第十一章「クリアー」―3
「…………は?」
「どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも…………………………」
僕は、感情を吐き出すように言う。
僕の視線の先、一瞬ぽかんと大口を開けたクルト先輩は、まるで意思疎通ができていないというような顔をしながら、
「おいおいおい、柊木君、一体どうしたんだ? 何が気に入らないんだ?」
「――年上に説教するのも気が引けますがね、しかしあんたら、本当に、生き方が後ろ向き過ぎですよ」
――本当に、どいつもこいつも。
「あんたら、ただ時間が過ぎるのが怖いだけじゃないですか。今この時間にもっといたいってだけじゃないですか。時間よ止まれって、締め切り直前の作家かなんかですか? 夢も半ばの若人が、よくもまあそんな枯れた発言ができますね。現に見てください、他の生徒達を。時間の束縛から自由になったと思ったら、みんな何もしないじゃないですか。勉強やらスポーツの練習やらに精を出してるのはごく一部ですよ、ごく一部。千人の中の、たかだか数人。他の人はみんな遊んでますよ。だべったりなんだり。先が見えなくなった途端、みんな立ち止まってしまいましたよ。そうですよ、〈先〉がなくちゃ、生きる意味なんてない、意義なんてないんですよ。それをあんたらは、分かってない。本当に、分かってない」
「――ふふ、何だからしくない言葉が出てくるね。まさか君からそんな風なことを聞くとは思わなかったよ。ふふふ。その口ぶりからすると、君にも〈先〉があるってことになるのかな? 一体どんな〈先〉なのか、聞いてみたいんだけど?」
「あなたに教える義理はありませんよ」
「……まあ、そりゃそうだ」
クルト先輩は顔を引きつらせ、しかし最低限の笑みを浮かべて言ってくる。そして鼻を鳴らしながら、
「…………やれやれ、本当はこんな手段に出たくなかったんだが」
そう言って、先輩はズボンのポケットから学生証を取り出した。
「さあ、悪いが今のことは全部忘れてもらおうか。別に痛くはないから、しばらくじっとしていてくれ」
「……ふざけないでください」
僕もカードを取り出し、そして間髪入れずに振った。
先輩は一瞬ビクッと構えたが、しかしそれ以上は何もせず、僕の右手に現れたものを凝視するだけにとどまった。僕の右手には、たった今僕が頭でイメージしたもの――金属の斧――が、天井の蛍光灯の光を反射している。……少し、重い。
「……まさか、柊木君、それで――」
「ええ、そうです――」
僕は腕に力を入れて斧を持ち上げ、
「――よっ」
前へ駆け出した。
先輩の横を抜けて『種』へ向かって走っていく。そして『種』に向かって勢い良く斧を振り上げた、が――
「うおっ!」
いきなり腹に衝撃を感じ、そのまま横へ吹き飛ばされた。それがクルト先輩が『魔術』で起こした風であることに、周りに何も堕ちてないことと先輩が元の位置からまったく動いていないことを確認してから、理解した。
「まったく、似合わないことをするなあ。力比べでもしようっていうのかい? もしくは『魔術』比べか? まあしかし、『魔術』に関してはこっちの方が一日の長がある。俺はこのカードを使い始めて三年近くだ。悪いけど、これ以上は近づかせないよ」
クルト先輩は床に伏したままの僕の方へ一歩踏み出しながら、指揮棒のようにカードを振った。次の刹那、突風が巻き起こる。僕は慌ててカードを握り直し、周囲に『ウォール』を張った。
ごうっと風が唸る。
間一髪、その突風は僕の目の前で遮られた。僕の周囲は無風。しかし、赤い壁に相当な風圧がかかっているのを感じる。壁越しにその様子を見ているだけで、吹き飛ばされてしまいそうな気になってしまう。
ただの空気音でしかないはずなのに、その音量は轟音とも言えるほどだ。壁の向こうは、舞い上がる砂埃で何も見えない。
……まずったな。
僕の目的は『種』の『核』。それさえ壊せば、すべてのかたがつくと思っていた。クルト先輩は防御に徹しなければならず、僕はただ攻撃するだけでいい。こっちの方がだいぶ有利だと踏んでいたんだが……。
……まさか、ここまでとは。
学生証を使ってるだけなのに、ここまで『魔術』に差があるとは思わなかった。風の威力、そして持続時間。僕とは段違いだ。
風が一向に鳴り止まない。
台風の暴風域のさらに数倍くらいの風速の風が、『ウォール』の向こうで巻き起こっている。それも、数分の間ずっと、弱まることなく。
……どうする?
