第十一章「クリアー」―2
「…………合格? 別に僕は、今さら自警委員に入る気なんてないですが」
「いやいや、それとはまた別の話だよ。自警委員なんかとは関係ない。あんなものは、俺にとってもただの古巣さ。そうじゃなく、君には真実を知る資格がある――――知った上でこの場所で生きる資格がある、ということだ。君ならきっと、選択を間違えないだろう。つまり俺は君の思考能力を買ってるわけだ。部外者の君が、ここまで真相に近づいたわけだからね」
「……まあ正直、分からないこともいくつかあるんですがね。例えば、乖離が僕のところに来たことのメリットとか」
「ああ、それは簡単な話だ。彼女は〈二重人格〉だからさ」
…………二重……人格?
「そう。これは性格に裏表があるとかの比喩表現じゃないよ? 本物の二重人格。精神分離のことだ。実は彼女、乖離というメインの人格の他に〈憑依〉っていう別の人格を持っていてね。何でそんなことになったかと言うと、入学して間もなく、乖離が閉鎖された学園生活のせいでストレスにやられてね。使命感が強い子だから一人でずっと耐えていたんだろうけど、その結果、その苦しさから逃れるために〈憑依〉という人格が生まれてしまった――――らしい。〈憑依〉からそう聞いてる。そしてその〈憑依〉は、学園の中だからこそ存在する人格だからね、卒業する日が来るのを恐れてこの計画に賛同してくれたんだ。ひと時でも長く存在するために。…………逆に乖離の方は事情を何も知らない。自警委員が〈本来の目的〉のために動いてるときは、〈憑依〉に登場してもらってたんだ。だから乖離は、自警委員を本当に〈不審なもの〉に対抗するための組織だと思っている。それで、わざわざ君に助力を仰ぎに行ったわけさ。見分け方は簡単。ずっとしかめっ面なのが乖離、たまに笑う方が〈憑依〉だ」
…………そう言えば確かに、あいつは笑ったり、笑わなかったりだった。
テストのために僕を呼び出したときは笑っていて、調査の助力を仰ぎに来た時は笑ってなかった。でも〈不審なもの〉に襲われた時は笑っていて…………。
「一本木の方も、まあ分かりやすい話で、花塚と〈恋仲〉なんだ。知ってるだろ? 花塚りえ。いつも一本木の隣にいるお嬢様だ。一本木の方も花塚の方もなかなかに古風な家らしくってね、当然ながらそんな〈恋仲〉は認められるはずもない。だからできるだけこの学園の中で長い時間を過ごそうと、俺に協力していた」
…………一本木先輩と、りえ先輩が……。
じゃあ、文化祭の時、一本木先輩が僕に「君なら問題ない」と言っていたのも、つまりはそういうことだったのか。
「風宮の方は…………説明することもないか? 君の方が詳しそうだしね。まあ言ってしまえば、ずっと一緒にいたい想い人がいるそうだよ。正直、俺もあの子には手を焼いたんだけど」
世間話のように、クルト先輩は軽いトーンで説明を続けていく。
「じゃ、じゃあ――」
僕は声を振り絞り、
「――クルト先輩は何でこの計画を実行したんですか?」
「ふふ。そう、俺はね――」
先輩は、まるでその問いを待ち焦がれていたかのような笑みを浮かべた。そしてその隣に山積みにされている本――図書館から借りてきたんだろう、背表紙にラベルが貼ってある――をなでながら、
「――この世のすべての知識を得たいんだ」
…………知識?
「そう。この世には様々な学問があって、文学、心理学、経済学、天文学、工学、数学、物理学、言語学、医学、法学、数え上げればきりがない。それぞれの専門の学者がいて、素晴らしい知識を積み上げている。だけど一流の学者でさえ、その中でも一つ、良くても二個三個の学問だけを究めるだけで終わってしまう。――――惜しいと思わないかい? 悲しいと思わないかい? 悔しいと思わないかい? 君も知っているだろ? 素晴らしい知識に出会えた時、その刹那に感じる、新しい世界が開かれたような感覚を?
