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アポクリフ  作者: ヒゲクマ
第一章 目覚めの行方
12/31

夢現





 ————声が、聞こえる。



「——……」



 オレを呼ぶ声。



「————ま!」



 誰の声だっけ?



透真(とうま)!」



 ああ、オレの苗字。



「————はい!!」



 振り向いた先に居たのは、全体的に恰幅の良い、五十代位の中年男性。


 オレと同じように頭にタオルを巻いて、同じツナギを着込んでいる。


 ま、会社の指定作業着なので、同じデザインなのは当たり前だが。



「どうしました、社長?」



 オレは行っていた作業を中断し、頭のタオルを取って汗を拭いながら、声を掛けて来た恰幅の良い中年男性——社長に向き直った。



「『どうしました?』じゃねえよ!お前、ちゃんと休憩取ったか?」



 作業を始めてまだ間もない筈。


 何か、ミスでもしただろうか?



「休憩って社長、まだ始めてちょっとしか……」

「せんぱ~い!もう、五時間は経ってますよ~!」



 後輩の小林ちゃんがオレの言葉を遮って、信じられない事実を伝えて来た。


 社長とオレの間に、長めの沈黙が訪れる。



「……だそうです」



 と、切り出すオレ。



「休め」

「はい」



 社長との、このやり取りも何度目か……。


 荷物出しの作業を中断し、オレは休憩に入った。


 夏は空が近い。


 気持ちの良い青空が、巨大な入道雲を抱えている。


 オレは、高層マンションの敷地内に在る、休憩スペースのベンチに座りながら、そんな空を仰ぐ。


 水分と軽い塩分を摂取して、眠気覚ましのカフェイン——アイスコーヒーを唇へ運ぶ。


 勿論ブラックだ。


 最近やっと、この『苦み』の『美味さ』が解って来た気がする。


 気が……するんだよ。



「よっこいしょ~。おう、隣いいか、透真?」



 とか訊ねつつ、既に腰掛けている社長。


 彼は先日、右脚を骨折し、現在は現場監督の様になってしまっている。


 本当は、休んでもらっても全然問題無いのだが……。


 彼の奥さんが、それを許してくれなかったのだ。


 ……泣ける。



「はい、どうぞ。……脚、大丈夫ですか?」

「ああ。問題ねえ。悪いなぁ迷惑かけて……」

「そうですね~……。社長が、新人に良い処見せよと、張り切り過ぎなければ……」

「ごめんて……」



 そう。彼が骨折したのは、新人に何人か女の子が入って、その娘達に良い処を見せようと張り切った結果なのだ。


 まあ、簡単に言うと、自業自得というヤツで……奥さんが怒るのも、無理は無い。


 ちなみに、さっきオレに声を掛けて来た小林ちゃんも、その新人の一人だ。


 元気爆発、超溌剌(はつらつ)!と言う言葉が似合い過ぎる娘である。


 まあ、正味な話、セクハラも甚だしいが、胸もデカいし……かなり可愛いと思う。


 屈託の無い彼女の性格もあって、同性からの受けも良く、随分と可愛がられている。


 入社三ヶ月にして、既に社内のアイドルと化していた。


 何故か、オレに対し執拗に絡んでくるんだが……。


 昨今、セクハラだパワハラだと世間様は五月蠅いので、対処に困る。


 まあ、子犬がじゃれついてる様な物なので、放置しているけどね!



