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西島 寛太 Ⅰ

 人々の雑踏がいつもの殺伐とした様相とは異なり、どこか温かみのある、期待や希望の色が滲みだしてくるような十二月の中旬。病院からの帰り道、僕はファーストフード店の窓から見えるその街並みから取り残されたように一人ため息をついた。


 僕には交際している彼女がいる。藤間希美(ふじまのぞみ)とは大学卒業後に就職した会社で知り合った。大学時代に両親を事故で亡くし一人で暮らしていた。


 黒い髪を肩まで伸ばし、ちょっとふっくらとした顔つきをしており、全身からおっとりとした雰囲気を醸し出しているような外見だ。周囲への気遣いが出来る優しい女性で、常に周りを見ていて人の微妙な変化を感じ取る事が出来た。


 その気遣い上手な様子を見て、気を使いすぎて疲れてしまうんじゃないかと思い一度聞いた事があった。


「そんなに周りの事を気遣いってばかりで疲れたりしないの?」

「気遣ってる? 西島君には私がそう見えるの? 私は特に意識的に行動してないから疲れるとかはないかな」

「えー! 自然とそうやって気を配れるんだ? 俺には真似できないなぁ……」

「そんなにたいそうな事じゃないよ。だって誰かと接する時にその人が気分良くしていて欲しいじゃない? だから自然とそうなるように行動しちゃうんだよね。逆に変に意識的に気遣っているのが見え隠れしちゃうと、それに気付いた時にまた気を遣ってどんどんお互い気まずくなるでしょ」

「確かにそんな時はあるね」

「特に親しい間柄になればなる程そうなるよね……」


 彼女は自然体だったのだ。気負う事なくそう出来る彼女に尊敬の念を抱いた瞬間だった。僕は周りを広くみる事も出来ないし、相手を気遣うよりも自分を優先させてしまう事もよくある。


 そんな希美と時を共にしていくうちに、尊敬が好意に変化していく事に時間はあまりかからなかった。


 僕は希美に恋をした。幸い希美も僕の事に好意を持っていたようではれて交際するに至った。


 交際がスタートすると僕らは様々な時間を共有していった。


 春夏秋冬、その季節の移ろいの中に存在する希美は僕にこれまで感じた事のない感情を与えてくれた。


 時節のイベントや旅先での1コマ、日常の何気ない風景など希美といる時間の一つ一つがかけがえのないものだった。


 もちろん小さなケンカはあったものの、お互いを想う気持ちが冷める事なく将来についても徐々に意識しだしていた。


 直接的な言葉による表現はなかったものの、会話の端々や醸し出す雰囲気でお互いそう感じていたであろうと察しがつく。


 そんな時だった。


 希美は体調不良をよく訴えるようになり病院で診てもらう事になった。医者に見てもらった当初、お互いそこまでは深刻には捉えていなかった。疲れが溜まっていたのだろうとか、何か軽い病気にでもなったのだろうという感覚だった。


 しかし、僕らの感覚とは裏腹に希美は入院する事になってしまった。医者は念の為と言い、検査入院を勧めてきた。


 もしかしたら僕らが想像しているよりも深刻な状況かもしれないと、その時初めて意識しだした。


 入院が続いたある日、僕は病室にいた所巡回の医師に呼び寄せられ別室に移動した。僕を呼んだその表情に急に不安が胸を内を走りだした。その先の言葉を聞く事が怖かった。しかし、それは避ける事が出来るわけもなく、そこでは聞きたくなかった言葉を告げられた。


西島(にしじま)さん、藤間さんはもう長くないと考えられます……」


 医師の話によると病状は深刻で、いつ悪化してもおかしくないとの事だった。病状の説明は色々してくれていたと思うが、記憶に留まった言葉は『長くはない』というものだけだった。


 それは何の前触れもなく、二人で想い描いていた将来を無かった事にするかのような残酷さがあった。


 まるで映画でよくある、列車で逃げようとしていると突如線路が途切れており絶対絶命になるような唐突さと絶望感があった。


 その話を希美に伝える事はしなかった。いや、しなかったというよりは伝えるべきかどうなのかの判断がつかず、先延ばしにしていたといった方が正しいだろう。


 愛嬌のあるふっくらとした希美の容姿が、日に日にやせ衰えていく姿を見ているうち、僕自身の中に弱い心が顔を出し始めていた。


 それまでは自分を騙し騙ししていて気付かないふりをしていた。もう助からないんじゃないか……懸命に前を向いている希美を見ていながらそんな気持ちを抱いてしまう。そういった僕を僕自身は嫌っていた。


