紫と缶コーヒーの共通点
春の日差しが、藤の花を淡く輝かせている。
浅木隆が『藤棚』を油絵で描きだして、そろそろ2時間が経とうとしていた。
一人で黙々と、筆を動かし続ける。
「……出来た」
浅木は小さく息を吐き出すと、静かに筆を置いた。
大きく体を伸ばしていると、後ろから足音が近づいてくる。
「……すごい、写真みたい」
目を輝かせて、会社の先輩・篠崎吉乃が絵をのぞき込んでいた。
「吉乃さん。お疲れ様です」
吉乃は「うん、お疲れ」と流して挨拶をし、食い入るように絵を見続けている。
浅木は、普段近くで見る事のない吉乃の横顔をそれとなく見た。
特段美人というわけでもなく、不細工というわけでもない。
長い黒髪に切れ長の目、色白だが艶のない肌。
口数も少なく『生真面目』という印象だ。
「はい、缶コーヒー。一本あげる」
吉乃が手渡したのは、ホットのブラックコーヒーだ。
浅木は驚いて、両手で缶コーヒーを受け取る。
「ありがとうございます!俺の為にわざわざ?」
「いえ?自販機で微糖のコーヒーのボタンを押したんだけど、何でかブラックコーヒーが出てきてね。私ブラック苦手だから」
「……そうですか……」
浅木がぬか喜びしているのにも気づかず、吉乃は姿勢を直して微糖の缶コーヒーのプルタブを上げる。
一口飲むと、しみじみと缶を見た。
「コーヒーって不思議よねぇ」
「何がですか?」
浅木は吉乃を見上げて『不思議』の意味を尋ねる。
「だって、コーヒーの香りってリラックス効果があるのに、飲むと覚醒作用があるじゃない。一つの物に2つの真逆の効果があるのよ?不思議じゃない?」
吉乃は持っている缶コーヒーを揺らす。
浅木は、そんなの考えた事もなかった。
「確かにそうですね……それを言えば『紫』もそうじゃないですか?」
浅木は、吉乃の身につけている紫色のセーターへ目を遣る。
「『紫』は赤と青の混ざった色ですからね。『情熱』と『冷静』が一緒になった難しい色なんですよ」
「そうね」
今日、その『紫』を着こなしている吉乃には『ミステリアス』な雰囲気が醸し出されている。
吉乃はコーヒーを持ったまま藤棚へ歩み寄ると、花を見上げ指先でそっと触れた。
高貴で儚く、美しかった。
浅木は、その光景に目を奪われた。
『この瞬間を描きたい』と、強く思った。
「吉乃さん──絵のモデルになってくれませんか?」