005 人間が吐きだす言葉が嫌い
中学生になった頃だ。まず、彼――父さんが言った。
――そろそろちゃんと、普通に育てないか?
リビングで母さんに口にした言葉を、オレは彼らには見えない見られていない廊下から聞いた。偶然、耳にした。
大鳳連理という俺たちの子供は、女の子ではない、男の子。男だ。中学生になったことだし……入学式にも行ってないが、そろそろ普通に、ちゃんとした男の子にさせよう。
彼はそう言ったのだ。
聞いたオレは、ただ黙っていた。廊下で、動かなかった。
だが、その胸の内には感情が言葉がいまにも飛びだしそうに、湧いていた。
――なんで。ちゃんとした男の子ってなんだよ。
――普通って、なんだよ。
自分が普通じゃないのはわかっていた。当然。そんなのはわかっていた。
しかし、オレにとってはそれが普通だった。
それが、これが、普通だった。
彼らにだけは、お前は普通じゃないと。間違っていると。普通を否定してほしくなかった。
それは、彼らがオレをこうしたからではなかった。彼らがオレの普通を歪めたからではなかった。――お前たちがオレを女の子のように育てたんだろとお前たちが原因だろと彼らにその責任を求めたかったからではなかった。
オレがこうなったのは、オレ自身。オレの気持ちで、オレの意思。彼らが、ましてや、名前も顔ももう覚えていない彼女のせいではない。彼らに、彼女に、変えられたわけじゃない。それは違う。
だから、彼らに責任を求めたかったわけじゃないのだ。――ただ、オレは彼らを愛していたのだ。
オレがこうなったのは、こうなれたのは、彼らがオレを女の子のように育ててくれたからだ。
産まれてくる子供に女の子を欲しがった彼らが産まれてきた男の子に女の子の格好をさせた、女の子にするように育てた。そこには愛があった。虐待じゃない。彼らはオレを愛してくれた。
オレも同じように彼らを愛すのは当然じゃないか? なにより、家族なんだ。
その当時すでに人間嫌いによる潔癖症になっていて、他人と同じ空気を吸いたくないと口にマスクをつけはじめていたが。家でだけは彼らの前ではしなかった。家族だったから。
彼らだけは、彼らという人間だけは、オレは愛していた。
彼に、母さんは言った。
――もう少し、様子をみてみましょう? 私たちに責任があるし、あの子もそのうち普通になるでしょう。
オレはやはり黙って部屋に戻った。そしてやはり、もちろん、普通にはならなかった。
オレには『復讐』があった。――女よりも女らしい男になる。
その『復讐』は、中学を終えて、高校に入学して、果たした。
ジェンダーレス制服制度を使い、女子制服に身を包んだ高校1年生のオレは、誰がどう見ても、どこからどう見ても、女よりも女らしい男になっていた。
その〝私〟をはじめて見た日。入学式から帰ってきた〝私〟を見た彼らは。――彼女は。
〝私〟が扉を閉めた向こうのリビングで。
――どうしてあんな風になってしまったのかしら。
後悔が含まれたその声を。その言葉を聞いたとき。
オレは吐いた。
これまで食べてきた彼女の料理をすべて吐きだすかのように、吐いた。
あんな風。
その言葉が、この言葉が、これまでオレに吐かれたどんな言葉よりも、重く、激しく、オレを殴った。――はじめて彼女に、母さんに、殴られた。そう感じた。
――普通じゃない。
――男なのに女の格好してておかしい。
――気持ち悪い。
他人に……主に高校に入学するために最低限の登校だけをした中学校で、色々な言葉を言われたが、それらのどんな言葉よりも。彼女が口にした言葉が、効いた。彼女のその言葉だけは、ダメだった。――そうだ、オレはここで潔癖病になった。
家で、リビングで、マスクをしてそして手袋をした〝私〟は、彼らに言った。
「〝申し訳ありませんが、これからはひとりで暮らします。いままでありがとうございました。お世話になりました〟」
小学校そして中学校その大半というか9割以上行かなかった時間。
『復讐』のため……女よりも女らしくなるため、その過程で、本当に色々なことをやったが。
そのひとつに、ヴァイオリン。ヴァイオリン演奏がある。なぜ女よりも女らしくなるための一環がヴァイオリン演奏なのか、なぜヴァイオリンを弾こうかと思ったのかは、ヴァイオリンを弾く女性は美しいということを知っていたから。いや、ヴァイオリンを弾く美しい女性を知っていたと言うのが正しいか。
オレの母親はプロのヴァイオリニストで、所属するオーケストラの第一ヴァイオリンとして演奏したりソロで公演をしたりする――けっこう、有名な奏者なのだ。
その演奏技術はもちろん、演奏をする彼女の姿――彼女は〝私〟の母親だつまりは〝私〟ほどじゃないが美人な彼女がヴァイオリンを手に美しい音を奏でる――そりゃ、美しい。美しかった。
ヴァイオリンを演奏する彼女は普段よりも美人に見えた。
