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寂莫

作者: 桜町院熾雪
掲載日:2018/11/29

魔導士の少女には叶えたい願いがあった。

そのためには、どんなものさえも投げ出す覚悟があった。命さえ、惜しくはなかった。

しかし、神が与えた罰は、少女にはあまりにも残酷なものだった・・・。

 満月。赤い月の夜に、一人の少女が泉のほとりを歩いていた。


 数年に一度訪れる、薄赤く光輝いた月の夜。

 それは、地上を月の魔力が満たす時でもあった。


 少女は歩いていた。危険は大きい。増幅した魔力に感化されて、森の獣たちがいつ襲ってこないとも限らない。

けれど、少女は歩き続けた。

 魔力が増幅するのは何も、野獣たちだけの特権ではない。



 急がなくてはならない。この夜のうちにすべての作業をすっかりと終わらせなくてはならないのだ。今日を逃したら、次またいつ、月と星の巡りが回ってくるか分からぬ。


 卒然、少女は歩みを止めた。そうしていったん作業の手を止めて、泉の中央に視線を寄越した。


 深い森の奥に古より伝わる聖なる大泉。

 そのほぼ中央辺りにたたずむ独りの少年を、少女はしばし見つめていた。



§          §          §



 街からうんとずっと離れた森の奥深く。険しい山々を抜ける秘密の峠道を越えたその向こうに、伝承にのみ伝えられる不思議の森があった。


 この辺りを縄張りにする山賊も、それを退治する教会兵や王宮騎士団でさえも知り得ない内緒の抜け道。ましてその森が、どうして人々に知られていようか。


 しかし、その森の場所を誰よりも正確に記憶する者が一人だけあった。


 その娘は黒い髪に黒い僧衣、手には年季の入って黒くなった樫の木の杖という全身黒ずくめの出で立ちで、一切の迷いなくずんずんと歩を進めていた。

 首からは、黒みがかった大きな紫水晶の首飾りを下げ、少女が歩く度それがひょこひょこと右へ左へ揺れている。



 やがて、開けたところに出た。

 不思議の森の最奥にある、不思議な力を宿した聖なる大泉。


 その水を一口飲めば、あらゆる痛みはたちどころに消え去り、すくった杯のそれを飲み干せば万病を治癒せしめる。


 その泉には神代の時代から受け継がれた神秘の力が蓄えられていた。



「よいしょ」


 少女は泉のほとりにあった小舟に近寄ると、慣れた手つきでもやい綱をほどいていく。

 ローブの裾が濡れぬよう注意しつつそれに乗り込むと、暫くの間は何もせず、ただじっと舟の流れ行くに任せて座っていた。


「また来たんだ」

 卒然、近くで声がした。


「うん……」

 少女が返事をした。「元気そう?」


「はははっ。元気かって、死人に訊くことじゃないよ、それ」

 声の主はからからと、少年らしい笑声を上げながら舟の縁に腰かけるようにして座った。

 その時、確かに小舟がきしんだ(ような気がした)。


「今度は上手くいくはず。今はまだ研究中なんだけど。次こそはきっと」

「ふーん。分かった。期待しないで待ってるね」

「もう! 真面目に聞いてよ。次こそはちゃんと上手くいくってば。今度は東洋の秘術を利用する」

「あんまり危ないことはしちゃダメだよ? 君にもしものことかあったら……」

「……そんなこと……………」


 それきり、少女は黙ったまま視線を水面に移した。

少年はじっと娘を見つめていたが、あえて自身から何か言葉を発するということはしなかった。



 どれくらいの時間、二人は泉上で過ごしたであろう。

 とうに日は沈んでいた。しかし、少女は舟を岸に戻そうとはしなかった。少年は静かに少女の隣に寄り添うようにして腰かけたまま動かない。


 少女は思い出していた。

遠い昔。まだ少女が、年端も行かぬ小娘であった頃の記憶に耽っていた。



 少女には幼馴染みの少年がいた。二人は街一番の仲良し組だった。


 何をするにも二人は一緒だった。双方の家族の仲も良好だった。自然、二人は漠然と夫婦めおとになるものだと思っていたし、また周囲の人々もきっとそうなるだろうと思っていた。


 ある時、少年が死んだ。

 実にあっけなく死んだ。流行り病だった。



 その時からである。

 少女が魔導士の道を選んだのは。



 故郷を捨て、家族を捨て、親しい友らを捨てて。

 そうしてどれだけの歳月、少女は死者甦生のすべを研究してきたことか。



「ねえ、聞いてる?」


 少女は意識を記憶の淵から呼び戻し、視線を少年の方へと寄越した。


「うん、なに?」

「もう! ちゃんと、聞いておいてよ」

「ごめん。それで、なんて?」


 少年は少し躊躇った風だったが、やがて「いつまで続けるの、こんなこと」重そうにその口を開いた。

 少女は即座に、「……そんなこと言わないで」

 云いながら、首飾りの紫水晶を握りしめた。


「お願いだから。そんなこと言わないで……」

「……分かったよ。もう何も言わない……」


「ありがとう」

 少女は静かに涙をこぼした。



§          §          §



 ある時、とある魔導士の娘が禁忌を犯した。

 人が決して踏み込んではならぬ生命の理、人智の及ばぬ神の領域を侵犯した。


 本来ならば地の底の業火に焼かれるはずの大罪。しかし、創世主は娘の罪を反故ほごとすることにした。


「その代わりに――」

そう云って、主は次のような神判を娘に下した。


 お前が犯した大罪は不問にしよう。されど、人智を越えた罪は消えぬ。その代償としてお前には、人の一生には余りあるほどの生を与えん。

 そうして、お前が愛する者のため術を為す度ごとに、お前の余生が増すよう定めよう――。




「……ふうー、ようやくできた」

 少女は大きく息を吐いた。胸の首飾りを握りしめる。


 ようやく魔方陣が完成した。今度の術は新しく東洋の秘義を組み合わせたもので、持てる技のすべてを注ぎ込んだ術式だ。これで駄目なら、また一から研究をやり直さなくてはなるまい。


(……まあ、時間だけはいっぱいあるけど……)


 胸中で独りごちて、少女は小さく苦笑をこぼした。

大きな泉だ。きっと泉の真ん中にいる彼にはこちらの表情までは認識できまい。



 少女は笑みを消した。大きく息を吸うと、次の瞬間、

「急々如律令、天地金輪王。招来、泰山府君――」


 幾百度目かの儀式が、今日もまたはじまった。




 今宵は満月。

 赤い月の夜に、一人の魔導女と一つの御霊が泉のそばで彷徨っていた。一方はほとりで、もう一方は泉の中央でたたずんでいた。

 数年に一度訪れる、薄赤く光輝いた月の夜だった。

 様々なものの魔力を増幅させるという、赤き月の夜だった。


 二人にとっての寂莫せきばくの夜を、薄赤い月だけが静かに見つめている。その月だけが、二人の行く末を案じて、赤い涙をたたえていた。

不意に思いついた作品です。

いつも、神は残酷ですね。

ここまでご覧いただき、有難う御座いました。

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