ジェーンのお話(後)
高等学校を卒業する数ヶ月前。ジェーンはいつもの様に校内の図書館で自習をしていた。
するとクラスメートのルーカス・マドリッドが向かいの席に着いた。
「あら、ルーカス。あまりにも静かに入ってきたから、全然気づかなかったわ」
「君が集中してたからね、邪魔したくなかったんだよ」
「それにしては向かいに座るなんて。どっちかにしたらいいのに」
ルーカスはジェーンが高等学校で話せる数少ない男子生徒だった。女子の友達も未だ少ないジェーンであったが、ルーカスはジェーンと同じ位勉強熱心な青年だった。おまけに同じ子爵家の出身で、身分の差も無いことが友情を育む助けになった。
「それにしても、試験も一段楽した日に、君は何をそんなに真剣に勉強してるんだい?」
ジェーンの前に広がる教材を覗き込みながら、ルーカスは訊いた。
「来週の講義の予習よ。少しでも前に進めるのなら、そうしたいの」
ルーカスは少しの間ジェーンを見つめてから、小さな溜息をついた。
「君は獣医になっても、結婚すると思う?」
突然の質問に、ジェーンはどう答えていいか分からなかった。
「それは・・・どうかしら。そんな話全然ないもの」
「そうなの? 以前君に婚約者がいるって聞いたんだけど」
婚約者?!そんなモノはいない。唯一考えられる人物とは、そんな話もした事がない。ルーカスは一体どこでそんな話を聞いたのだろう。一度迂闊にも友達の一人にクリストファーと一緒に散歩に行った話をしたのを聞かれたのだろうか。
そもそも・・・クリストファーとは逢瀬に出かけた事もない。家族ぐるみの食事会や演劇鑑賞、アウトドア的なピクニックや散歩はあったが・・・
それは逢瀬とは言わない。それに、そう言う時、クリストファーは決まってジェーンから少し離れた所に座ったり立ったりしていた。
それでも、そんな時間を過ごせて、ジェーンは嬉しかった。
ただ自分が彼と一緒にいられる、彼が自分と同じ空間にいてくれる。
会話下手な自分に呆れもせず、側にいてくれる。
彼にとってそれが恋でなくても。それが婚約に繋がらなくても・・・
「そんな人、いないわ」
嘘だ。
クリストファーの側にいたい。他の女性が彼の隣にいるのは、嫌だ。
それに気づいてしまったジェーンは、尚更そんな事を口に出す事はできなかった。
「そうなんだ」
ルーカスはゆっくりと言った。彼の右手の指先がテーブルの上を静かに叩いていた事だけを、ジェーンは覚えている。
* ~ * ~ *
それから数日後。ジェーンは両親と一緒にマシューズ家にお邪魔する支度をしていた。
玄関前のホールで薄い上着を羽織りながら、ジェーンの父親が何かふと思いついた様に口を開いた。
「そう言えば、クリストファー君も高等学校を卒業したら、騎士団に入団すると言っていたそうだ」
「あら、それは嬉しいお知らせですわね。ジョナサン様もアンジェラ様もさぞかし喜んでいるでしょうに」
ジェーンの両親も、声に暖かみが滲んでいた。
「そうと決まれば、彼もそろそろ婚約を発表しようと思うのではないかね」
「あら、貴方。それは今、ここで言っていい事では・・・」
手袋を嵌めながら両親の話を聞いていたジェーンは、「婚約」の言葉を聞いて硬直した。
(婚約? クリストファー様が? 嘘、誰と?)
互いに目配せをする両親にも気づかず、ジェーンはそのままズルズルと馬車に乗り込むのであった。
勿論、そんな話を聞いた後のジェーンは、気が気ではなかった。
いつもの様に夕食前に二人で図書室にいる間も、ジェーンはクリストファーが自分に何を言うのか、ある意味怯えていた。
もし、彼からその「婚約者」について聞かされたら・・・
いや、本当に彼は婚約の予定があるのだろうか。
確か、一年程前にクリストファーと将来の夢や結婚について話した記憶がある。
その時彼はそっぽを向いて、「結婚とか婚約とかは、まだ・・・」としか答えていなかった。
だが、その頃はまだ結婚について考えていなくても、今は状況が変わったのかもしれない。
クリストファーが、誰か良い人に会ったのかもしれない・・・
もし、そうなら。
ジェーンはそれを受け入れる他、ない。
「ジェーン」
手を後ろに組みながら、クリストファーは言った。
「もうあまり僕と時間を過ごさない方が良いと思うんだ」
* ~ * ~ *
あれから四年。
ジェーンはクリストファーの事を気にかけていない訳ではなかった。
距離を置こうと言われた直後は、自分が感じられるとも思っていなかった悲しみに襲われ、食事も喉を通らなかった。
それでも、一ヶ月ほど経った時点で、やっとあの日渡された木箱を開ける事ができた。
開けた瞬間に、涙が出てきたが。
箱の中身は、ジグソーパズルだった。勿論、バラバラの状態の。
正直、ジェーンはパズルが得意ではなかった。「目」より「耳」の方がインプットや思考には向いていたからだ。
ただ、クリストファーがパズルをする側に座って、彼を眺めるのは好きだった。
それでも、ジェーンは決心した。
終わらせよう、パズルを。
そして、終わらせたら、この感情も捨てよう。
残念な事に、ジェーンが本格的にパズルに取り組み始めたのは、ちょうど医学部での勉強が始まった時期だった。
それからは、ただただ時間との戦いだった。
何しろ、勉強以外何もする時間がなくなってしまったのだ。
それでも、ジェーンは少しずつパズルを完成させて行った。
そう・・・四年かけて。
何せ、クリストファーの魔術が施してあるのか、パズルの絵は少しずつ変わって行くのだ。
こうなっては、カタツムリのペースでパズルをしていては、埒が明かない。
だが、それでも。ジェーンはパズルを終わらせたかった。終わらせなければいけなかった。
そして四年間かけて完成させたパズルを見て・・・ジェーンは笑った。
そして、泣いた。
これは、クリストファーに送り返さねば。
なぜなら、そのパズルの絵を見て、ジェーンは一つの事に確信を持ったからだ。
それは、彼女が勉学を通して感じる時と同じくらい、自信を持って言えた。
好きなのは彼女だけではなかった。
でも、それも四年前の話。
今まで、ジェーンはクリストファーを忘れる為に、パズルをして来た——結果は違ったが。
今でも彼は、彼女の事が好きなのだろうか。
この年月が経っても、彼女が彼の事をまだ好きな様に。
二人のハッピーエンドは・・・?