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愛川美春 後編 ☆

 だがそうしてお茶漬けに癒された翌日、これが上げて落とすの法則というものなのか、美春は今まででマックスレベルに疲労困憊していた。

 美春はそれまでに遭遇したイケメンをすべて『攻略対象(頼むから近づかないでください)』で一括りにまとめている。

 だが、それぞれのイケメンには恐ろしいファンクラブがひっついていることを、その呼び出しイベントに遭遇するまできれいサッパリ忘れていたのだ。


 ファンクラブ、それすなわちモブ。

 いかに美春が乳くさい貧乳のちんちくりんであっても、モブ連中に比べれば格段に丁寧な顔の作りをしている。

 なのにキーキーと甲高い声でわめくなんとかサマのファンクラブ会員たちは、要約すると「おまえ如きがなんとかサマに近づくとは身のほど知らずも甚だしい!」ということを、素晴らしいバリエーションに展開してやかましく言い立ててくる。


 最初のうち、美春は「はっ。モブ女の見苦しい嫉妬なんか、いちいちマトモに相手にしてられっかよ」と聞き流していた。

 だが、このところの疲労とストレスも相俟って、ついにぷっちりとキレて――否、キレようとしたのだ。

 ……だがその寸前に、ファンクラブ会員たちの崇拝対象であるなんとかサマが華麗に登場し、「ひとりを大勢で、っていうのはちょっとどうかと思うな」という一言で、あっという間にその場を収めてくださったのである。


 その際、ファンクラブ会長が去り際にちらりとこちらを振り返ったときのすさまじい怨念に満ちた視線は、美春が「あー……夜道には気をつけよう。うん」と決意するには充分すぎるほどの迫力であった。

 それから美春は、イケメンの顔を見ないまま慌ただしく礼を言って教室に戻ってきたのだが、さすがにそろそろ限界かもしれない。

 よろよろと席について、机に突っ伏す。


(おれはイケメンじゃなくて、可愛い女の子ときゃっきゃうふふしたいのに……。あれ? おれ、今女の子じゃん? ってことはなんですか? 女の子触り放題? 触っても犯罪じゃないってことですかそうですか、わーい神さまありがとう抱いて素敵ッ! 嘘です、今のはちょっぴりおちゃめな気の迷いですー。うふふふふ)


 美春は自分が脳内で発している不気味な笑いを実際に垂れ流していることにも気づかず、ゆらりと立ち上がる。

 そうして振り返った先に見つけたのは、とびっきりの極上美少女。


 艶やかな長い黒髪、まるで陶磁器のようになめらかな白い肌。

 長いまつげに縁取られた大きな瞳が、なぜか驚いたように見開かれているけれど、その繊細な美しさはいささかも損なわれていない。

 その上、制服の胸元を押し上げる彼女の盛りは、実にうらやましい……ではなく、まったくけしからん限りの特盛りである。

 これから夏服になるのが、とっても楽しみだ。


 美春の頭の中身がまともに稼働していたなら、「こんだけの極上美少女ってことは、もしかしたらライバルキャラなんじゃね?」という思考が働いていたかもしれない。

 だが、残念ながら現在いろいろなものがダダ洩れている美春の中で、そんな高度な判断をできる機能はすでに凍結されていた。

 ほとんど無意識に彼女に近づき、うふうふと笑いながらその手の柔らかさとほのかな甘い香りに癒される。美少女万歳。


 だがその癒しの時間は、突然無粋な少年に邪魔された。

 見ればそれは、美春が入学式の朝に寝坊して、慌てて走っていたときにうっかりその腹を踏んだ少年である。

 彼はあのとき何やらえらく怒っていたが、一歩間違えばもう少し下の辺りを踏んでいたのかもしれないのだ。素晴らしい運のよさを発揮した美春に感謝すべきところだというのに、まったく心と視野の狭い少年である。

 基本的に済んだことはすぐ忘れる派の美春がこうして少年のことを記憶していたのは、あのとき彼がこちらの逆鱗に触れるようなことを口にしたからだ。


 まったく、できるものなら本当に、せめて小学生辺りから人生をやり直したいものである。そうすれば、今頃こんなストレスまみれの状態に陥ることなく、あの平凡お茶漬け少年と同じ公立高校に通っていただろうに。

