第三章「ゲート」
バスの窓から見える景色は、日常だった。
大通り脇の歩道を、デート中らしきカップルや買い物帰りらしい主婦、帰宅途中であろう子供が行き交っている。日曜日だけあって、その人数はそこそこ多かった。あの中を歩けば、人を避けるのにもそれなりに苦労するだろう。それくらいの人々が歩いている。
そしてその町並みも、ごく平凡なものだ。
最近できたらしい大型デパートが区画の中心にどんと構えているが、その周りには比較的小さなブティックや喫茶店が並んでいて、見る限りはなかなか繁盛している。友人、恋人、家族と休日を過ごす市民が、ひっきりなしに出入りしている。談笑する人の波。日本で通常見られる街の風景が、そこにあった。
僕だって、これまでの十六年間その中で生きてきたんだ。見慣れたもの――否、見飽きたものである…………はずだ。
しかしそれでも、懐かしさを感じてしまう。
ちょうど一週間前にもまったく同じ景色を見たわけだが、逆に言えばこの一週間はこの日常に触れることができなかった。見ることも、聞くこともできなかった。当然だ。僕はずっとあの閉鎖の中にいたんだから。
これだけ大勢の人間を見るなんて、あの中にいる限りは滅多にないこと。このまま衝動に任せて、僕もこの日常の中に紛れ込んでしまおうかと思った――――が、ズボンのポケットに手を突っ込み、ためらった。
そこからゆっくりと取り出したのは、学生証。
間抜けな僕の顔が白いプラスチックの板に写っていて、その横には僕のプロフィールが小さい文字でつらつらと書いてある。まごう事なき『那頭奈学園』の学生証である。ひっくり返すと、裏面は真っ白。何も書かれていない。少し力を加えればすぐに割れてしまう、ただの板切れだ。
しかし僕にとっては、これはいわば鎖のようなもの。
この鎖が、僕と『那頭奈学園』を繋いでいるのである。
これがあるから、僕の自由は制限されているのだ。
この学生証は――もちろん身分証明としての意味もあるが――『魔術』を使うためのアイテムの体で配られた。詳しくは知らされていないが、このカードには『種』というものが埋め込まれていて、その『種』を手に持つことで、あの学園内で『魔術』が使えるようになるのだそうだ。
では、なぜ年端も行かぬ高校生に自由に『魔術』を使わせるのか?
学園からの説明によると、その目的はサンプル集めらしい。生徒が『魔術』を使用した際のデータを、カードの『メモリー』に蓄積して収集し、『魔術』の解明に用いるという話だ。悪い言い方をすれば、研究用のモルモットと言ったところか。特に体に害はないらしいし、訴訟を起こす気はないがね。
しかし、この『メモリー』が曲者なのである。
この学生証に埋め込まれている『種』の性能の半分が『メモリー』に費やされているらしいが、その『メモリー』が蓄積するのは、何も『魔術』のデータだけではない。常時、付近の音や光のデータも蓄積しているのである。そのため、この学生証を持っている僕の行動は、ほとんど他人に筒抜けというわけだ。
こんな学生証は捨ててしまいたい、と思ったことは一度や二度じゃない。僕にだって人に知られたくないことの一つや二つや三つや四つ…………八つくらいはあるのである。鬱陶しさの極みだ。
しかしご丁寧なことに、このカードには『トレース』機能までついており、捨てればすぐに学園にばれてしまう。捨てた場所も特定されてしまう。そもそも学生証を失くせば部屋の鍵が開かなくなるし(扉の施錠は学生証の認証で行われるのである)、こんな大切かつ重要なものを落とそうもんなら放校処分になることもあるという。生徒にとって完全にデメリットでしかない。
かくして、学生の言も動も縛られているのである。
これによって、校則第一条「『魔術』に関して他人に教えない」が頑なに守られているというわけだ。まあ、最悪の場合は『魔術』で記憶を消せばいい話ではあるし。……『魔術』ではそんなこともできるらしい。そら寒いこと限りない。
――と、ぼーっと吊り革にぶら下がりながらそんなことを考えていると、バスが「那頭奈学園前停留所」に着いた。
僕は財布から小銭を取り出し、ドア近くの料金箱に投げ入れた。そしてそのままバスを降りる。
僕以外にも四人がバスから降りたが、みんな高校生以上大学生未満といったいでたちである。そりゃそうだ。日曜の夕方、外出の門限時間間際にここで降りるのは、『那頭奈学園』の生徒くらいだろう。
僕達が降りるとバスはさっさと次の目的地へ出発してしまったが、別段それを見送ることもせずに、僕らは学園の門へと向かった。
無愛想な顔をした守衛さんに外出報告書の記入用紙とボールペンを渡され、僕達五人はその紙に一日の行動を記入していく。若者が五人並び、記入用の机に向かって猫背になっている姿はある種異様なものだろうが、しかし守衛のおじさんはそれを気にする様子もなく、ただ僕らを後ろから監視するように見ている。