「お、俺より、透真こそ大丈夫か?」



 社長は顔を赤らめ、あたふたと電子タバコを取り出して、口に銜えた。


 この休憩スペースは、今は少なくなってしまった、喫煙オーケーの場所なのである。


 フーと吸い込んだ物を吐き出して、社長はどうにか落ち着いたらしい。



「……今回は、また随分考え込んでたみたいじゃねぇか?」

「すみません。仕事中に……」

「ああ、違う違う。怒ってるとかじゃないんだ。それに、お前は考え事してる時の方が、ミスが少ないしな!ガハハハ!!」

「ええ~……」



 身も蓋も無い。



「……社長、どうしてオレを雇ってくれたんです?」



 と、行き成りそんな事を彼に訊ねた。


 自分で言うのも何だが、オレは中途半端な人間だ。


 何をやっても、直ぐ人並み以上にできるようになる。


 だが、其処まで(・ ・ ・ ・)だ。


 人並み以上にできるが、それ以上にはなれない。


 所謂、器用貧乏ってヤツで……。


 結局、何をやっても一番にはなれなかった。


 まあ、なるつもりも、情熱も無いってだけなんだろうが。


 じゃあ、「お前は何をしたいんだ」ってなった時、答えに詰まったのを覚えている。


 高校を卒業する前の、進路指導の面談でのコトだ。


 先生にそう問われた時……。


 ————ああ、自分は何も考えてなかったんだなって、思い知った。


 そこそこだが、何でもできる。


 社会に出でも、それでやって行けると思っていた。


 まあ、現実は甘くないって、お決まりのパターンだったんだが。


 結局、定職には就かず、いろんなバイトをした。


 引っ越しから始まり、工事現場、倉庫整理、清掃、飲食店、本屋、イベント関係、変わり種で『本物の執事』みたいなこともやった……。


 とにかく、自分に向いたモノを探し、勉強と言いながら色々な事をしてみたのだ。


 けど結局、何ひとつ長続きしなかった。


 全部『そこそこ』止まり。


 何かを極めた訳でもなく、ただ『半端にできる』ようになったら満足してしまい、次へ次へと流れて行っただけだった。


 何をしたらいいのか、何をしたいのか……。


 答えも出せず、ただ日々を過ごしていた。


 そんな時に出会ったのが、社長(このひと)だ。


 出会い方もまあ、何と言うか。


 変わっていたように思う。


 バイトが午前で終わった日の帰り道だった。


 オレが適当に昼飯を食おうと、公園のベンチに座ってパンを頬張っていると。


 公園の入り口で、調子こいたヤンキー連中に絡まれている学生を発見した。


 定期テストか何かで、帰りが早かったのだろう。


 此処らは彼等の縄張りだ。


 今の時間帯だと、学生が絡まれている出口には彼等がたむろしている。


 知っている人間は近寄らないで迂回するのだが、どうやら憐れな学生君は何も知らなかったようだ。


 物語の主人公とかならば、ココで助けに行くのだろうが……。


 生憎、オレは一般人。


 厄介事は御免である。


 見ないフリをして昼飯の続きを食っていた、その時。


 社長登場。


 絡まれていた学生を逃がし、果敢にもヤンキー共へ向かって行った。


 ……まあ、ボッコボコにされたんだけどね。


 このオレが、助けに入いらねば!と思い、飛び出してしまうほどボッコボコにされていた。


 喧嘩が強い訳ではなかったが、武術に多少の心得があったので、何とかヤンキー共を撃退できた……のだが。


 うん、普通にオレもボコボコだよね。


 てか、誰か警察呼べよ!


 いや、オレか!


