西島 寛太 Ⅱ
翌日昼休みに病院から連絡があった。病院からの電話なのである程度望ましくない事があったのだろうと察しはついた。しかし、電話口から聞こえた内容は想像しようのない内容だった。
希美が死んだのだった……。
その言葉の衝撃から頭の中が真っ白になった。目を開いてはいるもののそこから景色は見えず、ただただその衝撃が頭の中を駆け巡っていた。その時はまだ悲しいとかやるせないとかそういった感情は顔を出しておらず、単純に浮かんだ疑問を口にしていた。
「いつ頃容態は急変したんですか?」
「いえ……容態の急変はありませんでした……」
「――えっ、どういう事ですか!?」
僕は意味を理解出来なかった。医師の言っている事は矛盾していた。
――容態の急変がなかったのに何故希美は死んだと言うんだ。
「非常に申し上げにくいのですが、藤間さんはご病気で亡くなったのではありません。その……病院の屋上から身を投げられました……」
またしても衝撃が走った。それは先程感じた衝撃とは異なり、多分に疑問を含んだものだった。
――希美が飛び降りた? 自殺したって事なのか? なんで??
昨日は普段通りだった。今年のクリスマスの話をしていた事もあり、今後の事についても頭の中に想い描いていたはずだ。そんな希美が、僕が病室を出た後どの様に気持ちが揺れていったのだろうか。前向きな希美、その気持ちを動かされてはいけない方向へ導いてしまったものはなんだったのだろうか。僕が何も言えず黙っていると電話口から医師の声が再び聞こえた。
「西島さん、聞こえていますか? それで自治体の方と病室を整理している時に藤間さんがあなたに宛てた手紙が見つかりまして、一度病院に取りに来ていただけますか?」
そう告げられ僕は電話を切った。電話を切ったまましばらく呆然としていると、ようやく遅れていた悲しみの気持ちがドッと押し寄せてきた。いつかは希美に死が訪れる事は覚悟していた。覚悟をしていても平気なものではない。希美はもういない……話をする事が出来ないのだ。会話を交わし楽しく笑いあう、そんな当たり前の事が出来なくなってしまったのだ。今までは当たり前に共有していた時間をこれからは永遠に共有する事が出来なくなってしまった。
当然病気になって以来、希美の死は常に頭の中にあった。可能性は認識していたつもりだった。けれどもそれは、どこか頭の中でまだ先の話でこんなにも唐突に訪れるものだは思っていなかった。ましてや、病気とは違う理由で死んでしまうなんて考えうるものではなかった。
病気で亡くなったのではなく自らその命を絶ってしまった。何か他のものに死を突きつけられたのではなく、自らが選んで死を受け入れたのだ。何がそうさせてしまったのだろう、やり場のない悲しみに僕は打ちひしがれていた。
僕は上司に事情を話し、その日の早退を申し出た。帰宅途中の記憶はなく、気がつくと商店街のファーストフード店にいた。どれくらいの時間が経ったであろうか。ファーストフード店の大きな窓に差し込む光も色味をオレンジ色に変え太陽がその日の役割を終えようとしていた。
――そうだ、医師は希美が僕に手紙を残していたと言っていた。手紙を見てみたい……。
僕は逸る気持ちそのままに病院へ急いだ。病院に着いた頃には辺りは暗くなり始めていた。受付で医師に会いに来た旨を伝えると医師が受付に来てくれた。そのまま医師は僕を暗くなった外へ促した。
こんな事になり本当に残念に思っている事、出来る事なら病気が死に導くまで出来るだけ長く生きさせてあげたかった事、警察の現場検証などが終わり検死に回されているようだが事件性は感じられないとの事、希美の遺体は検死の後、自治体の方に引き取られ葬儀の準備が取られる事などを医師は言うと最後に一通の封筒を手渡してきた。僕がそれを受け取ると医師は僕の肩に手を置き口を引き締めて無言で頷いた。そして病院へ戻って行った。僕は寒さで白くなった息が上空へ伸びていくのを見ながら空へ目をやった。そのまましばらく動けずにいた。
