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女子高生『川海 晴香』の外出

 日差しはあまりにも熱く、地面をも焦がす。そんなちょっとした香りと激しい暑さに見舞われながら川海 晴香はただただ机と向き合って勉強をしていた。少し前までは毎日のようにある女性の元を訪れていたのだが、夏休みに入って6日、一度たりとも顔を合わせることがなく、正直な話をするならば寂しくて恋しくて会いたくて笑って欲しくて笑い合いたくて。

「天音」

 雨空 天音、退魔師の女性で酒と金と女、具体的には晴香くらい顔の整った女が好きなどというだらしない人物。晴香は度々この世ならざるモノを持ち帰っては天音の心を悩ませてお祓い代金は雑用のアルバイトで返していた。妖怪を引き寄せる術が解けるのは6月頃、受験のストレスを考慮すると8月だと天音は予想していた。確かに終業式までしっかりと持ち帰っては「この妖怪ていくあうとめ!」と叫び睨みつけつつもどこか楽しそうな天音を見て笑っていたのだが、夏休みに入った途端、急になにも呼び寄せなくなってしまったのだ。天音との縁を繋ぐ術が解けてしまったのか、単に出歩かないがために引き寄せないのか、その手の道の才能しかない素人の晴香には分かるわけもなかった。

 振り向いて鏡に映る自分の顔を確かめる。天音の大好きな顔。飛びぬけて可愛いというわけでもなければ大きく崩れているわけでもなく。鼻の低さが少しばかり憎たらしい。何より高校受験前から年々余計な脂肪がついてきて丸くなっていてただでさえ嫌いだった身体が高校の3年間、更に少しずつ増えて、天音と一緒にいる間にも少し太って気にしていたのだが、高校三年生という大学受験との闘いの中で更に太ってしまった。このままでは天音に嫌われてしまう、そう思うだけで震えは止まらず、しかし勉強の疲れに食べているグミを手放すことができないでいた。

「どうかもう持ち帰らないでくださいお願いします私。痩せてからもっと可愛くなってから天音に会わせて下さい」

 そう願った。必死に願った後に勉強を続ける。ストレスの二重苦三重苦、それが想いや解けていない問題への焦りや解け切れていない術を揺さぶりかき乱す。濃く強くなりゆく気配を餌だとでも思ったのだろう。目を付けたなにかが屋根を這って伝うように下りて窓ガラス越しに晴香の姿を確認して、嗤いながら窓ガラスをすり抜け大胆に忍び込み晴香と重なりひとつになった。晴香は急に体が気怠く重くなったのを感じて呟いた。

「太りすぎ……だよね。こんな体で天音にだけは会いたくないよ」

 しかし取り憑いた何者かはそんな晴香の心情の色を読み取り卑下な嗤いを上げて周囲のものを浮かせて箱の中、机の引き出しの中のものを引きずり出してばらまいてゆく。

――これは……間違いないよ

 晴香は緊急の事態に自身の以前よりも膨れた手をみて一瞬躊躇するも、背に腹は代えられない、そう声に出してあの女性の元へと向かってゆく。

 ドアを開き、地面を踏み出した途端、耳元で不快な笑い声が響き、隣りの家の木の幹がちぎれる音を立て始める。晴香はその光景から目が離せない。心に渦巻く不安と恐怖は大きなもので、膨れ上がった恐怖の破裂とともに木は倒れて車を力の限り殴りつける。

「ごめんなさい、なにもしてないけどごめんなさい!」

 そう叫びながら必死で駆けてゆく。晴香の走ったあとには破滅が付いて来るのだろうか、不快な声のような音を響かせながら大地は裂け、男の子が持っているお菓子の袋が破裂して老人の頭に乗っかってカツラとなり、道路標識の矢印は反対側を指していた。

――いけない、早く天音のところに、速く

 何者かの耳障りな嗤い声から逃れるように走り続けて、その度に周囲に災害をまき散らす。駆けて駆けて息を切らしてそれでも焦りと恐怖を抱えながら目的の場所へと向かってゆく。恥ずかしさも天音のことも気にしている余裕などありはしない。遊具が崩れる公園を横目に、曲がってくる車がクルクルと回転してひっくり返る道路を横切って、走る。ここまで派手な怪異は初めてのことで、周囲にまで迷惑をかけてしまった晴香はただただ罪悪感と羞恥に押し潰されてしまいそうになっていた。