 別に、美春がこんなふうに若干根に持っているのは、今の自分には手に入れられるべくもない彼のガタイのよさを、ちょっとうらやましく思ってしまったからではない。

 ただ単に、このところ相次いで発生しまくりのイケメン祭りに翻弄された結果、非常にやさぐれていただけである。


(……チッ)


 この少年と同じクラスになったと知ったときには、いつか膝かっくんしてやろうと思っていた。

 だが、それからあまりにハードな日常がはじまってしまったものだから、今の今まですっかり忘れていたのだ。

 今からでも遅くない、かっくんしてやるべきだろうか。


「く……久我くん。ありがとう、ございます」

「大丈夫か? 久遠寺」


 美少女と少年――よく見れば大層なイケメンのそんな会話を耳にした瞬間、美春の中で何かの回路が繋がった。

 美春は各攻略キャラとライバルキャラの詳細なデータを、すべて完全に記憶しているわけではない。実際に自分でゲームをプレイしたわけでもないのだから、それぞれの基礎データを記憶しているだけでも褒めてもらいたいところである。


 そもそも、ゲームの彼らのことは二次元のイラストという印刷物でしか見たことがないのだ。ただでさえアホみたいにイケメン率の高いこの学園で、見た目だけで彼らを識別できるはずもない。

 現実の彼らと遭遇したときには、そのべったべたなシチュエーションと相手がイケメンであるという事実、そして『生徒会』、『風紀委員』、『サッカー部』等々のキーワードに反応し、彼らに関する恐怖情報が連鎖反応的に甦っている。

 それらの情報とて、今となっては少し曖昧だ。美春は忘れたい出来事は、さっさと忘れて生きていく派なのだ。


 だが、このゲームはプレイヤーが記憶しやすくするためなのか、各攻略キャラとそれとペアになっているライバルキャラは、名字の頭文字が同じ漢字である、という仕様になっている。


 ――イケメン×超絶美少女×同じ漢字の頭文字持つ名前=ゲームヒロインが三角関係を作ってバトルを演じる予定の攻略キャラとライバルキャラ。


 その方程式が美春の頭の中で成立し、そして彼らの名前とヴィジュアルを認識したためなのか、『久』の頭文字ペアの情報がだーっと脳裏に甦る。

 三秒後、甦った情報の内容にぶっちりとキレた美春は、訝しげな顔をしているイケメン――志郎に対し、下れ天誅! とばかりにびしりと指を突きつけた。


「そんっっな超絶美少女に愛されているにもかかわらず、ぽっと出の女に惑わされてポイ捨てするような男の風上にも置けない外道など、てっぺんに一本だけ残してハゲ散らかしてしまうがいいーっっ!!」


 ……その『ぽっと出女』が自分自身であり、なおかつ時系列がめちゃくちゃな主張を繰り広げていることに、美春は気づいていなかった。この辺りの詰めの甘さが、美春が周囲から『残念なアホの子』と評価されている由縁である。

 当然ながら、身に覚えのないことで責め立てられた志郎が、ひどく慌てた様子で反論してくる。

 だが、完全におかしな具合にテンションの上がりきっていた美春は、ますます調子に乗ってふんぞり返った。


「はっ、これだから鈍感系イケメンはいやなんだ! 一途に向けられる切ない乙女心に、まるで気づかないんだからな!」

「え……?」


 鈍感系イケメンというのは、乙女ゲームの中では存在が許されるのかもしれない。

 しかし、そんな非モテ男の神経を逆撫でするばかりのイキモノなど、断じて現実に存在していてはいけないのだ。


(さあ、イケメン! 己の本性を暴露されて、ペアのライバルキャラなお嬢さんに愛想を尽かされてしまうがいいわー! それで膝かっくんの刑は勘弁してやろうじゃないか! あぁッ、おれってマジ心が広い!)

 ふはははは、と思いきり高笑いしたい気分で悦に入っていた美春だったが、それからぽつりと聞こえてきたのは、少し掠れて破壊力の倍増したイケメンボイスだった。


「久遠寺……」

「え? ……は、はい!」


 名を呼ばれ、一拍遅れて返事をしたライバルキャラの超絶美少女――花音は束の間、ひどく困惑したような表情を浮かべる。

 それから志郎を見上げて何度か瞬くと、彼女の頬が見る見るうちに赤く染まっていく。


「あ……あの、わたし……っ」

「久遠寺?」

「はいぃ……っ」


 ……もしやこのイケメンは、自分の声の破壊力をわかってやっているんじゃないだろうか。

 志郎が甘ったるく囁くように名前を呼ぶたび花音がぷるぷると震えて、ぎゅっと目を閉じてしまう。

 こちらからは見えないけれど、きっと志郎は声と同じくらいに甘ったるい瞳で花音を見つめているのだろう。

 その絵ヅラを明確に脳裏に描ける自分が、とってもいやだ。


(あー……、恥ずかしそうに震えて真っ赤になった美少女可愛いです、美味しいですごちそうさまです萌えー……って、何この展開!?)


