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誰も、どこにもいない

 

 

 日が落ちて、すべての家々の軒先にはランタンが吊るされ、夜空の星が舞い降りたかのように厳かに辺りを照らしている――。

 しかし、村の広場へ続く大通りは、そんな静かな印象とは無縁だった。

 篝火が焚かれ、村人の数が倍にも膨れ上がったかのように――実際に村人よりもよそ者の方が多いぐらいだ――人いきれでごった返していたのである。


 人垣の向こうで旅の踊り子が華麗な足捌きを披露しているかと思えば、流しの吟遊詩人が古の勇者の英雄譚を歌いながら弦楽器をつま弾き、酒場兼宿屋からハーブをたっぷり使った祭りの日だけの特別な料理の香ばしい匂いが流れてくる。

 そして、地面にじかに布を引き、乙女心を(くすぐ)る紅や装身具を並べている旅の小間物屋の品揃えに少しだけ惹かれつつも、ナイは喧騒の中を足早に歩いていた。


 ナイは白い布地の袖や襟ぐりに色鮮やかな刺繍を施した晴れ着をまとっていた。

 亡き母親のお下がりのため、この暗がりならばともかく、日のもとにさらせば黄ばみや刺繍のほつれが目立つ年代物である。例年ならば家から出れぬほど気に病む問題だったが、その時のナイはそれどころではなかった。


 勇者ライルともう一匹の姿を探して、ナイは祭りの広場を彷徨っていたのだ。


「本当、どこ行っちゃったんだろう。あんなに目立つのに……」


 だいぶ探し回っているが、勇者どころかシシィやマシューの姿すら見当たらない。視野を広げてみれば、広場の中央で焚かれた篝火に浮き上がるのは、数え切れぬほどの首を生やした異形の怪物だった。昼間、分解して運ばれてきた魔王の似せ物が先ほどようやく組み上がり、異様な迫力でもって辺りを睥睨していたのだ。


 見物に集まった人々は押し合いへし合いしながら、微動だにしない魔王の似せ物を仰ぎ見ていた。武具屋のロブがその傍らで胡座をかいて麦酒を煽りながら、見物人に講釈を垂れているようだった。感慨無量なのだろう。


 その夜は、魔王の似せ物のお披露目もかねた前夜祭であった。

 ちなみにお祭りの日程だが、明日の一日目は似せ物を村中引き回して魔の気を吸い取らせる。二日目は寸劇が行われ、似せ物は勇者をギリギリまで追い詰めるが倒されてしまう。祭りが最高潮に達した三日目の夜には、魔王の似せ物は吸い取った魔の気を払うために燃やされてしまうのだ。その間、男衆はずっと飲みっ放しである。似せ物師ロブの力作は、それまでの儚い命だった。


 ここに限らず、あちこちで――王都から鄙びた寒村まで――行われる夏祭りは、豊かなる実りを創世の女神に言祝ぐための豊穣祭である。

 そして、千年前に魔王を封印し人々に平和をもたらした古の勇者にも、安心して農作物を作ることが出来る喜びを女神と同じように感謝するのだった。


「やっぱり、待ち合わせにすればよかった」


 ナイは心底後悔した。村人自体はそう多いものではないが、夏祭りを目当てに、観光客だけでなく旅芸人や行商人、行きずりの冒険者なども集まってきていたのだ。それだけでなく、他村に嫁いでいった者や領都に奉公に行っていた者が暇を貰って戻ってきたり、知る人ぞ知る似せ物師ロブの作品を見たいがために、わざわざ遠方からやってくる似せ物愛好家もいるぐらいなのだ。


 村の広場は、普段では想像できぬほど集まった人々の身体から出る熱や湿気により、うだるような蒸し暑さになっていた。




「やっぱりあそこしか、考えられないわ」


 ナイはほつれ掛かる亜麻色の髪を額に撫で付けてから、きびすを返して酒場兼宿屋に向かう。あらかじめシシィの父親に勇者の不在を確認してから探し始めたのだが、出掛けて行ったのは別の宿泊客で、見間違えという可能性もある。そんなことを考えながら、ナイは酒場の扉を開けてすぐ傍にある階段を上がった。


