第七章「スクリーン」―3
りえ先輩の演劇については、僕に感想を求めないで欲しい。
とりあえず物語として違和感なく楽しめたが、しかしそれ以上に僕が述べられることは何もないのである。いくら一本木先輩の解説付きとは言え、今まで一度も演劇を見たことがないのに「今の間の取り方は秀逸だね」とか「今のセリフ、アクセントが弱いね」などと隣で言われても、「はあ、そうなんですか」としか言いようがない。それよりも、暗闇の中で美人さんに耳元で囁かれるという状況の方が僕にとって一大事なのである。
付け加えて言うなら、劇が行われる体育館までの道すがら、一本木先輩と二人並んで歩いている最中に、周り(特に女子生徒)からの視線が痛かったのも、僕にとって少なからず問題だった。僕を見る目つきがいやに鋭いのである。まあ、僕が一本木先輩と釣り合うべくもなく、ただの付き人一号みたいに見えていたことだろうが、それでも生徒会長の半径数十センチ以内にいることが許せなかったりするんだろう。
劇が終わった後、りえ先輩を激励に行く一本木先輩に「ありがとうございました」とお礼を述べた僕は、一人、体育館を出た。
そして向かった先は、西校舎の入口。
数週間前に見たガラス張りの入口を見ると、あの嫌な思い出が勝手にフラッシュバックして、気分が萎えてくる。自然と、進む足も止まってしまう――――が、
「もー、遅いよ!」
モノローグを食い破るような叫び声と共に僕はいきなり左腕を引っ張られ、重力任せによろけた。その力の根源はどこかと見ると、眉を逆ハの字にしたすだれだった。
「もう三時五十分だよ。これ絶対、いい席取られてるよ。遅れるなら遅れるで、あたしが席取っといたのに。ちゃんと連絡してよ」
……携帯電話が全面禁止のこの学園で、一体どうやって呼び出せって言うんだ。放送室でもジャックしろって言うのか?
「ほら、へ理屈はいいから、早く行くよ」
そう言って、すだれは僕の腕を引きながら走り出す。僕はその脅威の握力に抵抗するべくもなく、引っ張られるがままその後ろをついて行った。
廊下を疾走した挙句にたどり着いたのは、視聴覚室。
六十人くらいは収容できそうな広さのこの部屋は、すでに窓が黒のカーテンで閉め切られていて、イスも幾何学的に並べられている。そしてそのイスが向いている真ん前の壁に、白いスクリーンが降りていた。
席は九割がた埋まっている。
みんながみんな映画に興味があるのかは知らないが、しかし娯楽の少ないこの学園において自主制作映画なんてのは多数を惹きつけるに十分な出し物であり、やはりと言うか何と言うか結構な盛況ぶりである。しばらく教室内をうろうろした僕とすだれは、どうにか後ろの端の方の二つ並んで空いていた席を見つけ、そこに陣取った。
ようやく落ち着いた僕とすだれは、
「ねえ、粉雪君って、どういう映画見るの?」
「んー? アクションはたまに見るけど」
「ふふふ。そういうとこ、やっぱり男の子なんだね〜。でも、粉雪君が派手なアクションシーンを見て熱くなってるところなんか想像できないけど。話題についてくための義務の一種で見てたんじゃない?」
「……余計なお世話だ」
みたいなどうでもいい会話をしつつ、待つこと五分。
教室の後ろに立ち見の客までチラホラ出てきた頃合で、部屋の照明が落とされ、
「では、これより、『那頭奈学園』映画研究会の自主制作映画発表会を開始します」
という、落ち着いた女性声のナレーションが始まった。
そして、スクリーンに投影されるフィルム。
ストーリーは、すだれに聞いていた通り幼馴染のつかず離れずの恋愛模様を描いたもので、期待を裏切らない程度の起承転結が描かれていた。演技には若干演技臭さが残っていたが、学生の演技としては及第点以上だろうと思う。一般的な高校生の作る映画のレベルなんてまったくもって知らないが、それでも低くはないと、僕にも言い切れる。
そしてそれと共に興味深かったのが、隣のすだれの表情の変化だった。
くすくす笑いをこらえたり、真剣にスクリーンの女優を見つめたり、グスッと鼻をすすったり、完全に作品にのめり込んでいるのが見て分かる。特に、すだれの泣き顔なんてものをこの半年の付き合いの中で初めて見たのは、妙に感慨深いものがあった。
映画が終わった後、蛍光灯の灯りで再び照らされたすだれの目は少しばかり赤らんでいた。しかしその顔に浮かべているのはいつも通りの笑顔で、
「じゃ、行こっか」
と、僕を部屋から連れ出した。
僕らの本拠地、南校舎に戻る道程。
グラウンド脇のコンクリート道を並んで歩きながら、
「……ねえ、映画どうだった?」
藍色を含んできた空を眺めて、いつもよりおとなしめのトーンですだれが聞いてきた。
僕はとぼとぼと歩を進めつつ、
「……んー、悪くなかったんじゃないか」
当たり障りなく、そう答える。
「粉雪君って、幼馴染っている?」
「……幼馴染? いるにはいるが、そいつは男だ」
「ふ〜ん。今も仲良い?」
「いーや、小学三年で引っ越して、それ以来音信不通だ。正直、僕もあいつの本名すら覚えてない。思い出せるのはあだ名だけだよ」
「ふ〜ん。そっか」
相づちだけ打つすだれ。
「じゃあ、血の繋がってない妹は?」
「…………なんじゃそら? 何でそっちに話が飛ぶんだ?」
「だってラブコメの定番じゃん、定番。いないの?」
