表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女嫌いで男嫌いで人間嫌いで女よりも女らしい男の異世界転移。  作者: 私はがんばらない。
第1章 ヒヨクレンリヴァンプ
8/33

007 吸血鬼

 いま、目の前のそれは、目の前のその存在は、なんと言っただろうか。 


吸血(きゅうけつ)()……?」


 身体(からだ)の状態を警告するかのようにチカチカする目を()(ひら)いて、オレはそれを見る。


 オレが〝(オレ)〟になって、はじめてだった。はじめてのことだった。

 はじめて――棒人間では(・・・・・)なかった(・・・・)


「そうです。吸血鬼(きゅうけつき)です」


 オレの()(もん)とも言える呟きに、それは答えた。

 教科書でも、聖書でも読むかのような、落ち着いた静謐(せいひつ)な女の声だった。

(オレ)〟という存在がいるので、声が女の(それ)でも女とは言えないが、たぶん、おそらく、女だ。


 なるほど。耳はある。確かに見える(・・・・・・)。口もある。確かに見える(・・・・・・)


 本当に、棒人間ではなかった。


「驚くのも、無理はないのですね」


 オレが驚いているのは、きっと彼女が思っていることとは違う理由だが。

 呆然(ぼうぜん)とするように固まっているオレに、彼女は続ける。


「吸血鬼です。――こんな姿(・・・・)ですが」


 そう。

 棒人間として見えなかったのは、きっとそれが人間だと思わなかったからだ。

 吸血鬼だからだろう? いや、そうじゃない。

 視覚的に(・・・・)物体的に(・・・・)、それは人間には見えなかった。


 着ているのは服とは呼べない1枚のローブ――いや、着ているとも言えないし、ローブとも言えない、()とすら言えない――それは布だ。砂や(ほこり)で黄ばんだように(よご)れた布。

 その布の(はし)から、(ふゆ)()れの木の枝みたいな()()が覗く。骨と皮しかない四肢(しし)。筋肉すらないようで。(げん)に、そのは、()(たい)は、動くことはない。死体のよう。

 死体(いな)()(たい)に下敷きにされているのは、一体何年切らずにいたらその長さになるのかという髪。これも砂やほこりにまみれてボロボロだ。色も本来の(それ)が何色であるのか(さだ)かにならない。目もあてられない髪。


 いっそ、出来(でき)の悪い人形だと言われたほうが納得し、安心する。それほどだ。

 だが、人形ではない――顔。その顔。

 まるで深い(くま)が刻まれているかのような落ち(くぼ)んだ目元、ひどく痩せた(ほお)、唇は色の悪すぎる紫色でこの大地のようにひび割れていて。

 しかし、(くぼ)んだ目元の奥にあるその蒼氷色(アイスブルー)の瞳――眼球がぎょろりと動き。(ほお)(ぼね)の浮かんだ(ほお)がわずかに()りあがって、そして小さな口が痙攣しながら(ひら)くのを見て。

 それは確かに人間であると――いや、吸血鬼らしいが。


 生きているものであると確認できる。


「恥ずかしい姿で、申し訳ないのですね」


 布1枚の、あられもない姿。たとえ人間でなくても、たとえ吸血鬼でも、女は嫌い。女の肢体(からだ)を凝視するなんてありえない。吐く。が、こんな得体の知れないものの前で目線など外せるわけがない。

 オレは彼女を、その()(たい)(まばた)きを(こら)えるほど見ている。しかし。

 吐けない。吐かない。吐く気力がない(・・・・・・・)


「っ……」


 オレは立っていられる気力(ちから)さえなく。膝を折って……片膝を地面につけてしまう。

 息をするのさえしんどい……(けん)(たい)(かん)。疲労感。


 これは……ここは、おかしい。――この環境(せかい)は、おかしい。


 目の前の存在が『吸血鬼だ』と言っても、それに対してあまり驚かなかったのは、ここはオレのいた街じゃないと、日本じゃないと、()()()()()()()()()()()と、そう直感していたから。

 だってこんな景色、ありえないだろう。


 別世界。――別の世界に飛ばされた(・・・・・)。別の世界に転移した(・・・・)

 異世界転移。と考えるのがもっともだ。ありえない、と思うが、目の前の景色こそありえない。地球にこんな場所はない。

 これまで様々な知識を(たくわ)えてきたオレには、異世界転生や転移を題材にした作品(しょうせつ)の知識もある。これはきっと、それだ。


 それに、ありえないだのなんだのと考えている余裕はオレにはなかった。


 片膝をついたオレは、それでも体を支えていられず、片腕を、片手を地面につく。最悪だ。タイツ越し、手袋越しとはいえ、地面に()れてしまった。


 ()(うず)く。気持ち悪い。吐き気がこみあげる。だが、やはり、吐けない。

 身体(からだ)を襲う(けん)(たい)(かん)により、吐くという行為、それもできないのだ。めちゃくちゃ気持ち悪いのに吐けない。それがまた気持ち悪い。とんでもなく気持ち悪い。


