WB LIE Ⅱ‐Ⅳ
耳元のスマートフォンからはコールを伝える音声が聞こえる。なかなか電話に出なく、電話に出られない旨を伝えるアナウンス音声に切り替わる。やきもきした気持ちでそれを繰り返していると何度目かのアタックでやっと通話が繋がる。
「もしもし、黒川さん? 大丈夫ですか?」
「……。西島さん? 大丈夫ってなんですか?」
「あ、いや……。ウソの回収は上手くいったのかなと思いまして」
「あぁその事ね……。正直言うと上手くいかなかったわ……。でもいいの……」
声のトーンが低く少し恐怖を感じさせる。明らかに過去に向かって行く時の印象とは異なるトーンだった。どこか仄暗く低迷しているような様子が窺える。
「いいってどういう事ですか? 上手くいかなかったというのは?」
「もういいのよ、私は分かってしまったの……。ウソを無くしても意味なんてないのよ。ハハハ……バカみたい……。過去に向うあの時の自分がひどく愚かに感じるわ」
「……、ど、どうしちゃったんですか? 何があったのか教えて下さいよ!」
こちらで見ている表情と電話口での発言から、黒川さんに何らかの良くない事が起こっているのは明白だった。何が起こっているのか把握したいが、中々確信に近づく事が出来ない。スマートフォンを握りあたふたしている僕を里佳子さんが心配そうに見ている。その表情を見てスピーカーモードに切り替えた。
「どうもこうもないのよ。もう無理なのよ……ウソをつこうがつくまいが何も変わらないの。私が望む未来なんて何処にも存在しないのよ……」
「黒川さんの望む未来って、お友達を救う為に過去に行ったんですよね? ウソを無くしてもお友達は塞ぎ込んでしまっちゃうんですか?」
「……いいえ。綾ちゃんは以前私がウソをつく前のように元気で何も変わらないわ」
声の調子に苛立ちが徐々に含まれていく。
「そう……。何も変わらないのよ! 私はあのウソをつかなかった。でも何も変わらない!」
「変わってないなら良かったんじゃ――」
「――違うの! 何も変わらないんじゃダメなの! 綾ちゃんは私の元には戻ってこない……それじゃ意味がないのよ! 結局私は綾ちゃんが救いたかったんじゃない! 私と綾ちゃんの2人だけの生活を取り戻したかっただけなのよっ! それなのに!」
捲し立てて喋る黒川さんから本音がこぼれ落ちた気がした。黒川さんは友人を犯罪者にしてしまったウソを無くして、その友人を救いたいとの願いからこのWB LIEを呼び寄せた。その気持ちは偽らざるものだったのであろう。
しかし、過去に戻ってその時間をなぞっている内に当時抱いていた気持ちがフツフツと湧き上がってきたのかもしれない。心の奥の本当の所では『2人だけの生活』というものが横たわっていたのだ。
「落ち着いて下さい! お友達の方は何と言っていたんですか?」
「綾ちゃんは私達だけの世界じゃ何も広がらないって……、色んな人達と混ざり合う事で世界は広がって行くって……。でもそんなの言い訳よ!」
「言い訳って?」
「きっと綾ちゃんは私と2人だけでいるのが苦痛になってしまったのよ。友達が増えたからそっちにいる方が楽しいからに決まってるわ!」
元々の性格なのか、今回の一件を受けてなのか分からないがひどく被害妄想が強く感じる。こうなってしまうと僕の言葉なんかは黒川さんには届かないように思えた。
せっかくやり直すチャンスを得たのに、これでは同じ事を繰り返してしまう。誰も幸せにならない……。でも、僕には黒川さんの心を動かすような言葉は言えない。
――どうしたらいいんだ?
もう過去にいる時間も限られてきている。今何とかしないと黒川さんはまた嘘をついてしまう。そうなったら……。
「黒川さん、聞いて……」
突然背後から声がした。その声は悲しみが混じった音であるが、どこか優しさも感じられるものだった。振り返ると里佳子さんが僕の握っているスマートフォンを真っ直ぐ見据えていた。
「あのね、それはご友人の、黒川さんに対する愛情だと思うのよね……」
「愛情? そんな訳ないわ! きっと厄介者だと思っているわ」
「そんな事ない!」
反論する黒川さんに対して、里佳子さんは急に声を荒げた。電話口の向こうで黒川さんが口をつぐむのを感じた。
「いいえ……私には分かるの」
「……っ、な、なんでそんな事が分かるのよ! あなたに綾ちゃんの何が分かるっていうのよ!」
「経験があるのよ、私にも……。似たような経験がね」
「……」
意外な言葉が里佳子さんから飛び出した。驚きのあまり里佳子さんをじっと見てしまう。黒川さんも言葉を止め、次の言葉を待っているかのように感じる。
「私は黒川さんとは逆だった……、ご友人の――綾さんと同じ立場だったの」
里佳子さんはゆっくりと話し始める。その表情には辛い気持ちがにじみ出ているようにも見え、言葉を絞り出すといった感じだった。
「私は昔一人の友人を死に追いやってしまったの……、その友人の事を私は大好きだった。名前は菫、私の事を好いてくれていた。二人でよく遊んでいたわ。菫は内気な性格で多くの人と交わるのは苦手で社交性があるとは言えなかった」
話に出た菫さんは確かに黒川さんに似ているような気がする。『二人だけの生活』を望んでいる事から内向的な性格が窺える。
「私自身は友人も菫以外には何人かいて、そこら辺によくいるような女の子だった。でも菫とはなぜかうまが合い一緒にいる事も多かった。幼い頃は私もそれでいいと思っていた。ただ中学高校と時が進むうちに、これでいいのだろうかという気持ちが沸き上がって来たのよ」
