西の原にて
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本日1度目の投稿です。本日に限り全部で2回の複数投稿予定です。
「キシャーッ……!」
盛夏の午後。気だるい空気を切り裂くように、魔物と思しき警戒音が響き渡った。薬草摘みに夢中になっていたナイは、一面に揺れる青い花――葉を煎じれば体力回復の薬となる――の中から、つばの広い麦わら帽子の頭を上げる。
前掛けの紐に結わえた魔除けの鈴が、腰の辺りでちりりと鳴った。
白い手袋をはめた手で榛色の瞳の上にひさしを作って頭を巡らせば、村とは反対の西の方角に、二頭の魔物とひとりの旅人の小さな姿が見て取れる。
マントを羽織っているのでよくわからないが、武具らしい装備は身に付けていないように思われた。行商人か、流民のたぐいだろうか。
冒険者でもあるまいし――一部の冒険者には、魔物を集めるためにワザと魔除けを身に付けない場合がある――何の魔除けも帯びずにこの魔物溢れる大地を旅するなど、自殺行為も甚だしかった。
「なんてことっ、魔除けの鈴を落としたのかしらっ?」
ナイは考えるより先に、背負いカゴを下ろして立ち上がっていた。旅人の姿を、遠い地で同じように果てたという父親になぞらえてしまったのかもしれない。
相当な距離があったにも関わらず、ナイは生成りのワンピースの端をからげて亜麻色のおさげを揺らしつつ、一気にかの旅人の元まで走った。いつもぼんやり夢見がちなナイの姿を知る者からすれば、仰天する行動に違いなかった。
口の端から泡を噴き、後脚で土埃を蹴立てているのは、一対の大きな牙を生やし全身を剛毛に覆われた魔物、イノシシモドキだった。むやみに人間を襲うほど気性が荒いわけではなく、彼らの常食は植物の根やミミズなどの小動物のはずだ。
金を惜しまず、教会で聖別された魔除けの鈴を提げていれば、大抵の魔物は避けて通るはず。だが、一度こうなってしまっては効果は望み薄だろう。ひょっとすると、北の大地で封印が解け掛っているという魔王の影響なのだろうかと、ナイの脳裏をチラリと過ったが、慌てて頭を振る。今はそれどころではない。
「――旅人さんっ! 及ばずながらご助勢致しますっ、これをお食べ下さいっ!」
後方からの支援態勢を取ったナイは、すでに息を荒げて膝をついている旅人に、腰に下げた皮袋から取り出した体力回復の丸薬を後ろ手に握らせる。
「……ご助勢、感謝します」
そう言って受け取った丸薬を噛み砕いた旅人の声は、予想外に若かった。むしろ、幼いとさえ言える。
よろよろと立ち上がり、銅の剣を構え直したフードの奥に覗くのは、黒い瞳に黒い髪。十七歳のナイよりも若干幼く見える、十四、五歳の少年の顔だった。マントの下には古びた皮鎧を身に付けていて、なりは小さくとも少年剣士のようだ。
そして、もう一匹いるはずの真っ黒な猫型の魔物は、驚くことに少年の傍らで牙を剥き出し、まるで主を守るかのようにイノシシモドキと対峙していた。今は慌ただしくて確認している暇がないけれど、実は少年は魔物使いなのかもしれない。先ほどの威嚇音は、大猫がイノシシモドキに対して発したものだったのだ。
「クロちゃんっ、頼むよっ!」
少年剣士の声に反応し、名前そのまんまの艶々した黒い被毛に覆われた大猫は、イノシシモドキの鼻面に強烈な猫パンチを食らわせた。その隙をつき、少年剣士が剛毛の生えた脇腹に銅の剣でえいとばかりに切り付ける。
一人と一匹の連携はそれなりに取れてはいたが、ナイは職業的視覚を使わずとも、少年剣士が未熟であることがひと目で見て取れた。イノシシモドキの突進を軽く食らっただけで瀕死の状態になってしまう為、ひとターンを自らの体力回復に割かねばならない。よって大猫との連携はたびたび崩れ、効果が薄れてしまうのだ。
ナイは何度も膝をつく少年剣士の体力の減り具合に注意し、回復薬を与える。
そして腰の皮袋をまさぐり、物理防御力を高める丸薬を取り出し手渡すことに成功した。丸薬といっても手探りで区別が付くよう、若干トゲトゲに形成している。亡くなった母親直伝のオリジナルだった。
自分がただの村娘であれば、こんなに多くの薬を持ち合わせているはずがない。
ナイは後方で戦闘を見守りながら、手袋に包まれた自分の両手を思い出して無意識に握り締めた。二の腕から手首までは幼友達と同じように白く嫋やかだけれど、そこから先は――。
「よしっ、一気に倒すぞっ!」
「がうっ!」
一時的にせよ防御力が上がって膝をつかなくなった少年剣士と大猫の攻撃によって、イノシシモドキの体力が徐々に削られていく。そしてついに力尽きたイノシシモドキは一声揚げてどうと倒れ、動かなくなった。すぐさま件の大猫が獲物の上に飛び乗り、首の後ろに牙を突き立て止めを刺した。