酒場の剣士
「酒場の剣士……さま?」
ついナイは口走ってしまったが、それは蔑称である。昼間から酒場で呑んだくれているのを、シシィがそう名付けて勝手に呼んでいるのだ。とはいえ金払いは悪くない。むしろ、村の経済を回してくれる、現金掛け値無しの上客だった。
「道具屋のナイちゃんだっけ。『酒場の剣士』とは、また酷いなぁ」
女受けの良さそうな爽やかな笑みを浮かべる青年剣士に、ナイは黙って会釈をする。酒場で何度か出会っているが、青年剣士と言葉を交わすのは初めてだった。何の因果か、勇者と同時期に姿を現し、気が付いたら酒場の主になっていたのだ。ただ、どうにもシシィと相性が悪いようで、寄ると触ると言い争いをしている。
「も、申し訳ございません」
「まぁ、いいさ。どうせアイツが好き放題、言ってんだろ。ナイちゃんの煎じた薬が良く効くって、行商人の間で評判だ。まだ若いのに、たいしたもんだな」
「……お褒めに預かり、ありがとうございます」
「ああ、名乗ってなかったな。俺は流浪の剣士マシュー。マットでもマティでも、好きに呼んでくれ」
「……次回のご利用を、お待ちしております」
「あはは、ものすげー他人行儀だな。さすが武具屋のオヤジに溺愛されてるだけあって、純粋培養だねぇ」
「で、溺愛!? 確かに、若干過保護であるような気はしますが」
――勇者さまにだって、まだ名前を呼んで貰ったことないのに。その上、幼友達のことをアイツ呼ばわりしている。警戒心マシマシで子猫のように毛を逆立てたナイは、マシューの視線を気にしつつも右の手袋をはめ直した。
そんなナイとは裏腹に、いつの間にか身体を起こしていた勇者は、その存在を無視されているにも関わらず、黒目がちの瞳を輝かせてマシューを見上げている。
「あなたは……僕の……」
口を開き掛け、勇者は恥ずかしそうに口ごもる。旅回り一座の勇者役俳優に握手をねだる子供のような、純粋な憧れをその瞳は宿していた。ナイは首を傾げる。
この二週間近く、二人は同じ宿屋に逗留している。生活時間帯が異なると言っても、酒場兼食堂で飲食時に出会っているはずだ。初対面でもあるまいし、顔見知りなら挨拶ぐらいしてもいいのでは。これが村外の距離感なのだろうか。
「こんな場所で昼寝とはね。勇者ってのは、いいご身分だなぁ」
一方、マシューと言えば、ナイに話し掛けるのとは打って変わった剣呑な口調だ。寝起きで皮肉が分からないのか、勇者はただ目を見開いている。いや、違う。マシューが背中の剣の柄に手を掛けたのだ。ナイの背筋に緊張が走る。
まさか酒代の足しに、自分達から金品でも奪おうというのか。世界を救うはずの勇者の身包みを剥ぐ? ナイの思考はあり得ない出来事に硬直する。
「――――!」
唐突に、白刃が一閃した。
毒々しい紫色したカエル型の魔物が、綺麗にふたつに割られて地に落ちる。何の予備動作もなく、剣士がいつ剣を抜いたのかも分からなかった。
「弱った勇者の気配を嗅ぎ付けて、団体さんがお出ましか。そっちのブラッディパンサーは、勇者の寝首をかいて主への手土産にでもするつもりかい?」
主というのは恐らく勇者のことではあるまい。しかし大猫の口には、やはり勇者を狙っていたであろう、水掻きを痙攣させているカエル型の魔物を咥えていた。
ナイ達を守るように前に出て、耳を寝せて低く唸った。いつの間にか辺りに複数種類の魔物が忍び寄っていて、すっかり取り囲まれていたのだ。
「……きゃっ……」
次の瞬間から、ナイは周りで何が起こったのかよく分からなかった。
ただ、ひとつだけ言えることは、この戦闘の間ナイは勇者にしがみ付き、勇者もまたナイを守るように抱き竦めていたことぐらいだった。同じような背丈のはずなのに、ナイをすっぽり包む身体は思いのほか大きかった。
木を背にして硬直する幼い姉弟のような二人を中心とし、内円を大猫が、外周をマシューが、おのずと分担して魔物を倒し始めた。いつもとは全く異なる陣形だ。
「ッシャーッ!」
大猫がたった一匹で、本来なら同じ仲間であるはずの魔物達と相対していた。
