第五章「ソフト」―2
白球が投手の手を離れる。
勢いそのままに直進するボールは、しかし金属棒に引っ叩かれ、逆方向へ進路を変えた。そしてセカンドベースを飛び越えて二回ほどバウンドし、センターの野手のグローブにポスンと納まる。周囲で沸き立つ歓声の中、哀れな球体は「ドンマイ、ドンマイ」という掛け声と共に、ピッチャーへと投げ返された。
ライトを任されている僕は、その様を棒立ちで眺めている。
四回裏、我がチームの八失点目。
暑くはなく、かといって寒すぎもしない秋晴れの陽気のおかげで、外に駆り出されることには何のストレスもないが、立っていなければならないのは退屈というか、疲れるというか。いい加減、早くベンチに戻りたい所存である。しかし――
――カキーンッ
また打たれた。今度はレフト。左翼手がもたもたしているうちに一塁ランナーは三塁へ。バッターランナーは一塁でストップ。
すでにへばりきっている我がチームのピッチャーは、真夏のように汗だくになりながら、なおも下手投げでボールを投じる。敵軍六番打者は強振。しかし打ち損じたおかげで、力のない打球がふらふらと上がる。これをサードが慎重に捕球し、スリーアウト目。ようやくチェンジだ。
…………ふい、長かった。
僕はとぼとぼと自軍のベンチに戻り、どさっと椅子に体重を預けた。そしてため息をつきつつ、ペットのスポーツドリンクを口に含む。
現在、球技大会真っ只中。
種目はソフトボール。
別に僕は野球経験もなく、さらにソフトボールに特に関心があるわけでもない。中学の頃、父親に付き合わされて野球中継をちょくちょく見てたくらいだ。知識だって基本的なことしか知らない。インターフェアとか言われると、もう分からなくなる。
では、なぜ僕がソフトボールに出場しているのか?
ひれも隠さず言ってしまえば、木内に付き合わされただけのことである。
二日間かけて行われる『那頭奈学園』の球技大会において、生徒は最低一つの種目に参加しなければならないというはた迷惑な決まりがある。そんなわけで二週間くらい前のホームルームで、誰がどの種目に参加するのか七種目の内から一つを選ばされたわけだが、その際に木内が僕のところに寄ってきて「なあ、ソフトボールにしねえか?」と言ってきたのである。
その理由を聞いてみると「楽そうだから」。
サッカーやバスケのように時間中ずっと走り回ってなけりゃならない競技に比べ、ソフトボールなら半分はベンチで座ってられる。持久力を必要とするのはピッチャーくらいだ。運動にほとんど縁のない人間からすれば、それはそれはありがたいことである。
僕は納得して、木内の提案を承諾。これで二週間後の不安は完全に解消されたと思っていたわけだが――
――しかし現実は違った。
一回戦の相手は三年一組。我が一年三組だって野球経験者が三人いて、そこまで弱いわけでもないと思うが、いかんせん相手が悪かった。敵チームには野球部が五人。それに加え、スポーツにやたら秀でた特待生までいるのである。
結果、僕達の攻撃はさっさと終わり、相手の攻撃はやたらと続く。
おかげで、僕達の労働と休憩の比は八対二くらいまで落ち込んでいる。ほとんど休めないし、外野を任されたおかげで打球が飛んでくるたびに走り回らなければならないのである。目論みは最悪のパターンをもって崩された。
「まあ、バスケに出てるよりはマシだろう」と自分に言い聞かせながら、飲み終えたペットボトルを脇に置くと、その逆サイドにどさっと座る短髪の男。息を吐きながら、
「しっかし、ソフトボールってのも案外大変なもんなんだなあ」
呆けた顔で言ってくる。
「……おい、木内、他人事のように言うな。僕はお前が『楽だ』っていうから付き合ってるんだぞ」
「つったって、こりゃ想定外だろ。相手がいきなり優勝候補なんて。むしろさっさと終わっていいじゃねえか」
「まあ、そりゃそうだけど……」
