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アポクリフ  作者: ヒゲクマ
序章 降臨ータンジョウー
3/31

序章の序章・後編



 ————其れは、やはり蛇だった。



 三十メートルはあろうかという、ホールを埋め尽くさんばかりに肥大化した、巨大な金属の猛毒蛇(キングコブラ)


 その巨体が形を定め切った途端、もぞりとうねる。



「神を!その御名を!!人如きが定めた言葉で穢すコトは、断じて赦されない行いだッ!!」



 叫び声と共に、神父の顔が蛇の額に浮き上がった。


 痩せこけた、堀の深い顔立ち。


 あまり寝ていないのか、目の下のクマが酷い。


 しかしどうにも、完全にマキナと一体化しているようだ。



「どっちが化物だよ」



 紅い男は、呆れ顔でそう言った。



「黙れ!!訂正しろ!!神は……神は決して、あのような言葉で括られて良い存在では————」



 ————上位異層体。


 かつてヒトが、〝精霊〟や〝神〟と呼んでいた存在の学術的呼称。


 科学的にその存在が証明され、以来その様に呼ばれている。


 しかし、上位異層体という呼称は一般的に浸透しているとはいえ、彼……神父のような神の信者からすれば、あまり気持ちの良いモノではない。



「連中の呼び方なんざ、何だって良いさ。呼称が有るだけ有難く思えってな」



 紅い男は、そんな神父の言葉を遮り、何故か不機嫌を露わにして食って掛かった。


 当然、食って掛かられた方の反応としては————



「貴っ様ああああああああああああああああ!!」



 こうなる訳で。


 巨大な猛毒蛇と化した神父が、紅い男に襲い掛かる。


 男の背後には、大勢の人質と気を失ったテロリストたち。


 他人の脚を躊躇なく喰い千切る事ができる冷酷さを持つ神父が、仲間が居るからと、攻撃を止める筈も無いだろう。


 巨大化して動きは鈍くなったが、避ければ人質(かれら)がただでは済まない。



「躱せばそのまま人質共を食い殺す!!」

(どの道、オレが避けなくても、その勢いじゃ人質を巻き込むだろうが……)

「ハハハハハハハハハハハハハ!!!蛇を構成しているのは〝キラーナノマシン〟だ!!この形態になれば最後、触れれば誰も助からん!!!」



 キラーナノマシンは読んで字の如く、ナノマシンに良からぬ影響をもたらすモノだ。


 先ず、ナノマシンのシステムを侵食(ハッキング)し、機能不全に陥らせる。


 先程、脚を食い千切られた男性のナノマシンが正常に機能しなかったのは、コレが原因だ。


 ナノマシンは侵食され続け、体内に居る全てのナノマシンが乗っ取られた時。


 身体の内側から、乗っ取られたナノマシンに殺される。


 正に、猛毒。


 しかし、完全に冷静さを失っている神父の、あまりにも予想通り過ぎる反応に、紅い男は小さく溜息を吐いた。



「その女が如何に形成者だろうとも、私は止められない!!コレは聖異物(マキナ)だ!!異世界の神代文明が創り出した、魔導科学以上のチカラなのだ————」

「ピーチクパーチク……よく回る舌だ」



 その声は、神父の上げる絶叫の中ですら、鮮明に響く。


 と同時に、襲い来る巨大な猛毒蛇に向かって、紅い男は表情も変えず左腕を突き出した。


 ————直後。



 バクンッ。



 猛毒蛇に、紅い男の左腕は肘まで食い付かれたのである。


 俄に静まり返るホール内。


 気味の悪い静寂が、その場を包んだ。



「……ふ、ふはは!」



 静寂を破ったのは、神父の掠れた笑い声。


 猛毒蛇に食い付かれている紅い男を見下ろし、薄ら笑みを浮かべている。



「馬鹿め!!言ったはずだ!触れれば最後だと!!人質など、放って逃げれば良かったものを!!」

「神父の言葉とは思えないな」



 そんな神父に、紅い男はやはり表情を変える事無く皮肉を言う。



「五月蠅い!化物の腰巾着め!!貴様も、その女と同じだ!!何が形成者だ!!何がスペル機関だ!!魔導科学の恩恵に与る者は……皆等しく差別を生み、世を乱し続けている化物だ!!」

