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えぬぴーしーって、

 

 

     *


「どっちに行ったんだろう?」


 大通りとはいえ、右も左もわからぬ真っ暗闇である。空には頼りない三日月が浮かぶばかりで、王都と違って街灯などあるはずもない。ランタンを取りに酒場へ戻り掛けたナイの視界を、ふたつの黄色い光が横切った。

 ナイはぴんときて、ただの猫にしては高い場所にある二つの光に向かって、


「クロちゃんなの? あなたの主はいま、どこにいるの?」


 そう問い掛けると、ついて来いというように村の中央に向かって歩き始めた。

 見失わないように注意しながらあとを追い掛けると、そのうちに広場の真ん中に作られた、夏祭りの寸劇用の舞台が黒々とした小山のように迫ってくる。

 そこまで行くと、不意に黄色い光は消失した。


「クロちゃん、どこなの?」


 広場をぐるりと取り囲む家屋の、鎧戸の隙間から漏れるささやかな光源を頼りに、ナイは息を整えながら辺りを見回した。すると、まだ作り途中なのか長い板を立て掛けてある舞台の縁に、小さな影が足を投げ出して座っているのに気付いた。


 それは村の少年にあらず――勇者ライルだった。その隣りで黄色い瞳の大猫が横になり、舞台の下にたらした尻尾を優雅に揺らしている。


「勇者さま……」


 内心の動揺を押し隠し、ナイは近くまで行ってから勇者を見上げた。

 普段は同じような背丈だが、いまは舞台に座っている分、勇者の頭がだいぶ高い位置にある。道具屋のお客としての対応でもなければ、冒険者に警護の仕事を依頼するのでもない。正真正銘の掟破りだ。でも、かまうもんか。


「道具屋さん……どうしてここに?」


 力なく呟く勇者に、偶然通り掛ったとかクロちゃんに連れてこられて……など色々と言い訳を考えたが、結局、酒場にいましたと正直に答えた。


「そう。情けないとこ、見られちゃったね」

「いえ……」


 勇者と行動を共にするようになってから、基本的に情けない局面の方が多かったような気もするが、ナイは深く追求しないことにした。

 どんな場面であっても、真の勇者に至るための大切な経験には違いない。


「僕はね。小さい時は、夏祭りに回ってくる芝居小屋の、勇者と魔王の劇が好きだったんだ。勇者は絶対に負けないしね。大勢の敵に取り囲まれても、仲間が次々と打ち倒されて魔王と一対一になっても、最後には必ず勝利を収めるからね」


 でもまさか、自分が勇者になるなんて思ってなかったよと、ぽつりと言った。そして、なおも言葉を続ける。


「えぬぴーしーって言うんだよな、ああいうの」


 まったく耳にしたことの無い言葉だった。道具屋は接客業なので、村娘にしては語彙が多い方だと自負していたが、似た言葉すら思い浮かばない。


「ああいうの、とは?」

「僕に、必要なことを教えてくれる役目の人達のことだよ。街の中、不必要にうろうろしてたりするだろ? あっち行けー、こっち行けーって、言ってくるんだ」


 勇者は肩を竦めてみせる。存外に大人びた冷笑的な仕草だ。勇者らしくないともいえるし、新たな勇者の一面を見たといえなくも無い。ナイは後者と受け取った。


「えぬぴーしーとは、女神さまが教えて下さった言葉ですか?」

「ううん、違う。たぶん、前世の記憶だと思う。あんまりはっきりとは、覚えてないんだ。でも、こことは違うところだった、と思う」


 少年勇者は、棒のように細い足をぶらぶらさせながら、


「えぬぴーしーって、分かり切った、同じことしか言わないんだ。そういう人達ばっかりだ、僕に関わろうとするのは」

 ――かと思えば、マシューさんはまったく相手にしてくれないしね、と勇者はひとりごちる。


 ナイは言葉に詰まった。何故だか、酷く悲しくなってくる。

 女神さまの御手として私達のやっていることは、余計なことなのだろうか。お役目を持つ人達ですらそうなら、勝手にお節介を焼いている自分のことも?


