勇者様を探して
ナイは準備のために一度、道具屋へ戻った。
手当たり次第に丸薬を詰め込んでパンパンになった皮の薬袋を、もはや気休め程度になってしまった魔除けの鈴と一緒に晴れ着の腰に革帯で結び付ける。
そして及ばぬまでも、何か得物を借りようと隣の武具屋の扉を押し開けると、ランタンの光を浴びて暗い店内にさまざまな武器、防具のたぐいが浮かび上がった。
ナイは店の入り口の大鎧に立て掛けてある、ロブが若い時に使っていたという鉄槌に手を伸ばす。どうせならこれぐらい持たないと駄目かもしれない。
ナイは魔物討伐用の筋力を上昇させる薬を取り出し、一気に噛み砕く。
「――そいつは、ナイちゃんには持てねぇよ。どうせなら、杖かナイフを」
ナイのすぐあとに店に駆け込んできたのはロブだった。ロブの顔には明らかな憔悴の色が浮かんでいる。ロブ自身も武器を取りに戻って来たのだろう、手塩にかけた力作を葬るために。いまはロブを追求するのは止めようと、ナイは思った。
「そんなんじゃ、ダメなのよ」
そう言ってナイはおもむろに白手袋のまま鉄槌を掴むと、軽がると肩に担いで見せる。オヤジはあんぐりと口を開けた。
「そっ、それは鋼鉄の槌だぞっ? 俺だってもうよく振り回せないのに……そうか、薬を使ったんだな。いけねぇよ、ナイちゃん。アレはあとでもの凄い反動が」
それには答えず、ナイはロブのひとつきりの目を見詰めてはっきりと言った。
「私、北の祠まで勇者さまを呼び戻しに行って来ます。それまで持ちこたえてくれるよう、みんなに伝えて下さい!」
「なっ、ナイちゃん……俺のせいで……」
オヤジは一瞬泣きそうな顔になる。
しかし、何とかこらえ、代わりにナイの小柄な身体をぎゅっと抱き締めた。父親の分も、母親の分も入っているような力強さだった。
「ロブおじさん、筋力が上がってても痛い」
「おおっと、すまねぇ。こんな状況だが無理はしないでくんな、ナイちゃん……」
「あと、店に置いてある丸薬、全部使っていいから広場に持って行って。司祭さまも治癒の力がおありになるだろうけど、腕前がどの程度か存じ上げないから」
「ああ、わかった」
ロブを置いて店の外に出たナイが夜空を見上げると、広場の上空が色取り取りの光に染まり、そのたびに人々の悲鳴が聞こえてきた。ナイは鉄槌を肩に担ぎ上げたまま、日曜礼拝どころではない真剣さで、強く祈る。
――天と地と人をおつくりになった創世の女神さま。みんなをお守り下さい。
そして、ナイは大猫と共に、北方の色濃い闇に飲み込まれていった。
*
コトリ村を出て北の荒れ野へ、時間にして半刻(一時間)ほどが経過した。
北の祠の周りをぐるりと囲む毒の沼の手前で、ナイと大猫はようやく足を止めた。
大猫が道案内をしているため、この暗闇でも迷うことはなかった。
教会で聞いた夜間の魔物は気が荒いという情報は本当で、荒れ野に途切れ目無く続いている魔物の屍を追っていけば、おのずと勇者の元まで辿り着けるだろいうというぐらい、死屍累々の死山血河である。
「さて。どうやって渡ればいいかな」
沼といいながらも、深さがふくらはぎの半ばまでしかないことは、あらかじめ教会での非常呼集の時に聞いている。しかしながら、こうやって沼の周りにいるだけでも、漂う毒気に気が遠くなりそうだ。ナイは汗ばむ額に貼り付く亜麻色の髪を払い除けてから、ランタンの油の消費を防ぐために火を細めた。
ナイは魔物の返り血を浴び、黄ばんだ程度だった晴れ着はいまや血みどろに染まっていた。理由を知らぬ冒険者と出会えば、少女の擬態をした魔物だと勘違いされ挑み掛かられても、文句が言えないようなありさまだ。
