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煙草  作者: 鳥焼火炭
1/3

パイロキネシス

「今までお世話になりました!」

 目の前で、今日まで俺の部下だった長身の男が深く頭を下げている。俺はそんなにありがたい存在ではないので彼の肩を叩き、顔を上げさせた。

「書類仕事か雑用のやり方ぐらいしか教えてないのに、そんな風に頭を下げられても困るぜ」

「でも…推薦状を書いてくださったのは貴方じゃないですか」

「俺は本当のことを書き連ねただけだ。タバコの火を点けるのが上手い、とかな」

 ポカン、と口と目の両方を大きく開けて固まっている。言葉通りの意味だったが上手く呑み込めていないようだ。頭が固いのか真面目過ぎるのか…どちらも同じことのような気もする。

「新設の部署だ。試験的にお前さんみたいなのも何人かいる物騒なところだが…まぁ、死なん程度に頑張ってくれ」

「はい…!」

 ビシリと、互いにかしこまった敬礼をした。


「おい、火ぃくれねぇか」

 そう言うと、そいつは気だるそうにこちらに目を向けた。すると、ひとりでに俺のくわえたタバコの先が煙を上げ始める。

「悪ぃな」

「本当に悪いと思っているのなら、いい加減にライターの一つでも持ったらどうです」

 恨みがましい目線。

「おっと、火を点けるのはやめてくれ」

 おどけて両手を上げ降参のポーズをとる。その様子を見て気だるそうに今度はため息を吐いた。スーツをピシリと着て髪はガチガチ、神経質そうな細いフレームの四角い眼鏡。線は細く体調の優れない顔色が標準装備の俺の部下は「やれやれ」と額に手を当てる。

「有能な部下はしっかりと使わなきゃな」

「この能力は貴方の嗜好品に火をつけるためにあるんじゃないんですよ」

 そいつとは対照的にスーツを着崩しベルトを緩め髪型は起きた時のまま、ビールで出張ってきた腹をさする俺は「たはは」と少しも悪くなさそうに笑ってタバコをふかす。『分煙』と書かれたポスターは全て剥がして物置にぶち込み済みだ。

「書類仕事ばかりで肩が凝る」

「燃やしましょうか」

「そうされたら俺は”FIRED”だな」

「うまいこと言ったつもりですか」

「今のはいい線いってたと思うんだけどなぁ」

 彼はカタカタと目線を動かさずに彼はパソコンで文字を打ち、俺は書類の不備をチェックして判子を押す。最近の刑事の仕事はこんなものばかりだ。体を張る仕事はほとんどなく、現場の検証や後処理、証拠の差し押さえなどの定型に沿ったもの。たとえ刑事課でも記録専用の係もある。ホルダーに入れた銃はお守りと化していた。

「お前の発火能力もこんな職場じゃ形無しだろ」

「人に向けるほどの性能もありませんし…そんな度胸はもっとないですから」

 目を伏せて答える彼だが、『口にくわえたタバコの先に火を点ける』と言うのは精度も火力も申し分ないと考える。恐らくは彼の心因が大きいのだろう。人にはない奇異な力を持っている分これまでの人生でいくつかの苦労があったのだろう。

「(度胸、ねぇ…)」

 引き出しを開けて、中に入っている半分ほど欄の埋まった推薦状に目を落とす。本人にやる気がないなら仕方がないが…。どうにか彼のやる気に火を点ける方法はないものか。

「…あれ?」

 嫌な感覚がして推薦状の下に覗いていた紙を引っ張り出す。…悪い予感というのは当たるものだ。

「一昨日起こった火事現場の記録取ってなかったぜ」

「え、それって事件場所に出向くやつですか…?」

「燃え方や現場証拠を見るに事件性はないみたいなんだが、『違和感』を感じたらしくてな。何故か俺とお前にお鉢が回ってきたというわけだ」

 チラ、と薄目で時計を見た。まだ針は直角、十五時を指している。現場まで車で二十分、検証箇所は限られているから一時間もあれば終わるだろう。運転をこいつに任せれば帰りに書類は書き終わるか…?