「で?魔導科学で生み出された永久機関を全部無くせば、差別も世の乱れとかいうのも、無くなるのか?」

「そうだ!!今在る永久機関さえ無くなれば、もはやソレを生み出す事はできなくなる!!スペル機関も天御柱も、永久機関に関わる技術は全て、スペル=ワイズマンがかつて概念に掛けた極大魔術によって秘匿されているされているからな!!!」

「で、その為に、マキナなんて得体の知れないモノを使うのか?ソレだって、魔力や霊素をエネルギーにしてるんだから、魔導科学と大差ないだろ?」

「異世界の技術だ!断じて魔導科学などではない!!」

「そりゃ屁理屈だろ……」

「全ては平等な社会の為なのだ!!」

「聞いてないっと……オーケー。じゃ、そういう事で————」



 神父は、気が付くべきだった。


 何故、男を丸呑みにしなかったのか。


 何故、咥えた左腕を食い千切らないのか。


 何故、男は平然と会話をしているのか。


 何故、自分はこんなにも焦燥に駆られ、汗を流して喚いているのか……。



 ————バンッ!!



 風船が、弾けた様な。


 いや、膨らませた袋を、思いっきり叩き割った様な……そんな音。


 その破裂音と共に猛毒蛇の身体が白く変色し、瞬間、砂の様に崩れた。



「—————!!?」



 崩れる砂の中から、神父が人の姿で降って来る。


 尻餅をつき、地面に着地した後は、キョロキョロと周囲を見回して、目を(しばだた)かせるばかり。


 周囲は猛毒蛇の成れの果てである白い砂埃が舞い上がり、視界の確保が難しい。


 神父は何が起きたのか理解できなかったが、無意識の内にとにかく立ち上がらねば、と身体に力を込めた……その時。



「げぼあ————ッ!!?」



 どす黒い、粘着質な液体を口から吐き出して、前のめりに倒れてしまう。


 一体どういう事か、身体に全く力が入らない。


 それどころか、力を込めようとすれば全身に激痛が駆け巡る。



(何だ!?何が起こった!!?)



 痛みで思考が回らない。


 痛覚遮断が利いていないのだ。



(何故、蛇が崩れた!?何故、私は()を吐いて倒れている!?マキナと一体化した反動なのか!?)



 思考がグルグルと定まらない中、気配に気付く。


 首も動かせないので、感覚に頼るしかないが……判る。


 確かに居る(・ ・)


 うつ伏せの自分の、頭の先に。



「よう、生きてはいるみたいだな」



 その声は紛れも無く、紅い男のモノ。



「な、何を……した?」



 何とか声は出せた。


 だから神父は、絞り出すようにそう問う。


 男の声を聞いた瞬間に、理解したゆえ。


 コイツにやられたのだ——と。



(そもそも、この男を丸呑みにしなかったのは……いや、できな(・ ・ ・)かった(・ ・ ・)のは何故だ!?)



 自身に問いかけながらも、彼の中でその答えは既に出ていた。


 本能が、理解していたから。



(あれ以上、進めなかった……止まらなければ、私は死んでいた!!)



 左腕を食い千切らなかったのも、噛み付いていたからではなく、急ブレーキを掛けた反動で『そういう体勢』になってしまっただけだ。


 男に襲い掛かった瞬間を思い出す。


 すると震えが……身体の芯から来る震えが、神父の動かない筈の身体を痙攣(けいれん)させる。



(あの時、大声を張り上げて喚き散らしていたのは、恐怖を誤魔化すため!触れている恐怖を誤魔化す為だった!!)