この状態を切り抜けるには、どうすればいい?
『ウォール』を解いて出て行くなんて、とてもできない。吹き飛ばされるのが目に見えてる。そしたら、完全に無防備だ。記憶を消されて終わりだろう。やはりこのまま、先輩の集中力が切れるのを待つしかないのか?
……しかし、
それまでこの『ウォール』はもつのか? もたせられるのか? 僕の目の前、相当なスピードで、空気と舞い上がった砂粒がぶつかっている。ガラスだったらとっくに粉々だろう。もし、もしこの壁が壊れたりしたら――
――と、僕がそんなイメージを思い描いてしまった瞬間、
ぴしししっ
氷が割れるような音が聞こえ、そして――
「――うわっ」
体が軽くなった――――と思ったのも一瞬、背中に鈍い痛み。胸がつぶされる感覚とともに、僕は床に倒れた。
「ゲホッゲホ」
「さあ、もういいだろ?」
先輩の影が、一歩一歩僕の方に近づいてくる。
「痛くないし、苦しくない。さあ、動かないで――」
「う、うるさい!」
僕は床にへたりこんだまま、カードを振った。
先輩に向かって一直線に向かっていく青白い稲妻――――しかし先輩は、体を傾けるだけでこれをかわす。
「分かってないな」
クルト先輩は、苦笑で答える。
「君は、『魔術』における競り合いっていうものが分かってない。確かに稲妻は、当たれば相手を一撃で行動不能にできる可能性もある。だけど攻撃範囲が極端に小さくて、相手に当てるのは至難だ。しかも、放電現象なんて身近で見る機会なんて限られてるし、雷だって遠巻きに見るかテレビで見る程度だろう。そんなイメージだけで大規模な稲妻なんて作れやしない。それよりももっと身近な現象で、しかも広範囲にわたる『魔術』を使うのが定石なんだよ。例えば――――こんな風に!」
言ったと同時に、先輩はカードを振った。
再度、暴風が巻き起こる。
なすがまま、僕は平衡感覚を失い、直後、背中に衝撃。体全体に圧迫感と、肌に無数の小さな痛みが突き刺さった。
手が動かない。腕が動かない。足が動かない。首が動かない。目が開けない。口が開けない。――――呼吸ができない。
……くる、しい。
無理矢理息を吸い込んでも、肺に何も入ってこない。溺れたような感覚。意識が遠のいていく。
いや、逆に段々苦しくなくなってきた。何だか、ふわふわした気分。体中にかかる圧迫感も麻痺してきている。ただ、頭の片隅で「この状態はやばい」と警鐘がなっているが。
……やばい、やばい、やばい。このままじゃ、本当に意識が……。
……ああ、何でこんなことに?
何で僕は、こんな目に会ってる?
何のために僕は、こんな目に遭ってる?
そもそも僕が学園閉鎖について調べ始めたのは、乖離が僕の部屋に来たから。乖離が僕に『当て』を聞きにきたからだ。
そして僕は、それに応えた。
たまたま…………たまたまそれを知っていたから、何となくそれが分かっていたから、だからそれを乖離に教え、それを確認するためだけに協力した。
そこに、僕の意思なんてない。……なかったんだ。
そう、それはただの義務感。それだけだ。別に僕は、学園閉鎖の解決なんて望んでなかったはずだ。傍観していようと思っていたはずだ。時間や他人が解決するのを待っていようと思っていたはずだ。
閉鎖の開放なんて望んでなかった、望んでなかった、望んでなかった、望んでなかった、望んでなかった、望んでなんか…………なかった――
――本当に?
僕が動いたのは、本当にただの確認? 義務感? それだけか?
それだけのために、僕はわざわざこんなところまで出向いたのか?
本当に? 本当に? 本当に? 本当にそうなのか?
さっき僕は、何と言った?