 僕は冷えたコーヒーをカップの底にわずかに残しファーストフード店を後にした。外へ出ると楽しげな歌声が商店街のスピーカーから流れてきていた。


 みんなこれから楽しい事が待ち受けているんだな……すると十二月の寒さが本格化した空気が風と共に僕の胸の中を吹き抜けた。


 ファーストフード店を後にしたその数時間前、僕は希美と二人で病室にいた。


 希美が入院して以来平日の仕事帰りや休日と可能な限りお見舞いに来ていた。初めのうちは特に意識せずに通う事が出来ていたが徐々に痩せていく希美を見ているうちに――そういう希美を見るのが辛く足が重い日も正直言うとあった。


 その日希美は細くなった指先で雑誌をめくりながら楽しげにしていた。


「もう19日かぁ、しばらくするとクリスマスだね! 今年はどんなクリスマスがいいかなぁ。何か美味しいものが食べたいよねー病室にクリスマスツリーとか飾っちゃおうか?」

「そうだね……」


 入院中の身で実際にはそんな事は出来ない事は理解しているであろう希美は、それでもそう言わずにはいられないのだろう。


「去年のクリスマス覚えてる? せっかくディナーの予約してたのに寛太が残業でいけなくなっちゃってさぁ、その後駅前の居酒屋でいつもの感じになっちゃって。寛太は申し訳なさそうにしてたよねー」

「あぁ……、そんな事もあったね。あの時は悪かったね」

「でも私は楽しかったよ! いつもの居酒屋メニューだったけど寛太(かんた)と一緒だったから楽しかった。二人の変な思い出がまた一つ増えたって嬉しかったよ!」

「希美……」


 希美から発せられるその言葉は二人の気持ちを平安にする為のもののように感じられた。その心情がわかるが故に僕は希美の気遣いに胸を締め付けられ、心が潰されそうになり、つれない返事をしてしまう。


「プレゼントは何がいいかなぁ。寛太は何か欲しいもの考えた?」

「いや……僕はまだ考えてないよ。希美は?」

「私はねぇ――新しいコートが欲しい! もっと寒くなるからあったかいやつ!」

「コートね……」


 どこか希美の言葉がうまく頭に入ってこない。これからの事を話題にされる事が辛い。実際外に出掛ける事なんて今後出来るのだろうか?そう考えてしまうと、希美の話がひどく虚しく感じてしまう。そんな気持ちを隠しているつもりが隠せていなかったらしく希美は目元に柔らかな優しさを携えながら、しかし目は僕をしっかりと見つめて言った。


「寛太……私って年が明けても寛太と一緒にいられるかな……」

「――えっ。」


 急な会話の変化に僕は戸惑った。僕は希美と一緒にいる事が嬉しく感じているはずなのに……でもどこかで希美の未来を信じ切れていない、それから生まれる居心地の悪さ、それらを消化しきれず頭の中で悶々と繰り返される自己嫌悪や葛藤。その全てを希美に見透かされている気がした。


 僕は逡巡した。実際には一瞬の間だったのだろう。しかし、僕にはとても長く感じる程思考の交錯があった。


 希美には残された時間は少ない。その事実を希美が知れば生きる希望を失う可能性もある。


 しかし、その時間の少なさを二人で偽りなく共有し、同じだけの感情を持ち、残り少ない期間をお互いが変な気を遣わずに居心地よく過ごした方がよいのではないか――。

 

 それとも残された猶予が少ない事を隠して、希美にその時々の幸福感を感じてあげさせる事が出来るような対応をした方が希美は幸せに残りの期間を過ごす事が出来るのではないか?僕さえこの悲壮感に耐える事が出来れば希美の抱える不安は少しは解消されるのではないか――。


 僕は後者を選択した。ありのままを伝えて希美を悲しませる必要はない。先の事なんて分からないなら真実を伝えず今を楽しく過ごそう。


「何だよ急に……当たり前じゃないか。これからもずっと一緒だよ。変な事言い出すからびっくりしたじゃないか。」

「ごめんごめん……そうだよね。」


 必死で取り繕ったウソだった。希美の目元は優しさを携えたままだったが視線は僕から外され窓の外へ向けられた。


「あぁ、寒そうな空だね。今年のクリスマスは雪が降るといいな!」


 希美は明るく、楽しみにするようにそう言った。

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