本競技は完全なトーナメント制。負ければそこで終わりである。さらには、時間の都合で一試合五回までと規定されている。つまりあと一回守備につけば、この二日間の僕の職務は終わりだ。あとはゆっくりと、他の競技の観戦がてら日光浴を楽しんでいればいいだけである。
「ストラ〜イクッ! バッターアウトッ!」
カードをつまんでいる右手を振り上げ、主審を務める体育委員の男子が高らかに叫んだ。ボールはキャッチャーからピッチャーに返され、三番バッター坪井はすごすごとこっちのベンチに帰ってくる。ヘルメットの下は、打てなくても仕方ないだろ、と言わんばかりの表情だ。
「しかしまあ」
僕はグラウンドをぐるっと見回しながら、呟いた。
「審判がみんな学生証を握り締めてるってのも、変な感じだよなあ」
「しょうがないだろ。『魔術』の使用はご法度なんだから。ああやって監視しなけりゃ」
木内は肩をすくめながら言う。
「『学生証』が配布された最初の年の球技大会はすごかったらしいぞ。ソフトボールでも消える魔球、増える魔球、燃える魔球、金属バットをへし折る魔球、キャッチャーを吹き飛ばす魔球、審判まで吹き飛ばす魔球、さらには消える打球やら消えるランナーまで出てきたって話だ」
「……少年漫画並みだな」
「『魔術』がありゃあ、造作もないことだろうよ。本当にボールを消しちまったらゲームが続かなくなるが、見えなくしたり、拡大縮小するくらいなら割と簡単だ。あとは、ランナーの周りだけ時間経過を遅くしたりとかな」
「……だから、ああいう監視が必要ってことか」
「そういうこった。審判が『サーチ』してるおかげで、『魔術』を使えばすぐ知られちまう。バレれば不戦敗。てわけで、健全なスポーツ大会が実現されてるわけだ」
言いながら、木内は腕を組んでうんうん頷く。
「ストラ〜イクッ! バッターアウトッ!」
またもや主審の声。うちの四番バッターまで三振に倒れた。こりゃもう、うちのチームは誰もこのピッチャーを打ち崩せないだろうよ。
「はっ、さすがは一本木先輩だよな。あんな球打てねえよ」
感心と自嘲が入り混じった声で言う木内。
「……一本木先輩?」
「ああ。知らねえか、一本木先輩? ほら、あのピッチャーだ」
木内はアゴでマウンドの方を指す。僕はそれに従い、そっちに顔を向けた。
小山の上に立っている女子生徒。
すらっとした体躯に上下ジャージを着込み、腰の辺りまでのばした髪を振りながら、無表情でホームベースに向かって速球を投げ込んでいる。乖離ほどではないがやや鋭い目つきに、我の強そうな雰囲気を感じる。どちらかというと凛々しい顔つき。男装してステージに立てば劇の主役を張れそうなルックスである。
「……あの人が?」
「ああ、あの人が一本木先輩。スポーツ特待生にして、現生徒会長だ。……この前の全校集会でも挨拶してたろ。さてはお前、寝てたな?」
「立ったままどうやって寝ろって言うんだ。ただ…………ステージを見てなかっただけだよ」
「ステージも見ないで、お前は一体何を見てたんだ?」
「隣ですだれがうるさかったんだ」
「……なるほどねえ」
木内はやたらにむかつくにやけ顔。…………まあ、その話は置いといて、
「野球部を差し置いてピッチャーをやってるのはどこの誰だと思ってたが、そんなスーパーな人だったわけか」
「そういうわけ。文武両道な麗人様。男だけでなく女にまでおモテになる」
言われてみれば、敵チームのベンチ脇の応援団スペースには、やたら女子生徒が多い。一本木先輩が投げ込むたびに、黄色い声援が響いている。こっちの応援スペースは、閑古鳥すら見当たらないってのに。
「ストラ〜イクッ! バッターアウトッ!」
五回表、三回目の主審のジャッジが聞こえてきた。クリーンナップが三者三振とは、うちにはもはや立つ瀬がない。
僕は「やれやれ」と言いながら重い腰を上げ、グローブ片手にグラウンドへ歩き出した。