 詳しいことは覚えていないが、確か志郎はかなりの人間不信で、好感度を上げていくのが非常に難しいキャラだったはずだ。

 周囲の人間はすべてその他大勢、ライバルキャラとヒロインの名前さえしょっちゅう間違えて呼ぶ。そんな徹底的な他人への無関心が、彼の持ち味だったはずなのに――これは誰がどこからどう見ても、好感度マックス状態のデレっぷりだ。


 一体なぜ!? と美春が動揺していると、志郎は少し考えるようにしてから、柔らかく誘うような声で口を開いた。


「花音、って、呼んでもいい……?」

(……っ久我ルートクリアパターン、キタ――――――っ!?)


 他人に対してずっと無関心を貫いていた志郎が、ヒロインのことを名字ではなく名前で呼ぶ――それが、久我ルート好感度マックス状態でのエンディングである。

 美春は驚愕した。

 なんだそれは、まだ入学してから数日しか経っていないというのに、彼らの間に何があった。

 美春がイケメン祭りに翻弄されている間に、花音は一途に懸命に志郎の好感度を上げていたのだろうか。

 いや、それにしたって展開が早すぎはしないだろうか。


(ええぇー……。一体どんな裏ルートだ、いやこれがゲームじゃなくて現実だからなのか? やっぱりどんなヤローも、巨乳美少女が好きですか。いやそうだよな、おれだって大好きですよ、力一杯共感できちゃいますけども! なんか目の前の光景が、ものっそい腹立たしいのはなんでかなあああぁー!?)


 脳内でいろいろと絶叫しながら美春がぱくぱくと口を開閉させている間に、潤んだ瞳で志郎を見上げた花音は、小さくこくんとうなずいた。


「で……でも、わたし……」

「何? 花音」

「く……久我くん――」


 何か言いかけ、それきり言葉を失ってしまった花音が助けを求めるように周囲を見回す。

 しかし、すでに退避を完了していたお嬢さま方は、きらきら輝く瞳で両手を組み合わせながら、口の動きだけで「がんばって、花音さん!」とエールまで送っている始末だ。

 孤立無援となった花音は、志郎の方を見ることもできずに再びうつむいてしまう。


「花音?」

「はいっ」


 ……それはもう甘ったるいと表現するのも生温い、砂糖でも蜂蜜でもメープルシロップでもオリゴ糖でもブドウ糖でもなんでもいいけれど、とにかく甘味と呼ばれるものを徹底的に煮詰めまくったような志郎の声である。

 彼に名前を呼ばれるたびに、その攻撃を受けた花音がとんでもないダメージを食らっているのがわかる。

 もしこの世界に可視化されたパワーゲージがあったなら、今頃花音のライフはもうゼロよ! 状態であっただろう。


 しかしなんというか、花音の薔薇色に上気した頬も、赤く色づいた唇も、そしてぎこちなく志郎を見つめる濡れた眼差しも、とても十五才の少女とは思えないほど――壮絶に、エロい。

 それはそれで実に眼福なのだが、現在彼らの間にあるのは、真っ昼間の明るい教室で醸し出していい空気ではない気がする。

 ものすごく今更だが、そういうふたりの世界はギャラリーがいないときに作ってくれないかなーと美春が思ったとき、花音が掠れた声で口を開く。


「あの……き、きちんとお話したことも、ありませんし……っ」


 志郎は笑ったようだった。


「うん。花音と話せて、嬉しい」

「……っ、く、久我くんは、ずるいのです……」


 肩を震わせて言った花音に、志郎が不思議そうに首を傾げる。


「何が?」


 花音は涙を滲ませた瞳で、きっと志郎を睨みつけた。


「もう! あなた絶対、ご自分の魅力をわかってやっていらっしゃるでしょう!? わたしは、こういったことにはまったく免疫がないのですわ! 少しは手加減というものをしてくださいませ!」