だから、オレはそう思ったのだ。――オレもヴァイオリンを演奏しよう、と。単純に、ヴァイオリンっていいな、ヴァイオリンの音色って美しい、オレもヴァイオリンを弾けるようになりたい、と彼女の演奏を聴いて思ったからでもあったが。
彼女に『オレもヴァイオリンを弾きたい』と言ったら、いちもにもなくヴァイオリンをオレにくれた。当時オレを猫かわいがりしていた彼女は、それはもう嬉しそうに、彼女がソロで弾くときに使っていた彼女のものをだ。
そのときまだ潔癖病ではなかったオレは、それを受けとって、そして練習をはじめた。
はじめは彼女に教わっていたが、現在の世のなかには、一般人でも簡単にプロあるいはプロ級の演奏が観られる聴ける、動画投稿サイトという便利なものがある。
『有名なあのクラシック曲のヴァイオリンソロです』『流行りのあの曲をヴァイオリンで弾いてみました』といった動画が動画投稿サイトにはごまんと投稿されており、オレはそれを視聴しまくった。これも『復讐』のうちに入る。オレは一切妥協しなかった。
中学3年生になった年、歳、オレは自分も動画を投稿してみた。
毎日の記録みたいなつもり……弾いた曲とその自分の(美しい)姿を確認しよう、という気持ちで。そういうつもりじゃなかった。
だが――当時、中学3年生という年はオレが『復讐』を完全に果たす1年前、その頃には『復讐』はおおよそ果たしていてつまりはほぼ〝私〟の姿――(見た目)超美少女がヴァイオリンの美しい旋律を奏でる。それを動画投稿サイトに投稿すればどうなるか。
100、1000、1万、10万……と再生されるようになり、最近いくつかの動画が100万再生を超えた。1番最初に投稿した動画は400万再生を超えている。動画を投稿するチャンネルの登録者は60万人を超えた。
その動画の収益が、チャンネルの広告収益が、オレにはあった。家を出てひとりで暮らせるだけの金がオレにはあった。
オレは家を出た。
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ふと、気づくと、腕が止まっていた。――弦に当てた弓が、それを持つ指が、手が、止まっていた。
動画投稿するための動画作成――今日は有名アニメ主題歌のヴァイオリンアレンジ動画を撮っていた――ヴァイオリンを弾いていたのだが、演奏録画の途中で手が止まってしまっていた。……今日はもうダメだな。集中できそうにない。
息を吐いて、手にしていたヴァイオリンを、弓を、ケースに仕舞う。――そのヴァイオリンは真新しい。
かつてオレが使っていたヴァイオリンは……彼女からもらったヴァイオリンは、ここにはない。実家を出るときに、そのまま実家に置いてきたまま。
いまどうなっているのか、オレは知らない。……知ろうとは、思わない。
部屋の時計を見ると20時をまわっていた。オレは日課のランニングをするべく、さっと着替えて。部屋を、マンションを出る。
犬も歩けば棒にあたる、ではないが。――女よりも女らしい男が街を歩けばナンパしてくる男にあたる。
これは諺ではなく慣用句ではなく、事実だ。この世の理。
「お姉さんよかったら一緒に走りません?」と交差点の信号待ちをしていた〝私〟に声をかけてきた棒人間――同じラフな格好をした男のその顎を振りあげた靴の爪先で叩いて失神させる。
女よりも女らしい男が街を走ってもナンパしてくる男にあたる。それほどの頻度で、それほどの数処理しているため、(やっぱり便利)動画投稿サイトを観て様々な武道武術の理論と型を覚えただけだったが、いまでは一瞬で相手を眠らせるように失神させる、ついでに前後の記憶をなくさせる、そして一種の武道の型のように美しいものとなっている。
ちなみに、大抵オレは足を爪先を使うが、その理由は拳を使いたくないからだ。手袋をつけているとはいえ、それでも他人を触るとかありえない。相手を殴りながら吐く美少女という、都市伝説がひとつ生まれてしまう。都市伝説は女よりも女らしい超美少女がいるというそれだけで十分だ。
スヤァ、といっそ幸せそうに気絶している棒人間を一応夜であり交差点であり危ないため近くにあった交番そこを覗いて〝倒れている人がいます〟とお願いする。
オレはランニングを再開する。……前に。
背の高い建物に囲まれ、やたら狭い――建物が発する、そこにいる人間がつくる光で星の光も見えない――夜空を見上げ、ひとつ息を吐く。
(はぁ、本当に……)
違うんだよなぁ……そうじゃないんだ。
たとえば『カノン ヴァイオリン』と検索すればなによりもトップに〝彼女〟の動画がでてきます。
彼の一番好きな曲は『G線上のアリア』ですね。
彼が動画で観て覚えそして完成した『護身術』は様々な武道武術がミックスされたオリジナルです。
皆大好き鉄山靠なんかもやろうと思えば彼はできますが相手に触れるなんてありえないのでしません。
あなたには功夫が足りないわ!