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サイドA

 限界は唐突に訪れた。

 突然身体に力が入らなくなり、ともすれば思考すら鈍りがちになった。

 いきなりの出来事に戸惑うばかりだったが、その後不定期に強烈な眠気に襲われるようになり、ああ、その時がきたのだな、と理解した。

 眠りにつくのは構わないのだが、一つだけ問題があった。その問題は今も俺の隣にいて、なにくれとなく話しかけてくる。


「ねえ、もう寝ちゃったの?」

「………………」

「ねえったら」

 面倒なので黙っていると、再度そいつは話しかけてきた。

「……起きてるよ」

 このまま黙っていると経験上後が怖いので、しかたなく返事をする。

「もう。じゃあちゃんと返事してよ」

 にもかかわらず、文句をたれる。相変わらず厄介なやつだ。

「うるさいな、眠いんだよ」

「いいじゃない、今日が…最後なんだから」

「最後だからこそ、静かに寝かせてくれよ」

 そう、今日で最後だ。今まではなんとか起きていられたが、もはや眠気は限界に近い。少しでも気を抜けば、そのまますとんと眠りに落ちてしまいそうだ。

「……………………なあ」

 なので、眠気覚ましに会話を続ける。

「なに?」

「なんでお前は、俺なんかと一緒にいたがるんだよ」

 それは、前からずっと気になっていたことだ。自分で言うのもなんだが、俺といてもさして楽しいとは思えない。

「いまさらそれを訊く?」

 驚きと呆れの入り混じったような声。

「うるさいな。いいから答えろよ」

 こいつの、感情がそのまま音になったような声が、俺は嫌いじゃない。そう気付いたのは、いつの頃からか。

「……私が見張ってないと、あなた、ろくなことしないでしょ」

 なるほど――

「……違いない」

 自嘲が漏れる。俺に気があるんじゃないかなんて、とんだ思い上がりだったようだ。

「………………」

 まだ何か言いたそうにしている横顔を見て、そういえばこいつが言いよどむなんて珍しいな、と思う。出会った当初から、いやになるくらいずけずけとものを言ってきたのに。

 あのころは、まさかこんな関係になるとは思いもしなかった。最初は、こちらの邪魔をする厄介な女、としか思わなかった。その認識が変わったのは、いつの頃からか。

「厄介な女」は「変な女」になり、「お節介な女」を経て、妙に「気になる女」となった。

 ――いや。

「本当の事言うとさ、嬉しかったんだよ」

 もう最後だから、素直に言ってしまおう。

「――――え?」

「お前が助けてくれたとき。その後、会いに来てくれたとき。色々と、世話を焼いてくれたとき」

「……………………」

 そう、最初は戸惑うだけだった。だが、いつしかこいつとの会話を楽しむようになり、心待ちするようになった。

「なんだよ、なんか言えよ」

 そうやって黙っていられると、非常に気恥ずかしい。

「…………うん」

「うんって……ま、いいけどな」

 ああ、クソ。慣れないことは、やっぱりできない。本当は、よくなんてない。気になってしかたがない。

 ――お前は、どう思っていたんだよ。

 そう問いたくて、たまらない。

「…………一万年後に目覚めたら、あなた、私のこと…忘れちゃってるかな……?」

 だというのにこいつは、いまさらそんなことを問う。

「忘れられるわけないだろ、お前みたいなお節介な女」

 忘れられる、わけがない。許可もなく人の心にずかずかと上がり込み、しっかりと居場所を築き上げておいて、今更そんな心配か。

「……優しい(ひどい)人」

 やけに嬉しそうにそう漏らす。

「なににやにやしてんだよ」

「……べつに?」

 訳知り顔ではぐらかされた。

「…………ちぇっ」

 口でも腕力でも、俺はこいつに勝てた試しがない。

「…………なあ」

「なに」

 けれど、せめて。

「俺が眠るまで、そこにいてくれないか」

 もう少しだけ、一緒にいたい。

「! ……なによ、いまさら」

「いまさら、だからだよ。普段から言えるか、こんなこと」

 恥ずかしくて悶え死んじまう。

「素直じゃないのね、子供のくせに」

 揶揄するような声音。

「見た目だけだ。俺はお前の百倍以上生きてるんだぞ」

「でも見た目は子供でしょ」

「うるさいな。……いいからそこにいろよ」

 やっぱり、こいつにはとてもかなわない。

「はいはい」

 とりあえずうなずかせただけでも良しとしよう。

「ん」

 と、思ったら。

「なんなら、手を握っていてあげましょうか?」

 とんだ不意打ちが待っていた。

「子供扱いするなって」

 何度も言ったが、俺はお前よりずっと年上だ。ただ少し、見た目が幼いだけだ。ぽんぽんぽんぽん筍のように成長していくお前たち人間のほうがおかしいんだ。

「……ほんとに、眠っちゃうんだね」

 不意に零れる言葉。

「そうだよ。何度も言ってるだろ」

 哀しげな表情。

「……うん」

 そんな顔、させたくないのに。

「もう、お別れなんだよ……」

「………………」

 こいつでも、こんなこと言うんだな。

 少し意外だ。

 でも、そんな発見が、少し嬉しい。

「なに呆けてるのよ。前にも言ったでしょ、人間が一万年も生きていられるわけないって」

 本当に、その程度の時間も生きられないのか。一万年なんて、一眠りだろうに。

「……お前半分人外だろ。いつもみたいにご都合主義的な気合いとかノリとか根性論でなんとかならないのかよ」

 窮地に陥るたびに、そうやって覆してきたように。

「なるわけないでしょ、もう。私をなんだと思ってるのよ。……だいたい、人間の平均寿命知らないの? 男で80、女で87よ。どんなに頑張ったって百を越えられたら上出来よ」