 男の左腕を咥えてしまった瞬間、金縛りにでも遭ったようだった。


 恐怖で早鐘を打つ心臓の音が、大声を出している最中でさえ、五月蠅いくらい鼓膜に響いてもいた。


 今も、ガチガチと歯のぶつかり合う音が煩わしい。


 そう思っていた矢先。


 男が、視界に映り込んだ。


 頭の天辺から爪先まで、全身血に染まった様な真っ赤な男が。


 わざわざ神父の見える位置に、移動して来たのだ。



「……!」



 見下ろしている。


 紅い眼が。


 何も見えない真っ白な視界の中、恐ろしい程にはっきりと、其処だけ判別できるのだ。


 白紙に墨を垂らしたが如く、暗闇の中燈る松明の灯の如く。


 覗き込んだ瞬間に、猛毒蛇の自由全てを奪ったあの眼が、自分を映している。


 砂埃が周囲を包む中、まるでこの場には男と神父のふたりだけしか居ないようで。



「『共振(きょうしん)現象(げんしょう)』って、知ってるか?」

「……!?」



 紅い男の俄な問いかけに、神父は目を見開いた。


 質問を質問で返された形だが、怒りも湧かず……恐怖の方が大きい。


 答えねばどうなるか、と。


 神父は、なんとか声を震わせながら絞り出す。



「ぶ、物体には必ず、『固有(こゆう)振動数(しんどうすう)』というものが、在る……」

「そう。その固有振動数に、外部から同じ周波数の振動をぶつける事で発生する現象だ」



 分かり易く言うと、ワイングラスを声で割るアレだ。



「ソレを、オレの〝氣〟で引き起こした」

「は?」



 男の突拍子もない発言に、恐怖に駆られていた筈の神父も、間の抜けた声を出してしまう。



「あの(マキナ)を構成しているキラーナノマシンとかいう奴等は面白いコトに、形を一定に保っていると固有振動数が一つに固定されるんだ」

「ちょ、ちょっと待て————」



 理解が追い付かず、神父は男を制止しようとするが。



「不定形の時は、てんでバラバラ。当たり前だが、それぞれが別の振動数だ。だけど形を定めた途端、ソレは〝核〟になったモノと振動数が同期するのさ」



 男は御構い無しに言葉を続ける。



「何を、言って……」

「核は使い手……アンタだよ神父様」

「……」



 もう、神父は訳が分からな過ぎて、取り敢えず男の話を黙って聞くことにした。



「本当は左腕に集めた氣をめっちゃ振動させて、ズバッとアンタごと蛇を斬ろうとしたんだ。高周波ブレード的な?けど、それじゃあ建物まで斬っちまいそうで……」



 今、彼、かなりエグイ話をした気が……いや、気のせいだろう。



「どうしようか考えてたら、共振現象の事を思い出して、アンタの身体の振動数に合わせてみようって思った訳よ!」



 あの場面で、その発想に至ることが、そもそも理解できない神父。


 というか、男は氣を振動させたまま、蛇に触れ続けていたワケだが。



「ああ、そうそう!オレのナノマシン、ちょいと特殊(・ ・)でさ。普通のと違うらしいんだ。どう違うのか良く解からんのだが、キラーナノマシンも効かなかったみたいだし……それが特殊って事なんだろうな」

「……」



 神父はもはや、驚く気力すら湧かない。



「行き成り砂みたいに崩れた時はビックリしたけどさ……要は舞ってるこの白いやつ、ぶっ壊れたナノマシンの群————」



 瞼を閉じ、無言で震えている神父を見て、紅い男は漸く言葉を止めた。



「おい、大丈夫か?」

「……どうやって、振動数を割り出した?」



 神父は、とにかく遣る瀬無くて、何かを問わずにはいられなかったのだ。



「何となく、感覚で?」



 しかし、あっけらかんと、男は言う。



「ふ、ふざけるな……!」



 言葉通り、神父には彼がふざけている様にしか思えなかった。



「って、言われてもな」



 と、男は困った様に頭の後ろを掻く。



「ま、魔力を核に、周囲の霊素に干渉するのが魔術だが……き、貴様のやった事はまるで、霊素を直接操ったような……」

「だ~か~ら!オレが使ったのは〝氣〟だよ!氣!!聞いてなかったのかよ?」

「き……?氣!?」

「そう。魔力社会で廃れちまった、時代錯誤の骨董品」

「バカな……有り得ない……!」

「そうか?氣は生命エネルギー。生命そのものである、霊素に近い性質を持ってる。だから、使い(こな)せば魔力より霊素に干渉し易いんだ。そもそもオレ、魔術なんて使えないしな」