 助けに入る前に呼んどけば良かった!と気づいた時にはボコボコにされていた。


 その後、おっさん(社長)と二人、顔中腫らしてボロボロの血塗れでベンチに座った。


 初対面。


 年も離れている。


 共通点など、ボコられたコト以外には皆無。


 だが、何故かオレ達は唐突に、二人して笑った。


 理由など分からない。


 ボロボロなのに、身体中痛いのに、口の中血の味しかしないのに。


 周りの人達からめっちゃ変な目で見られているのに……とにかく笑った。


 そして何故か、オレは現在、彼の所で働いている。



「……フ、俺に似ていたから、かな?」

「あ、そういうのいいんで」



 オレの質問にカッコ付けて返す社長に、ピシャリと言い放つ。


 この人はほっとくと、直ぐにこうしてカッコ付けた発言をするのだ。



「お、お前な……オレ一応目上で、雇い主なんだが……もうちょっと、こう、忖度(そんたく)とかさ……?」

「オレが奥さんに怒られても良いなら、そうしますが?」

「マジか……」

「マジです」



 社長はガクッと肩を落とし、小さく溜息を吐くと空を見上げた。



「まあ、お前が俺に似てたってのは冗談じゃなく……初めて会った時、お前の眼を見て本当にそう思ったんだ」



 社長の横顔は、空で膨らむ巨大な入道雲を見つめているが、どこか別の場所を見ている様で……。



「俺はな透真、中途半端な男だ」

「……!」

「人より早く何でもこなせるようになる。だが、全部が中途半端だ。だからよく悩んだ。自分には何も無いってな……」



 ……どこかで聞いたような話だ。


 だが、オレは社長にそんな話をした事が無い。


 だからコレは、本当に社長自身の話なのだろう。



「不安に駆られて、とにかく探した。自分にできる『ナニカ』を。結局見付ける事ができなくて、へこみまくったんだけどな?」



 オレは、落ち込みすらしなかった。


 そこそこの人生が送れれば、それで良いと思っていたから。



「けどよ、ふと思ったのさ。そもそも、『ナニカ』って何だ?」

「……」

「そんな漠然としたモノ探したって、見つかる筈無ぇじゃねぇか。だってよ、『ナニカ』なんて言っちまってる時点で、その『ナニカ』を決める事自体、放棄してんだから」

「!」



 オレは、何時の間にか彼の話に聞き入っていた。



「別によ、自分にしかできない『ナニカ』なんて探す必要は無いんだ。誰にでも出来る事だって良いじゃないか。字が綺麗だとか、言葉遣いが丁寧だとか、本読むのが早いとか……そんなんで良いんだよ」



 そう言うと社長は一度言葉を切って、電子タバコを口へ運んだ。



「何だって極めりゃ、〝才能〟だろ?」



 電子タバコ特有の薄い煙を吐き出しながら、オレを見る社長の眼。


 オレは、あの力強い眼を忘れられない。



「透真、ひとつ覚えておいてくれ。先ず、お前は俺と違う」

「そんなこと……オレは、オレも半端者ですよ」



 事実、オレには何も無い。



「そうだな。今のままじゃ、そうだろうな」



 社長はまた、電子タバコを銜えた。



「今は分からないかもしれない。何言ってんだって思ってるだろうが、おっさんの戯言として聞いて、覚えていてくれれば良い」



 この時のことは、本当に良く覚えているんだ。



「肚ぁ据えろ透真」



 その言葉は、何よりも鋭くオレの胸を貫いたから。


 まるで、心を見透かされたように感じて。


 ……本当は、評価されるのが怖かっただけなんだ。


 何かに本気になって、本気でしたコトに評価を付けられるのが怖かった。


 だから勝手に諦めて、やりたい事を探すと言い訳して、何も成さないまま逃げ出して。


 探す気など、さらさら無いくせに。



「何を選び、何を成すか、決めるのはお前だ」



 社長の眼は、真剣そのもの。



「……」



 オレは、拳を握りしめていた。


 言葉が出ない。


 オレは……この人に、こんな事を言ってもらえる資格があるのか?


 何もやる気が無いのに————


 その時、風が吹いた。


 強い風だ。


 社長がまだ、何か言っている。


 聞こえない……。


 風が強すぎて、目も開けていられない。


 堪らず目を閉じた。


 すると暗闇の中、唐突に声が響く。



 ————彼の言葉通り、選んだじゃないか君は。



 社長の声ではない。



 ————私を殺した。



 その声に瞼を持ち上げる。


 社長の姿は消え、眼の前には異形の狼の死体が転がっていた。



 ————どうだい、私を殺した気分は……?



 異形の狼——カミの声が、頭に響いている。



 ————最高かい?それとも最悪?



 相変わらず、男とも女とも取れない声。


 声だけなのに、二ヤついているのが判る。



 ————いや、何も感じてないね。



 左の頬に、亀裂が入った。



 ————だって君の「心」は壊れているもの。



 チリチリと、皮膚や髪が燃えている。



 ————もはや、痛みを「痛み」として、恐怖を「恐怖」として、感じる事も出来ない程に!!



