第四章「サーティファイ」―2
乖離が僕を連れ立ったのは、西校舎だった。
普段南校舎で授業を受けている僕にはあまり馴染みのない建物だが、入学試験のときに一度だけ入ったことがある。南校舎と取り立てて変わりのない、何ら普通の鉄筋コンクリート建造物だった。
この半年間、僕がこの校舎に一度も足を踏み入れなかったのにはあからさまな理由があり、それは取りも直さずこの校舎に用がなかったからだ。
この西校舎は、一階の部屋は資料室などの荷物置き場に、二階、三階は委員会の部屋に使用されている。そのため、この建物に出入りするのは、世界地図を取りに来た地理の教師や、美化委員などの委員会に在籍する奉仕意識の強い生徒くらいのものなのである。
――そして、乖離がこの校舎に連れてきたということは、目的地はあそこだろう。
僕の三歩手前をずんずん進んでいる乖離は階段を二つ登り、三階の廊下を十メートルくらい進んで、そこにある部屋の前でようやく立ち止まった。そしてくるりと僕の方を振り返り、
「ここよ」
と、薄い微笑で言ってくる。
僕は、その扉を眺めた。
横開きではなく、押し開けの木製ドア。会議室なんかの入口と同じ造りだ。そして扉の上には黒いプラスチックっぽいプレートが掲げられていて、そこに白抜きの文字が書いてある。
『自警委員』
――やっぱり、ね。
僕は鼻を鳴らしながら呟いた。いくらでも予想できることだ。この乖離が、自警委員に所属していることを知っているならば。
傍で僕の表情を観察していた乖離は、僕が得心がいったのを見てとったようで、一瞬ふっと笑い、間も置かずこんこんとその扉をノックした。
「どうぞ」
扉の奥から声が聞こえてきた。高い声だが、その音域は男のものだろう。生徒なのか先生なのかは定かではないが。
乖離はノブに手をかけ、
「失礼します」
と言いながら躊躇なく扉を開いた。僕もそれに倣い「失礼します」とやや小さめの声で言って、乖離の後に続いて部屋の中に足を踏み入れる。
うちの教室と同じくらいの広さ。
天井の蛍光灯の明かりを床が反射している。ワックスでピッカピカだ。塵一つ見当たらない。我が一年三組の教室と比べると、天と地ほどの差がある掃除のされ具合だ。比べる対象が対象だとも言えなくもないが。
壁際には本棚がそびえ立っており、その中には六法全書みたいな厚めの本が隙間なく並べられている。本棚と天井の間にはトロフィーやら額に入った賞状などが置かれていて、その佇まいが静かな威圧感を放っていた。
そしてその部屋の奥、窓際には、会社の部署の部長が座るような位置づけで机が置かれており、そこに一人の男子学生がいた。
その生徒は椅子からすくっと立ち上がり、僕の方へ視線を向け、
「やあ、初めまして」
目を細くして、ほころぶような笑顔を向けてくる。若干の狐目に、柔らかい表情を浮かべる男子。…………僕は、この人に見覚えがあった。
「……あなたは――」
「やあ、柊木君っていうのは君だったのか。じゃあ、初めましてじゃないね。ええと……半年ぶりかな? 俺のこと覚えてる?」
……もちろん覚えている。僕が入学した初日、廊下で「やあ、君は新入生かい?」と声をかけてきた上級生だ。そして僕は、この人からこの学園について聞かされたんだ。
「ええ、お久しぶりです。ええと――」
「俺は奥沢クルト」
「おくさわ…………くると先輩?」
「そう。父親がドイツの人でね。カタカナでク・ル・トだ」
「へえ……そうなんですか」
そういえばこの先輩、髪の色は黒だが結構色白だ。ハーフだからだろうか。
「――で、あの、僕をここに呼んだ理由っていうのは?」
「そうだね、さっそく本題に入ろうか」
言いながら、クルト先輩は再度椅子に腰を降ろした。そして両肘を机につき、口元で手を組む。本当に会社の管理職に就いてそうな、威厳のある姿勢。この人が自警委員のトップであろうことは容易に見て取れる。
ふと気付いて視線を動かすと、さっきまで僕の横にいた乖離は、いつの間にか先輩の隣へ移動していた。先輩の秘書でもやっていそうな位置取り。いよいよ、ここが部長室に見えてきた。自警委員っていうのはお堅い集団なんだろうか?
