報の気配がする。不意に状態を覗かれていることに気付いたとでもいうように、青年剣士はナイを一瞥してニヤリと笑った。
「んですって! 違うのなら違うって、言ってくれればいいじゃないっ!」
酒代を払えと言い寄るシシィは、ナイのような職業的視覚を持たない。
相手の健康状態を調べたり、道具や武具を鑑定するといった必要がないからだ。どうやらシシィは青年剣士の見た目や雰囲気で勝手に勇者だと勘違いして、酒をガンガンおごってしまったらしい。あとの祭りだった。
「大体、勇者が最初っから、俺みたいにそこそこの剣士なわけがないだろ?」
また杯をあおり、ぷはーと酒臭い息を吐き掛ける青年剣士に、先ほど武具屋のロブが傷をつけたシシィの堪忍袋の緒が、ついにはじけ飛んでしまった。
「このぉ、腐れ剣士がぁ!」
そう一声残して、シシィがカウンターの青年剣士に掴み掛かったのだ。不意を突かれたのか計算ずくか、青年剣士は勢い余ってシシィごと床に転がり落ちる。
「ひゅーひゅー、そんな若造やっちまえ、シシィちゃん!」
普通の喧嘩なら賭けが始まるところだが実力の差は歴然――青年剣士の勝ちに決まっている――周りの酔客達は全員シシィの味方をして、いたずらに囃し立てるだけだった。シシィに馬乗りにされ一方的に殴られている青年剣士はまんざらでもないようで、まるで何かのご褒美みたいにニヤニヤしている。
とはいえ、カウンターの奥から困り顔を覗かせた無口な親父――シシィの父親――と目が合ってしまい、ナイは仲裁に入らないわけにはいかなかった。
「シシィ、なんだか喜んじゃってるみたいだから、止めようよ!」
――そうか、勇者さまは未熟でいいんだ。激昂する幼友達の柔らかい身体を羽交い締めにしながらも、ナイはこの青年剣士の言葉に不思議と納得していた。
半人前だからよわよわでもいいのだ。駆け出し勇者でも経験を重ねていけば、いつかは青年剣士のように格好良く強い勇者になれるに違いない……たぶん。
そしてナイは、二階の宿屋の一室で寝込んでいるだろう勇者に思いを馳せた。
大猫に支えられるようにして、村の門をくぐった傷だらけの細っこい背中――。
思わず二階に上がって介抱してあげたい衝動に駆られるナイだったが、慌てて妄想を追い払いシシィを抱える腕に力を込めるのだった。