 風の具合か、旅芸人達の弦楽器の調べと太鼓の音が大きめに聞こえる。もはや踊っているのは旅芸人だけでないだろう。盛んに囃し立てる声が聞こえてきた。


 板張りの廊下が、みしりと鳴る。

 外とは打って変わり、酒場兼宿屋の二階は奇妙なほど静かだった。


 勇者を探しているのは、暗がりで晴れ着姿が見せたいという一見相反する理由だけではないと、ナイは言い訳のように乙女心に言い聞かせる。


 手付かずの財宝が眠る隠された迷宮の情報や、古の勇者の武具の情報が手に入るのは夏祭りの間だけなのだ。ここで逃したら、来年の夏祭りまで知ることが出来ないと、日曜礼拝で司祭が徹夜明けの血走った目で語っているのを聞いたのだ。


 これは、是が非でも勇者に聞かせなければならない――ふと、カリカリと何かを引っかくような物音に、ナイは耳を澄ました。

 板張りの廊下の奥、ちょうど勇者が滞在していると聞いていた部屋だった。


「はっ、まさか?」


 とっさに、衰弱死し掛けて痩せ衰えた武具屋のロブの姿と勇者の姿が重なり、ナイはノックもなしに扉の取っ手を押し下げる。鍵は掛かっていなかった。


「――――!」


 扉の隙間から出てきた一陣の黒い風のような何かに飛び掛かられたものだから、ナイは思わず尻餅をついてしまった。


「クロちゃん? あなたのご主人さまはどうしたの?」


 何かの正体は大猫で、ナイの身体に顔を擦り付け甘える。

 まとわりつく大猫を宥めて真っ暗な部屋を覗き込めば、寝台にも何処にも勇者の姿はない。ナイはひとまず胸を撫で下ろした。よく考えれば昨日まで元気だったのだから、衰弱死もなにもないだろう。ナイは苦笑しながら部屋の扉を閉めた。


「でも、クロちゃんを置いていくなんて………え?」


 廊下で考え込むナイの耳に、絶えず流れていた旅芸人の音楽が途切れた。

 そして入れ替わるように、人々の悲鳴が聞こえる――。


「えっ、えっ?」


 足元の大猫は、何故か怯えたように落ち着きの無い様子でウロウロしている。

 まだ前夜祭なのに、早々と酔っ払いでも暴れているのだろうか。廊下に窓はなく、外の様子はわからない。ナイが躊躇していると、


「――なんだこりゃあ?」


 聞き覚えのある男の声に、ナイは救われたような気持ちで隣りの部屋の扉を開け放った。それは見知らぬ冒険者ではなく、あの酒場の剣士マシューの部屋だった。


「………………」


 扉を開けてすぐナイの目に飛び込んできたのは、大通りに面した鎧戸から外を覗き込む、一糸まとわぬマシューの後ろ姿だった。実践で鍛え抜かれた無駄のない背中の筋肉に、魔物の爪跡だろうか無数の白い筋が走っている。マシューにも駆け出しの頃があったのだろう、だが見たのは一瞬で、ナイはすぐに目を逸らした。

 平常心、平常心。上半身だけなら、全身から湯気を出す半裸のロブが分厚い筋肉の腕を振り下ろして金床で金槌を振るう様子を、何度も見てきたから大丈夫だ。


 マシューが開け放った鎧戸の向こうには、ランタンや篝火ではありえない量の光が満ち溢れていた。篝火が倒れ、舞台に火がまわったのだろうか。そして、ナイが逸らした視線の先、空っぽのはずの寝台で夜具に包まっていたのは――。


「ナイ。なんでこんなところに……」


 引っ詰めを解いた寝乱れた銀髪でしどけない姿を晒しているのは、下卑た言葉でいじめっ子共を追い払い、酒場の酔客を手玉に取って有り金搾り取る、幼い頃から姉妹のように過ごしてきた幼友達のシシィだった。


「大変だシシィ、外を見てみろ。化け物が大暴れしてる…………って、なっ、ナイちゃんが、なんでこんなところにっ!?」


 気が付くと、マシューが窓の外を見る以上の勢いで()()()()()()()ので、ナイはとっさに顔を両手で覆った。


 

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