 人間というのは、そんなにも短命なのか。いつの時代にも腐るほどわいていて、いくらでも増え続ける奴等の寿命など、今まで気にしたこともなかった。まったく――

「これだから人間ってやつは。普段偉そうなことばっかり言ってるくせしてすぐに死ぬ。……だから嫌いだ」

「私のことも、嫌い?」

「…………」

 そういう聞き方は卑怯だと思う。

「ねえ」

 そんなこと言われたら、とても素直には答えられない。

「寝たふりしてないで答えなさいよ」

「…………うるさい。そういうとこ、嫌いだ」

 ほら見ろ。ほんとは、お前だけは、別なのに。

「天邪鬼」

「そうだよ。好き勝手やってきて、溜まったツケでこの様だ」

 もう、こうやって言い合うこともできない。

「私が変わりに、払えたらいいのにね」

「ばか言うな。俺はヒモじゃない」

「いいじゃない。私が可愛く結んであげるわ」

 絶対解けないよう二重三重に固結びされそうだ。……恐ろしい。

「……いやな、女…だ、な」

 予期せぬ目眩。言葉が途切れがちになる。

「どうしたの?」

「…………そろそろ、限界みたいだ。クラッときた」

 取り繕うことさえできない。

「眠るの?」

 不安げな声。

「……ああ」

「一万年?」

「……ああ」

 お別れだ。

「………………そう」

 だから、

「そばに、いろよ」

 いて、くれよ。

「ええ。あなたが――眠るまで」

 その答えにほっとする。

「うん」

「……ねえ」

「………………」

「たまに、会いに来ていい?」

「…………俺は目を覚ませないぞ」

 話しかけられてもなにも分からないし、答えられない。

「わかってる」

 ほんとかよ。

「なら、好きにしろよ」

 きっとこいつは、本当に来るのだろう。いつも通り、茶菓子を持って、鼻歌でも歌いながら。

「うん。好きにする」

 それは、なんてつまらない悲劇。あまりのばかばかしさに、涙すら流れない。

 できることなら、出会いからやり直したい。初めて手料理を振る舞われた、あの頃から。

「……オムライスが、食べたいな」

「………………」

 想念が、口を吐く。

「もっと早く言いなさいよ、ばか」

 そうしたら俺は、もっと素直になれるかもしれない。

「……いま思ったんだよ」

 こんな、ひねくれたことも言わず、

「遅すぎるのよ」

 素直に、

「天邪鬼だからな」

 心の底から、

「もう。ばか」

 こいつと、向き合えるようになるかもしれない。



 出会いは最悪だった。突然目の前に現れたこいつは、なにやら気合いの声と共に光に包まれ変身し、ポーズを決めて名乗りを上げた。そして唖然としていた俺を一方的にボコボコにしてのけたのだ。


 舐めてかかった二度目、満を持して挑んだ三度目と同じ結末を繰り返し、俺は仲間内から大いにばかにされるはめになった。


 転機が訪れたのは、それからさらに時が過ぎてからだ。俺はつまらない失敗から傷を負い、薄汚い路地裏で這いつくばっていた。そこに現れたのが、こいつだった。

