3−1 消えた婚約指輪
その光景を見た時、何となく嫌な感じがした。
人使いの荒いリオンの指示で、朝っぱらから書斎にこもって、業務に必要な資料を探し出したり、必要箇所を付箋したりしていたせいで、目が痛い。
そして、昼前にはあらかた業務が片付き、一回部屋に戻って一息ついて、ご飯でも食べるかなーって思いながら、自室に向かっていた時のことだった。
私の部屋から、清掃道具を持った一人のメイドが出て来た。それ自体は問題ない。私の部屋はあくまで客間なので、前から清掃のため人の出入りはあったんだよね。
でも、私物もあったからーーリオンにあらかた持っていかれたので過去形であるーー誰にでも入ってもらうのは、当然、困る。だから決まった人しか入らないようお願いしていたのだけれど。
私は、近くを通りかかった使用人に声をかける。
「今日、いつもの清掃の方は?」
「食あたりを起こしたようで、本日お休みをいただいています」
そうか……次からは、いつもの人がお休みの時は清掃もお休みしてもらうよう、リオンに伝えておこう。ジーク様がご存命の時も、同じお願いをしていたんだけど、主人が変わったので、改めて依頼しておく必要があったのだ。うかつだった。
「…………」
私は、部屋に戻るとすぐに、部屋の隅に置かれてある金庫を見た。この中には、ちょっとしたお金ともう一つ、あるものを保管していた。
婚約指輪である。
このフォスターや私の実家であるサレノ領周辺では、婚約した時に、互いの名前か頭文字を裏側に彫った銀の指輪を作成し、婚約期間中は右手の薬指にはめ、結婚したら左手の薬指に付け替える風習がある。指輪は男性が用意し、女性に贈る。また、宝石などの装飾を付けないのが一般的だ。
銀は高級品ではあるものの、目が飛び出るほど高い宝石の類に比べればお手頃なので、お財布にも優しい。
私も婚約中は、いっぱしに婚約指輪を身に付けてはいたけれど、ジーク様が亡くなってからは、外して仕舞っておいた。そう、この金庫の中に。
私物を入れた鞄に入れてなかったのは、この婚約指輪に関して、少し思うところがあったのだ。
私は金庫を開けた。
お金は……入ったままだ。しかし案の定。
「ない」
婚約指輪は、どこにも見当たらなかった。忽然と消えてしまったのである。
☆
(うーん……)
後処理をリナにお願いした私は、その後、食堂で昼食を取りながら考え込んでいた。
指輪は、あの見知らぬメイドさんが持ち去ったことに間違いはない。そして、そのメイドさんは案の定、姿を消していた。
金庫には、特に鍵をかけてはいなかった。不用心だった私にも問題はある。ただ、そこには特別に重要なものは入っていなかった。
まあ、あの指輪も、なくなったなら、なくなったで仕方ないものだ。苦い思いが私の中によぎる。
そんなことを考えながら、根菜にフォークを突き刺しているところに、一人の少女が食堂に入ってきた。
顔は見たことがあるような気がするけれど、名前は思い出せない。多分この家の遠い親族か何かだろう。歳の頃は十代の中頃かな。可愛らしい顔をしている。
「あら、エレナ様。ごきげんよう」
そう言って、私の近くに座る。
……ここ、大概広いんだから、離れて座ってくれないかなあ。無理か。なんか話がありそうな目でこちらを見てるし。
「ごきげんよう」
私は、一応にこやかに応対する。ご飯の途中だから、早く要件を済ませてもらいたい。……誰かは分からないけど。
「わたくし、メリルと申しますの」
あ、名前を知らないってことがバレたか。
「リオン様の、お祖父様のお父様の弟の妻のお兄様の子供の従兄弟の孫ですわ」
「……………」
遠いな。本当かなぁ?
……っていうか、血は繋がってないよね。
まあ、いいや。このタイミングで私に接触してきたということは、彼女の要件にも想像がつくというものだ。
「あら、貴女、婚約指輪はどうなさったの?」
リオンの遠い親戚は、まるで今、気づいたかのように目を丸くする。私が押し黙っていると、彼女は、にんまりと口に弧を描いた。
「婚約指輪は、その名のとおり婚約の証」
そして勝ち誇ったように言葉を重ねた。
「指輪がなければ婚約者とは言えませんわね」
なるほど、そもそも私はジーク様の婚約者ではない、とそういう路線か。
……正直、微妙。
家督を狙うような人間が考える策としては杜撰すぎるから……もっと私情かな。もしかしてリオンのことが好きだったりして。
(私から見るとお子様だけど、あれで結構モテるものね)
お見合い話も山ほど来ているというのに、未だ独身だ。不思議でならない。
……まあ、それはともかく。
指輪を私の部屋から持ち出したのは、この子の手の者ということには間違いないだろう。
(あんまり大ごとになるのも嫌だな)
騒ぎ立てられると、私が補佐しないと家督が継げない状況のリオンに迷惑をかけることになる。
(私としては、屋敷を追い出された方が楽なんだけどね)
そんなことになったら、多分、速攻でリオンが迎えに来てしまうだろう。首根っこを引っ掴まれて引きずられていく自分の姿を想像して身震いした。
仕方ないから対応しておこう。
「婚約者を亡くした私が、ジーク様との婚約指輪を付けることは、もうありません。ただ、ジーク様の大切な形見ですからね。今はメンテナンスに出しているのです」
澄ました顔で答える。リオンの遠い親戚の子が、ひくりと頰を引きつらせたのを見ながら、私は微笑む。
「明日には戻ってきますから」
そして、ちょっと首を傾げて見せた。
「ええと……リオンのお祖父様のお父様の弟の妻のお兄様の子供の従兄弟のお孫さん」
「メリルですわ!」
えー。別に名前を覚えたくないんだけど。
そんな私を、リオンの以下略……は睨みつけ、
「明日は見てなさい」
と吐き捨てて、席を立つ。そのまま肩を怒らせて去っていったのだった。
食堂に来て何も食べないなんて、この上なく非常識だと思う。私のスープも冷えてしまったし。せっかく美味しく頂いていたのに、がっかりだ。
私は、冷めたスープを匙で掬いながら、明日はどうしようかと考える。
川とか海とかにぽいっと捨てられていたら、探しようもないけれど、多分、それはないと思うんだよね。
(あれは銀製だったからなぁ)
どっちにしても、指輪は明日にしか出てこないはずだから、今日は明日の準備をするしかないかな。