書き終わった人から順に報告書を守衛さんに渡していくが、守衛さんは決められた動作だけをこなす人形のように、淡々とその用紙をチェックしていく。僕も本屋、ゲーセン、ネットカフェと今日一日のスケジュールを記した紙を渡したが、おじさんは無感動な目でざっと目を通した。そして、
「では、後で『メモリー』の抽出を受けてください」
と素っ気なく言われ、僕は門を通された。
バスを降りてからここまでに要した時間は十五分。長くもないが、短くもない。毎度の事ながら、なかなか面倒な作業である。
これからまた『メモリー』の抽出にいかなければならないが、それは後回しでもいいだろう。今日明日中に行けばいい話だ。とにかく今は、部屋でゆっくりしたい。
僕は自分で自分の肩をもみつつ、門から真っ直ぐ伸びるコンクリート道をとぼとぼ歩く。そして校舎の玄関のところで左向け左をし、寮を目指して今度は砂利道を進み始めた。どうにも、いつもの道がやたら長く感じる。疲れてるせいだろう。この学園がなかなかに広いということに、こういうときに思い知らされるものである。
他の四人は別の寮の住人らしく(あるいは他の用事があったりするのかもしれないが)、僕独りだけその歩き慣れた道を歩いているわけだが、T字路に指しかかろうとしたときに、ふと人影が目に入った。
一歩一歩近づくたび、その風貌が段々鮮明に見えてくる。時計塔の手前、砂利の交差点に立っているのは、眼鏡にカチューシャ――そして珍しく私服を着ている――、風宮すだれだった。
「やあ、ごきげんよう」
「……よくないよ」
満面の笑顔であいさつしてきたすだれに、僕は仏頂面を作って答えた。
「こんな時間にこんな場所で何してんだ?」
「ふふ、わかってるくせに」
ロングスカートを風にたなびかせているすだれは、重畳そうに答えた。
「しかしまあ、相手は分かっているだろうと思っててもちゃんと丁寧に説明するのが思いやりのあるコミュニケーションの第一歩だという認識に基づいて説明させてもらうとね、君が今日どこへ行ってたのか聞こうと思ってたんだよ」
「そんなことのために、この寒空の下待ってたのか?」
僕は八割がた呆れながら言う。残りの二割はというと、それはまあ、予想通りという部分だ。
「今日行ったのは本屋、ゲーセン、ネットカフェ。買ったものは何もない。今月の小遣いが尽きかけててね。行っておくけど、今度のこれは嘘じゃないよ。申請書を調べてもらっても、何ら問題ない」
「ふふ、君の言うことは、そりゃあ信じるよ」
本当とは思えないことを言うすだれ。先週一度反故してるし。
「……で、信じた上で聞きたいんだけど、君はネットカフェで一体何を見てたの?」
「そんなにそこが気になるのか?」
「そりゃあ気になるよ。だって、ただ単にネットを見たいだけなら、ネットカフェに行く必要なんてないんだからね。この学園のコンピューター室を使えばいいだけなんだから。それならお金もかからないしね。でも、君はあえて外のネットカフェを使ってる。先週に引続き、ね。君がまるで外のネットを使うためだけに週末に外出してるように見えるのは、あたしの錯覚ではないと思うんだけど?」
「だから、言ってるだろ?」
僕は息を吐き、疲れたように肩を落としながら言った。
「僕のプライベートで、人に知られたくないことだってあるんだよ。学園のコンピューター室を使うと、教職員に見たページが筒抜けだろ? だから使いたくないんだ」
「……で、その知られたくないこととは?」
「それこそ言えないよ。知られたくないんだから。……お前にもな」
僕は当然のように言う。
すだれは「ふふ、うまいなあ」と呟きながら、
「つまりは、君にはお金を払ってでも人に知られたくないことが存在するってことなんだね? そここそがあたしの聞きたいところなんだけど、これ以上深追いするのは止めておこうか。君に嫌われたくないし。…………それとも、しつこい女の子の方が好き?」
「好きじゃない」
僕は首を横に振る。
「そう……。うふふ。じゃあ、今日の話はこれでお終い。ではまた明日、教室でね」
そう言い残し、くるっと振り返って行ってしまうすだれ。
一日町を歩き回った疲労と、冷たくなってきた風のせいで早く部屋に戻りたかったので、すだれの背中を眺めるのもそうそうに止め、僕もそそくさと男子寮の方へ歩き出した。
寮の玄関にたどり着き、がちゃりと扉を開ける。そして靴を履き替えようと自分の下駄箱を開いて――――僕は手を止めた。止まった――もしくは、止まってしまったと言った方が正確かもしれない。
そこにはスリッパの他に、見慣れないものが入っていたのである。
箱の上に掲げられている名札を見てそこが僕の下駄箱であることを再度確認し、僕はもう一度中を覗きこむ。
そこには水色の封筒が入っていた。