「……果たして日本にその血の繋がってない妹が正味何人存在してるのか聞きたいくらいだ。少なくとも僕には、血の繋がっている妹しかいない」
「へ〜、妹いるんだ。世話焼いてくれる?」
「……そんな記憶は一度もないよ。可愛げのない、ただのわがまま娘だ。僕が高校に入学する際、彼女を作るならまず自分に見せろと言ってきた」
「何で?」
「自分の義姉になる人はちゃんと自分で見定めたいんだと。気に食わなかったら、意地でも別れさせると断言してきた」
「あはは。まるで一昔前の姑さんだね」
他人事のようにころころ笑うすだれ。
実は、この妹のわがままっぷりは案外重症で、もし本当に妹の気に食わない女性を選んだりすれば、大喧嘩の末に家庭崩壊に到りそうなもんなのである。別に僕もそこまで妹の顔色を伺うつもりも甘やかすつもりもないのだが、しかし問題を最小限にするために、彼女を紹介するくらいはしておこうかと、本気で考えてはいるのだ。
まあ、すだれに言っても詮無いことではあるが。
それよりもまず、彼女を見つける方が先だ。
心うちでため息をつきつつ、ふと向かう先の校舎を見上げると、窓の奥にあっちこっちへ行き交っている生徒達が見えた。各々段ボールやらなんやらの荷物を抱えている。恐らく片づけの真っ最中なんだろう。今日の文化祭のプログラムは、すでに大方終わっているのである。
僕と並んで立ち止まり、その様を眺めていたすだれは、
「……文化祭、終わっちゃったね」
呟くように、言った。
夕焼けに染まる校舎なんていうポエムに出てきそうな景色を目の前にして、しかも『祭りの後』と言うタイミング。隣にいる女の子がすだれじゃなかったら、もしかしたら僕でさえ、勢いに任せて告白なんぞしてしまったかもしれない。そんな、「今の気分は?」と聞かれれば、いの一番に『ノスタルジー』なんて単語が浮かんできてしまうような雰囲気の中、隣に佇むすだれがゆっくり口を開けて、
「……あたし思うんだけど、時間って、引き算だよね。生まれた瞬間から、毎日マイナスを連ねていく引き算だよ。カレンダーをめくるように毎日一つずつ減らしていって、何か不幸なことがあれば沢山引かれて、そしてゼロになったらお終い。負の数なんて、ないんだよ」
半ば独り言のように、言葉を続ける。
「素敵な人に出会えても、すばらしい環境に入れても、どうしようもなくそれはいつか終わるもので、それはそれでやっぱりゼロになるまで、引き算してくしかないんだよ。運がいい人も、悪い人も、強い人も、弱い人も、賢い人も、愚かな人も、優しい人も、意地悪な人も、尊い人も、卑しい人も、笑う人も、泣く人も、怒る人も、慰める人も、闘う人も、逃げる人も、壊す人も、守る人も、楽しむ人も、苦しむ人も、良い人も、悪い人も、それだけは変わらない。それだけは、変えられない。でもさ――」
すだれはいきなり振り返り、僕の顔を見て、
「――でも、粉雪君、今まで一度でも二度でも三度でも四度でも五度でも六度でも七度でも八度でも九度でも十度でも、それを止めたいと思ったことはない? 足し算にはできなくても、掛け算なんて望めなくても、せめて、せめてこの引き算の連鎖を止めてみたいと思ったことはない?」
真に迫るような口調で、すだれは話す。
「例えば――例えばの話だけどさ、家でも幼稚園でも小学校でも中学校でも楽しい経験を何一つできなかった女の子がさ、高校に入って初めて楽しい時間を共有できる、大切だと思える、大切だと言える人に出会えて、その人とできるだけ長い間一緒にいたいと思って、だけどその人は本心を自分になかなか見せてくれなくて、その人が自分といて本当に楽しいと思ってくれてるのか分からなくて、自分といつまで一緒にいてくれるのか分からなくて、何となくその人は高校の間でしか自分と一緒にいてくれないんだろうと思えてきちゃって、真正面から想いを告げても受け入れてくれる自信なんてなくて、不安になって、踏み出せなくって、だったらこの今の時間がずっと続けばいいと思うのは、当然だと思わない?」
すだれは僕から、視線を外さない。
「さっきの映画はさ、幼馴染は離れ離れになっても、運命でもう一度出会えるチャンスがあったけど、でもそれは映画だからでしょ? 現実は違うでしょ? この広い世界で、離れ離れになったらお終いでしょ? 二度と会えないでしょ? 結局忘れるしかないでしょ? 粉雪君もそうだったんでしょ? それはやっぱり、時間が引き算だからだよ。行き着く先がゼロだからだよ。だからさ、そんな悲しいことなんて、止めてみたいと思わない?」
そこまで言って、すだれは顔をうつむけた。コンクリートを見つめながら、搾り出すような声で、
「……まあ、身勝手なことだとも、思うんだけどね」
「…………いや」
僕は何か言葉をかけようとしたが、それ以上の言葉が思い浮かばなかった。
僕の言葉を期待してなかったようなすだれは、くるりと僕に背中を向け、西日を見上げながら、
「あたし、粉雪君と、いつまで一緒にいられるんだろう?」
僕に言ってるのか、自分に言ってるのか、空に言ってるのか、夕日に言ってるのか、月に言ってるのか、星に言ってるのか、運命に言ってるのか分からないような声で、呟いた。
それに対して、僕は何も答えなかった――
――答えられなかった。