いつもの強力な爪入り猫パンチと引き締まった四肢で、大きなネズミ型の魔物の背後に素早く忍び寄る。首の後ろをひと噛みし、実に手際よく魔物を倒していった。その足取りはまるで踊るようで、魔王の寵愛を受けるという話も頷ける。
――クロちゃんて、凄く強かったんだわ。ひょっとすると自分と同じように、あの大猫も勇者を手助けし育てているのかもしれない。勇者に命を救われたとはいえ、高位の魔物としては非常にまれで不思議なことだった。
間近に感じる勇者が息を飲んだのに気付き、ナイは外周へと視線を飛ばした。
大猫が魔物の首に牙を突き立てるその向こうで、マシューの長剣が化け鳥の羽を切り飛ばし、返す剣先で一度に何羽も血染めにして地に落としていた。
いぶし銀の鎧に返り血ひとつ付けず、息を乱すことすらなかった。こちらも、ブラッディパンサーが人型を取ったかのような華麗な戦いぶりである。
上からの化け鳥を退治し終わると、今度は下からカエルだの亀だのといった、ある意味ナイの両手とよく似た緑や紫の毒々しい色合いをした魔物が次々と毒の沼から這い出して、マシューを押し潰さんばかりに押し寄せる。
「――剣士さまっ!」
ナイは最初から職業的視覚を使って視ていたが、ターンが早過ぎて目がチカチカしてくる。視ているだけでも、脳に負荷が掛り過ぎだ。
マシューの敏捷度が高過ぎて、魔物の攻撃がさっぱり当たらないのだ。カエル型の魔物は飛び掛ってきたところを真っ二つ、大きな亀のような甲羅を背負った魔物は首が出ているのを見計らって、ちょんちょんとはねられていく――。
マシュー一人に対して魔物の数が多過ぎるため、本当ならば魔物になぶり殺しにされてもおかしくはない。しかしマシューは少なくとも一撃で二匹以上を確実に屠り、しかも当人は無傷ときている。天性のものか相当の修行を積んだのかは職業的視覚をもってしても分からないが、ナイの素人目にもかなりの腕前に見えた。
場違いだが、この様子をシシィにも見せてやりたい。そうすれば、始終イライラして甲斐性なしだのロクデナシなどと言った悪態をつく必要はないだろう。酒場の剣士は、野外で頼りになる立派な剣士だったのだ。
「――こんなもんかな。なかなかやるなぁ、ブラッディパンサーよ」
身動きするものが人間と一匹の大猫以外になくなった頃、マシューは長剣の血油を一振りで払ってから器用にも後ろ手で背の鞘へ収めた。マシューのねぎらいなど無視した大猫はごろんと座り込み、黒光りする毛皮に付いた返り血を丁寧に舐め取り始める。それは毛繕いなのか、はたまた栄養補給なのか。あるいは両方か。
「さて。逢引きの邪魔をして悪かったな」
「「えぇ!?」」
勇者がきょとんとした顔で懐のナイを覗き込んだので、ナイは大慌てで見た目よりも筋肉質な胸を両手でぐいと押しやった。
こんな状況では、相手が武具屋のロブでもシシィの父親でも抱き付いただろうが、勇者はある意味ナイ以上に鈍感らしい。真っ赤になって俯いたナイに、暑さにやられたのかと訊ねてきたほどだ。どうやら当事者以外には一目瞭然らしい。
そのうちに、マシューは妙に凝った象眼のナイフを取り出し、魔物の身体の一部――尻尾、口ばし、水掻きなど魔物の種類を識別する特徴的な部分――を次々と切り取っていく。本来はこれが、教会への正しい魔物の持ち込み方だった。
誰しも大猫のような担ぎ手を連れているわけではない。これだけで十分魔物を倒した証明となり、報奨金が得られるのだ。伊達に旅慣れてはいないということか。
そしてマシューは後ろ手に片手だけ振って、あっさり村へと戻っていった。
あれらの報奨金は全て酒代に消えてしまうのだろうか。シシィが酒場で手ぐすね引いて待っている姿が目に浮かぶようだ。
「あの人だ」
まるで託宣を受けた司祭のように、勇者はその後ろ姿を眺めてうっとりと呟く。
「昨夜、女神さまが夢に現れて教えてくれたんだ――僕の助っ人」
「勇者さまの、助っ人……」
――私とは違って、勇者さまを助ける役割を、女神さまに与えられた人。ナイは勇者の旅立ちを予感して薄ら寒さを覚え、自らをぎゅっと抱き締めた。
弱った勇者目当てに集まってきた魔物達を、酒場の剣士マシューが何の見返りも求めずに――魔物の報奨金以外は――倒してくれたのだと気付いたのは、だいぶ時間が経ってからのことだった。