「わ、私も……」

「……道具屋さん?」

「では、私も、えぬぴーしー、とやら、で、すか?」


 ナイは言葉が震えるのを押さえられなかった。暗くて本当に良かったと思う。鼻血に塗れて、今にも泣きそうで、さぞかしみっともない顔をしていることだろう。


「道具屋さんは……」


 勇者はふぃと顔を背けた。少し困ったように、下がり眉で。


「道具屋さんは、ちょっと違う気がする。お仕事ですって感じの対応なのに、その割には、なんだかとても、僕達に優しいし」

「なーん」


 舞台から飛び降りてきた大猫に、大きな頭を腰の辺りに激しく擦りつけられ、ナイは押し負け後退る。艶々した額を擦ってやると、ゴロゴロと喉を鳴らした。


「あと、柔らかくて、とっても良い匂いがする……その、北の荒れ地では、介抱してくれて、ありがとう……そういえば、お礼言ってなかったと思って」

「いえ、道具屋の前に、薬草師ですから。当然のことをしたまでです。でも、手は作業で荒れがちですし……それに、薬草臭いだけですよ? 変な色ですし」


 ナイは白い手袋に包まれた手を、そっと身体の後ろに回して隠す。


「僕は好きだな。とても安心する」


 ――薬草、薬草の匂いのことだから! 勘違いしちゃダメ! 釣り上げたばかりの魚のようにビチビチしている生きの良い乙女心に、ナイは必死に言い聞かせた。


「こんな僕が、本当にこの世を救うことが出来るだろうか。よっぽどマシューさんの方が強いし、格好も良いから勇者っぽいと思うよ。僕は勇者失格だな」

「そんなこと、ないです……」


 この世の全てのものの運命は、創世の女神の手の内にある。

 誰しも、なにがしかの役目があるはずだった。ブラッディパンサーや酒場の剣士がこの先の勇者の旅を支えてくれるように。可憐な野の花が冒険者の傷を癒し、しがない田舎の道具屋兼薬草師である自分の手のひらが勇者の熱を取り去ったように――。いや、ナイの場合はまったくの筋書き外ではあったが。

 きっと勇者は弱くても格好悪くても、勇者であり続けること自体が役目なのだと、ナイは思った。


「前世なら、あなたは普通の方かもしれません。今は、酒場の剣士さまに及ばないかもしれない、でも」


 ナイは言葉を一つ一つ区切るようにはっきりと続けた。


「でも、ここではあなたが私達の――たったひとりの勇者さまです」


 本当は『()()()()()()』と言いたかったけれど。

 ナイは言葉をぐっと飲み込んだ。


「ああ。わかってる」


 そう呟いて背を丸める勇者はとてもか細く、頼りなげに見えた。

 ぎゅっと抱き締められたらどんなにいいだろうと思ったが、母親でも恋人でも――ましてや頼れる仲間ですらない自分には、その資格がない。


「勇者さまはお疲れで、ちょっと気弱になられているだけです。一晩ぐっすり眠れば、きっと明日の朝には元気におなりのはずです」


 目を合わせることのない勇者を見上げ、ナイは必死に言い募った。たとえ自分の言葉が勇者の心に響かなくても、せめて気休めにでもなればいい。


「そうだわ。明日の晩が前夜祭でそれから三日間、夏祭りが始まるんです。勇者さまも、宜しかったらご覧になっていかれませんか? ロブおじさんの似せ物の魔王が圧巻なんですよ。毎年、余所から見物人が押し寄せるほどで」


 思い切って、暗闇の底なし穴に飛び込むようなつもりで夏祭りに誘ったナイだったが、『一緒に』を付けるのを忘れてしまった。一世一代の不覚だった。


「うん……ありがとう。気が向いたら行ってみるよ」

「それと、あの、勇者さま。ひとつだけお願いが」

「ん?」

「下手な役者みたいに、同じことを何度も言うかもしれませんが、できるだけみんなにお声を掛けて頂けると、ありがたいです……お役目なので。みんな、勇者さまのお役に立てたら、一生の自慢になると思います」

「そんなもんだろうか」

「そんなもんです」

「……わかったよ。道具屋さんがそこまで言うなら」


 勇者は生返事だったが、ナイもそれ以上は言葉が捻り出せそうもない。結局、勇者と大猫を置き去りにして、逃げるように舞台をあとにするしかなかった。


 

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