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第六章「デリート」―2

「おい、すだれ!」

 僕は走りながら、今まさに女子寮の入口のドアノブに手をかけようとしていたすだれを呼び止めた。

 すだれは振り返りながら、

「ん? 何? 粉雪く――――わっ? ちょっと、何? 急に肩つかんで。そんな、ちょ、もう、やあだ、こんなところで、人に見られちゃうよ」

「おい! あの、三叉路のところ、あそこに時計塔があっただろ! あれ……あれどうしたんだ!」

「もう、急に、強引なんだから――って……え、何? とけいとう? 何それ?」

 首をかしげるすだれ。

「ほら、あっただろ! あの、レンガ造りで、上に時計がくっついてるやつ! あのねじ巻き式の!」

「……へ? レンガ造りの……時計? 何それ? あたし、そんなの知らないよ?」

 すだれはきょとんとした目で僕を見ている。まるで言っている意味がわからない、というような表情だ。

「知らないなんて、んなわけないだろ! お前だってこの前、あれで時間見てたじゃないか!」

「時間見てた? ……えーと、この前って、いつ?」

 いつだなんて、そんなの正確になんか覚えてない。

 僕は三叉路のところの垣根を指差しつつ、

「だから、ほら、あそこだ、あのT字路! あそこに、モニュメントがあっただろ! レンガ造りで、時計がついた――」

「モニュメント?」

 すだれは口をへの字にして、からかう仕草も、たばかる声音も、悪戯な表情も見せず、僕の顔を直視して、


「あそこには、ずっと前から何もなかったよ?」


 落ち着いた口調で、そう言った。

 僕の頭は、余計にこんがらがる。

「――くっ」

 僕は後ろを振り向き、駆け出した。

 何だ? 何だ? 何だ? 何なんだ、これは?

 そんなわけないだろ。あそこに何もなかったなんて、ありえないだろ。

 僕はちゃんと覚えてる、覚えてる、覚えてる。しっかりと覚えてる。

 僕は毎日あれを見上げてたんだ。それを日課にしてたんだ。

 あそこに、確かにあったんだ。あったはずなんだ。

 自分を忘れてくれと訴えているような、

 世間から距離をとっているような、

 悪意もなく善意もなくただ淡々と回り続ける、

 レンガ造りで、ねじ巻き式の――――時計塔が。

 確かにあったんだ、あったはずなんだ。

 それなのにありえない、ありえない、ありえない。

 あそこに何もなかったなんて、そんなのはありえない。



 無心で走っていた僕は、いつの間にか自分の教室――一年三組にたどり着いていた。

 扉を開けると、そこにはまだ若干名の生徒が残っている。

 僕はその中から、一番見慣れた顔をみつけ、そいつのところへ寄っていった。

「おい、木内!」

「ん? 何だ、粉雪? お前、帰ったんじゃなかったのか? 忘れ物か?」

 友人三人と談笑している最中だった木内は、顔を上げてこっちを振り向く。

「なあ、あの寮のトコの前の砂利道の、T字路あるだろ」

「T字路? ああ、あるが、それがどうした?」

「その交差点のところの垣根の奥に、時計塔があっただろ? 覚えてるか?」

「時計塔?」

 木内は首をひねり、

「何だ、そりゃ? 俺はそんなの知らねえけど」

 こいつも…………か。

「……だって、あっただろ。レンガが積みあがってて、その上のほうに時計盤がくっついてるやつ。僕の倍くらいの高さの」

「レンガ? ……悪いが、レンガでできたもんなんて、俺はこの学園で一つも知らないぜ? ましてあんな、毎日通ってる道の側ならなおさらだ」

 ……くっ、こいつも話にならん。

 僕は再度教室を見回し、残っているメンツを探した。そして教室の後方、そこに座っている乖離と目があった。

「おい、乖離!」

「え、な、何?」

 いきなり呼ばれて驚いた顔をする乖離。僕はそっちへ近づいて行き、

「お前は覚えてるか? あのT字路のところにあった時計塔」

「え? それは、私も知らないけど……」

「だって、ほら、あの、お前に呼び出されたとき、あのとき僕が見上げてただろ。あの時計塔だ」

「……え? 呼び出し? 私が? あなたを? そんな覚え……ないけど……」

 乖離は小刻みに首を横に振った。

 ……何だ、こいつ? シラを切ってるのか? ――――いや、あれは内密なことだからか。こんな人の耳があるところで、大っぴらに話すことじゃない。だからこそ、手紙なんて回りくどい手段で僕を呼び出したんだ。しかし――

「――でも、時計塔は覚えてるだろ? レンガ造りで、僕の倍くらいの高さで――」

「こ、粉雪君……」

 乖離は僕の顔を覗き込み、僕の目を真っ直ぐ見つめ、そして真顔を作って、

「……だ、大丈夫? ……どこか、悪いの? ……保健室、連れてこうか?」

 不安げな表情で言ってくる。

 ……くそっ! 僕は心配されるいわれなんてないのに。

 僕はその視線から顔を背け、後ろに駆け出した。

 教室を出て、廊下を走り、階段を駆け下りていく。

 ……何なんだ、みんなして?

 僕をからかってるのか?

 からかって遊んでるのか?

 からかって楽しんでるのか?

 それにしては、みんな顔が本気だったが。

 しかし、でも、だからって、ありえないだろ。

 僕はこの半年間、ずっとあれを――

 ――眺めてきたんだ。

 ――見上げてきたんだ。

 ――見つめてきたんだ。

 ……夢だったとでもいうのか?

 でも逆に、僕には時計塔がないあの道なんて、今日以外に記憶がない。

 じゃあ、あれは『魔術』のせいだとか?

 あれを『魔術』で消したっていうのか?

 そんな、何でいきなり?

 意味がわからないだろ。

 意思がわからないだろ。

 意義がわからないだろ。

 意図がわからないだろ。

 ……くそっ!

 本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、わからない!


 僕は再び、三叉路のところにたどり着いた。

 時計塔は、やっぱりない。時計塔があったはずのところだけ、ぽっかり空間が空いている。

 ふと、その近くに少しだけ土が凹んだ部分を見つけた。ちょうど、靴の裏側くらいの大きさ、そして形。落ち葉の隙間からのぞいている。

 …………そうだ、あれは僕の足跡だ。

 やっぱり僕はあの日、その垣根の奥に入ったんだ。入って、時計塔を見上げたんだ。触ったんだ。ねじを回したんだ。あれは夢なんかじゃない。現実なんだ。実際に、昨日まで、あの時計塔はここにあったんだ――

 ――あったのに、なくなったんだ。


 …………何なんだよ、これは。

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