二人のお話(前)
随分と長い年月・・・の様に感じた日々だった、この四年間は。
その間、ジェーンはずっと考えていた。これでいいのだろうか、と。
それでも、パズルを完成させた時には、その決断以外ありえないと理解できた。
ジェーンがクリストファーに送り返したパズルは、勿論バラバラの状態の物だった。
だが、完全に出来上がったパズルの絵を目にした時、ジェーンはクリストファーに伝えたかった事、これから伝えなければいけない事を頭の中で自分に言い聞かせた。
そして、部屋にあった大きめのノートを手にすると、テーブルの上のパズルをその上に滑らせてのせた。
そしてもう一冊ノートをその上に被せ、器用にひっくり返すと、またパズルをスルスルとテーブルの上に戻した。
パズルの裏側が表に出ている状態で、ジェーンは机の上のペンに手を伸ばす。
クリストファーに、手紙を書く為に。
彼が送ってくれて、彼女がやっと完成させた、パズルの裏側に。
手紙は長い物ではなかった。ただ、お詫びの言葉と、そして一つの希望。
書きながらも、彼が今でも自分に好意を抱いていてくれているとは、正直言ってジェーンは思っていなかった。
ただ、それでも、自分の気持ちだけは伝えておきたかった。
自分自身で届けようかと迷ったが、彼が会いたくないと思っている所にノコノコと現れるのもどうかと思い、結局メイドに任せてしまった。
元の木箱に、パズルのピースを詰めて。
その翌日——
学院は休みの日。朝の陽が地平線から顔を出してから、少し経った頃だった。
この時間帯に良く聞こえる鳥達の歌声とは少し違う囀りが、ジェーンの耳に入ってきた。
冷たい水を片手に机に座って医学書を復習していた彼女は、ふと自分の部屋の窓の外に視線を移した。
ジェーンの『動物の声が聴こえる』魔力は、言語の単語として動物達の声が聞こえるのではなく、『感情を読み取る』と言った様なモノだった。
そして今窓の外の鳥達から感じられる「言葉」は・・・
『アノ馬、スゴイスピードデコッチニ来ルネ』
『キット乗ッテル人ガ急イデルンダヨ』
『ドウシテダロウ』
『ドウシタンダロウ』
窓の外で賑わう小鳥の数が多くなっていく様に聞こえた。それから数分後、馬の蹄の音と共に、ジェーンは違う生き物の声を聞き取った。
『ツカレタ・・・マスター、モウ勘弁シテクレヨ・・・』
「マスター・・・?」
不思議に思ったジェーンは、椅子から立ち上がり、窓の外を見渡した。
* ~ * ~ *
それは、それは。クリストファーは馬を走らせたのなんの。
昨晩、兵舎に戻って来てパズルの木箱を見た時、正直言ってクリストファーはショックを受けた。
何せ、四年間ずっと考えていた物が、急に目の前に現れたのだ。
だが、現れたからには、何かしらの意味がある。そして、その意味は「必要とされていない」と言う物だとクリストファーは感じ取った。
襲いかかって来た悲しみのあまり、箱は開けられなかった。
それでも、寝支度をしてもう床に入るだけと言った時に、やはり昔の事を思い出してしまった彼は、玉手箱を開ける様に、木箱の蓋をそっと持ち上げた。
自分が魔術をかけた、パズルの絵を見る為だった。
そしてその時初めて、箱の中のピースの裏側に、何やら文字が書いてある事に気づいたのだった。
驚いた彼は、一つピースを指先で摘んで、目の前まで持って来た。
間違いない。ジェーンの文字だ。
それから、クリストファーは取り憑かれた様にパズルをした。
何せ、彼が唯一得意とする事だ。ジェーンは四年間かかったが、クリストファーは小一時間で完成させた。
自分で考えた絵は、参考がなくてもいとも簡単に蘇らせる事ができた。
薄手の地図帳を二冊持って来て、パズルを上手くひっくり返した。
そしてジェーンが描いた手紙を目にすると・・・
「ははっ・・・あはは!」
これは、ジェーンに会いに行かなければ。ジェーンからの短い手紙を読むなり、クリストファーは思った。
会って、話がしたい。
四年前、伝えたいと思いながらも、ガキの衝動で伝える機会を無くした事を——ちゃんと、この口で伝えたい。
賭けには・・・ある意味、勝ったのかもしれない。
今すぐにでも会いに行きたかったが、生憎こんなに夜遅くには行けない。
それに、クリストファーはジェーンが今どこに住んでいるのかも知らないのだ。
