アンデッドキメラの蠢動
*
取り敢えずナイは、シシィもマシューも視界に入れないよう両手で顔を覆ったまま器用に窓まで歩き、開け放った鎧戸の向こうの騒ぎを見下した。
そして、広場で繰り広げられる光景に目を見張る。
「――――――」
広場に設えられた舞台の上には、似せ物師ロブが丹精込めて作った魔王の似せ物が置かれていた。いや、それはまるで生命あるもののように――生命と言っても闇の生命だが――無数の頭を鎌首のようにもたげ、不気味に揺れ動いていたのだ。
人々の避難が遅いのは、最初はただの祭りの演出だと思っていたのかもしれない。しばらく経ってから異変が起きたことに気付き、慌てて広場から逃げ出している最中のように思われた。
魔王の似せ物は、まるで仮初めの生を得た喜びを体現するかのように、それぞれの頭の口からさまざまな攻撃を放っていた。
ある頭は緑色の粘液を吐き出して逃げ惑う人々を地に貼り付かせ、別の頭は紫色にけぶる毒霧を吹き出し動けない人々を猛毒で侵した。
また別の頭は炎で周囲の民家を焼き、その隣りの頭は猛吹雪のような氷を辺りに撒き散らし――と、全属性でやりたい放題の大騒ぎである。頭の数だけ違う攻撃を放ってくるだけに、たちが悪い。
その異様な物体の、見ているだけで気分が悪くなるような尋常でない量の魔の気にあてられたナイは、自然と我が身を抱き締めていた。
いつだったか聞いたロブの台詞が、ナイの頭に甦る。
――すごい。でもどうしてそんな中途半端な数なの?
――それは、百本になると、似せ物が本物の魔獣になっちまうからさ。
その時は自分をからかっているものとばかり思っていた。
そうでなくても、魔物集めに熱中し過ぎがちな似せ物師達を戒めるための決まりなのだろうと思っていたのだ。似せ物師ロブは九十九本では飽き足らず、禁忌を破って百本の首を生やしてしまったのだろうか。
「ナイちゃん。あれは、ただの張り子の似せ物なんだろ?」
衣擦れの音をさせる――下着を身に付けている――マシューの気配に、ナイは振り返らずに答えた。
「そうよ。ロブおじさんが、魔物の皮を剥いで繋ぎ合わせて作った剥製なの。鉄の骨組みに薄い板を貼り付けて、その上に皮が被せてあるだけなのよ。私、ずっと製作工程を見てきたもの――」
それを聞いて、マシューは舌打ちした。
「なんてこった……マミー、いや、アンデッドキメラっつーことか。しかし、なぜ? この村には魔王に魂を売った魔術師でも棲んでいるのか?」
アンデッドキメラ。
聞き慣れない、魔の気をおびた禍々しい名前にナイは首を横に振った。
村に魔術師などいない。もちろん、元冒険者のロブに魔術を操る力などあるはずもない。あるのは、作品に対する情熱と言うか情念だけだった。
魔獣化するのに単に魔物が百体集まればいいだけなら、これまでに何処かで発生していそうな怪異である。まさかロブが心血注いだ似せ物に、魔王の封印が解けて強まった魔の気が集まったとでもいうのだろうか。ナイにはわからない。
「ここはひとまず、俺が食い止める。ナイちゃんは、その辺の隅に隠れて震えているあの小僧を呼んで来てくれっ!」
夜具をまとって寝台を降りたシシィは手早くマシューに鎧をかぶせ、慣れた手付きで留め金をとめていく。二人の関係が、だいぶ前からであることを思わせた。
「勇者さまを?」
マシューは確か、勇者の助っ人を断ったはずではなかったか。首を傾げるナイに向かって、マシューはニヤリと口の端を歪めてみせた。
「あんな奴でも、いないよりはましだ。それに、俺が一人で倒しちまったら、奴さん経験値を貰いはぐれちまうじゃねーか?」
そして、見ている方が切なくなるような短い口付けを恋人と交わし、マシューは長剣を背負って部屋の外へ飛び出していった。
マシューが転げ落ちるように階段を駆け下りていく音を聞きながら、
「すぐに、いなくなっちゃうって、シシィ言ってたじゃない、どうして……」
シシィはひとつだけ年上とは思えないような、謎めいた女の笑みを浮かべて、
「私、初めては行きずりの男が良いって、ずっと言ってたでしょ?」
「それは……そうだけど……」
――でも、一夜限りの関係じゃないよね? 結構本気で、好きっぽいよね?
星屑のようにきらめく銀の髪と濃い麦穂のごとき金の髪。エメラルドに輝く瞳と、夏の空を映したかのような濃い青の瞳。
改めて考えれば、マシューとシシィの組み合わせほど様になるものはない。
自分の乙女心に振り回されていたナイは、シシィにまで気が回らなかった。この蓮っ葉な幼友達は、最初から酒場の剣士に恋をしていたのだろうか。酒場での突き放したような言葉の応酬も、全て愛情の裏返しだったのかもしれなかった。
「アンタは急いで勇者さまを探してらっしゃい」
「でも、ずっと探しているけど、どこにもおいでにならないのっ!」
もう一度窓の下を見ると、村の自警団員に混じったマシューが、アンデッドキメラと対峙している様子が見えた。その中に小柄な勇者の姿は見受けられない。
「勇者さまがどこに行ったのか。アンタなら、わかるはずよ」
「そんなこと言ったって……あっ!」
――女の子とブラッディパンサーに頼っているようじゃ、先が思いやられるなぁ。
昨夜、酒場で勇者がマシューに言われたことを思い出す。ナイがはっとしてシシィの顔を見上げると、幼友達は行ってこいというように力強く頷いた。
「行こう、クロちゃん!」
ナイは部屋にシシィをひとり残し、大猫を従え酒場の階段を一気に駆け下りた。
まさか勇者はたったひとりで北の祠に行ってしまったのだろうか。長年の相棒である、ブラッディパンサーすら置き去りにして――。