「魔術が使えないだと——ガハッ!!」

「おいおい、あんま興奮すんなよ。オレがぶつけたのは、アンタの固有振動数だ。生きてるだけでも不思議……」

「五月蠅い……五月蠅いッ!」



 神父は男の制止も聞かず、拳を打ち付け立ち上がろうと(もが)く。



「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな……フザケルナ!」



 だが、身体は言う事を聞かず、崩れる様に再び床へ伏してしまう。


 そんな神父の足掻きを、男はひどく冷たい眼で見つめていた。



「何だソレは!?氣!?氣だと!?そんな、そんな魔力の低い者が逃げ口上で語るような、弱者の象徴であるチカラが……私の崇高な行いを妨げる!?」



 叫ぶ。


 喚く。


 痛みも忘れて。



「畜生!!結局これだ!!どれだけ努力した所で、力ある者が現れて、それを踏み付けにする!!」



 神父は、我慢ならなかったのだ。


 自分と同じ様に(・ ・ ・ ・)、殆ど魔術を使えない人間が、マキナを持った己を負かした事実が。


 しかもそれが、今の社会では廃れて、バカにされてしまう様なチカラで行われたとなれば尚更……。



「どんなに努力しても、誰も認めてくれない!!ただ、魔術が使えない、魔力が低いというだけで!!」



 彼は、そんな理由で両親に見限られ、教会に預けられた。


 預けられた先ですら、魔術が真面に使えないというだけでイジメられた。


 教会の大人たちも、助けてはくれない。


 来る日も来る日も、謂れのない差別を受けた。


 それが嫌で、認めてもらおうと努力した。


 殴られても、蹴られても我慢した。


 食事をひっくり返されても、何も言わずに拾って食べた。


 上位異層体(カミサマ)は何もしてくれなかったけど、人一倍祈った。


 人一倍、掃除をした。


 人一倍、勉学に励んだ。


 人一倍、魔力を高める修練に励んだ。


 人一倍、身体を鍛えた。


 人一倍、人々の為に奉仕した。


 人一倍、人一倍人一倍人一倍人一倍人一倍人一倍人一倍人一倍人一倍人一倍ッ!!


 ……なのに、何ひとつ認めてもらえなかった。


 ただ、魔力が低いから。


 魔術が使えないから。


 それだけの理由で。



「だったら、こうするしか無いじゃないか!?こんな、こんな社会じゃなかったら私だって————グガッ!!?」



 そんな神父の叫びが、俄に止まる。



「良いか神父サマ?テメーのそりゃあ、ガキの駄々だ」



 頭を踏み付けにされているのだと、一拍遅れて気が付いた。



「ぐ……くッ!」

「魔導科学が悪い、永久機関が悪い、社会が悪いって?挙句、誰も聞いてくれないから武器持って暴れるとか……言ってる事も、やってる事も、玩具買ってもらえなくて店先で暴れてるガキと、まるっきり同じじゃねぇか」

「……ッッ!!」



 その物言いに怒りを覚えるが、頭を踏み付けている脚を、振り払う事すら出来ない。



「社会のルールに文句があるなら、政治家にでもなりゃ良かったのさ。勉強する時間なら、いくらでもあったろう?」

「お前に、お前なんかに何が解る!?強者であるお前に、私の何が————」

「知るかボケ。アンタの事なんて端からどうでもいい。ったく、人のコト『化物』って言ってみたり、『腰巾着』って言ってみたり……んで?今度は『強者』と来た」



 男は一度言葉を切ると、深い深い溜息を吐く。



「結局、魔力に拘ってんのはアンタの方じゃないか」

「クッ————」

「親も、生まれる場所も、一番最初に過ごす社会も……誰だって選べないぜ?」

「……」

「けどよ、そっから先は(ちげ)ぇだろ。少なくとも、テメーは五体満足で大人になれたんだ。テメーで選んで、テメーで決めて、テメーの力と脚で歩いて行けんだろうがよ」

「綺麗事だ!」

「ぬかせよ。数十年しか生きられなかった大昔と違って、今じゃ拡張整体技術でヒトの寿命は数百年~数千年に延びて、長生きできんだぜ?」

「だから何だ!そんな当たり前の事を……」

「その時間を使えば、魔力を高める事も、勉強してどっかの星で政治家になる事も、どっかの開拓惑星を買って、住民を募ってそいつ等と引き籠る事も、できたかもしれねぇだろ?」

