第十一章「クリアー」―1
上下左右をコンクリートで囲まれた回廊を、僕はコツコツと歩いていく。
反響がよく、周りには僕しかいないはずなのに足音が数人分聞こえてくる。薄暗さと相まって、少々気味が悪い。怪談話の導入部分のようだ。
五分くらい歩いてようやく扉が見えた。
赤黒い、少し錆びた頑丈そうな扉。単体で十数キロありそう。反響音が強かったのは、こいつのせいもあるんだろう。
僕は手前右側に突き出した取っ手に手をかけた。そして時計回りに回す。これは一種の賭けだったが、ノブは簡単に回り、扉が自由になった。これで、ここで待つ必要がなくなった。話が早く進む。
がちゃりと扉を開けると、少し目がくらんだ。中は廊下よりも明るい。目が慣れるのを待ってから見渡すと、教室のように蛍光灯が天井で瞬いていた。
そして、奥。
円筒の台の上に、胡桃を百倍に拡大したような物体が置かれている。これを見るのは初めてだが、これが何なのかは一瞬で分かった。
これが――――『種』の『核』
この『那頭奈学園』が『那頭奈学園』である、根本的な理由。閉鎖されている原因。『魔術』の源。この『核』の欠片が僕らの学生証の中に入っているから、僕らは『魔術』を使うことができるのだ。
この『核』を少し触ってみようと思ったが、すぐに考え直した。
僕がここに来た元々の理由はこれじゃない。これじゃなくて――
「やあ、柊木君。どうしたんだい? こんなところに来て」
部屋の中に男の声が響く。その残響音と共に、『核』の向こうから現れたのは――
――クルト先輩。
「ふふふ。君がこの地下シェルターに用があるなんて思えないけど。一体どうしたのかな?」
「先輩こそ、ここで何をやってるんです?」
「ああ、実はここは俺のお気に入りの場所でね――――なんてのは、わざとらしすぎるかな?」
くくく、と茶化したような笑みを向けてくるクルト先輩。僕はそれに構うことなく、
「実は僕、少しこの学園の完全閉鎖の犯人探しをしてましてね」
「ほう。……まさか、俺こそが犯人だって言うつもりじゃないだろうね?」
「…………ええ、違います。『あなたこそ』ではないです」
僕はなるたけ落ち着いて、ゆっくりとかぶりを振る。
「じゃあ、誰だって言うんだい?」
「ええ、それをちゃんと説明させてもらいますよ。そのためにここに来たんですから。それでは――――まあ、僕が自警委員を疑ってるってところから始めてもいいですか? もう、他の誰かから聞いてるんでしょう?」
「ああ、昨夜一本木に聞いたよ。実は、君が犯人を検挙するために動き回ってることも聞いている」
「そうですか、ならそこから始めましょう。――――昨日、僕は一本木先輩に論破の嵐をこうむったわけですが、あの後、僕は一つ不審に思ったことがあったんです。一ヶ月前、急に消えてしまった時計のモニュメントです。最初は、それはこの学園閉鎖とは無関係だと思ってたんですがね、しかし思い出したんです。その時計が〈ねじ巻き式〉だったことに。……で、考えてみました。『もしその時計塔が消えてなかったらどうなっていたか?』ということを。それを考えて、考えて考えて、そして僕はようやく気付きました。気付いたんですよ。そう、もしあの時計が完全閉鎖の後も存在していれば、僕らは――
――〈正確な時間〉を知ることができたんです。
『サーチ』の磁場やらで狂った時計――今にして思えば、あれが本当に磁場の影響だったのかも怪しいですが――を、あれに合わせて元に戻せたはずなんです。バネと歯車で動く機構なら、磁力なんてほとんど関係ないんですから。僕らが時間感覚を失うこともなかったんです。しかし、一ヶ月前に時計塔が消されたせいでそれが不可能になったんですよ」
「なるほど………時計塔、ねえ」
あごを押さえ、微妙な表情で頷くクルト先輩。
「逆に考えると、正確な時間を知られるのがまずいからその時計塔を消したんじゃないのか? そういう疑いが僕の中で出てきました。それで調べてみようと、僕はさっきコンピューター室に行ってみたんですが」
「おいおい、コンピューター室は――」
