第二章「カード」
例えば、カードゲームなんかで――ゲームの種類はポーカーでもセブンブリッジでもウノでも何でもいいが――いいカード、強いカードを手に入れた時に、それを高々と宣言するような人間は、一体どれくらいいるだろうか? 別にアンケートを催したいわけではないが、少なくとも僕の周りを見る限り、全体の数パーセントに過ぎないと思う(幼稚園の頃の僕の妹が唯一そうだった)。
そんなのは当然の中の当然のことで、自分がいいカードを持っていることを人に知られれば、相手にはそれに基づいた戦略をとられてしまう。場合によっては奪われてしまう可能性だってある。勝負に勝ちたいと思うなら、自分の手の内は隠すものだ。
それは、話のスケールを広げていっても同じことである。
商品開発を生業とするような会社だって、技術やノウハウは企業秘密にしたり特許を申請したりするものだし、世界各国の軍隊にはどれだけの機密事項があることか。言わずもがな、社会を形作る上でごく自然な流れだ。
そしてこれは、この『那頭奈学園』にも当てはまる話である。
遊びたい盛りの高校生がとことん自由を制限されているにも関わらず、やたらに逆らおうとする生徒が少ないのは、みなそういう事情を理解しているからだろう。この学園が隠しているもの、閉鎖されている理由。それはつまり――
――『魔術』の存在。
…………いきなり日常生活ではとんと聞きなれない単語が出てきてポカンとしてしまう人も多いと思うが、入学式でステージに立った髭を生やした初老の学園長先生に初めてこの言葉を聞かされたときの僕――そして一年生全員――も、まったく同じ反応だった。
何を言ってるんだ?
ファンタジー学園長なのか?
僕の聞き間違いなのか?
もしくは何かの比喩表現なのか?
体育館に直立したまま、そんな疑問と思考がひっきりなしに脳内を駆け巡った。おかげで十五分にわたる人生の大先輩の話は他に何一つ頭に残らなかったのは、無理からぬことだろう。
「この学園の規律は『魔術』を守るためにある」
そんな説明で納得してしまうような十五歳は、脳内設定だけで生きているような人だけであり、心安いことに新入生のほとんどはその例外だったようだ。周りはみな不安と不満と不可解を織り交ぜた顔をしていた。
結局のところ、学園長の発言と同時に始まった聴衆のガヤガヤはしばらくしたら止んだ。周囲から漏れ聞こえる会話を聞く分には、それぞれ言い間違いや聞き間違いという結論に落ち着いたようである。まあ、常識的に考えればそうだろう。
おかげで、ホームルームが始まる直前まで、錯乱した生徒も出ずに済んだ。
じゃあ、実際はこの学園の規律は何のためにあるのか? 学園長は本当は何と言ったのか? そこら辺の疑問が残ってしまうが、それはまた後で聞こうと、たいして心の準備もせずに迎えた転回の時間――
――最初のホームルーム。
そこで倉林先生によってクラス全員に支給されたのは、学生証と『キー表』という表紙がついた冊子だった。学生証の方は野暮ったい顔をした僕が写っていて「僕ってこんな顔だったっけ?」と首を捻ってしまうような割と一般的なものだったが、わけが分からないのは冊子の方だ。ペラペラめくってみると、表が記されたプリントが数枚ほど閉じられていた。
横に二行、縦に三十段くらいに区分けされた表。左の行には『炎の発現』『水の発現』なんてことがびっしり埋められていて、その横の行には『炎よ来たれ』『水よ来たれ』みたいな短い文章が添えられていた。
魔術――炎――発現
ロールプレイングゲームをそれなりにやったことがある僕は、その一貫性がすぐに見えてきてしまった。ゲームの登場人物が時折口にするワード。テレビ画面の中だけで起こる現象。いわゆるファンタジーと呼ばれるジャンル。
――これは現実なのか?