「いやだ」


 志郎の即答に、花音が唖然として目を丸くする。


「は……?」

「手加減なんかして、逃げられたら困る」

「ま、真顔で、何をおっしゃいますの……?」


 志郎は淡々と続けた。


「本気だから。……花音がオレのこと、オレが花音を好きなのと同じくらいに好きになってくれたら、手加減してもいい。でも、無理だと思う。絶対、一生、オレの方が花音を好きだから」


 一瞬、何を言われたのかわからないという表情を浮かべた花音の顔が、再びぽん! と湯気の出るような勢いで赤くなる。


(何このイケメン、迷いねえ)


 教室のど真ん中で、クラスメイトたちに見守られながら口説かれまくるとは、どんな羞恥プレイだろうか。気の毒に。

 そのとんでもない直球ストレート加減に戦慄を覚える。

 ここはひとつ花音のために、膝かっくんして志郎を止めるべきだろうと、美春はそそっと彼の背後に忍び寄り――


(ひいいいいっ!?)


 ――途端にこちらを振り返った志郎に、ぎらりと白く光る視線で射貫かれる。

 本気の殺意が込められたそれに、やんちゃ少年時代の『コイツには逆らっちゃなんねェ、絶対に』という危機察知本能がフル稼働。

 美春はすかさず、ダッシュで戦線離脱した。常時展開されているはずのドジっ子属性が、まるで発揮される間もないほどの勢いである。


 そうして次の授業がはじまるまでの間、美春は廊下にしゃがみこみながらぴるぴる震えて「イケメン怖い、久我怖い」とつぶやき続けた。

 時間通りにやってきたイケメン数学教師(攻略対象)が、そんな彼女に気づいて足早に近寄る。


「どうした。気分でも悪いのか?」


 美春は、くわっと目を見開いた。


「ぎゃあああああああす! ロリコンは死ねええええぇーっ!!」


 イケメン教師が半目になる。


「……放課後、生徒指導室な」


 美春はすかさず土下座した。


「すいませんごめんなさい、ちょっと寝ぼけただけなんです。今から保健室行ってきますので勘弁してくださ――」

「おい、どうした!?」


 イケメンに対する恐怖と肺活量の限界を超えた美春は、その場でぱったりと気絶した。慌てたイケメン教師は、美春をお姫さま抱っこで保健室へ運んだ。


 美春の明日は、どっちだ。





花音「イケメンの激甘笑顔と激甘ボイスと激甘口説き文句のフルコンボは、想像を絶する破壊力だったのです……(憔悴)」

志郎「将来花音に苦労させたくねぇし、やっぱ久我の家は継ぐか潰すかしておくか(爽)」

美春「イケメン怖いイケメン怖いイケメン怖い(ガクブル)」




愛川美春


ゲーム設定:

プレイヤーの共感を得ることを主目的として作られたヒロインなので、スペックはそれほど高くない。ただし、普通=可愛いは基本。貧乳。『純粋で何事にも一生懸命だけど、ちょっと優柔不断なところのある流されやすくて八方美人の天然さん☆』という、二昔前の少女漫画主人公タイプ。作者はこのタイプのヒロインを見ると「おまいはどこの天使だッ」と蹴り転がしたくなる。


現在:

前世の記憶の持ち主である少年の人格が濃すぎて、幼少期に記憶が甦った花音とは違い、とっくに人格形成が済んでいたはずなのに、完全に少年の人格が優位となってしまった。今後もたぶん一生このまま。イケメンホイホイ体質。姉に叩きこまれたゲーム知識を元に、素敵な美少女であるライバルキャラたちとお近づきになりたいと思っているが、日々発生するイケメンとのきゃっきゃうふふなイベントに翻弄されている。基本的にフリーダムで、若干空気を読めない性格。なんの心構えもなく攻略対象に接近遭遇すると、恐怖刺激で反射的に彼らの基礎情報を無自覚に口走る。



少年の姉(元・兄)


可愛がっていた弟と大学時代の後輩が、相次いで死去。そのショックからなかなか立ち直れない日々を送っていたが、新宿二丁目のバーで忙しく働いているうちに少しずつ立ち直っていく。学生時代からハマっていたとある乙女ゲームを、セカンドシーズンまでフルコンプリートしている。弟が巨乳好きだったことを思い出し、更なる豊胸手術を検討中。現在、B90 W65 H88のグラマラス美女(完全工事済み)。彼氏アリ。本編とは特に関連ナシ。


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