――〈先〉がなくちゃ、生きる意味なんてない。
〈先〉? 〈先〉って何だ? 僕の〈先〉っていうのは、一体何なんだ?
自分で言ったセリフのくせに、その意味が分からない。
僕の〈先〉って何なんだ? 学園が開放されて、自由になって、外に出ることができて、そしてその〈先〉に、一体何があるんだ? 何が僕を待ってるっていうんだ?
買い物に行ける? 買い食いできる? ゲーセンに行ける?
いや、そんなことのために僕は動かない。動いたりはしない。僕を知る人間なら誰だって同意するだろう。僕はそんなアグレッシブな性格じゃないと。自分でだってそう思う。
だったら何のため? 何のためだ? 他に何がある?
――実家に帰れるとか?
半年振りに実家に帰って、母さんや父さんや妹やらに会って、ご近所さんにも挨拶して、中学の友人と遊んで…………って、だからどうした? 別に僕はこの半年、ホームシックにかかったことなんてない。家や友人に電話はちょくちょくしてたし、みんなの近況は大体分かっている。家族に会ったからって、旧友に会ったからって、それはそれで楽しそうだが、でもただそれだけだ。それだけでしかない。
――いや、本当にそれだけか?
何かもう一つ、期待してるんじゃないか?
沈んでいく意識の奥底、ぼんやりとイメージが浮かぶ――――半年振りの実家。十六年住んでた一戸建てを懐かしむようにまじまじと見上げる僕。チャイムを鳴らすと、少しして玄関のドアが開く。そこから顔を出してくる両親、妹。久しぶり、という挨拶。相変わらずの他愛無い会話。そして促されるように玄関に上がろうとして、ふと僕は顔を横に向ける。その僕の隣には、もう一人いて、それは――
――カチューシャで、丸眼鏡の――
――と、急に体が自由になった。
右半身に衝撃。わき腹が痛い。目を開けると、視界には木目。張りつけの状態から床に落ちたんだ。
そしてようやく僕は、世界の上下を認識した。
「げほっ、えほっ」
咳き込みながら視線を上げると、僕を見下ろすクルト先輩。細目を見開き、あざ笑うかのような顔を向けている。
「どうだい? 力の差がわかったかな? 年季の差。経験の差。俺と君の力の差は、こんなにも大きいんだ。抵抗するだけ無駄だよ。損だよ。さあ、おとなしく記憶を消されてくれ」
クルト先輩が、一歩二歩と近づいてくる。床に耳をつけているせいで、その足音がやたら耳に響く。
「……柊木君。別に君には、何も問題ないだろう? 学園の閉鎖が続いたからって、君は別に何かを失うわけじゃない。まあ、何かあったからって、俺が立ちはだかる以上、君に勝ち目はないんだけどね」
……そうか、そうだろう、そうだ、そうなんだ。
僕には勝ち目はない。ありゃしない。僕がクルト先輩をかいくぐって『核』を壊せる可能性なんてない。先輩と僕の『魔術』には、それほどの決定的な差があるんだ。
『魔術』というのは、思い描いたイメージを具現化するもの。そのイメージを『種』に流し込むことで『魔術』は発動する。イメージしたものに限りなく近い現象が起こる。そして『種』に流し込まれる想像がより強いほど、鮮明なほど、リアルなほど、濃いほど、『魔術』は強くなる。
では、そのイメージを濃くするにはどうすればいいか?
単純に、『魔術』を何度も使えばいい。魔術を何度も使い、その様を何度も見ればいい。目に焼き付ければいい。そうすれば魔術発動のイメージが掴みやすくなり、相乗的に魔術も強くなる。
だから、僕は先輩に勝てない。
僕は入学して半年。先輩は三年目。その差は二年。毎日『魔術』を一回ずつ使ったとしたら、ざっと八百回。二回なら千六百。三回なら二千四百。四回なら…………いや、『魔術』に魅せられた先輩が、その程度のはずもない。きっと先輩が魔術を使った回数なんて、僕の数千倍に及ぶだろう。その経験の差は大きい。大きすぎる。大きすぎるんだ。僕と先輩には覆しようのない差がある。覆しようのない、イメージ力の差が――
…………。
――――ん? …………イメージ?
