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第五章「ソフト」―3

 最終的なスコアは、十二対〇だった。

 もちろん〇が僕達のチーム。ここまで圧倒されれば、悔しさなんて微塵もない。

 敵方の勝利が決まった瞬間、キャッチャーをしていた人(驚くことに女子である)が一本木先輩のところへかけていき、軽く抱擁して喜びを分かち合っていた。敵ながら何とも微笑ましい図である。負けてよかったとさえ思えてくる。

 総計打者三十二人を相手にすることになり、試合後は肩で息をしつつ口数まで減った我がチームの投手、西岡に対しては、チームのメンバー全員が一個ずつ購買のパンをおごることで労うことにした。負け投手ではあるが、このゲームで一番頑張った選手であることは間違いない。

 そしてそんな事後処理(?)を終えれば、僕は晴れて自由の身だ。

 食堂で昼食を食べ終えた後、木内がバスケでも観戦しようと誘ってきたが、僕はそれを固辞。やっぱり自由の方が恋しい。別の友人が奮闘しているので応援しに行かなければならない木内とは別れ、僕は目的もなく一人でぶらぶらと校内の散策を開始した。

 犬も歩けば何とやらで、途中ですだれにからまれるのではないかとも思っていたが、夕方まで彼女は現れなかった。後で分かったことだが、彼女が出場したバレーボールがやたらに勝ち進み、休む間もなく一日中ゲームをしていたのだそうだ。

 おかげで、僕はすがすがしい昼下がりを満喫できた。

 いくら閉鎖されている場所とはいっても、風や日差しには関係ない。グラウンドの隅に立っている並木は紅葉しているし、空も高い。風も気持ちいい。

 どんなつもりで作られたのかは知らないが、グラウンドの端に隠れんぼでもしているようにぽつんと置いてある日時計を見ると、二時半。あと二時間は暇だ。

 並木の下に置いてあるベンチに腰掛け、風に舞うイチョウを眺めながら、僕はただボーッとしていた。

 何も考えずに空を見上げること小一時間。あくびをしながらいっそ昼寝でもしようかと思ったとき、ふいにこっちに近づいてくる人がいた。落ち葉をさくさく鳴らしながら進んで来る。

 よく見ると、それはあろうことか先ほど僕が二連続三振を喫したバッテリー。一本木先輩と、さっきの試合でキャッチャーをしていた女子生徒だった。

 談笑しながら並んで歩いていたお二方もこっちに気付いたようで、僕の眼前を横切る間際、

「やあ……ええと、君は……第一試合でライトを守っていた子だね」

 柔らかい微笑を作り、一本木先輩が僕に話しかけてきた。

 僕は「よく覚えてるなあ」と思いつつ、

「あ、はい」

「君はあまり気にしてないようだが、しかしあのピッチャーの子には落ち込むなと言っておいてくれ。…………あの子の球も、なかなかにしぶとかった」

「え? あ、はい。わかりました…………伝えておきます」

 半ば緊張しつつ僕がこくこく頷くと、一本木先輩は優雅な笑顔を僕に向けてきた。そして首を回し、

「……どうする、りえ? ここで少し休むか?」

「ええ、そうしましょう。紅葉もきれいだし」

 一本木先輩の問いかけに、先輩の連れであるセミロングの髪の女子(りえ先輩?)はそう答え、隣のベンチを指差した。

「あそこに座りましょう」

「そうしようか」

 お二方は僕から数十センチ離れている隣のベンチに並んで座った。秋だって言うのに二人の後ろに花畑が見えるのは、僕の目の錯覚だろうか?

 隣から聞こえる景色がどうだの紅葉がどうだのというお嬢様のデートのような語らいを聞き流しつつ、僕がいよいよ夢の中に潜り込もうとした瞬間、

「時に……君」

 やや大きめの声で、一本木先輩が再度僕に話しかけてきた。僕は慌ててまぶたを開け、

「は、はい?」

「君達のチームには……野球経験者はどれくらいいたんだい?」

「へ? 野球経験者ですか? ええと、三人です。ピッチャーとキャッチャーと、あとショートを守ってたやつです」

「なるほど……三人で、あのくらいの力なのか。準決勝の相手には六人経験者がいるというし……そろそろ苦しくなってくるかな……」

 あごを押さえながら、うーむと考え込む一本木先輩。

「……準決勝まで勝ち上がったんですか?」

「ああ、おかげさまでね。明日もまた朝から試合だ」

 一本木先輩は顔を上げ、僕の顔をにやりと見やった。

 ……そりゃそうか、優勝候補だし。一本木先輩の球は、現役野球部だってそう簡単に打てるとは思えない。加えて野球部が五人もいれば攻撃力も十分。負ける要素なんてないだろう。

「…………そう言えば、自己紹介がまだだったかな? 私は一本木羽根音(はねおと)という者だ」

「ええ、聞いてますよ。生徒会長なさってるんですよね? えと、僕は柊木粉雪って言います」

「……柊木……粉雪?」

 いきなり、一本木先輩が目を見開いた顔をした。そして僕の顔をじろじろ見ながら、

「ふむ……なるほど……君が柊木君だったのか」

「え? 僕のこと知ってるんですか?」

「ああ……知っている。…………君のことは奥沢から聞いてるよ」

 ……奥沢? 誰だ? ええと、奥沢、奥沢、奥沢……………………クルト先輩か!

「……え、何で……クルト先輩が……クルト先輩から聞いてるって……え、何で……?」

「ふ。意外かね? 別にこれは不思議なことじゃない。そう――


 ――私も自警委員に属しているのだよ」


 一本木先輩はしたり顔で言い放った。

 …………何だ、それ? 生徒会長なのに、委員会に入ってるのか? というか、自警委員の会長はクルト先輩のはずだろ? だったら、この先輩は――

「羽根音、もう行きましょう」

「ああ……行こうか」

 話を遮るように言ってきたりえ先輩にそう答え、ベンチから立ち上がる一本木先輩。

「ふ。では…………また」

 そう言い残し、一本木先輩はりえ先輩と並んで去っていった。

 僕はただ呆然と、二人の後ろ姿を眺める。彼女らが去った後には、ただ枯葉が舞い散るばかり。カサカサ言う音だけが残っている。

 …………一本木先輩が自警委員だなんて、そんなの不意打ちだ。

『自警委員』――――その言葉を聞くだけで、昨日の出来事が脳裏に浮かぶ。クルト先輩の嘲るような笑み、乖離の吐き捨てるようなセリフ――――そして、一瞬だけ額に触れた冷たいナイフの刃の感触。

 僕はベンチの背もたれに体重を預け、空を見上げた。


「くそっ、せっかく忘れてたのに…………思い出しちまった」

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