どこに、どう会いに行けばいいのか。
クリストファーは、グルグルと頭の中を回転させながらも、割とすぐに眠りに落ちてしまった。
翌朝、クリストファーはパチリと目が覚めた。やっと陽が出た頃だった。
そしてベッドから飛び起きると、彼は素早く身支度を整え、部屋を後にした。
馬車を待つ時間も惜しく、こんな時間にまだ馬車は捕まえられない!と自分に言い聞かせながら、騎士団の馬小屋から個人使用で馬を一頭借りた。
さて、問題は。ジェーンが今どこにいるかだ。
研究学院には、学生の為の寮があった。以前、確かジェーンがそこに移りすんだと両親から聞いた覚えがある。
行くなら、とりあえずそこからだろう。
騎士団の兵舎から馬を走らせ、研究学院の学生寮に着いた。
はて、そこからどう動こうかと考えていた所に・・・
「どうかなさいましたか?」
若い男性がクリストファーに声をかけてきた。
どうしていいか分からず、早くも途方にくれていたクリストファーは、その優しそうな青年に笑顔を向けた。ジェーンと同じ位の年齢だろうか。
「朝早くから、申し訳ありません。人を探しているのですが」
「そうでしたか。どなたをお探しですか?」
「ジェーン・キングストンと言う学生です。こちらに住んでいると、以前伺ったのですが・・・」
クリストファーの答えに、話していた青年の顔が一瞬強ばった。そして、その青年は何も言わず、クリストファーの顔を見つめた。
いくら研修生でも、騎士になる訓練を受けているクリストファーだ。その表情の変化を見逃さなかった。
「あぁ、ジェーンをお探しですが」
青年は言った。少々冷ややかに。
「彼女なら、週末は両親が住む実家に帰っていますよ」
その青年がジェーンの名前を口にした瞬間、クリストファーの中で何とも言えない対抗心が芽生えた。
この男は、一体・・・しかも、ジェーンを「彼女」だと?
「そうでしたか。ありがとうございます。では、そちらを当たってみます」
クリストファーは馬の手綱を引き、行く方向を変えた。
一度も振り返らずに。
馬を更に走らせ、半時間程経った頃——
クリストファーは、見慣れた屋敷の前に来ていた。
もう四年近く訪れていない、キングストン家だった。
今なら、ギリギリ来客として出迎えてもらえる時間だろう。
クリストファーはそう思いながら、馬から降りた。
できるだけ静かに戸を叩くと、以前は割と親しかった執事長の男性が現れた。
彼はクリストファーを見るなり、少し目を見開くと、何も訊かずに中に通してくれた。
「ありがとう。こんな朝早い時間から、申し訳ない。その、ジェーンは・・・」
「ジェーン様でしたら、二階のお部屋にいらっしゃいます。このお時間でしたら、既に起きていらっしゃるでしょう。今お呼び致します」
できれば、ジェーンの部屋で話をしたかった・・・が、そんな事が許される筈もない。こんな時間に、未婚の女性が自室で男性と会って話すのは、非常識にも程がある。
クリストファーがどう返事しようか迷っていた時・・・
「スペンサー、どうかしましたの?」
階段の方から、聴き慣れた声が響いた。ジェーンの母親のジョセフィーヌだ。
彼女は、クリストファーを見た瞬間、階段を降りて来ていた動きを一瞬止めた。だがすぐに驚きから回復し、真っ直ぐにクリストファーの元へ歩み寄った。
「クリストファー様。お久しぶりでございます。お元気でいらっしゃいましたか」
「おかげ様で、元気です。その、ジョセフィーヌ様、実は・・・」
「ジェーンなら、二階にいますよ。彼女の部屋はまだ覚えているでしょう」
「・・・勿論です! ですが、その・・・」
「大丈夫ですよ」
ジョセフィーヌは、悪戯をするかの様に、目をキラキラさせがなら言った。
「主人は今書斎で紅茶を飲んでいますの。もうしばらくは出て来ませんわ。ジェーンとはゆっくりお話しできると思いますわよ」
ジョセフィーヌはニコニコしている。この四年間顔も出さなかった自分に怒ってはいないのだろうか。
クリストファーは、とにかく感謝の気持ちしかなかった。
「ありがとうございます。その・・・ご報告は、また後ほど」
玄関前のホールを後にしながら、クリストファーはジョセフィーヌが「まぁ!」と黄色い声を上げるのを聞いた気がした。