ハロウィン
きょうはハロウィンの二日目、十一月一日だ。
さすがにもう暑さは過ぎた秋空の下、俺は高校に登校し、教室に入った。きのう学校を休んだが、クラスメイトたちは普段と変わらない。いや、むしろ俺に興味津々のようで、好奇の目で見られている。
当たり前といえばあたりまえだ。俺は、病気で学校を休んだのではなく、不登校で休んだのでもなく、アレで休んだからだ。よくある人生の節目に遭遇し、そろそろ社会人になる人間なら当然の配慮を行い、勉学をちょっとばかし後回しにしたのだ。
要するに、俺は親族の結婚式に出席して学校を休んだのだ。
俺の名前は、遠藤龍輝、十七歳、高校二年生で帰宅部だ。ちょっとした秘密があること以外は、ごく普通の学生だと思う。
「よう、龍輝、従姉さんの結婚式はどうだった?」
そう聞いてきたのは、俺の悪友様、木村貴史だ。ちなみに貴史は吹奏楽部だ。
「よう、タカシ、びっくりしたよ。結婚式って凄いんだな。あんなド派手だとは思わなかったよ」
「そんなにか」
「それがさ、ハロウィンの結婚式だろ。新郎新婦も仮装、呼ばれた出席者たち、俺らも仮装でね。あれは壮観だったな。荷物チェックがちょっと面倒だったけど」
遠目に見ていた女子数人が、たちまちのうちに近寄ってきて、俺を取り囲んだ。
「遠藤くん、どんな結婚式だったの?」
「遠藤くん、結婚式について詳しく教えてくれる?」
と、まあこんな感じだ。おいおい、女子に囲まれるなんていつ以来だ? こんなにモテたことないんだけど。と思いつつも、女子の質問に答えていく。
「龍輝、写真は撮らなかったんか?」
横にいる貴史が聞いてきた。
「撮ったけど――」
貴史の質問に答えると、女子たちから黄色い声が上がった。近くで聞くと凄いね。
「撮ったけど、いま見せると反省文じゃん。放課後に見せるよ」
うちの学校は、スマホで遊んでいると、あとで長い反省文を書かせられるのだ。放課後に遊ぶ分には問題なし。
予鈴が鳴る。もうすぐ朝のホームルームだ。
俺を包囲した女子たちが「放課後ちゃんと見せてよね」と言いつつ、去っていった。短いモテ期だった。まぁ、モテない俺でも、たまにはこんなことがあってもいいだろう。結婚式に呼んでくれた、従姉に感謝だ。
だが、この後、俺には奇妙な出来事が待ち受けていたのだった。
「だからさぁ、女って楽じゃん。進学就職に失敗しても、いざとなれば結婚という必殺技があるんよ」
ハロウィンの結婚式の余韻が残っていて、少々ハイになっていただろう俺が、イチゴジュースを飲みながら言った。今は昼休み、教室で、悪友の貴史と昼食中だ。
「ふ~ん、龍輝の従姉さんもか?」
貴史が言った。
「いや、英美里さんは働いてるよ。でもさ、いろいろと女性はお得だよね、って話さ」
言い忘れた。従姉の名前は英美里さんだ。
「女も大変だと思うぞ」
「男も女も大変だよ。でも、女性には結婚っていう逃げ道があるじゃん。男にはないじゃん。そういう話だよ」
「だったらさ、お前も主夫になればいいじゃん」
「えっ? 俺を養ってくれる女性、いるかなぁ。いないだろ」
「そういうことだよ。女性にだって選ぶ権利がある。その権利を行使して結婚していない女性は多い。女性がみんな、理想の男を捕まえて主婦になれる訳じゃないんだ。お前が金のある女性を見つけられる可能性が、究極的に低いのと一緒さ。なっ、女も大変だろ」
「そういうもんかな?」
「そういうもんさ」
「よし、腕相撲で決着をつけようぜ。俺が勝ったら『女は楽』、貴史が勝ったら『女も大変』ってことな」
俺は、右腕を出して、腕相撲の準備をした。
俺と貴史の意見が食い違った場合、腕相撲で決着をつけることがある。腕相撲に勝っても論破したことにはならないが、少なくとも論破した気分にはなる。男子はかくも単純な生き物なのだ。