頭の隅で、血って洗っても落ちないのよねぇとか、絶対に明日は筋肉痛になるわ――などと思いながらも、背後から忍び寄っていた魔物を全方位に展開した職業的視覚で感知し、ノールックの鉄槌で一撃の下に葬り去る。
カニの形をした魔物は甲羅を潰し、泡を噴きながら毒の沼に没した。職業的視覚がこのような使い方も出来たとは、今日の今日まで知らなかったナイである。
「がうっ!」
お見事と言うように大猫が吠えた。鉄槌などよくも素人の自分が使いこなせるものだと思ったが、重さを感じ始めるとすぐに薬の重ね掛けならぬ重ね飲みをし、あとは職業的視覚を常に働かせ、迫り来る魔物の気配を捉えた段階で殴り付けることにしているのだ。禁忌のてんこ盛り状態なので、やはり目と脳がとても疲れる。
「それにしても勇者さまったら、祠の奥まで行ってしまったのかしら」
村までの往復の時間を考えると、ナイは頭が痛い。
村人とマシューがアンデッドキメラとやらを倒してしまう分にはともかく、自分達が村に戻った時にはすでにみんな倒れてしまっていたとしたら――。
「いいえっ、そんなことないっ!」
ナイは一瞬、脳裏をかすめた嫌な想像を、慌てて首を振って打ち消した。
「……くぅ……」
気が付くと大猫が切なげな声を上げ、落ち着かなげに沼の縁を行ったり来たりしている。思い切って沼に前足を突っ込もうとするが、身体の汚れを極端に嫌う大猫には出来ないのか、慌てて引っ込めてはまたうろうろとし始める。
「どうしたの、クロちゃん…………はっ!」
ランタンの炎を強めて掲げると、ちょうど沼と中ほどに小さな塊が見えた――。
ナイは考えるよりも先に鉄槌を投げ捨て、毒の沼に飛び込んでいた。木靴を履いた足はすぐに膨ら脛まで毒水に浸かり、痺れるような寒気が這い上がってくる。
「……あとで毒消しを飲めば、平気よ……」
泥濘みに足を取られ思うように進めぬナイがどうにかその塊まで近付くと、案の定、片膝を毒水に沈めて座り込む勇者の姿があった。その周りには最後の力で打ち倒したらしい、手足の生えた魚のような魔物が数匹沈んでいる。ナイは意識のない勇者の身体を薬のおかげで軽々と背負い、大猫が待つ岸へ戻った。
「勇者さまっ、勇者さまっ!」
ナイは勇者を岸に横たえた。呼び掛けに反応はない。ナイは急いで手袋を脱ぎ捨て、両手で勇者の頬を挟み込んだ。そして職業的視覚で勇者の状態を確認する。
大猫は再会の喜びを伝えるために擦り寄りたいようだが、汚れがうつるのを恐れてか、二人の周りをうろうろとするばかりだった。
そのうちに、気を落ち着けるためか身繕いを始めてしまった。
「……危なかった……」
体力は残りわずか。猛毒に麻痺に混乱、勇者の身体はありとあらゆる状態異常を引き起こしていた。意識が無いのは戦闘終了間際に睡眠攻撃を受けたせいだ。命の火が尽きなかったことを、ナイは創世の女神に感謝せずにはいられなかった。
だが、このまま意識が戻らねば丸薬を飲ませることも出来ない。
水薬ならまだしも、おぼこのナイが固形物を飲ませる方法――離乳時の赤子に食事を噛み与える等――に思い至らなかったのは、無理からぬことだった。そもそも母と幼子の関係でもない。
ナイは両手に挟み込んだ勇者の頬からぬくもりが消えていくような気がして、必死になって創世の女神に祈った。
「女神さま、今まで教会でシシィとお喋りてて、すいません。あと、ロブおじさんを教会に連れて行けなくて、ごめんなさい。これからは、日曜礼拝だけじゃなくて朝昼晩食前食後、気が付いた時にはいつでもお祈りします。だから、だから――」
ナイはなおも祈り続ける。一生涯、両手が夜の闇より魔物の血よりもドス黒くなるまで薬を煎じ続けるので、先に一生分の癒しの力をこの手に宿して下さい――。