1_非日常から異世界へ
趣味で初めてみました
私の後輩が目の前で、その大男にワニの餌にされている。その大男は陽気に鼻歌を歌っている。そばに立っている細身の男は私に向かって気だるそうに聞いてきた。
「おい女〜。もう用がねえなら、安全に地上に送ってやるよ。早くしてくれ」
まるでこれが日常かのような言い草だ。あまりにも何もなかったかのように時間が過ぎていくので、私は驚く暇すらなかった。それよりも理解が及ばない恐怖が上回った。
「花村は……助からないんですか……」
「じゃあ檻の中に入るか?」
花村は決して可愛い後輩ではなかった。だが私には最低限の人としての情がある。恐る恐る私は聞いてみたが、答えは非情だった。
「せっかく釣った餌なんだからよぉ、うちのペットから取り上げないでくれよ嬢ちゃん。久々の餌で腹減ってんだよぉ」
嫌味のない笑顔でその大男は答えた。あまりの態度に私は感情的になってしまった。
「命を……なんだと思っているんですか……」
「大切だよなぁ、尊いよな!」
「じゃあどうして!」
「ワニの命も大事でしょうよぉ。餓死しちまうぜ」
「人と動物の命が等しいと言うんですか!!」
「……?当たり前だろう?」
「もっと手に入りやすい餌があるじゃないですか!」
「だって、簡単に手に入っちまったんだもん、ソイツ。それとも他の動物の命はどうでもいいってことかい?もしかしてアンタ、『命は奪うべきじゃない』とか抜かす、最近流行りの鉱食主義者ってやつかい?」
「人の命は……食べ物じゃないと思います……」
「それはおたくの常識だろう……ヤマじゃあ通用しないぞ?」
ここヤマ帝国では、世間の常識・道徳・倫理が何もかも通用しない。それ故、議論が全く噛み合わない。私は何も言えなくなってしまった。そして、後輩の絶叫がこだました。そのあとはエレベーターの不気味な機械音だけが無常に鳴り響いていた。細身の男が未だ気だるそうにまた質問した。
「もういいか〜?ん?お前笑ってんのか?エレベーター来たぞー」
考えることを放棄した私は、返事もせず、気づいたらエレベーターに搭乗していた。
「ヒロシタロウ、すぐ戻るから晩飯用意しといてくれ。なかったらそのワニ食うからな?」
その大男は「はぁい」と小さく返事をした。するとすぐにエレベーターの扉は閉じた。行き先は0階だ。
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「だから勝手な行動すんなって釘刺したのに」
細身の男はそっと呟いた。
「お前らヨソの人間は、勝手に上がり込んで、勝手な行動して、勝手な常識を当てつけやがる。流行ってんのか?」
確かに勝手なのはこちらだ。ヤマ帝国には国交というものを一切結んでいない。来るもの拒まずのスタンスだが、自己責任で、というのがこの国の常識であるようだ。そんな中、この男は安全に送り届けてくれるだけまだ親切なのかもしれない。私はまだ混乱の中で、俯いたままだった。
やがてエレベーターが動き出した。轟音と共にゆっくりとーー最下層であるここからーー下方へと……
「あーー女、すまん。帰せなくなったわ」
やっぱり私は無事に帰れないんだ、この場で生涯を終えるんだ、と謎の安堵感すらあった。正直覚悟はしていた。しかし、仮初の安堵すら一瞬で消えてしまった。
「このエレベーター、異世界につながっちまった」
非常識に非常識が上書きされ、私は気を失った。