〈知っている〉と〈知らない〉では、世界の見え方が大きく変わってしまうんだ。
例えば、推理小説を読んでみたときのことを考えてみなよ。一回目はただの謎解きでしかないが、しかし二回目。犯人が分かった上でもう一度それを読んだ時。ヤリ玉に上がる前の犯人の言動が、その言動から受けるイメージが、完全に変わってしまうだろ? 『そのセリフは嘘だったのか』、『その振る舞いは演技だったのか』って、そんな発見が溢れている。そこには、一回目の読破の時とはまったく違う世界が構築されているものだ」
ここで先輩はブレスして、
「つまりはそれと同じことだよ。学問においてもまた同意なんだ。天動説を信じるか地動説を信じるかで空の見え方が違ってしまう。初めて地動説を聞かされた人々の驚きなど、想像も及ばないね。生まれた時から地球が回ってると教えられてきた俺達にとっては。当時その正しさを理解できた人間は、それはそれは驚いただろう。感動しただろう。太陽や月や星の見え方が変わっただろう。空の見え方が変わっただろう。大地の見え方が変わっただろう。世界の見え方が変わっただろう。…………そう。知識っていうのは、そういうものだ。世界を解き明かし、認識を変えていくものだ。見える世界を変えていくものだ。そしてここにある書物には、その種がいくつも詰まっている。その絶頂感を体感できる可能性が、この中に数え切れないほど存在している。なのになのになのに、俺達はそれをすべては解決できないまま、あえなくすべからく死んでいくんだ。そう、俺達には時間が足りない。俺は時間が欲しかった。だからこそ、俺はこの計画を実行したんだ」
「…………そ、そんなくだらないことのために、こんなことしたんですか?」
「おいおいおい。くだらないなんて言うなよ。知恵っていうのは、人間が自然に誇る唯一の能力じゃないか。その知恵を蓄積していったものこそが知識だろ。その知識のおかげで、人間はここまで反映した。知識って言うのは、地球上で最上級に位置するものだ。だからこそ俺は三年かけてこの計画を準備してたんだから」
まるで自慢話でもするように、クルト先輩は嬉々と言葉を続ける。
「そもそも、俺がこの学園に入ったのは運がよかった。なんせ『魔術』なんてものに出会えたんだからね。初めてこの『魔術』で時間をコントロールできると聞いた時の感動は、もう忘れなられないよ。自分が神になったように感じたもんだ。何でもできると錯覚してた。……しかし、やっぱりこれにも制約があったんだよな」
苦労話を振り返るように、クルト先輩はとくとくと話し続ける。
「そう。確かにある範囲の時間の経過を遅くすることは可能だけど、それは安定しないんだ。現象が発散してしまう。何か囲いを作って、現象が漏れないようにしなければ安定は得られない。現象を遮る境界が必要なんだ。で、その境界を作るために俺が作ったのが、いわゆる〈不審なもの〉なんだよ」
自分の作った芸術品を解説するように、言い続ける。
「これを作った目的は二つある。一つは、もちろん時間の境界のノードを作るため、そしてもう一つは『自警委員』を作らせるため。……ふふ。そう、君の考えは大当たりだ。いくら境界を作っても、人間である以上ある程度の生活環境は必要になる。さすがに時間を完全に止めてしまうわけにはいかないしね。そこまでやるのは、この『種』の『核』を使っても役不足だ。だから、この生活環境が整っている『那頭奈学園』を閉じてしまおうと、そう思ったわけだ」
まったく言い淀みなく、言葉は続く。
「そこで邪魔になるのは、いわゆる大人だ。年功序列のこの国じゃ、どうしたって年上が主導権を握ってしまうからね。俺の理想が阻害されてしまう可能性が高い。だから俺は『幻覚』を使って少しずつ大人を入れ替えていき、今年の四月にようやくすべての教職員が『幻覚』へと変わった。あとはこれをいっぺんに消してしまえば、〈緊急事態〉の一丁上がり。学園を閉鎖する口実になる。俺が作ったマニュアル通りにね」
ここで、ようやく声がやんだ。言いたいことが言い終わったんだろう、先輩の顔には拍手喝采を浴びる演者のような表情が張り付いている。
僕はその表情を睨み付けながら、冷たい声を作り、
「…………で、そこまできれいに自白しておいて、何が言いたいんです?」
「ふふ。分かっただろ? 理解できただろ? 俺のこの行動は決して歪んだものじゃなく、人として当然の欲求を、理路整然と獲得していった結晶なんだよ。まったくもってやましいものじゃない。そこまで思考力がある柊木君なら、分かるだろ?」
……………………。
「君は真実にたどり着いたが、それはそれだけでしかないものだ。ここでお終い。さあ、これからのことを考えよう? 正直に言えば、この閉鎖の中では外の十分の一の速さでしか時間は過ぎない。つまり外での一年が、この中での十年なんだ。得したと思わないか? ふふ。食料のストックは、全生徒十年分がストックしてある。つまり、俺達は他の人よりも九年間もの時間を得するわけだ。確かに外には出られないが、それがどうしたって言うんだ? 一応ネット回線は一つだけ残ってる。結構それを作るのが面倒だったが――気付いたかい? コンピューター室に一匹だけ〈不審なもの〉が潜んでて、境界を作ってたんだよ――でも、おかげで外の情報もある程度仕入れることができる。それに、ここには時間がある。――――さあ、柊木君、君もこの場所で願望を満たそうじゃないか? 君の望みは何だ? 知識か? 愛か? 夢か? それともそのまま時間か? さあ、君の願望を叶えよう!」
演説のように、僕の目の前で声高らかに、歌うように、踊るように僕に言葉を投げかけてくるクルト先輩。僕は、僕はただ一言――
「――くだらない」