 よせばいいのに俺を介抱し、あまつさえ自宅に招き入れたのだ。なぜだと問う俺に、怪我人を助けるのは当たり前でしょ、などとのたまって。

 当然、こいつの仲間達からは猛反発を食らっていた。早く叩き出せ、なんてのはかわいいほうで、なかには今のうちに殺してしまえ、なんて言うやつもいたらしい。

 まあ順当な反応だ。俺だって、立場が逆ならそう言っただろう。ところがこいつは、そういった意見をことごとく退け、最後まで敵である俺をかばい続けたのだ。つくづくおめでたいやつだと思う。そんなことされたら、こっちまで情がわいちまう。


 ところが、怪我が癒え再び敵対した俺を、こいつは容赦なくしばき倒したのだ。先日のあれはなんだったんだと小一時間ほど問い詰めたくなるほどの無慈悲っぷりだった。しかもこいつは、そうやって俺を叩きのめす一方で、頻繁に俺の元を訪れるようになったのだ。手製の茶菓子を片手に、鼻歌など歌いながら。もうほんとに、訳が分からない。


 こうして、俺達の奇妙な交流は始まり――



「もう少し起きていられないの?」

 泣きだしそうな声に、物思いから我に返る。

「……無理、だな。正直もう、目を開けてるのも辛い」

 そう、限界だ。今だって、話しかけられなければそのまま眠りに落ちていただろう。

「…………そう」

「なあ……」

 でも。

「……うん」

 叶うことなら。

「また、会えるかな」

「あなたが、百年以内に起きてくれるなら」

「…………だよな」

 現実は、いつだって手厳しい。

「…………」

「…………」

「………………手、握ってもいい?」

「ああ」

 眠気のせいで半ば感覚のなくなっていた身体に、温もりが灯る。

「……………………」

 見れば、今にも泣き出しそうな顔をしたあいつが、必死に俺の手を握りしめていた。

「……笑えよ」

「……え?」

「最後に見るのは、笑顔がいい」

 そうだ。最後に、いつもの笑顔を見ておきたい。ずっと、覚えておけるように。一万年後に、ちゃんと思い出せるように。

「…………っ!」

 だから泣くなって。

「…………うん」

 本当に、上手くいかない。

「……出会ってくれて、ありがとう」

 けれど、最後に。

「…………っ…………いまさら、なによ…ばか」

「――本当は、ずっと…………」

「…………うん」

 ――ちゃんと、伝えておかないと。

「……ずっと?」

 ――ずっと言えなかった、本当の気持ちを。

「……………………ずっと、なに?」

 ――最後に、これだけは。

「……………………」

 ――ずっと、

「……………………」

 ――お前が、

「ねえ、寝ちゃったの?」



「ねえ」





「…………………………………………………………………………おやすみ、朝霧」


 途切れていく意識の中、微かに、彼女の声が、聞こえた――気がした。



















 ――本当は、ずっと。夕月、お前のことが、好きだった。

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