「ええ、使用中止でしたね。でも、そこにもまた引っ掛かりがあったんです。そもそも、コンピューターの用途はインターネットだけじゃない。高校生だってゲームをしたりするし、プログラムを書けるやつもいるかもしれない。なのに、インターネットの回線が切れたからと言って部屋自体を使用中止にしてしまうのは強引じゃないですか? 何か隠してるんじゃないですか? …………まあ、正直僕もあまり期待しないで行ってみたんですが――そうと知ってれば、最初からそこに行ってましたからね――しかし案の定、一つのパソコンだけインターネットに繋がれてました。試しに外の時間を見てみたんですが、これが驚きでした――
――閉鎖されてから、まだ二日しか経ってないんですからね」
言いながら、僕は少し先輩を睨みつけた。しかし先輩は、そんな僕の目線にも笑みを返すだけだった。
その余裕そうな素振りをいぶかしみつつも、目つきを弱めることなく僕は説明を続け、
「……いくら時間感覚が狂っているとしても、そこまで大幅にずれているとは考えられません。二週間くらい経った気がするのに、まだ二日とは。普通ならただ混乱するだけでしょう。もしくはパソコンの方を疑ったかもしれない。しかし僕らには『魔術』がある。ある範囲の時間経過を遅らせる『魔術』だって、実際に見たことがあるんです。だから、これは学園の領域内すべてに〈時間の経過を遅くする魔術〉をかけたんじゃないか? 外と内の時間を断絶するための閉鎖だったんじゃないか? そういう推理が可能なんです。そうなると、その『魔術』を使った者はこの『種』の近くにいると考えられる。学生証の『種』だけでそんな大規模な『魔術』が使えると思えませんからね。この地下シェルターにある『種』の本体である『核』を使うしかありません。そしてその『核』の近くにいたのは、そう――――あなたです、クルト先輩」
「俺がここにいたから俺が犯人だって? おいおいおいおいおいおい」
先輩は「待ってくれよ」と言うように肩を竦め、
「それはいささか雑な考え方じゃないか? 俺も一昨日までずっと学園の調査をしてたんだ。そんな大きな『魔術』を使う余裕なんてなかったよ。それは、他のみんなも言ってたろ?」
「みんなで口裏合わせしてたんじゃないですか?」
「いや……それにしたって、君は乖離と色々調べまわったりしてたんだろ? 乖離は学園の閉鎖を解決するために協力してたんだろ? それはどう説明するんだ。学園閉鎖を解決するために心血を注ぐやつが、その主犯と口裏を合わせるなんてありえないだろ」
「さあ、どうですかね? あれは乖離の自作自演ってやつじゃないんですか? 昨日のあの〈不審なもの〉に襲われたのも――あまり考えたくありませんが――ちょろちょろ動き回っている僕が邪魔になり、あれで僕を行動不能にしてしまおうとしたとか、ね。幻覚でも使えば不可能ではないでしょう」
「じゃあ、風宮はどうなんだい? あいつと君は近しい間柄なんだろ? そんな人間が君を騙すって言うのか?」
「近しくっても、隠し事ぐらいはしますよ。それは何の保証にもなりません」
「じゃあ……じゃあ、一本木はどうだ? あいつはこの学園閉鎖に関して、不満たらたらだっただろう。そんなやつが加担してたって言うのか?」
「それも、疑われないための演技なんじゃないですか?」
「……そりゃまた、強引な解釈だね。…………しかしそうなると――」
「ええ、そうです。確かにあなた方の話を聞く分には、それだけで全部つじつまが合っている。歯車のように、あなた方の証言は噛み合ってはいます。逆に、それを否定するにはすべてを疑わなければならない。全員を疑わなければならない。そう、つまり――
――自警委員全員が犯人なんでしょう?」
僕の疑問文を借りた断定に、クルト先輩は苦笑いを浮かべた。
「はは、はははは……。何だいそりゃ? その考え方は? 閉鎖の内側で時間が狂ってるから、大規模な『魔術』が使われている? 大規模な『魔術』が使われているから、犯人は『核』の側にいる? 『核』の側にいるから、俺が犯人? それを否定する人はみんな共犯者? …………分かりやすい、確かに分かりやすいが、何ともスマートじゃないねえ。君が一体どんな精錬された論理を展開するのか、俺も少し期待してたのに。見てきたからそうなんです、ってだけじゃないか、それじゃ。これが推理小説だったらバッシングの嵐だよ。いや、推理小説じゃなくてもだ」
「別に、僕には不満はありませんよ。僕は元々、こういう底意地の悪い終焉が好きなんです」
「それは君が読者だからだろ? …………ふむ、そうか。この場合おかしいのは、むしろ君が読者じゃなく登場人物として動き回ってることなのか。なるほど、なるほど」