 目の前の存在、その眼球がオレの様子を見て、口にする。


貴方(あなた)が、一体どこから来たのか、どこから来てくださったのか、わかりませんが、人間が――魔力(まりょく)のない者がここにいては、命を落とすのですね」


 魔力――? その言葉もそうなのだが。

 彼女の言葉に、彼女の言いまわし(・・・・・)に、不自然なもの、引っかかるものをおぼえるが、考えられない……頭が、くらくらする。


「ごめんなさい、と謝るしかないのですが、おびに、と言いますか。――私なら貴方(あなた)を助けることができます。その状態を、なんとかすることができるのですね」


 彼女の声がまるで水中にいるかのようにぼわんぼわんとする。


「申し訳ないのですが、私はこの有様(ありさま)でして、動くことができないのですね。助けるなんて言っておいて本当に情けないのですが、私も助けてください。こちらに、来ていただけないでしょうか」

 

 脳に届くまでが遅い……届く言葉をやけに遅れて脳が理解し。

 果たして声が、言葉がでているのかわからない……呼吸さえできているのかわからない口を、動かす。


「はい。私なら貴方(あなた)を助けることができます。どうやって? それは貴方(あなた)の血を吸うことですね」


 もはや膝立ちを(たも)てなくなりを地面につけたオレは、距離は変わっていないはずなのに少しずつ遠くなっていく彼女の声を聞こうと、()ってズルズルと前に進んでいたその腕が、止まる。


「私は吸血鬼です。貴方(あなた)の血を吸ってほんのいくらかでも力を取り戻せば、なんとかなります。なんとかするのですね。え? どうやって血をあげればいい? 指先でも切ればいい? いえ、貴方(あなた)はただ首を差しだしてくださればよいのですね。物騒な言い方になりましたが、もちろん命は保証します。――吸血鬼は、異性の首、そこに(キバ)を刺して血を飲むのですね。……え? 無理? ダメ、なのですね?」


 そりゃ、無理だ。ダメだ。首に(キバ)を突きたてられるなんて……他人に()れられるなんて無理に決まってる。ダメに決まってる。


 他人()――人ではないのかもしれないが、吸血鬼だって。鬼だって犬だって猫だってなんだって。()れられるのは(いや)だ。無理だ。ダメだ。それに――


 彼女はいま、もっと聞き逃せないことを言った。――異性の(・・・)


 それは、どういうことか。オレは、逃避する。その思考(・・・・)を逃避する。


 彼女はやはり彼女ではなかったのか。彼女は彼だったのか。――〝(オレ)〟を見て、男だと思うはずがない。なら彼女は彼女(おんな)ではなく男ということ。


「私が男、ですか? いえ、私は女なのですね」


 そうではなかった。彼女は彼女。女らしい。それならば。まさか。


 彼女は、〝オレ〟が男であることに気づいている――


「はい。貴方(あなた)が男性であることは知っているのですね。吸血鬼は異性の血を吸う、異性からしか吸血できないという性質上、相手が、目の前の存在が、男か女、どちらなのかを知らなくてはいけない。吸血鬼には、それがわかるのですね。相手の匂いで、目の前の存在の匂いで。――()()()()、とでも言うのでしょうか」


 なるほど。であるなら。

〝私〟の見た目に騙されず〝(オレ)〟は(オレ)であることがわかるだろう。


 しかしなら。それなら。――彼女は一体、どう思う(・・・・)のか。()()()()()()()のか。


 オレを。〝私〟という存在を。


 意識もはっきりしなくなってきた。もはや明瞭(めいりょう)でない頭に。

 だがはっきりと、言葉が現れる。蘇る(・・)


 それは、何度も言われてきた言葉。そして、先ほど逃避した思考――


 ――なんで女の格好してるの? 

 ――おかしい。

 ――気持ち悪い。


 きっと、彼女も、目の前の存在も。

 いままでと同じことを……彼らと同じことを言うと身構える。身構えたところで、変わらないが。


 世界が変わろうとも。人間じゃなく吸血鬼に変わろうとも。

 きっと、言うことは同じ。変わらない。


 そう思うオレに、彼女は。


だから(・・・)貴方しかダメ(・・・・・・)なのですね(・・・・・)


 目の前の存在は、言う。


貴方(あなた)は、無理、ダメ、と言いますが。私は、()()()()()()()()()()()()、なのですね。男性でありながら、女性の姿をしている――いいえ。女性よりも女性らしい、貴方(あなた)しか」


 果たして、オレの耳は正常に働いているんだろうか。オレの脳は正常に機能しているんだろうか。もうおかしくなってしまったか。


貴方(あなた)の血を、私に飲ませてください。私を、助けてください」


 だが、これだけ繰り返されたら、きっと、その言葉は間違っていないのだろう。


貴方(あなた)しか、ダメなのですね」


 それは一体……オレしかダメ、とは、一体どういうことなのか。


 それを聞こうとして――しかし、そこで限界だった。


 気づけば、あと少しで彼女に届く――そんな所まで彼女へと()っていたオレは、だが、そこまでだった。そのあと少しは、彼女には、届かなかった。


 腕が動かない。体が動かない。たぶん、呼吸ができていない。酸欠だろう。茫茫(ぼうぼう)としていく意識……あぁ、ダメだ。もう、ダメだ。


 オレは、死ぬ――


 もうろくに思考することもできないなかで。

 だが、ひとつだけ。灰色の意識に、はっきりとこびりつく思いがあった。


 ――このまま、死ねない。


 絶対に、いまここでは、このままでは(・・・・・・)死ねない(・・・・)――。


 ――わかった。お前を助けるから、だから、オレも助けてくれ。


 果たして、その言葉が本当に言えたのか、彼女に届いたのかわからないまま――


 オレの意識は、灰色の向こうに――闇に、落ちた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