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惚れちゃなんねぇよ

 

 

「とにかく、ここで食事はなんだから……やっぱりお店で食べましょう」


 作業小屋だけでは飽き足らず、辺りに散らばった魔物のなれの果て――防腐処置済みの手足や胴体――に躓かないようにしながら、ナイは居住部分をあとにした。


「よいしょっと……ふぅ」


 こちらも締め切りの鎧戸を開くと、店内の壁一面に飾ってある長剣や盾、名も知らぬ武器や防具の数々が剣呑な輝きを放つ。同じ店でもナイの道具屋は薬草臭いが、ロブの武具屋は金錆と饐えたような匂いが漂っていた。


 特に圧巻なのが入り口付近に置かれた年代物の大鎧で、その手にはナイの頭ほどもあろうかという鋼鉄製の大きな(つち)を携えていた。ロブが若かりし頃に冒険者の真似事をしていて、その時身に付けていた鎧だと聞いたことがあった。

 ――持ち上がるかしら……ナイは少しだけ悩んで止めた。うっかり足の上にでも落としたら、骨が砕けてしまいそうだったからだ。


 そして、店内はすでに武具屋にあらず。テーブルだけでなくさまざまな生活用品が持ち込まれ、だいぶ前からロブの住処となっていることが窺い知れた。


 前に勇者が来て何も買わず去ったのは、床に敷きっ放しの夜具だとか転がった空の酒瓶といった独身男の生活臭がぷんぷん漂う店内に居たたまれなくなったせいではないか。ナイは簡単に室内を片付けながら、そう思わずにはいられなかった。


「おぅ、ありがてぇ。ちゃんとした食事をすんのは三日振りだっ!」


 ナイがテーブルの上に、質素だが心のこもった手料理――今年出来た麦を挽いて焼いた固焼きパンとイノシシモドキの燻製、そして豆と体力草の切れ端を浮かべたスープ――を並べる。まるで、それまで食べることを忘れていたような勢いで、ロブは薄く切る前のパンの塊を掴んでむしり取り、スープで口へと流し込み始めた。


 日が経つと歯が折れるほど堅く焼き締めてあるパンなのに、なるほど元冒険者で鍛冶屋の握力というべきか、あるいは空腹のなせるワザなのか。

 向かいの席に腰を下ろしたナイは、創世と慈愛の女神に沈黙でもって祈りを捧げてから、さすがに手袋を外して木のさじを握った。

 採取した薬草の内、状態の良くないものはこうやって調理に使ってしまった方が良い。煎じていないので成分が凝縮されず、ごく穏やかな効果をもたらすのだ。


「何にも食べてないんじゃ、麦粥でも炊いてきた方がよかったかしら?」

「あんなもん、メシのうちに入らねぇや」


 隣家に住む武具屋のロブは、五十も近いのにいまだ独り身だった。亡き母親の幼友達であり、両親に先立たれたナイを実の娘のように可愛がってくれている。


 普段の生活は別々だが、夏が近付き似せ物師としての本性があらわになると、ロブは商売も寝食も忘れて『生業』に没頭してしまうので、こうやってたまに様子を見に来るのだ。それが母親の遺言のひとつでもあった。

 去年などはうっかり忘れてしまい、栄養失調で衰弱死寸前のところを、たまたま草刈り鎌の修理を頼もうとやってきた村人に発見され、ことなきを得た。


 ナイの薬が最近よく売れるのは、魔王の作り物の材料として必要な魔物を、村の人々も協力して捕獲しているからでもあった。

 ちなみにロブが隻眼になった理由は、以前どうしても欲しい『材料』が揃わない時に自ら探しに荒野へ赴き、目当ての魔物に挑み掛かって見事打ち倒した時に、引き換えに持っていかれたのである。


 その年の夏祭りの終盤、燃え盛る炎の中で心血注いだ力作が崩れ落ちるのを見ながら、目玉ひとつと引き換えにアイツを手に入れたんだと満足げに語るロブの横顔は、異様な熱気を帯びていた。ナイは幼いながらも、ロブの似せ物師としての尋常でない執念を垣間見た気がした。精神的外傷(トラウマ)級に忘れられない思い出だ。