里佳子さんが言うには菫さんは里佳子さんとばかり一緒にいようとしていて、それ以外の時は一人でいる事が多かったようだ。その事が里佳子さんを悩ませていたらしい。
「菫は私に依存していていたんだと思う……、そしてそれは私の接し方がいけなかったんじゃないかと思ったわ。菫といる時は常に二人だった。他の友達と一緒に何かをするという事が無かったの……」
菫さんが里佳子さんに依存するようになったのは自分に責任があると考えるようになっていったそうだ。そこで、この状況を変えなくてはならないと行動に出たのであった。この辺りを話す里佳子さんの表情は赤らんでいた。当時のその行動に対して後悔の念から気持ちが高揚しているのだろう。
「ある日、菫を呼び出して言ったわ……、私に付きまとわれるのは困る、私は菫だけの友達ではないと……」
「えっ、それはさすがに違うんじゃないですか?」
思わず口をはさんでしまった。それはあまりにも乱暴な言葉であると思ったし、里佳子さんの本心ではないのではないかと思った。
「……そう。私は思ってもいない事を言ったわ。でもそれが一番効果的だと思ったの……。菫を突き放す事で私からの脱却が出来るんじゃないかと思い込んでいた。そうすれば、私以外にも話をする人が増えるんじゃないかって……。それが菫にとっても絶対プラスにつながると……」
真っすぐスマートフォンを見つめるその目にうっすら涙がその雫をためていた。
「その時菫は笑っていたわ、苦笑いって感じだった……。でも、『分かった、迷惑かけてごめんね』と言っていた……。だから、私は安心した。これで菫は変わってくれるって」
それからしばらく沈黙が続いた。誰も言葉を発する事が出来なかった。里佳子さんの目からはとうとう涙から溢れ出てしまった。その後起こる事がなんとなく分かってしまう。それは黒川さんも同じだったであろう。
「……、結局何日かして菫は死んだ。」
里佳子さんは声を押し殺すように、出来れば口にしたくなかったかのように言った。僕は下を向き、やはりそうかと思った。
「菫はフラフラと赤信号の横断歩道を渡って車にはねられた。表向きは事故となっているけど、私のせい……。私が菫を追い込んでしまったのよ。私が……殺したの」
かける言葉が見つからず、ただ下を向く事しか出来なかった。直接的には里佳子さんが手を下したわけではないが、そう思ってしまうのは仕方がない。僕が同じ立場でも自分が殺したと思うだろう。
しかし、里佳子さんのやり方は少し乱暴だったかも知れないが菫さんを想っての事だったという事は安易に想像がつく。悪気があったわけじゃない、しかし、どのような経緯があろうとも結果は変わらない。菫さんは死んでしまったのだ。里佳子さんもそう考えているのだろう。
「だからね……、黒川さん。綾さんもきっと貴方を嫌いになったわけじゃないの。私が菫を大好きだったように……、綾さんもきっと貴方の事をずっと大好きだと思うわ」
それまで、じっと話を聞いていた黒川さんは話を振られスゥと息を吸い込んだ。
「で、でも貴方がそうなだけであって綾ちゃんがそうとも限らないじゃない? そんな事分からないじゃない!」
「……分からなくない! 黒川さんと綾さんは以前は仲良しだったじゃない! その時の綾さんも偽りの姿だったというの?」
「そ、それは……」
「そうよね。その時の綾さんは偽物なんかじゃない。そして、今の綾さんも昔の綾さんもちっとも変わってなんかいない!」
「……」
「今も昔も黒川さん……貴女を大切に想っているわ。ちょっとしたきっかけで自分の世界が変わった。それを貴方にも感じて欲しい、もっと広い視野を持って楽しい世界に飛び込んで欲しい……そう思っているはずだわ」
「私を大切に想っている?」
「そう! しかも、貴方が傷付かないように優しい言葉を選んで促してくれるなんて、私なんかよりずっとずっと貴女の事を考えてくれているはずよ」
「綾ちゃんが私の事を……」
考え込むような間があく。里佳子さんの話やこれまでの綾さんとの事を思い起こしているのだろう。当事者でない僕でさえも里佳子さんの話は胸にこみ上げてくるものがあった。自分たちの状況に似ている黒川さんとしてはなおさらであろう。
「私はどうすればいいの? このままの綾ちゃんとの関係に満足出来るようにしていけばいいの?」
「違うわ。貴方は自分の殻を破ればいいのよ。今までみたいに綾さんに依存して過ごしてく事をやめて、自分から新しい世界に飛び込むの」
「新しい世界?」
黒川さんはその言葉の意味が分からないのか聞き返していた。しかし、声は少しずつ前向きにとらえようとする意志が感じられるようなトーンになっている。
「新しい世界……、つまり自分から周りの人たちの中へ飛び込んでいくの。そうすればきっともっと楽しい毎日が見えてくると思う。そして、綾さんもそれを望んでいる。今までの関係性はなくなってしまうけれども、それ以上に素晴らしい世界が待っているよ!」
「それが私たちの未来の為……でも周りに飛び込んでいくなんて私に出来るかしら?」
「きっと出来るわ……綾さんが信じている貴女だもの、それは大丈夫よ!」
「そっか……、ありがとう、皆川さん」
黒川さんの中の何かが切り替わった気がした。スマートフォンでの会話の為、表情が見えているわけではなので確信は持てない。しかし、言葉の醸し出す雰囲気が僕をそう思わせた。これで大丈夫……。黒川さんにはきっと明るい未来が待っている。