「安心してくれ、柊木君。君が俺たちに歯向かった記憶、歯向かおうと思った記憶もすべて消してあげる。だから、今後は俺たちに歯向かおうとする意識すら芽生えないだろう。風宮のようにね。だから、今後一切こんな風に君が苦しむこともないはずだ」
――――イメージ…………『種』?
「ただ、万が一のことを考えて君のことは俺の側に置いておかなけりゃならないけど。まあ、これからは友達として仲良くやっていこうじゃないか、柊木君。思うに、俺と君はこの学園閉鎖がなければ、いい友人になれたと思うんだ」
――――『種』…………破壊? ――――――そうか……!
「さあ、こんなつまらないことにかまけるのは止めにして、これからの時間を有意義に過ごせるように……――――ん? どうしたんだ、柊木君? そんな真剣な顔で一体何を考えてるんだい? まさか、またその斧で『核』を壊しにかかる気かな? だったら俺も、もう少し強硬な手段に出ざるをえないけど――」
「……別に、それはもういいんです」
僕は口を拭いながら、ふらふらと立ち上がった。そして力が入らない腕にできるだけの力を入れて、足元に転がっていた斧を拾う。
「もういい? 諦めたってことかい?」
「いえ、違います。方法が分かったんですよ、方法が。ようは、僕はその『核』を本気で壊しにかかるイメージをあなたに植え付けられれば、それだけでよかったんです」
「それはどういう――」
僕は先輩のセリフを聞かずに斧を振り上げ、僕の横、壁沿いに建てられている本棚に向かって、勢い良くそれを振り下ろした。
破壊音と共に、飛び散る木片。
当然のごとく、木製の本棚は破壊され、ばらばらになった。床に落ちる板切れ。ぱらぱらと、足元に塵が降ってくる。
「なっ? どうした、柊木君。一体何を――」
「さあ、これで先輩には、『斧で木を叩けば壊れる』という明確なイメージが浮かびました」
「は? そ、そんなの当たり前だろう。何を今さら――」
「さて、先輩、ここで問題です。とっても簡単な問題ですよ。よーく聞いて、そして考えてください。いきますよ――
――この斧でその『種』を叩いたらどうなるでしょうか?」
僕がそう言った瞬間――
――ピシッ
弾ける音がした。見ると、『核』の端が、クッキーが欠けるように割れたところだった。
「あ、あ、あああああ」
その様を見た先輩は、目と口を大きく開いた顔をして、慌てて『核』に近づいて行く。そして床に膝をつき、すがるように『核』を抱え込んだ。
「時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ……………………」
呪詛のように呟き始める先輩。
「『魔術』はイメージを具現化するもの。今現在の『種』の『核』の使用者である先輩が、もし『核』が壊れる瞬間をイメージしてしまったら、つまりはそれが具現化されるってことですよね?」
「時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ、時間よ遅れろ……………………」
「いいんですか、先輩? 僕に背中向けてて?」
僕が一歩二歩と近づいていくと、その足音に反応して先輩は立ち上がり、『核』を守るように僕の前に立ちはだかった。が、その瞬間、
ピシッ
また『核』が割れた。先輩の視界に、僕の斧が入ったんだろう。恐ろしいほど絶大な効果。先輩は『魔術』のイメージが鮮明なだけ、余計に効くんだろう。
「くっくそっ」
焦燥の表情を浮かべながら、先輩は再度カードを振りかぶった。しかし、それより先に僕は斧を足元目掛けて振り下ろし、そこに落ちている木片を割る。
破壊の音。
飛び散る破片。
僕の中にすら浮かぶ、『核』が砕けるイメージ。
そして同瞬、
ピシッ
「あ、ああ、待て」
ピシピシッ
「ちょ、ちょっと、ま――」
ピシピシピシッ
「くそ、待て、待てったら、待て」
ピシピシピシピシッ
「頼むよ、待ってくれ、壊れないでくれよ」
ピシピシピシピシピシッ
「待てよ待てよ待てよ待てよ待てよ待てよ待てよ」
ピシピシピシピシピシピシッ
「壊れるな壊れるな壊れるなこわ、……れるな壊れるなこわ――」
ピシピシピシピシピシピシピシッ
「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
――そして
――『種』は
――飛沫のように
――完全に
――砕け
――散った。