 稲が全て倒れた水田、引き裂かれて痛い痛いと叫んでいるように見える木々。

 駆け抜けて走り抜けて、ようやく見えたアパートのさびて痛んだ階段を揺らしながら上ってゆく。耳元で例の存在が先ほどの笑い声とは打って変わって、しかし嫌がらせのような耳障りな声で晴香に訊ねる。

「なぜだ、なぜここではオレサマの力が通用しない」

 晴香は妖しい笑みを浮かべ、得意気な声で答えた。

「さあね、あなたのその足りない頭で考えたら? 受験生の邪魔しか考えきれないようなお下劣な頭でね」

 答えたあとで晴香は顔を赤くした。顔にも心にもそれぞれに違った熱がこみ上げる。先ほどの発言は明らかに大好きな天音に似ていて嬉しくもあって恥ずかしくもあって。そんな想いを置き去りにするように素早く階段を駆け上る。動揺からかどうしても踏み出す一歩に力が入っていつも以上に階段を揺らしてしまう。晴香に取り憑いているモノは激しく後悔していた。力を封じ込める何者かが近くにいる。明らかに人の影に潜むおぞましき者たちと対等以上に渡り合える人物がそこにはいるのだから。

 階段を登り切った晴香はお札の張られたドアの前に立ち、インターホンを鳴らした。数秒の沈黙ののち、なにひとつ反応がないことを悟った晴香はもう一度インターホンを鳴らす。それから数秒後、ドアが勢いよく開き、ある人物が顔を出した。晴香は呆然とした。開いた口が閉じず、言葉のひとつも出ないまま、現れた明るい茶髪の女の発言を無言という形で許した。

「どうもどうも、お留守番のバイト、退魔師事務所の看板娘の場岳 キヌでーす」

 大きくて可愛らしい瞳と前髪を留める葉っぱのついたヘアピンが特徴的な女性、場岳 キヌがなぜかお迎えしていた。同じ明るい茶髪とは言えど、天音と見間違えるわけもなく。

「天音はどこにいるの」

 晴香の問いにキヌはただ笑って晴香を指した。

「あなたの心の中にいつでもいつまでも」

「ふざけないで」

 晴香の目つきはキヌを深く刺す。それでも目の前の美人は表情を崩さずに笑い続ける。

「大切なお祓いがあるらしいから私がお留守番してるわけよ。ホントのホントはなんぴとたりとも入れるんじゃないよ、って言われてたけど晴香に憑いてるのは放っとくと災厄をゴミのようにまき散らすから入れたった……地域伝承のくせに私より派手に暴れやがって。子どもたちから嫌われちゃうぞー?」

「正体分かるの?」

「見えてる見えてる。お鼻が隠れていないよ」

 キヌの明るい声色から心こそは見えなかったものの、日頃の振る舞いを見ていて悪事を働くつもりは微塵ほどもないのだろうと晴香は勝手に思っていた。

「晴香を見守るって使命も追加業務として入ってきたわけよ。これはつまり」

 追加業務というわりにはさぞ気が楽な様子のキヌは葉っぱのついたヘアピンを外す。突如、辺りは白くて重たい煙で覆われた。視界は塞がれて、物音も人の気配も煙に撒かれてしまってなにも見えない聞こえない分からない。煙が少しずつ薄れゆく様を晴香は見守りただただ待つだけ。煙が完全に晴れた時、そこには変わり果てたキヌの姿があった。明るい茶髪は跳ねて膨れ上がり、頭からは丸い耳が生えていて一目で人ではないのだと分かる姿。そんなキヌは松と市松模様が混ざったような柄の分厚い着物を纏っていた。天音の普段着を思い出して晴香は思わず吹き出してしまう。

「なに? 私の美少女タヌキ姿がそんなにおかしい?」

「全然おかしくないよ。ただ、天音の服との差がね」

「あれは彼奴が悪いの。酒にばかり金を注いで盃を濡らすことばかり考えてるから」

 辺りを見回して思うのは相変わらず酒瓶が部屋中に立てられていることと退魔師が化け狸という妖怪の立ち入りを許してしまっているという現状、そして普段から笑顔のキヌが今浮かべているいつも以上に爽やかな快晴の笑顔。

「追加報酬いっただきー」

 酒瓶に手を伸ばしてその手を止めた。

「どれが美味しいと思う?」

「未成年に訊ねられても」

 なにも考えずにキヌは緑色の瓶を手にして檜の枡に気持ちを揺らす液体を注いだ。

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