 左手の罅が、腕まで侵食してゆく。



 ————今の君は、壊れ過ぎた心が、どうして良いのか分からずに……。



 左腕の罅が頬の罅と繋がり、左半身全体に広がった。





 ————正常なフリをしているだけなのさ。





 皮膚が崩れ、筋繊維が剥き出しになった左半身を炎が焼いている。


 そんな自分を、見ていた(・ ・ ・ ・)


 ()と、眼が合っている。


 見開いたまま微動だにしない、感情の抜け落ちた瞳。


 まるで、壊れた人形のようで……。



 ————他人事じゃねぇ。


 ————オレはお前なんだぜ?



 そんな声が、聞こえた。





 ————唐突に、意識が浮上する。


 息を吸い込む口の様に、眼を見開く。


 すると、眼の前には知らない天井……ではなく!



「!?」



 女の顔が在った。


 鼻先が付きそうな至近距離。


 マジマジと、こっちを見てる。


 肩のあたりまで伸びた髪は先端が綺麗に切り揃えられており、丁度中央で左右白黒に色が分かれている。


 真ん中分けの前髪に、赤縁の眼鏡が映えていて、レンズの後ろの白い瞳がとても綺麗に見えた。


 色白できめ細かな肌。


 唇の下の小さなほくろが彼女の女性らしさを際立たせていて……。


 今の様に至近距離で見つめられた日には、普通の人間ならば男女関係無く、興奮を禁じ得ないだろう。


 オレ?


 オレは……まあ、ね。


 とにかく、そんな女性が、オレに跨って(・ ・ ・)いる(・ ・)のである。


 どういう状況だ……。



「やあ!おはよう!」



 寝ぼけた頭で考え込んでいる間に、白黒頭の女性は元気よく声を上げた。



「あ、おはようございます」



 クッソ……条件反射……!


 じゃなくて!



「あの、今何を……」

「ん?大したコトじゃないよ」



 と、言いつつ。


 オレから降りて、下着を穿き(・ ・)なおす(・ ・ ・)白黒頭の女性。


 いや待てお前。


 ホント今、何しようとしてた?



「君の精子を、ちょっとね♡」

「よし、お前は敵だ。敵で良いな?」



 振り向いた白黒頭の()は、悪びれた様子も無く微笑んでいた。


 寝起きで上手く回らない脳ミソですら、警戒アラートをガンガンに鳴らしている。


 いかん、コイツは危険だ。


 立ち上がり、臨戦態勢を取るがしかし。


 突然、視界がグラついた。



「何、だ……?」



 霞む視界で女を捉え続けるが、ヤツの微笑みが、ひどく凶悪なモノに見えた。



「テメー……なに、を……!」



 酷い倦怠感が全身の力を奪ってゆく。


 堪らず膝を突いた。



「……何で裸?」



 何もかも、訳すら分からず、薄れゆく意識の中、視界に入った自分の身体。


 一糸纏わぬあられもない姿。


 いや、ちょっと待て。


 あの女、ホントのホントに、ナニしようとしてた!?


 最後の力を振り絞り、女を睨み付けてやろうと視線を上げたその時。



「————ッ!!」



 再び、至近に女の顔が在った。


 吐息のかかる距離。



「ごめんね、透真(とうま)暁人(あけひと)君。もう時間なんだ」

「何で……オレの、名前……」



 ダメだ。


 意識が遠のく。


 とうとうオレは、自分の力では身体を支えられず、女に身体を預ける形で倒れ込んでしまう。



「お胸キャッチはサービスだよん♡」

「ぶ……こ……す……」



 絞り出した声も、舌が回らず上手く発音できなかった。


 次第に狭まる視界で捉える、光り輝くピンク色な空間。


 安いラブホテルより酷い。


 こんな特異な場所に居たにも拘らず、女にばかり気を取られて気づきもしないとは……。



「またね、暁人君」



 女の声が、遠くで響く教会の鐘の音の様に、耳の奥で響く。


 意識が、完全に閉じた————




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