「簡単に言うな!それがどれだけ難しいか!一生懸けてもできるかどうか————」

「で?試しもせず、お手軽に強者になれるマキナに手を出したってか……憂さ晴らしの為に」

「!!?」



 最後の一言に、神父はハッとなる。



「女に銃向けて、怯えさせて、悦に浸って蘊蓄(うんちく)垂れて……おっちゃんの脚ぃ食い千切った時なんか、最高だったんじゃねぇの?自分の(てのひら)で、他人の生命を転がす感覚……聞かせてくれよ、なあ、強者の気分味わった感想を」

「止めろ!!」

「止めるかよ」

「————ッ」



 酷く、冷たい声だった。


 突然、全裸のまま、雪吹き荒ぶ氷の上に放り出されたような。


 温度を感じさせない、冷たい声。



「テメーがされて来て、一番嫌だった事だろうが」

「……!!」

「なあ、どうだよ?自分がされて嫌だった事を、人にした気分は?」



 言葉が、出て来ない。


 男の言う事は事実、全てが的を射ていた。


 だからか、言葉の代わりに出て来たのは……涙。


 悔しいのか、悲しいのか、とにかく涙が出た。


 泣く資格など、無いというのに。


 力が入らない筈の手を、何時の間にか握りしめていた。



「テメーのやらかしたこった。落とし前は付けてもらうぜ」



 頭を踏み付けにされ、神父の癖に知ったような説教まで喰らい、これ以上ない屈辱の中、追い討ちをかけて来る紅い男の声。



「好きに……しろ」



 そう言う他に無かった。


 白い砂埃が晴れてゆく。


 すると、周囲を取り囲む影がぼんやりと見え始めた。



「動くな!!」



 影の正体は、外に待機していた筈の警官達だ。


 銃を向けられ、完全に包囲されている。


 その警官達の背後に、隠れて警備システムを乗っ取っていた筈の仲間が……最後のテロリストが捕縛されている姿を神父は見た。


 水色の髪の女が、その男をスーツの女刑事に引き渡している。



「ふは……はははは……」



 ふいに、笑いが込み上げて来た。



「……お、良い感じに壊れたな」

「ああ……もう、ズタボロだ」

「そりゃ良かったぜ。安心しろ、牢屋でもっと壊してもらえるから。まあ、幸い、アンタまだ人殺しじゃないし、そこまでにはならんと思うがね」

「……何?」

「視線を少し、正面より上に」



 男が「どこどこを見ろ」と言わなかったのは、銃を構えた警官隊に囲まれているので、たとえ首だけだろうとも、下手に動貸してはならないと判断したからだ。


 警官達の殺気が凄まじい。


 まあ、もはや神父は首すら動かす力も残っていないのだが。


 彼は、男に言われた通り視線だけを向けた。



「!」



 すると視界に飛び込んで来たのは、脚を食い千切られた男性が治療を終えて(・ ・ ・)いる(・ ・)姿だったのである。



「バカな!キラーナノマシンは……」

「知り合いに、とんでもないマッドサイエンティスト……科学者が居てね。ソイツが何とかしてくれたよ。おっちゃんの脚も、再生医療で元に戻るってさ」

「通信は、監視カメラのライン以外遮断していた筈……」

「相方が最後の一人をボコったら繋がったってよ。そんで、警官隊も突入して来たのさ」

「だが、それでも一体どうやって、キラーナノマシンを……」

「世の中にゃあ、知らねぇ方が良い事も在んのさ……神父サマ」



 男は、とんでもなくあくどい笑みを、神父に向けた。



「お前は、一体……何者だ?」

「通りすがりのチンピラさ」



 しかし直後、質問に答えた男の眼を、神父は生涯忘れなかったという。



「かぁあああああああくほぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「うえ!?ちょ待……オレは違う!!こいつ等とは関係な————」

「かぁあああああああくほぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「聞けよおい————」



 特攻服(とっぷく)女刑事の号令に、雪崩の様に押し寄せる警官達。


 紅い男の制止も虚しく、神父諸共、警官の雪崩に呑み込まれてしまった。



「全く……今時、あんな真っ直ぐな眼を……よくもまあ……」



 神父は、警官達にもみくちゃにされながら男の眼を思い出し、憑き物が落ちたように静かに微笑んだ。



「ああ……そうか。思い出した。あの男の顔、何処かで見たと思ったら……」



 ふいに何かを思い出して、神父はもう一度男を見た。



「彼は、ニュースで見た……ミスティック……プリン、ス……」



 喧騒の中、視線の先に男を認めた瞬間、彼は眠るように意識を失ったのである。



「おい誰だ!今オレのケツ触った奴ぁあ!!」

「アタシだ文句あるか!?テメーがあん時、クソ神父の頭踏んで動きを止めなけりゃあ、射殺できたもんを!!公務執行妨害で焼き入れンぞ、ゴラッ!!!」

「はあ!?無茶苦茶言うな……待て、何で暴走族が警官に混じってんだよ!?」

「アタシがぁあ、こいつ等のボォスだぁああ!!」

「嘘吐けやぁああ!!!」



 テロリストの大捕り物が、紅い男と特攻服女刑事の乱闘騒ぎへと発展したのは、数秒後の事だった。



「バッカじゃないの」



 その光景を、水色の髪の女が冷めた目で見つめていたという。





「ったく、酷い目に遭った……まあ、でも、口座は作れたし、めでたしめでたしっと」



 数時間後。


 紅い男はひどく疲れた表情で、家の前に立っていた。



「自業自得でしょう?刑事に、しかも女の人に殴り掛かるとか……見下げ果てたクソヤローだわ」



 その隣から、水色の髪の女の辛辣な言葉が突き刺さる。



「何言ってんの?オレは喩え、相手がガキだろうが、女だろうが、年寄りだろうが関係ない!牙剥くヤツは泣かすよ?顔面グーパンよ?」

「……」



 最早、女の表情たるや、人を見るものではなかった。



「もういい……疲れたわ。早く家に入りましょう」

「家……家ね……」

「何よ?まだ不服(・ ・)なワケ?」



 扉の前で、遠くを見る様な面持ちになる紅い男を、水色の髪の女は睨み付ける。



「いいや。自分で決めた事だからな……やるさ」

「……そ」



 その、男の顔を見て、水色の髪の女は短く返事を返すと、刺す様に送っていた視線を切った。



「さて、じゃあ帰りますか。我が家に」



 頃合いを見計らい、男は勢いよく家の扉を開け放つ。



「たっだいま————」

『お帰りなさいませ!王子殿下(・ ・ ・ ・)!!』



 紅い男の声を遮って響く、姦しい声。


 扉のむこう、望む景色は夢か幻か。


 いいえ、現実です。


 メイド服を身に纏った見目麗しい女性達が、玄関口で整然と左右に整列し、恭しくお辞儀をして、紅い男を出迎えているのだ。



「早速、心が折れそうなんですが……」



 それを見た途端、紅い男はこれでもかと表情を渋く歪め、深い……それはもう深い深い溜息を吐いた。



「バ~カ」



 水色の髪の女は、そんな男を置いて、さっさと家の中へ入って行く。



「あ!ま、待って……!」



 後を追う様に駆け出して、男も家の中へと消えて行った。


 季節は春。


 終わりと始まりを呼ぶ、桜舞う季節。


 夜空に瞬く星には人工物の輝きが混じり、流れる星も——今は宇宙(そら)を駆ける船の尾と化して。


 人々の〝(せかい)〟が、〝宇宙(せかい)〟となって久しい今日この頃。


 魔導科学を凌駕する、【聖異物(マキナ)】を巡って国々が緊張を高める中。


 青い惑星の海に浮かぶ、小さな島にて————


 その〝鍵〟を握る、紅眼紅髪の男。


 彼が何故に「殿下」と呼ばれるに至ったのか。


 果たして彼は何者なのか。


 まあ、ぶっちゃけ本人は、毛ほども自分がそんな重要人物だという自覚は無いのだが。


 それでも、彼を中心に時代の〝うねり〟は起こり始めていた。





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