家に戻り玄関を開けるとそれまで歩いていた外の空気より冷たい空気が部屋の中にあった。僕は一人暮らしをしていて、マンションとっもアパートともとれる建物に住んでいた。その部屋には希美も何度も遊びに来ていた。
その時の楽しかった思い出が部屋のいたる所から漏れ出して僕の記憶を刺激する。その記憶に飲み込まれないようにと必死に平静を保とうとするがそんな事は出来るはずもなかった。部屋の冷たい空気が上気する僕の顔を冷たく撫でる。
しばらく呆然と立ち尽くし、何とか気持ちをやり込める事が出来てきた僕は机に封筒を置いてその前に座った。封筒には希美の可愛らしい字で『西島寛太様』と書いてある。その字を見ながら昨日まで一緒にいた希美の笑顔を思い出し、再び心が乱される。その笑顔からは想像ができない現実が今ここにある。その不合理な状況に何か得体の知れない恐怖すら感じていた。
――この手紙にはどんな事がかいてあるのだろう。
僕は手紙を見たい気持ちと手紙から――希美の本心から――逃げたい気持ちと葛藤してしまいなかなか封筒を開ける事が出来ないでいた。
僕は冷え切った空気が蔓延るその部屋でじっとしていた。時計の針がその日の終わりを告げる頃意を決して封筒に手をかける。中からは何枚かの便箋が出てきた。
『 寛太へ
まずはこんな事になったしまいごめんなさい。
寛太はすごく悲しんでいるよね……
私だってこんな事をなるなんて望んではいなか
ったんだよ。
ずっとずっと大好きな寛太と一緒にいたかっ
た。
自分の体だもん、私が長く生きられない事は
なんとなく感じていたよ。
だから現実には無理なこの先の事を考えて前向
きに生きなきゃって思ったの。
私は私の現実を寛太と二人で受け止めて、その
一瞬、一瞬を大切にしていきたかった。
寛太は私が年を明けれるかどうか聞いたのを覚
えている?寛太は生きられるに決まっているっ
て言ったよね。
それは寛太が私を悲しませない為の優しいウソ
だっていうのは理解出来た。でも私は真実を
真実として二人で受け入れ、その上で残りの時
間を全うしたかったの……どちらか一方が負担
を強いられる、そんな関係は嫌だったの。
寛太の優しいウソは十分嬉しかった、でもあの
時私は、これからずっと寛太に気を遣わせて、
ウソをつかせて、悩ませてしまうんだなって
思った。私の病気は寛太に負担を与えている。
大好きな寛太にそんな負担を背負わせたくなか
った……
寛太には早くこんな状況から抜け出して自分の
幸せを掴んで欲しいと思った……
意味不明だよね。でもそう思い出したら悲しみ
が止まらなくなっちゃって……
寛太の事は本当に大好きだよ。だからこそ寛太
には幸せになって欲しいの。
だからごめんね……私はこの選択をします。
今までありがとう。そしていっぱい迷惑かけ
ちゃったね。最後の最後もね……。
一緒に過ごしていた時間はかけがえのないもの
だったよ!
大好き!
希美 』
手紙を読み終わり僕は涙が止まらなかった。僕らは決して気持ちの相違があったわけでは無かった。僕は僕で希美に対して変な気遣いをしてしまい、誰よりも気遣いの出来る希美は深く考えてしまい変に僕に対して気を遣ってしまったのだ。まさに以前希美が言っていた状態になってしまっていたのだ。
僕はどんな事があっても最後まで寄り添っていたかった。今の状況が改善されないのであれば、そのままでも良いので少しでも長く一緒にいたかった……それが本心だった。妙な気遣いからウソをついてしまったのだ。
僕のついたウソが希美を間違った方向へと導いてしまった。僕はひどく後悔した。いくら取り返したくても取り返せない後悔を……。