1 婚約者に先立たれました
「なぜ、こんなことになったの……?」
私は呆然と呟いた。
おびただしい量の本に囲まれた書斎。その場にいる全ての人たちの視線が、私に注がれている。それもそのはず。
『全ての領地及び財産は、息子リオンに全て相続させる。
ただし、婚約者エレナがその業務を輔弼する場合に限る』
それが、四日前に亡くなった私の婚約者ジーク様(享年四十五歳)が残した遺言だった。
つまり、全てを息子に相続させるけど、自分の婚約者ーーつまり私のことねーーを補佐役にすることを条件としているわけだ。
…………なにゆえ?
ちらと息子のリオンを盗み見れば、彼は大層迷惑げな顔で私を見ていた。
……そんな目で見ないで。私だって驚いているのだから。
なお、他の親族の大半は、憎々しげな、ほとんど睨みつけるような目で私を見ている。
……うう、辛い。
屋敷の使用人たちが、顔色ひとつ変えず、静かに部屋の隅で佇んでいるのだけが、せめてもの救いだった。
確かに私は、ジーク様と結婚すべく、花嫁修行として半年ほど前から、この屋敷に住み込んでいた。
ただ、諸事情により、領民や外部に対しては、まだ正式な婚約発表はしておらず、私とジーク様の婚約を知っているのは、私と彼の親族だけだった。
婚約の事実を公にしていたなら、色々と煩雑な手続きがあるため、しばらく屋敷に残らざるを得なかっただろうけど、実際はそうじゃないわけだ。
外部から見れば、私はただの客人ということになるから、ジーク様が亡くなった今、ここに残る理由は何もない。
ジーク様が亡くなれば、私は当然、葬儀が済み次第、速やかに生家に帰るべきだし、ジーク様の親族のみなさまも、そう思っていたに違いない。
それが、どうして、こうなった??
☆
私は小さな領地フォスターを治める領主の娘として生まれた。
父は幼い頃に病気で亡くなり、突然、領地を任された母を支えながら生きてきた。何も分からない状況で四苦八苦しながら、十数年。
なんとか領地が落ち着いた頃に、私ははっと気がついたのだった。
「行き遅れた……!!」
そして、そのことを私以上に気にし始めたのが母親だった。
今更ながら「私のせいで、このままでは娘が嫁に行けなくなったのでは?」と心配するようになったのである。
しかし私は既に二十六歳。貴族が結婚するには、立派にとうがたっていて、結婚のあてなんて、あるはずもない。
まあ、結婚できないなら、それも運命かなって諦めもあって、母を、
「私、そんなに結婚願望はないから、心配しないで」
と宥めつつ日々を過ごしていたんだけど、そんな折、声をかけてくださったのが、隣の領地サレノを治めるジーク様だった。
「嫁ぎ先を探しているのなら、どうだろう。うちの嫁に来ないかい?」
まさかの申し出。
当然、私は二つ返事だった。
ジーク様は、領地運営に戸惑う母と私に、親身になってアドバイスしてくださって、幼い頃からよく知った方だった。
本当に、色々と助けてもらって、彼の力なくして、この領地は治らなかったと言っても過言ではない。子供心に、憧れと尊敬の念を抱いたものだ。
そんなジーク様と私は、親子くらい年は離れているけれど、とても若々しく、お優しくて素敵な方だった。当然、初婚ではなく、早くに奥様を亡くされ、クソ生意気な息子が一人いるけれど、本人は浮いた噂もない方で、私にはもったいないくらいの人。
ちなみに、それを母に報告したら、
「ジーク様と貴女って……それ、本当なの?」
と、まず疑われた。嘘をつく理由もないし、本当だ、と説明すると、母は、
「まあ、ジーク様のされることだから、間違いはないとは思うんだけど……」
と何やら不思議だ、腑に落ちないといった様子だったけれど、特に反対はされなかった。
そして、ジーク様の二十歳になる息子からは、当然、反対された。
ほら、私って後妻さんになるわけでしょう? ちゃんと息子ーーリオンに伝えておかないと、って思ったわけですよ。知らない間柄じゃないんだし。
ジーク様の屋敷と私の実家は、領地は違えども、割と近い距離にあって、よくお互いの屋敷を行き来していた。だから、私がリオンの執務室に乗り込んでも、誰も咎める者はいなかった。
重厚な机に向かって、何やらカリカリと書き物をしているリオンは、私が部屋に入っても、顔を上げない。仕事が忙しいのだろう。
でも、部屋に通してくれたのだから、話は聞いてくれるつもりのはず。
私は机の対面に立ち、そして告げた。
「私、ジーク様と結婚するの」
「………………は?」
結婚を切り出すと、リオンは少しだけ顔を上げ、間の抜けた声を上げた。しかし彼はすぐさま首を横に振り、
「すまん、幻聴が聞こえたような気がした。もう一度、言ってくれ」
「だから、私、ジーク様と、結婚するの」
また幻聴扱いされては話が進まないので、私は一言一言、ゆっくりと刻んで告げた。流石に今度はきちんと聞こえたようだったが。
「結婚……?」
なんだか錆びついたブリキの人形のように、ぎぎっと首を動かし、私を見た。私は神妙に頷く。
「そう、結婚。ジーク様と」
繰り返す。なんかカタコトっぽくなったけど、これで、意図はしっかりと伝わったはずだ。良かった良かった。ちゃんと報告できた。それと同時に、ふと、ある事実に気付く。
「そうなると私、貴方の継母になるのね」
子供の頃、母親がいなくて寂しがるリオンに「私がママになってあげる」と言って慰めたことがある。よもや、それが実現しようとは。
初婚で、こんな大きな子供の母か。感慨深い。けれど、それも悪くないような気もする。
しかし、リオンにとっては、悪いことだらけだったようだ。
「冗談だろう?」
「冗談じゃありません」
現実を見ようとしないリオンに、私は真実を突きつける。すると、ようやく彼は、我に返ったように、机を両手でバンッと叩きながら椅子から立ち上がった。
「父上とお前は親子くらい年が離れているんだぞ! 金目当てか!?」
「……」
「お前、今、黙り込んだな? やっぱり金目当てなんだな!?」
「……」
絶対に金目当てじゃない、と言えば嘘になる。私がこの領地の領主であるジーク様と結婚すれば、隣あっている私の母の領地も安泰だ。というか、領主の血族の結婚なんて、普通、そんなものだろう。
そんな中でも、尊敬する方と婚約できた私は、幸せだったのだ。
だから、ここだけは、ちゃんと訂正させてもらおう。
「年なんて関係ないわ。大人の魅力が分からないのは、貴方が若造だからよ」
「年なんて関係ないって言いながら、俺のことを若造扱いしてるだろう!!」
言葉尻を捉える、そういうところが、子供だというのだ。
そして、何やかんやと口論した後、最後には、こんな捨て台詞を残されたのだった。
「俺は絶対に認めないからな!」
……結局、リオンは最初から最後までやかましかった。子供の頃は「エレナちゃん、エレナちゃん」って、ずっとひっついてきて、可愛かったのにね。
きっと財産と父親を取られるのが嫌だったのだろう。
大丈夫だよ〜、私は財産とかほしいと思ってないからね。隣の母の領地が安泰ならそれだけで満足だから。
……まあ、結婚する前にジーク様が亡くなったので、なんの財産分与もないけど。