一人で納得したようにこくこく頷く先輩。
僕はその芝居じみた動作に構わずに、
「で、他に言うことはありますか? ないなら、早く――」
「いや、あるね。あるある、おおありだ。確かにこれで可能性は否定はできなくなったけど、それはそれだけのことだ。俺たちを犯人と断定するには、問題が一つ解決してないじゃないか。つまりだね、君が言っていることは、依然としてすべて仮定の連なりなんだよ。百歩譲って、この閉鎖が学園の時間経過を遅くするためだということは認めよう。それがこの『核』を使った『魔術』によるものだってこともね。しかし、それを俺がやったってことは証明されていない。俺がここにいるのは、たまたまかもしれないじゃないか。そう、俺はまだ追い詰められていない」
僕は、まるで追い詰めて欲しいような口ぶりだなと思いつつ、
「いえ、確信ならありますよ。さっきコンピューター室で、以前僕が見つけたこの学園の教職員と同姓同名の名前が載ってるウェブサイトを見てきたんですが、そのうち二十個が消されてました」
「……ああ、その話は風宮に聞いたよ。教職員六十人の名前が、別の役職の人間としてネットに載ってたんだってね。でも、別におかしい話じゃないだろ? この情報が目まぐるしく変わる時代、三割のページが消えてたって――」
「ええ。三割なら、ね」
言いながら、僕はクルト先輩を直視した。
「でももしこれが百パーセントだったら、問題だと思いませんか?」
「は? いや、だから同姓同名で、しかも同時期に別の仕事に就いていると書かれていたページっていうのが、六十個以上あったんだろ? そのうちの二十個が消えただけなんだろ? だったらそれは三割程度でしか――」
「それ、嘘なんですよ」
僕の声に呼応して、ひゅっというクルト先輩の息を呑む音がする。そして先輩は、その顔から初めて――――笑みを消した。
「そう、そんな、偶然にも同姓同名がいて、同じ時期に別の仕事をしてることが書いてあるページなんて二十個しかなかったんです。百数人中、二十人です。で、昨日そのことを初めて人に話して、次の日にそれがすべて消されてるなんて、明らかな〈作為〉を感じませんか? しかも、元々滅多に内容が変わらない、パブリックな学校や店舗のページですからね。一ヶ月どころか一年経ったってそうは消されない。まして二十個がいっぺんには、ね。恐らく僕がその話をした後、慌ててそのページをクラッキングしに行ったんでしょうね。六十個と言われていたけど、そのうち二十個しか見つからなかった。だから一応この二十個を消しておこうと、何かの拍子で僕に見られたとしても六十個中二十個なら不自然じゃないだろうと、そう考えたんですね。あなた達のうち誰がやったのかは知りませんけど――まあ、十中八九すだれでしょうか? ――でも、そうすることによりあなた方の〈作為〉を露呈することになってしまった。その同姓同名が〈本物〉であり、それがあなた達にとって見られるとまずいものであることを〈自白〉してしまったんです」
「……だ、だって、すだれからちゃんと報告を受けている。君があいつに渡したリストには、ちゃんと六十人分の名前が載っていたと。君がそれをでっち上げたと言っても、外出できた内――つまり学園が閉鎖される前――にそれを準備する意味がわからないし、学園内でそれをするにも、俺たちの監視下にいたはずだ。そんなこと、物理的に不可能な――」
「だったら、物理を無視すればいいじゃないですか。そう――――『魔術』を使えば」
ぎりっという歯軋りが、クルト先輩の口から聞こえてきた。
「……そんな、君が嘘なんて、掟破りなことを――」
「ええ。だって、周りが嘘つきだらけなら、こっちも嘘をついて対抗するしかないじゃないですか。何も知らないただの登場人物でしかない僕は、もう、こうするしかないじゃないですか」
僕は逆なで声で言う。
逆上すると思っていたクルト先輩は、しかしそのままうつむいて、電池が切れたように黙り込んだ。
見えない表情。気味が悪いような無言。
そして数十秒くらいそうした後で、クルト先輩は再びゆっくりとこちらに顔を向けてきて――――勝ち誇ったような、勝ち得たような、勝ち取ったような笑みを浮かべた。
そんな表情を貼り付けた先輩の口から聞こえてきたセリフは――
「――ふふふ。柊木君、君は――――合格だ」




