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癒しの手は暗緑色

 

 

 そして護衛を依頼してから十日ほどが経過した。二人と一匹は、とうとうこの辺りでは一番凶暴な魔物が生息するという、北の荒れ野までやって来ていた。

 

 遠くに見える丘のような小高い場所にある北の祠は、周囲を毒の沼にぐるりと囲まれていた。その内部は空洞になっていて、奥に広がる迷宮にはいずれ勇者が出向いて倒さねばならない、幹部級の強い魔物が潜んでいるのだ。

 しかし、この段階ではまだ、勇者は北の祠の情報を得ていないはずだ。


「勇者さま、大丈夫ですか? 休まれた方がいいのでは?」

「平気、平気……道具屋さんは元気だね……まったく、尊敬するよ……」


 勇者の顔はのぼせたように真っ赤である。先ほどの戦闘で魔物から受けた毒は、毒消しで中和したばかりだった。弱った身体が降り注ぐ太陽の熱にやられたのだろう。創世の女神の御力も、過ぎれば身体の負担になってしまう。


「……くぅ……」


 隣りを歩く大猫も、主を見上げて心配そうにヒゲをピクつかせる。


「やっぱり休みましょう。あそこの木の根方がいいわ」


 麦わら帽子に大きなカゴを背負ったナイは、息も絶え絶えの勇者に肩を貸しながら、すぐ傍の木の影まで連れて行った。


「……すま……な……い……」


 そう言って勇者は、倒れるように仰向けに転がる。痩せ我慢だったのだ。

 よく考えれば皮鎧の上に分厚いマントと、夏期にしてはどう考えても暑そうな格好だ。とはいえ、脱いで歩けば魔物との戦闘中に余計な怪我が増えてしまう。取り敢えずいまだけはと上半身を支えてマントを脱がせ、薬草カゴから皮の水袋を取り出して飲ませた。もちろん口移しなどではなく、水袋直飲みである。


 ちなみに、この世界では間接キスはあまり重要視されていない。酒場での酒の飲み回しなども平気で行われていた。衛生観念が未発達なのである。


 勇者の隣りで大猫が横たわり、大きな顎を主の身体に乗せ心配そうに寄り添う。


「大丈夫よ、クロちゃん。ちょっと熱にやられただけだから」

「……コイツ、田舎を旅立ってすぐに拾ったんだ。その時は弱っていて……随分、足の大きな猫だなーとしか思わなかった。あっという間にこの大きさに……」


 水を飲んで持ち直したのか、勇者は目をつぶったまま呟いた。


「女神さまの天啓に導かれ、なんとかここまでやって来たけど……コイツがいなけりゃ、僕はとっくに死んでたな……」

「クロちゃんが側に居てくれて良かったですね、勇者さま」


 魔物の仕業による状態異常なら手持ちの薬でなんとでもなるが、それ以外の体調不良はこの場ではどうにも出来ない。ナイに出来ることと言えば――。


「勇者さま、しばし目を閉じてらして下さいね」


 勇者の傍らに座したナイは、右の手袋をそっと外した。もう一色足せば黒になる――そんな暗緑色に染まった手を、紅潮して汗ばんだ勇者の額にそっと乗せる。


「………………」


 黙り込んだ勇者が何を感じたかはわからないが、実はこの数々の薬草に染められた手には、ささやかながら治癒の力が宿っているのだ。亡き母親は大きな傷を治したりしたらしいが、ナイはまだ染まりが浅いのか気休め程度にしかならない。

 創世の女神の慈愛の力をより多く受け入れる薬草の汁に染まった手は、それだけで地に降り注ぐ聖なる力を取り込みやすいのだと亡き母親から聞いていたが、ナイにはいまひとつ実感が湧かなかった。


 薬草師が薬草を煎じずに人を癒してしまうなど、創世の女神も随分と皮肉な能力を授けたものだと思っていたが、こうやって勇者の役に立つのなら悪くはない。


 どのくらい、そうしていたのか。


 しばらくすると勇者の顔から赤みが引き、苦しげだった呼吸が規則正しくなってきた。どうやら体調は回復しつつあるようだ。

 そろそろ大丈夫だろうかと額から手を外そうとした時、


()()()の、夢を見たよ。僕は取るにならない人間で、誰からも必要とされていないんだ……変だね。僕は勇者で、みんなのために頑張らなけりゃならないのに」


 ふいに勇者の目が開いて、そうはっきり語った。司祭が受けたとされる女神の託宣と同じものだろうか。よくわからないながらも、ナイは黙って頷いた。

 勇者は茫洋とした眼差しのまま、退け損なったナイの右手を取る。

 そのまま頬に押し当て、目を閉じた。とっさに引き抜こうとしたが、思いのほか強く掴まれていて動かせない。幼げに見えても、そこは男性の力だった。


「――ゆっ、勇者さまっ、はっ、離し」

「道具屋さんの手は、ひんやりして気持ちがいいね」


 勇者は、暗緑色に染まった手に頬をすり寄せはしても、何ら言及しなかった。

 決して、目に入らないはずがないだろうに。気持ち悪いと、思っただろうに。


「うんと小さな時に飼っていた、うちの猫の手に似てる。名前は何て言ったかな。クリーム色で、手足の先だけが焦げ茶色の、可愛い猫だった。大好きだったのに」

「……そ、そう、ですか……」


 震え始めた暗緑色の手を離さない勇者に、ナイは正直、何と言ったらいいのか分からなかった。別にナイ自身が大好きだと言われたわけでも、亡き母親と同じように僕の可愛い子猫ちゃん――などと言われているわけでもない。

 ただ、ひんやりして気持ちいいと言われた右手は、どんどん熱を増していく。


 戸惑いのあまり、ナイの気が遠くなってしまう前に、


「――――!」


 突然、大猫が耳をぴんと立てて起き上がる。首を巡らせ見据える先には、さらに北の彼方から近付いてくる、恐らくは人間の影があった。

 陽炎の揺らめきの中、かの人物はナイ達からそう遠くない場所で止まる。


 陽光をものともせずに跳ね返すいぶし銀の鎧に短めのマント、そして長身の背には凝った象嵌の鞘に収められた長剣の柄の頭が覗いていた。

 刈り入れ時の麦の穂のように濃い金髪の下で、夏の空のように濃い青い瞳が笑っているかのように細められている。


 それはあの、酒場の青年剣士だった。


 


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