護衛の依頼
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「えっ、僕に護衛を頼みたいって?」
最初に店で声を掛けた時、勇者は戸惑っていたようだった。しかし護衛する場所が村周辺の土地で、報酬が戦闘時の薬使い放題と聞くと快諾した。
勇者にとっては願ってもない申し出のはずである。生活費を稼ぐためと習熟度を上げるために魔物との戦闘に明け暮れる日々。それをなんら変える必要はなく、おまけに薬を買わなくて済むことにより経済的損失を最小限に抑えられるからだ。
「いやーっ、ありがとう、道具屋さん。本当にありがとう!」
黒い瞳を潤ませ、ナイの手袋越しに両手を掴んでブンブンと振る勇者の顔を見ていると、なにやらその窮乏振りが窺えて、ナイは人知れず泣けてきた。
護衛の依頼は、勇者のために何か出来ることはないかと考えた苦肉の策だった。とはいえ、ナイも決して裕福なわけではない。いままでに薬草採りで冒険者など雇ったこともなかったが、少しでも勇者の助けになればと考えたのだ。
また、教会で司祭から戒められている通り、勇者との不必要な接触は禁じられている。胸に一抹の不安を抱きはしたが、北の祠の筋書きの情報にさえ触れなければ、普通の冒険者と同じように扱ってもいいはずだ。それがたとえ、乙女心ゆえの拡大解釈であったとしても、誰がナイを責められるだろうか――。
次の日から、ナイは前掛けの腰に括り付けた魔除けの鈴を外し、勇者ともう一匹とともに野外に出るようになったのである。
まず手始めとして、麻痺消し草が採れる南の丘に行って勇者を鍛えることにした。死んだ父親代わりの武具屋のロブから、若い時の武勇伝を散々聞かされて育ったナイである。冒険者の何たるかは、多少の心得があった。村の南、小高い丘の周辺に住む魔物は、若干弱めで倒しやすい。未熟な勇者にはうってつけの場所だ。
なぜなら、麻痺消し草のある場所には、麻痺毒を持つ魔物が多くいる。
麻痺毒を使うのは、魔物自身が小さかったり愚鈍だったりして攻撃力が乏しく、人間を麻痺させて弱らせなければ対抗することができないからだ。だからむしろ、麻痺さえしのげばレベルの低いよわよわな魔物なのである。
一般的に、北に生息する魔物ほど強く凶暴になる傾向がある。それは魔王が北の地に封印されているため、より近い方が魔の気を受けやすいためといわれてきた。
逆に南に住む魔物は比較的大人しく、人間に狩り出されたりしなければ、普通の動物とほとんど変わらないものも多いのだ。魔王の魔の気よりも、地上にあまねく降り注ぐ創世の女神の慈愛の力の影響を色濃く受けるのだろう。
そして勇者が南の魔物を苦もなく倒せるようになると、ナイは初めて出会った西の野原に行って体力回復薬になる体力草を採った。すぐにイノシシモドキが出てきて体力草の群生地を荒らそうとするが、勇者と一匹もさすがに慣れたのか、比較的短時間で倒せるようになっていた。薬もあまり使わずに済むようになった。
その次に、村の向こうの反対側、同程度の強さの魔物がいる東の船着場の辺りに行き、希少な魔力回復薬になる魔力草を探した。ちなみに東の船着場といっても、川に渡し舟が一艘繋いであるだけのささやかなもので、村人同士が川向こうの東の地と行き来をする時にしか使われない。もっと大規模な船着き場は北の方にあった。
ナイは、勇者と大猫が複数のコウモリ型の魔物とやり合っている間、ふと河向こうに広がる見知らぬ大地を眺めやった。もちろん後方支援として勇者の健康状態の確認は怠らない。すでに手慣れたものだ。ちなみにコウモリ型の魔物には、油断するとすぐに体力や魔力を吸い取られてしまうので、思いのほか注意が必要である。
――勇者さまはいつか村を出る。渡し舟に乗って北に旅立ってしまうのだ。そう思うと、なぜだか胸が苦しくなってナイは俯いた。ノリツッコミで勇者に惚れるなと言ったシシィや、武具屋のロブの悲しそうな顔が浮かんでは消える。
「ぐぎゃぅ……!」
魔物に血を吸われ、珍しく体力の減った大猫にナイがすかさず体力回復薬を勧めると、心底嫌そうな顔をしながらも素直に丸薬を飲み込んだ。
「偉いぞ、クロちゃん。それでこそ僕の相棒だ!」
「……がうっ……」
あの時、西の野原で勇者を助けなければ、あのまま見捨ててしまえばよかった。
何の役目も持たないただの道具屋兼薬草師に過ぎない自分が勇者に手を貸すこと自体、本当は女神の筋書きに反しているかもしれないのだ。信仰と職業と胸に秘めた淡い想いの間で、ナイの心は櫂を失った渡し舟のように揺れる――。
「――これって、どうだろうね。武具屋のロブさんは買ってくれるかな?」
いつの間にか戦闘が終っていた。
勇者は膝を付き、地面に転がって動かなくなったコウモリ型の魔物達の足を縛って、大猫の背に左右均等になるようにぶら下げている。
「……道具屋さん、どこか具合でも悪いの?」
ナイはなんでもないと言うように黙って首を振った。よく日に焼けた、幼げな少年のような目をした勇者に見上げられると、胸の奥のしこりがすうっと溶けて、ナイはそれまで何を悩んでいたのかわからなくなってしまうのだった。