頭がくらっときた。
夢ならここら辺で覚めるものだが、残念ながら地に足はついている。
頭をぶんぶん振りながら、一体何がどうなってるのか、どこから夢なのか、何が常識なのか、悪徳宗教なのか、大規模なドッキリカメラの類なのか、由緒ある学園がそんなもんに協力したのか――そして僕はどこで人生を誤ったのか、僕の生き方の何がいけなかったのかとそこまで考えたが、それらの熟考はすぐに遮られることになった。
教師による実演。
倉林先生が、教卓の前に立ったままカードを振りつつ『キー』を唱え、目の前に火を出したのだ。空中で数秒間メラメラと舞い上がる炎。「おおー」と唸る周囲の生徒。僕はそのトリックを見破ろうと目を凝らしたが、それもまた無駄に終わる。
先生の「君らもやってみろ」という号令に伴い、あちこちで生徒が『キー』を唱え始めた。すると、こっちでは水が発現し、向こうでは氷が発現し、隣の木内は炎を出してしまって「あちちっ」と手を振っていた。
僕も学生証を握り「氷よ来たれ」と呟いた。しかし何も起こらず、「あれ?」と首をかしげながら、さっきよりもやや大きい声で「氷よ来たれ」と言った――――瞬間、机の上に氷がぼとっと落ちてきた。
こうして、たかだか十分弱の出来事により、僕達の常識は簡単に覆されたのである。
――そんな、思い出と呼ぶには近すぎる過去を振り返る現在は、昼休み。
僕は食堂の隅に一人陣取り、トレイの上にきつねうどんとオレンジジュースを並べている。
二時間前から待ち望んでいた瞬間にようやくたどり着き、日々積み重ねるべき幸せってのはこういうものだよなと生きる目的を再確認しながら、割り箸を真っ二つにする。そして数年前から実施している流儀に則って、「油揚げは後から」ときつねの好物と言われている黄色い正方形を底に沈めつつ、うどんをすすり始めた。
「今日はスープが濃い目だな」と思いながら、トレイの脇においてある紙コップに手を伸ばすと、紙の感触が予想と違った。やたらぬるい。
中を覗くとそこには液体だけがなみなみ入っていて、僕は氷を入れ忘れたことをようやく思い出した。
やれやれと思いながら、僕はズボンのポケットから学生証を取り出す。そして頭で氷をイメージしながら紙コップの上空で学生証を振った直後、トプントプンという音が聞こえた。ジュースの液面を見ると、透明な八面体がプカプカ浮いている。
少し待てば、これで冷えるだろう。
『魔術』によって発現される水や氷は、調査によると百パーセントに近い純水らしく、飲むのはあまりよろしくないというお達しを受けている。が、ジュースを冷やす分には別に問題ないだろう。今まで何回もやっているが、腹を壊した試しはない。
少しくらいぬるくてもいいかと思いながらコップを口に持っていった瞬間、
「くだらないことに『魔術』を使ってるのね」
後方から蚊の鳴くような声が聞こえてきた。振り返ると、栗色の長髪を後ろで束ねている、難しい顔をした女子――野中乖離が立っていた。
「……別に、僕の勝手だろ?」
「それはそうだけど、分別のある人間なら自ずと意義のある場所で能力を使うものよ」
ツンとした声で言いながら、乖離は僕の隣にトレイを降ろした。……まさか、ここで昼飯を食う気なのか?
案の定、乖離はそこの席に座り、
「あの人は?」
「あの人?」
「風宮さん」
「……ああ、あいつは教室で購買のパンを食ってる。僕がこの前貸した本を読むのに夢中らしい」
「そ」
自分から話を振ってきたくせに、興味は存外なさそうだ。乖離は淡々と割り箸を取り出し、いくら丼を口に運び始めた。
僕も僕で再度目の前のうどんをすすり始めたが、いきなりそのうまさが半減したように感じる。…………何でこいつ、わざわざ僕の隣に座るんだ。他にも席は空いてるってのに。
空気が読めない人は空気が読めないから空気が読めてないことに気付けない――という自己矛盾をどうにか律する術はないのかと論理学的見地からアプローチを試みていると、
「……それにしても、あなた、さっき『キー』を唱えずに『魔術』を使ってたように見えたけど?」
「ん? ああ、そうだよ」
「何でそんなことができるの?」
乖離は箸を動かしながら首を少し回し、目線をしっかり僕に据えた。
「……別に難しいことじゃないよ。ようはイメージがちゃんと持てればいいんだ」
「……イメージ」
「そう。『魔術』を発動するために必要なのは、そもそも『キー』の言葉じゃなくて、頭の中のイメージだから」
「……へえ。よくそんなこと知ってるわね」
「知ってるというか、気付いたんだよ」
「気付いた?」
「そう。考えてみろよ。そもそも変だろ、『キー』がすべて日本語だなんて? 『魔術』の発動に必要なのが『日本語の発音』だっていうなら、魔術の発動条件と日本語の言語形成が偶然にもぴったりきっかりマッチしたってことになるじゃないか。そんなの、確率的にありえないだろ。だから、必要なのは『日本語の発音』じゃない。言葉を発するプロセスの中の、もっと前の部分。つまり、口にする言葉の『イメージを頭に思い描く』という段階――――って、そう考えるのは普通じゃない?」
僕がここまで説明し終えると、乖離は手と口の動きを止めて、じっと僕の顔を見つめてきた。そして僕が居心地悪く感じるくらいの時間そうした後、
「なるほどね」
そう呟きながら、箸をトレイに置く。見ると、いつの間にかいくらが入っていたはずのどんぶりは空っぽだった。……こいつ、案外早食いだったのか。
「あたしは自警委員の先輩に聞いてて知ってたけど、自分で気付ける人もいたとはね」
そう言いながら乖離はトレイを抱えて椅子から立ち上がった。
「まあ、あなたにしては健闘してると言えなくもないわね。少しくらいは期待してあげようかしら?」
捨て台詞のように言い残し、乖離はトレイ返却場の方へ行ってしまった。……いや、行ってくれたと表現した方が、僕の真情に即してるかもしれない。
「はーあ」
ため息を一つつき、僕は油揚げをかじり始めた。




