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婚約指輪の裏側には、互いの名前や頭文字が彫られているのが定番なんだけど……L&Eと彫られていた。ジーク様の頭文字はZだから、つまりは、そういうことだ。
「リオンとどうかと思っていたのだが」
やっぱり「L」って、そういう意味ですよね。流石に、もう分かりました。
しかし、リオンか……。
………。
…………………。
子供ですね。
「うちに嫁に来ないかというのは、そのつもりだったのだよ」
ジーク様は苦笑していた。
全ては私の早合点。勘違いだったというわけですね。恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい思いの私に対し、
「改めて、リオンはどうだい?」
と穏やかな表情でそんなふうに尋ねてくるジーク様に、これだけは訴えておかなければならない。
「リオンはまだ小童ですよ」
「はは、小童か」
ジーク様が再び苦笑を漏らす。しまった。率直すぎた。私は慌てて訂正する。
「リオンは未来あるお若い方です。私のような、二十代後半の女性ではなく、もっと年若いお嬢さんがふさわしいと思います」
本音である。
彼はまだ二十歳なのだから、お相手として丁度良いのは十代後半のお嬢さんだろう。
……というか、リオン本人の意思はどうなんだろう? 私と結婚したいなんて、絶対、思ってないと思う。
(ジーク様との結婚にだって反対だったんだから)
このまま「リオンと」なんてことになったら、望まぬ結婚を強いられるリオンの方が可哀想だ。だから私は断固として「貴方と結婚したいんです」という眼差しでジーク様をじっと見つめた。じーっと、ひたすら見つめ続けた。
そんな私の目力に押されたジーク様は、少しのけぞりながら、こう提案したのだった。
「ま、まあ、結婚は少し待って、ここで過ごしてみてくれないか? そうすれば、考えも変わるかもしれない」
と。
もう二十六歳だし、すぐにジーク様と結婚する気満々だった私は、初っ端、出鼻を挫かれたわけだけど、ジーク様たっての願いを断ることなんてできない。
でも、私の中に「諦め」という文字はない。その猶予期間で、ジーク様の心を掴んでみせる! と心に決めた。
かくして私は「花嫁修行」という名目で、この屋敷にやってきたのだった。
ちなみに、いつジーク様が心変わりしても良いように、私も婚約指輪を一対、用意していたのだ。裏にジーク&エレナと彫った指輪を。
それをジーク様に強引に渡したところ、ジーク様は、仕方ないなあって顔をして、でも指輪をはめてくださったのだ。
……しかし、私が「ジーク様と結婚するの」と告げた時、母が不思議そうな顔をした理由が分かった気がした。
つまり、
「リオンとの間違いじゃない?」
ってことだろう。言ってくれてたらなぁ。のこのこサレノに行かなかったのに。
そして改めて思う。私はジーク様と結婚するために、ここに来たの! リオンの嫁になるためじゃない!!
……別にリオンが嫌いとか、そういうわけじゃないのよ?
私とリオンは、割と小さい頃からの付き合いだ。ジーク様がフォスターに来られる際には、だいたいリオンも一緒に来ていた。
だから多分、周囲の認識として、私とリオンは「幼なじみ」のようなものだろうと考えられる。
だけど、私の認識では、幼なじみとはちょっと違うんだよね。
だって初めて会った時、私は十二歳でリオンは六歳だったのよ? 当時、この年の差は大きいと思うの。
幼なじみという言葉を使う時って、どちらかというと「同年代の友達」って感覚だと思うんだけど、その頃のリオンは小さくて「友達」って感じじゃなかったんだよね。
「エレナちゃん」
幼い頃のリオンは、とてとてと、ずっと私の後をついてきた。私は、母とジーク様からリオンの境遇を、こう聞かされていた。物心つかないうちに母親と死別して、とても寂しい思いをしているのだと。だから、一緒に遊んであげてほしい、と。
幼くして母を亡くし、きっと寂しいのだろう、と当時はそう思った。
「エレナちゃん、ずっと僕と一緒にいてくれる……?」
彼はしょっちゅう、潤んだ目で、そんなふうに聞いて来た。それもこれも、母親のいない寂しさから来るものだろう。だから。
「うん、ずっと一緒よ」
私は安心させるためにリオンを抱きしめながら、そう答える。すると決まって、リオンは綻ぶように笑ったものだった。
そんな彼を見て、母が恋しいのなら、私が母親がわりになろうと、そう、子供心に決めたのだった。
ただ実際のところ、リオンは母親が恋しい子供ではなく、もっと複雑なものを抱えているのだということを知ったのは、もう少し先の話だ。
それでも私にとってリオンは、最初に抱いた印象のまま、ずっと見守っていたい子供のようなものだった。
……最近は生意気すぎて、子供とは思えなくなってきていますけどね。
うん、弟か? 弟だったら生意気でも許せるような気がするかな。
☆
そういうわけで、リオンと私がデート、と言われても、正直なところ、違和感しかない。だいたい私たちは現在、お仕事で繋がっている仲だし。二人で外出する機会も普通にある。
ただ、幼い頃から知っているという点から考えれば、先ほどのように感じることもある。
「弟、かなあ」
物思いに耽りながら、ぼそりと口ずさむと、何故かリナが額を押さえ、
「それ、本人には言わないでくださいね」
とよく分からない釘を刺してくる。私は首を傾げた。
「えーと、私みたいな部外者に家族みたいに扱われるの、嫌ってこと?」
「違います」
即答された。……よく考えれば、確かに私の方が年上で、ついお姉さん面をしてしまうけど、リオンはこの領地の長だ。弟のように思うっていうのは失礼なことかもしれない。
(うーん)
考える。
考えて。
ーー閃いた。
親友。
そうだ、親友を目指してはどうだろう。
ジーク様と婚約してから、リオンとはずっと険悪だったけど、根本的には昔馴染みだし「顔も見たくない!」ってほど嫌悪されている、というわけではないような気もするし。
私が脳内で、今後のリオンとの接し方についての方向性を模索していると、それを遮るようにリナが声を上げる。
「なんだかエレナ様が今、考えられていることの想像がつくのですけど……やっぱり本人には言わないでくださいね」
呆れたような視線が痛い。私は別にやましいことがあるわけでもないのに、そっと視線を逸らしてしまった。
「とにかく、補佐役のエレナ様がリオン様と円滑な意思疎通ができるということは、とても有用なことです。もっと積極的に交流なさってくださいね」
「はあい」
素直に答えたものの、積極的に交流って一体何をすれば良いの? と、よく分からず悩む私だった。