乖離が(恐らくの)所定の位置に収まったのを確認したクルト先輩は、僕に当たり障りのない笑みを向けてきて、
「ええと、まず初めに……柊木君。君はここが何の部屋かは、分かってる?」
「ええ。自警委員の委員会室ですよね」
「そうだ。じゃあ、我々自警委員については、どれくらい知ってる?」
セラピストのような口調で僕に質問してくるクルト先輩。
僕は「ええと」と頭の中を探りながら、
「自警委員っていうのは…………文字通りこの学校を自警してるんですよね。設立は数年前でしたっけ? 去年、塀を越えてこの学園に不法侵入しようとした不届き者を成敗したって話を聞いたことがあります」
「ははは。そうか、その話は一年生にまで広がってるのか。そりゃ重畳だ」
クルト先輩はからからと笑った。
「ふふ、確かにあれはなかなか派手な出来事だったからね」
「ええ。自警委員の本領発揮ってところですよね」
「ふふふふ、実は違うんだよなあ、これが」
頬にしわを寄せ、先輩は悪戯な笑みを作る。僕が「どういうことですか?」と首を傾げると、
「自警委員が作られた理由、目的ってのは、それじゃないんだ。不法侵入者やら泥棒を捕まえたりするためじゃない。そんなのは守衛のおじさんや警察の仕事だ。子供の出る幕じゃないだろ? 自警委員なんて名前のせいで誤解されやすいんだけど、俺たちの本職はそこじゃない」
「……じゃあ、何なんですか?」
「ふふ。実はね、数年前からこの学園の中で〈不審なもの〉が目撃されてるんだ」
「不審人物?」
「いや違う。人とは断定されてないんだ。何かしらの〈不審なもの〉だ。その時々で黒かったり青かったり丸かったり角ばってたりするんだけどね。発覚当初に教師総出で探し回ったらしいんだけど、何も見つからなかったって話だ。でもその〈不審なもの〉は、それからもずっとコンスタントに目撃され続けている。今年だって、すでに四件も目撃例が届けられてるんだよ? これは何か『魔術』に関係するものかもしれないけど、そうなると外部の人間に頼るわけにはいかないだろ? この学園の上の研究機関に掛け合ってみても、人手が足りないって言われてね。そんな、いるかいないかアヤフヤなものに割ける人員はいないんだろう。幽霊みたいなもんさ。でも、目撃例は結構多い。無視するわけにもいかないだろ? だから、その〈不審なもの〉を生徒自身で何とかしようと設立されたのが、この『自警委員』なんだ」
「……そうなんですか」
初耳の話だ。自警委員の出生どころか、そんな〈不審なもの〉がこの学園に出るなんて話も今まで聞いたこともなかった。まあ僕は、部活にも委員会にも所属してないせいで交友範囲はなかなかに狭く、そういう噂話に疎いせいもあるだろうが。
「ということで、数十年前に廃会になったこの風紀委員の部屋に陣取って、俺たちはこの学園を〈不審なもの〉から自警してるってわけさ。理解できたかな?」
……理解はできた。自警委員についての話は。しかし、僕が今問題にしているのはそこじゃなく――
「――で、あの、僕がこの自警委員の委員会室に呼ばれた理由って言うのは?」
「あ、そうか、そっちが本題だったね」
笑顔に面目ないという感情を滲ませるクルト先輩。
「そう、で、この委員会も人員が豊潤てわけでもなくてさ……どころか足りないぐらいでね。この前の会議で誰かいい人いないかと聞いたら、この乖離が『面白そうな人がいる』って言ってね。君の名前を挙げたんだ」
面白そうな人? …………この前の『キー』を唱えずに『魔術』を使ったことを言ってるんだろうか?
「だったら俺も早速その人に会ってみようってことで、ここに連れてきてもらったんだ。よければうちの委員会に入ってもらえないかと思ってね。……どうだろう、柊木君? 他に部活にも委員会にも入ってないそうだけど、別な活動をしてたりするのかい? 忙しいかな?」
「……いえ、別に、そんなこともありませんが」
「そうか、そりゃあ良かった。じゃあ早速入ってもらおうかな。…………ただね、この自警委員の相手ってのは、さっきも言った通り〈不審なもの〉だ。どんなものなのかわからない。もしかしたら俺達に敵意を向けてくるかもしれない。相当な危険を伴うかもしれない。だからね、誰でも入ってオッケーってことにはならないんだ。ちゃんとテストを受けてもらわないと」
「……テスト?」
「そう」
大きく頷きながら、クルト先輩は椅子に反り返った。そしてパチンと指を鳴らすと、
いきなり、周囲の壁からナイフが何十本も浮かび上がってきた。
僕を三百六十度囲っている。
その切っ先は、寸分の狂いもなく僕を向いている。
「――この状況を切り抜けてみてよ」
どこまでも明朗な先輩のセリフが、僕の鼓膜に届いた。