「よし、行くぞ」

「提出期限くらい押さえてください…」

「間に合ったらコーヒーくらい奢ってやる」

 ジュッ、と真っ白なキャンバスに灰の跡をつけた。まだ少ししか吸っていないが署内は禁煙なので仕方がない。


「結構ボコボコだな…」

 車から降り、ムワッとした夏の熱気の真っただ中に鎮座していたのは真っ黒に焦げた二階建ての一軒家だった。屋根に取り付けられていた排水管がダラリと一階まで垂れ下がってきていることからも『全焼』という二文字が嘘を言っていないことがわかる。難燃剤をところどころに使っていても木造の建物は炎にとって養分に過ぎないらしい。カルシファーに食いつくされた玄関へと足を踏み入れる。

「無事だったのは玄関部分だけみたいですね。あれ?」

 ガタガタ、と音だけを立てて扉が閉まらない。生真面目である彼はなんとか元通りにしようと少し扉を上に持ち上げたり力の入れる方向を左右に振ったりしている。

「灰でも詰まってるんだろ、帰りでいい」

 もっと言えば時間がないから帰り際も閉めないでいい、暑いし。彼は少しだけ未練がましく扉を見つめた後にこちらに歩いてきた。これはきちんと閉めるまで帰れなさそうだ。扉の立て付けが捜査中に良くなりますように、と祈ってから家の間取り図を開く。渡された資料には火元と被害者の遺体があった場所、それ以外の損傷が酷かった場所がいくつか記してある。

 一見すれば何もおかしいところはない。火元が一番焦げているのは当たり前として、風通りのいい場所はよく燃えている。遺体の場所は二階の煙が籠る位置で違和感というのを確かめるに、取り敢えず家の中を巡回する。

「火元がここで、」

 発火源はコンセントタップ、着火物は埃、トラッキング現象と呼ばれる物だろう。コンセントプラグの挿入部に埃が溜まり、湿気を帯びた際に静電気によって発火する現象だ。

 コンセントがあった位置か、足元の壁を中心として木製の棚やインテリアが落下し床へ燃え広がったことが推察される。

「ふうん…」

 次に他の損傷が酷い場所を回る。古い灯油のタンクや窓とカーテンの周り、換気扇傍、書物庫、そして階段から二階へ。吹き降ろす風が頬を撫でる。顎の下を伝う汗を拭った。そういえば天井がないんだった。

 その中でも接着剤が含まれていたであろう板上の木材は特に原型をとどめていない。事件当時開けられていた、窓風通しの良い窓際で燃え残った紙片を発見した。風で動いたのだろうか。じっと紙片を見つめる。

「紙片か…」

 ふと言葉を溢してから、部下である頭固男の声や気配が全くしないことに気が付く。おーい、と声を出しながら一階へ降りると、火元である居間の中でトラッキング現象の起きたコンセント周りと真上の天井を交互に眺めている姿を発見した。

「どうした」

「ええ、火元の真上の天井があまり燃えていません」

 促す彼の向いた方向を見上げると、そこは不思議なほど黒く焦げていない。基本的に火は上に向かう。埃に発火した後に隣の木棚へと燃え移ったなら天井の損傷が軽微なのは不自然だった。彼の考察の続きを促す。

「他の場所は全て理論的に正しく燃えていました。風通しのいい場所や可燃物が密集している場所、だけどここはそうでない」

「…ここだけ細工されてないってことか?」

 そこまで聞いて、手に持った紙片を差し出した。

「燃えの酷かった箇所に埋もれてたと思われる。多分油分か何かが染み込んでんだろうな。」

「それなら住宅用ワックスや塗料を買っていった客を調べましょう。勿論、その紙片のクロマトグラフィの結果を見てからですが」

 彼の見識を聞いて感服する。かなり理の通った分析だ。やはりこいつはデスクワークなどで一生を潰す人間ではなく、もっと現場に出た方が良い。引き出しにしまってある推薦書のことを今回の捜査結果と共にアレも提出しようと、そう考えた。