前回、腕相撲で決着したのが『地球は寒冷化している』だ。
夏休み明けに、俺と貴史で温暖化について議論になった。
「地球は温暖化してるよね。小さい頃は夏はもっと過ごしやすかったよ」
これが俺の意見だ。
「いや、地球は寒冷化している。そういうデータがある。温暖化は一部の現象にすぎない」
これが貴史の意見だ。
俺と貴史の意見は折り合いがつかず、腕相撲でケリを付けることになった。それで俺が負けたので、地球は寒冷化していることが決定されたのだ。
皆さん、喜んでくれ。地球は寒冷化している。温暖化は、現実の一部を切り取った偏った意見に過ぎないのだ。
にしては、今年の夏もやけに暑かったが、まぁ気のせいだろう。
いままで腕相撲で決着したのが、『ツチノコはいる』『シンギュラリティは来ない』『サッカー日本男子代表は、十年以内にワールドカップで優勝する』などだ。最後はできれば当たって欲しい。
ともかく、今回も腕相撲で決着だ。……と思ったが、今日に限って貴史が乗ってこない。
「龍輝、悪いがもう腕相撲はしない。腕相撲でディベートの決着をつけるなんて間違ってるし、それに、もう腕を痛めたくない。腕相撲がしたいなら他を当たってくれ」
貴史は、サンドイッチを口に放り込むと席を立った。
「おい、マイバッドフレンド?」
俺が持て余した右腕をぷらぷらさせていると、予想外なことが起きた。クラスメイトの女子、長谷部花菜さんが、貴史の座っていた席についたのだ。
「遠藤くん、私と腕相撲しない?」
花菜さんはそう言った。
「ええと、長谷部さん、だったよね。なんであなたと腕相撲を?」
「私が勝ったら、『女子は楽だ』って意見を取り消すこと。どう?」
彼女はクラスメイトの長谷部花菜さん、何度か話したことがある程度だ。今朝、俺を包囲した女子のなかにも、彼女はいなかったように記憶している。ちなみに、彼女は、髪はショートで、華奢……じゃないがとてもかわいい。おや、長谷部さん、よく見るとどこかで見覚えが……。まぁ、クラスメイトなんだから記憶にあって当然か。
「……いいよ。で、俺が勝ったら?」
「それは遠藤くんが決めて」
「高校を卒業するまで、『女も大変』って言わないこと」
「いいわ。その条件を飲むわ」
いつの間にか、周りにギャラリーが集まってきていた。
花菜さんが右腕を出す。俺と花菜さんが腕を組み合わせる。
俺が負ける。それも、圧倒的な速さで。
「はっ?」
女子たちの声が聞こえてくる。「花菜ちゃん、柔道を嗜んでいるのにねー」「遠藤くんバカだよねー」などなど。
そうだ、思い出した。長谷部花菜さんは柔道部員だったのだ。
「今のはノーカン。油断してたし」
俺は食い下がる。相手が柔道部員とはいえ、女子に負けたくない。
「ダメ」
「じゃあ三本勝負、二本勝ったほうが勝利者! たのんます!」
「ダメ」
「お願いします」
俺は頭を下げた。
「……いいわ。三本勝負ね」
花菜さんが折れた。
だが、口惜しいことに、今度も負けた。これで二連敗、三本勝負終了だ。
俺は、「女性も大変だと思います。生意気なことを言ってどうもすみませんでした」という謝罪の言葉をなんとかひねり出した。花菜さんは、いちおう満足したようだ。
彼女はにこやかに去り、なぜかニヤニヤした貴史が戻ってきた。
「こりゃあ脈ありだな」
「どこがだよ」
俺は言い返したが、貴史はニヤニヤしたままだ。なんだ、変な奴め。
放課後、俺は、多くの女子に囲まれている。男子も多い。俺のスマホに、ハロウィンの結婚式の写真が現れる。もちろん、全員仮装の写真だ。女子たちがキャーキャーと、さすがにちょっとうるさいね。おや、女子の中に長谷部花菜さんもいる。少し離れているが、俺のスマホを覗き込んでいるようだ。
悪友、貴史のことば『こりゃあ脈ありだな』が、俺の頭の中でこだましている。