「欲しいなぁ……アレ」


 いつの間に食べ終わったのか、ロブは席を立ち、窓に張り付いている。

 見れば開け放った鎧戸の向こうを、いつものように傷だらけの勇者と忠実なる大猫が通り過ぎるところだった。大猫の背にはこの間獲ったのと同じイノシシモドキが乗っている。武具屋ではもう必要のない魔物だと言われているのか、素通りしてこの先の教会に持っていくらしい。

 ひとりと一匹で倒せたのなら、なかなかの進歩である。ナイは満足げに頷いた。


「あら、イノシシモドキはもういらないんじゃないの?」

「……アイツの頭を、俺の魔王の胸に付けたいよなぁ……こう、口を大きく開けさせて、ガオゥってな……カッコイイだろうなぁ」


 イノシシモドキのことではあるまい。一瞬想像して、ナイは慌てて首を振った。


「駄目だよっ、ロブおじさんっ、()()()は勇者さまの大切な相棒なんだからっ!」


 ロブは不満そうに鼻を鳴らし、俺にだって分別ぐらいあらぁなと嘯いた。

 しかし、窓枠から禿頭を乗り出して、大猫の後ろ姿をたったひとつの目玉でもの欲しそうに見詰めている。ロブが()()()()()を使った気配がした。


「だってなぁ。アレはただの魔物じゃねぇ、ブラッディパンサーの幼生だぞ。世が世なら、魔王の膝の上でよしよしってアタマ撫でられているって代物だ」

「えっ、そうなの? 確かに、猫にしては随分頼りになると思っていたけど。でもダメよ、クロちゃんは諦めて」


 ただの大きな猫などと思っているのは、勇者とナイくらいのものである。

 教会から非常呼集が掛かっていなければ、幼生とはいえ上位の魔物を連れた流れ者など、本来なら自警団員総出で村の外に叩き出されてもおかしくないのだ。

 教会に立ち寄ったあとは道具屋においでになるかしら、そろそろ店に戻ろうかとナイがそわそわし始めた時だった。


「惚れちゃあなんねぇよ、ナイちゃん」

「だから、クロちゃんはダメだって……えっ?」


 ナイは思わず息を飲み、手にしたさじをスープの中に落としてしまった。


「よそ者は格好良く見えるかもしれないが、アイツはいけねぇ。いまはガキでも、魔王に立ち向かうことを運命付けられた男だ」


 一緒に暮らしちゃあくれねえよと続けるロブは、ナイを振り返らない。振り返れば、ひとつきりの目玉一杯に溜めた涙がこぼれ落ちてしまうからだ。武具屋のロブは、ナイを我が子のように想っているのだから。


「そんなこと……そんな……」


 ――そんなことないわ、勇者さまはただの金払いのいいお客さんで……。

 尻すぼみになった言葉は、透明なスープの海に飲み込まれる。確かに、一介の冒険者の懐の心配をするにしても、商売人としてはいささか立ち入り過ぎている。


 シシィの指摘――勇者に惚れたらダメ――はノリツッコミの延長線上だったとしても、ロブの言葉は無視出来ない。誰にでもわかるほど、自分の想いはあからさまなのだろうか。どうせ淡い想いのままで終るのだから、胸に秘めている分には何の問題もないはず。自分の気持ちというのが、ナイにはよくわからなかった。


「いやぁ、これが俺の思い込みだといいんだけどもよ、勘弁してくんな。年頃の娘は、よそ者に憧れちまうことがあるからな………じゃあ俺はまた作業に戻るわ」


 ご馳走さんと言い置き店をあとにするロブの背中には、いいしれない哀愁が漂っていた。


 ふとナイは、両親のことを思い出した。生前の母親から、武具屋のロブと幼友達だったことを聞いて知ってはいたが、結局、母親は流れ者の父親と恋をして自分を産み、武具屋のロブはいまだひとり身で――。


 よそ者に憧れる娘時代の母親の姿と、今の自分の姿を重ね合わせているのかもしれないと思いながら、ナイはスープ皿の真ん中に浮かぶさじをじっと見詰めた。


 


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