 証拠の提出方法について思考を回していた若輩と、捜査結果の用紙に今の考察の概要を記入していた初老は近寄るもう一つの気配に気が付かなかった。

「動くなよ」

 背中につけられた何かの気配にサッと両手を上げる。銃口だ、と即座に判断し、目配せする。部下もすぐに両手を上げた。

「…」

 どうする、と彼の瞳がこちらへ語り掛ける。なんとかこの場を切り抜ける方法は…。

「ふん。玄関が空いていて不穏な話し声が聞こえたと思ったらこれだぜ」

 やや低めで少しかすれた男の声がする。声の聞こえた方向から察するに、自分よりやや背は低い。百六十かそこらだ。

「放火犯のお出ましか。罪を重ねるのは良くない、辞めるんだ」

 そう声をかける。

「余罪がいくつもある。ここで二人殺しても大差ないさ、証拠も押さえられちまって逃げることもできやしない」

 注意を逸らそうと思ったがそうはいかないらしい。カチリと引き金に手をかける音がして背の銃口が更に強く押し付けられる。望みがあるとすれば彼の拳銃が単発で、次の発射までに時間が空く場合。少し身をよじれば致命傷を避けることができるし、仮に俺がやられてもこちらにはもう一人いる。問題は流れ弾がアイツに当たってしまったり、場慣れしていないために動けなくなってしまうことだが…。

 チラ、と気にして彼の方を見た時、


バチン!と背後で火花の爆ぜる音がした。


「先輩!」

 全身に電撃が走る。掛け声を聞き終わらないうちに肘鉄をぶち込み、振り返りざまに掌底を屈みこんだ犯人の頭へ打ちこむ。吹き飛ばされ、地面に転がった男からリボルバー式の拳銃を取り上げ、見事お縄になった。


「連射式か。一発撃った後に反撃するつもりだったが、危なかったかもな」

「あんな目配せやめてくださいよ」

「部下を守るのも上司の役目だ。ここは誰だってそういう風に教わる。もっとも、今回守られたのは俺の方だったわけだが」

 手の中で押収した銃を転がす。中のバネが焼き切られ、弾を撃つことはできないらしい。

「あの土壇場でよくできたな」

「誰かのせいで、一点に火力を集めるのは慣れましたから」

 そうじゃない。見えない位置にある銃の中を加熱するなんて芸当は、異能を持った人間でも中々できることじゃない。特殊能力の危険な取り扱いで怒鳴り散らされ始末書の提出を命じられていたが、勇気と覚悟、そしてやり遂げられる自信があってこそ出来たことだと誇るべきだ。顔を上げ、彼の眼を見た。

「なぁ、新設部署の話が来てるんだが」

 俺はお前に、無限の可能性を見た。


 設置された喫煙所へ来た。業務室で喫煙したのも芋づる式にバレてしまったので、大人しく外にあるこの場所でタバコを吸うことにしよう。やれやれ、と腰を下ろしてポケットからタバコを取り出してから、先程異動して行ったあいつのことを想い耽った。二人だけの事務室も一人欠けるだけで随分と寂しくなる。

「先輩!」

 あの時、身体に電撃が走った。そして、次に何をしたらいいかのイメージが流れ込み、腕が勝手に動いていた。忘れていた感覚、とっくに閉じ切ったと思っていた千里眼。かつて能力を持っていたからという理由で彼の上司になったが、思わぬ収穫があった。

「未来視の能力なんてロクなもんじゃないと思っていたがね」

 俺には無理だったが、あんな風に異能の牙を剥ける男が活躍できる場所があるとは、いい時代になったもんだ。あの時見た未来の景色はきっと現実になるだろう。あの無限はきっと、世界に火を点けると。

 意味深に微笑んでから、タバコを口にくわえてハッとした。

「…ライターがねぇな」

 これからは少し、不便になりそうだ。


俺にも見通せぬことぐらいあるのさ

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